オジー・オズボーン

オジー・オズボーン (John Michael "Ozzy" Osbourne, 1948年12月3日 [1]- ) は、イングランド出身のヘヴィメタルミュージシャンシンガーソングライター

オジー・オズボーン
Ozzy Osbourne
Ozzy Farewell 2017.jpg
ブラック・サバス - UK.バーミンガム公演 (2017年2月)
基本情報
出生名 ジョン・マイケル・オズボーン
(John Michael Osbourne)
生誕 (1948-12-03) 1948年12月3日(68歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド ウェスト・ミッドランズバーミンガム
ジャンル ヘヴィメタル
職業 シンガーソングライター
担当楽器 ボーカル
活動期間 1968年 - 1992年
1995年 - 現在
レーベル エピック
コロムビア
ジェット
共同作業者 ブラック・サバス
ケリー・オズボーン
公式サイト http://www.ozzy.com
メンバー (オジー・オズボーン・バンド)
オジー・オズボーン (Vo)
ザック・ワイルド (G)
ロブ・ニコルソン (B))
トミー・クルフェトス (Ds)
アダム・ウェイクマン (Key)
旧メンバー ランディ・ローズ (G)
ガス・G (G)
ほか 別記参照

母国の国民的ロックバンドブラック・サバス」及び、自身のソロ・バンドで長きに渡りボーカルを務め、世界的な知名度を誇る。また、デビュー当初からの愛称である「オジー」の他、「プリンス・オブ・ダークネス」「マッドマン」、日本では「メタルの帝王」など数々の異名で知られる。

目次

概要編集

 
直筆の署名

ロックバンドブラック・サバス」を結成した発起人であり、ヘヴィメタルに悪魔的演出を起こしたパフォーマーの先駆者でもある。のっぺりとした金属的なハイトーンと、不気味に響く低音を使い分けての独特の歌唱。危うさとユーモアを兼ね備えたパフォーマンスは多くのファンに支持され、ロック界のカリスマ的な存在になっている。

経歴編集

 
ブラック・サバス デビュー当時 (1970年7月)

生い立ち編集

イングランド中部・バーミンガムで労働者階級の家に生まれる。学校にもほとんど行くことはなく(ディスレクシアを抱えていたともいわれる)、酒代を得るために盗みを繰り返すような少年時代を送った。15歳で学校をドロップアウトした後、「こんな俺でも出来ることがある」ことを証明するために「バンドメンバー求む」という旨のチラシに貼る[2]。集まったトニー・アイオミビル・ワードギーザー・バトラーと共にバンド「アース」を結成する。

ブラック・サバス編集

 
ブラック・サバス - ニュージーランド公演 (2013年4月)

1969年、アースの4人(担当パート:オジー・オズボーン=ボーカル、トニー・アイオミ=ギター、ギーザー・バトラー=ベース、ビル・ウォード=ドラムス)はバンド名をブラック・サバスへと改めた。この名はギーザー・バトラーが当時公開されていた映画"BLACK SABBATH"から命名。1970年2月13日金曜日、自費レコーディングによるアルバム"BLACK SABBATH"(邦題:「黒い安息日」)でデビュー。

1977年に一度脱退するがすぐに復帰。その後、1978年12月に正式に脱退(解雇)しソロに転向する。この時期オジーは「この頃の記憶がほとんどない」といわれるほど酒や薬物に溺れ、重ねて父の死が精神的に大きなダメージを与え、日常生活にも支障をきたしかねない状態となっていた。1997年にオリジナル・メンバーによるラインナップで再結成し、19年ぶりに復帰。オズフェストのヘッドライナーをはじめ欧米各地では大歓迎を持って迎えられた。1998年にライヴ盤「REUNION」を発表。

2004年2005年にもオズフェストのヘッドライナーを務める。前座に2004年はジューダス・プリースト、2005年はアイアン・メイデンが協力した。そして2017年、バンドは約50年に渡る活動の幕を閉じた[3]

ソロ / オジー・オズボーン・バンド編集

 
ソロ活動初期の頃 (1980年)

