デューク・オブ・ヨーク (戦艦)

デューク・オブ・ヨーク (英語: HMS Duke of York, 17) は、イギリス海軍戦艦[1]キング・ジョージ5世級の3番艦[2]。計画時の艦名はジョージ・アンソン海軍元帥にちなんだアンソン (HMS Anson) だったが[3]、1938年12月にデューク・オブ・ヨークと改名された[注釈 2][注釈 3]

デューク・オブ・ヨーク
HMS Duke of York
Postcard HMS Duke of York.jpg
基本情報
建造所 スコットランドの旗 スコットランドクライドバンク英語版ジョン・ブラウン社造船所
運用者  イギリス海軍
級名 キング・ジョージ5世級
モットー
  • Honi soit qui mal y pense
  • shamed be whoever thinks bad of it
  • (悪意を抱く者に災いあれ)
[注釈 1]
艦歴
発注 1936年11月16日
起工 1937年5月5日
進水 1939年2月28日
就役 1941年11月4日
退役 1951年11月
除籍 1957年5月18日
除籍後 1957年、クライド海軍基地にて解体。
要目
排水量 42,500 トン
基準排水量 39,450 トン(1945年)
満載排水量 44,794 トン(1945年)
全長 227.1 m (745 ft)
水線長 225.6 m (740 ft)
最大幅 31.4 m (103 ft)
吃水 10.5 m (34 ft)
主缶 海軍式三胴型重油専焼水管缶×8基
主機 パーソンズオール・ギヤードタービン×4基
出力 125,000 馬力
推進器 スクリュープロペラ×4軸
最大速力 28.3ノット (52.4 km/h)
航続距離 6,000海里 (11,000 km)/14ノット
乗員 1,556名
兵装
  • 改装後:
  •  Mk VII 356mm四連装砲×2基
  •  Mk VII 356mm連装砲×1基
  •  Mark I 133mm連装両用砲×8基
  •  40mm八連装ポンポン砲×8基
  •  40mm四連装ポンポン砲×6基
  •  40mm単装機銃×1基
  •  40mm四連装機銃×2基
  •  20mm連装機銃×8基
  •  20mm単装機銃×39基
装甲
搭載機 スーパーマリン ウォーラス×4機(改装前)
レーダー
  • 改装後:
  •  274型×2基
  •  277型英語版×1基(水上・対空警戒両用)
  •  281B型×1基
  •  282型×8基
  •  285型英語版×4基 (対空射撃管制)
  •  293型×1基
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艦歴編集

ジョン・ブラウン社で建造。1937年5月5日起工。1940年2月28日進水。1941年11月4日竣工。本国艦隊に所属。竣工直前の8月、国防大臣ウィンストン・チャーチル英国首相兼任)は、海軍本部が練っていたシンガポール防衛計画に異論をとなえた[4]。イギリス海軍はネルソン級戦艦R級戦艦多数およびレナウン級巡洋戦艦1隻を派遣する計画だったが[5]、チャーチルが提案したのは、新鋭戦艦デューク・オブ・ヨーク、レナウン級巡洋戦艦1隻、旧型空母1隻からなる小規模部隊であったという[4]。チャーチルは「デューク・オブ・ヨークの訓練は回航の途次を利用しておこなえば良い。既存のキングジョージ5世級戦艦はティルピッツビスマルク級