1979年にソロ活動を開始。今は亡きギタリストランディ・ローズともこの頃活動する。ソロ活動第一作目の『ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説』は、「ブリザード・オブ・オズ」がバンド名と勘違いされたこともあるが、厳密には勘違いではなく、契約上の問題やプロモーション戦略上の観点から最終的にクレジットしなかったバンド名である。ちなみに英国盤のファースト・シングルにはこの名がバンド名として記載されている。しかし、ランディは1982年3月19日、飛行機事故でその短い生涯を終える。その後はジェイク・E・リーを筆頭に有能な若手ギタリストを発掘してメンバーに加えることが慣例化する。

1990年、突然ライヴツアーからの引退を宣言し、アルバム『NO MORE TEARS』を1991年にリリース。セールスはソロキャリアの中で最高を記録した。しかし1995年に「OZZMOSIS」を発表してライヴツアーを開始し、引退を撤回した。

2001年秋には『DOWN TO EARTH』を発表。2002年には、エリザベス2世女王在位50周年記念コンサートにも出演した。2003年12月には英国の自宅庭で四輪バイクに乗っていた際に事故に遭遇、瀕死の重傷を負うが、2004年夏のオズフェストで見事に復活している。

2009年にはザックの後任としてガス・Gが加入、2010年6月発売のアルバム『SCREAM』から参加が決定した。その後オジーは「ブラック・サバス」に専念するため、ソロ活動が滞る。

2017年、サバスの仕事を終えたオジーは、ソロツアーを再開。バンドにザックが復帰する[4]

オズボーンズ編集

2002年には、オズボーン一家のビバリーヒルズの豪邸でのハチャメチャな日常生活を追った、MTVのリアリティ番組『オズボーンズ』が世界的な人気を獲得、家族揃ってお茶の間におなじみの存在となった。しかし、オジーは後にこの番組の出演を了承したことを悔いる発言をしている。

番組内で有名になった“放蕩娘”のケリー・オズボーンは、2002年にシンガーとしてデビューを果たしている。彼女とオジーのデュエット「Changes」(ブラック・サバスのカヴァー)はアメリカやイギリスで大ヒットとなった。妻で敏腕マネージャーシャロンや息子のジャックもこの番組で有名となった。ケリー、ジャックの上に長女エイミーがいる。

エピソード編集

 
マッドマンの演出を欠かさないオジー (2016年5月)
 
長年マネージャーを務めた妻シャロン (2012年)

オジーには常識を逸脱した行為としての様々なエピソードが存在する。下記を含めたエピソードの詳細についてはドキュメンタリー映像作品「Don't Blame Me The Tales Of Ozzy Osborne(邦題/ヒストリー・オブ・オズ)」(1991年)でオジー本人が告白している。

生きた鳩を食いちぎり事件編集

あるレセプションにて、オジーが、記者会見をした時の出来事、当時マネージャーであったシャロンがオジーに鳩を飛び立たせるように渡したところ、朦朧としていたオジーは鳩の首を食いちぎってしまった。この事件がきっかけでオジーの知名度は一般層にも広まったが、後のPMRCに目の仇にされるようになってしまった。その後シャロンの家に戻った際に、ベースのルディ・サーゾの目の前でポケットに残っていたもう一匹の鳩までをも食いちぎった。

コウモリ食いちぎり事件編集

オジーは初期のソロ時代のライヴで、ステージの上から生肉を投げつけるという奇妙なファンサービスを行っていた。観客はそれに答える形で、最初は猫や鳩の死体のレプリカをステージに投げ返していたが、それが次第にエスカレートし、ついには本物を投げつけるようになってしまう。ライヴ後の会場は客が持ち込んだ生肉と血の生臭い匂い、そして腐臭に包まれ主催者から大目玉を喰うこともしばしばだった。「BURRN!」でのインタビュー記事によると、ステージに生きたヤギが放たれていたことまであったという。

そしてある日、ついに悲劇は起こってしまった。オジーがステージ上に投げ込まれたコウモリの死骸をレプリカだと思い、首を噛み千切ったのである。あまり知られていないことではあるが、コウモリは致命的な感染症の一つ、狂犬病媒介者で、当然ながら間違っても口に入れてはいけない。このパフォーマンスにより観客は大いに盛り上がり、翌日のローカル紙には「オジー、コウモリを喰う」という見出しで記事が書かれた。こうしてオジーは伝説的存在となったが、代償として救急病院へ緊急搬送された後、数ヶ月間、毎日のように体中に注射を刺しながらツアーを続ける羽目になった。現在ではアニメーションによる自身のプロモーションビデオなどで、この事件をネタとして扱っている。味は「塩辛かった」とオジー本人が語っている。

因みに、ソロ初来日時には、当時「ミュージック・ライフ」の副編集長だった酒井康に、撮影で使った「鳥の丸焼き」をアドリブでステージに投げ込まれ、スタッフに確認後、その肉に噛み付いている。

アラモ事件編集

1982年に米国で行われたツアーの最中、酔っ払っていたオジーは、外出出来ないようにシャロンに服を隠されてしまった。そこでオジーはシャロンの服を勝手に借用し、その服装のままでテキサス州サンアントニオの国民的遺産、アラモ砦へ歩いて行って立ち小便をしたのである。この結果、オジーは10年間テキサス州でのライヴ活動禁止という処分を受けた。

“Suicide Solution”で自殺騒動編集

“Suicide Solution”を聴いて本当に自殺した少年が出た。そのため、自殺をそそのかす曲[5]だとして騒ぎ立てたティーンエイジャーの父兄が、オジーを相手どって裁判を起こし、懲罰的損害賠償を科そうとしたこともあった(結果はすべて敗訴)。

その他のエピソード編集

 
故郷バーミンガムで「名声の歩道」入りに決定したセレモニー (2007年11月)

全身にタトゥーを入れているが、貧乏だった頃にやむなくモグリのタトゥーショップに行ったところ、ひどい感染症にかかってしまい生命の危機に陥り、それからは懲りて入れていないという。

同じく過激なパフォーマンスで有名なマリリン・マンソンは、オジーがアリを鼻から吸い込むところを目撃したと証言しており、「彼だけにはかなわない」と白旗を揚げている。

現夫人のシャロンとはブラック・サバス全体のマネージング担当で、ある時バンドの運営費をオジーが使い込んでしまい自宅に怒鳴り込まれ、それがきっかけで交際を始めた。

ビートルズの熱狂的なファン。シャロン曰く、「オジーは生涯ずっとザ・ビートルズをアイドル視してきた。彼らがいたから、自分は音楽の道に進んだって言ってるわ。オジーとは35年近く一緒にいるけど、彼は35年間1日も欠かさずザ・ビートルズを聴いてるの。バイクの事故でこん睡状態にあったとき、私達、病室でザ・ビートルズをかけまくってたのよ」と語っている[6]

2002年リマスターについて編集

2002年には「BLIZZARD OF OZZ(ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説)」、「DIARY OF A MADMAN(ダイアリー・オブ・ア・マッドマン)」、「BARK AT THE MOON(月に吠える)」、「TRIBUTE(トリビュート〜ランディ・ローズに捧ぐ)」、「NO REST FOR THE WICKED」、「NO MORE TEARS」、「OZZMOSIS」、「The Ozzman Cometh」の8タイトルがデジタルリマスター化された。各アルバムにはボーナストラックとしてライヴ録音やシングルB面曲などが追加収録された。

リズムトラック差し替え問題編集

初期2作品について、ランディ・ローズのギターパートがよりクリアに美しく聞こえるようにミックスし直された一方、ドラム・ベースのリズムトラックがオリジナルではボブ・デイズリー(ベース)、リー・カースレイク(ドラム)で録音されたが、2002年のリマスターではロバート・トゥルージロ(ベース)、マイク・ボーディン(ドラム)のテイクに差し替えられた。これは長年争われてきた印税支払い問題[7]をクリアするためにとられた対策であった[8]。その他にも「BARK AT THE MOON」でも随所にオリジナルとの違い(シンセのエフェクトカット、ギターのオーバーダブなど)が見られる。

リマスター除外編集

オリジナルアルバムで唯一「THE ULTIMATE SIN」がリマスター対象外にされた(1995年のリマスターではラインナップに入っていた)。これは当時のオジーがこの作品を気に入っていなかったことが理由である(プロデューサーとの仕事が上手くいかなかったとのこと)。ちなみにこのリマスター除外の影響で「The Ozzman Cometh」で収録されていたアルバム「THE ULTIMATE SIN」からの「Shot In The Dark(邦題 暗闇にドッキリ!)」は1988年発表の「NO REST FOR THE WICKED」からの「Miracle Man」に差し替えられた。その他2002年リマスターから除外されたアルバムには「SPEAK OF THE DEVIL」 「JUST SAY OZZY」「LIVE&LOUD」がある。

また「THE ULTIMATE SIN」「JUST SAY OZZY」「LIVE&LOUD」が除外された理由には、前述の「Shot In The Dark(暗闇にドッキリ!)」におけるフィル・スーザンとの権利関係の裁判沙汰が影響しているとも言われている。また、「TRIBUTE」を除くブラック・サバスの曲が収録されている「SPEAK OF THE DEVIL」「JUST SAY OZZY」「LIVE&LOUD」に関しては、米国では2002年時点でカタログ落ち、廃盤扱いとなっている。

しかし、iTunesでの配信時には、先述の「暗闇にドッキリ!」を再び収録する形で「THE ULTIMATE SIN」がリマスターされた上で配信されており、2002年のリマスターから外されていた「LIVE & LOUD」も配信されている。ただし、これの他にリマスター対象外とされたアルバムは今の所配信されていない。

オジー・オズボーン・バンドメンバー編集

 
オジー・オズボーン・バンド (2008年1月)

現ラインナップ編集

旧メンバー編集

※ライブサポートのみも含む

ギター
ベース
ドラム
キーボード

ディスコグラフィー編集

一部日本語版公式サイトにて[9]

スタジオ・アルバム編集

ライヴ・アルバム編集

ベスト・編集アルバム編集

映像作品編集

  • The Ultimate Ozzy(1986年/邦題 ライブ+モア)
  • Don't Blame Me(1991年/邦題 ヒストリー・オブ・オズ)
  • Live & Loud (1993年)
  • Live at Budokan (2002年/邦題 ライブ・アット武道館)
  • GOD BLESS OZZY OSBOURNE (2011年/邦題『オジー降臨』)

ブラック・サバス名義編集

スタジオ・アルバム
ライヴ・アルバム

脚注編集

  1. ^ オジー・オズボーンBARKS公式サイト
  2. ^ この時は「オジー・ジグ」と名乗ってメンバーを集めたという(BBCのドキュメンタリー番組のインタビューより)
  3. ^ ブラック・サバス、ラスト・ツアー最終公演、最後の曲のパフォーマンス映像を公開 - BARKS
  4. ^ オジー・オズボーン、ツアーにザック・ワイルドが参加 - BARKS
  5. ^ 実際には、急性アルコール中毒で死亡したAC/DCのフロントマン、ボン・スコットを追悼する曲である
  6. ^ “オジー・オズボーン、ザ・ビートルズを前に支離滅裂”. pmccartney.com/latestnews/オジー・オズボーン、ザ・ビートルズを前に支離/ 
  7. ^ 2作目の「DIARY OF A MADMAN(ダイアリー・オブ・ア・マッドマン)」はオジー・オズボーン、ランディ・ローズ、ボブ・デイズリー、リー・カースレイクにより録音されたものだが、ボブとリーは録音後にバンドを去り、その後にバンドに入ったルディ・サーゾトミー・アルドリッジがクレジットされたことが問題の発端となっている。
  8. ^ ただし、2011年発売の「レガシー・エディション」では、ボブとリーの演奏に戻されている
  9. ^ 公式サイト・ディスコグラフィー

外部リンク編集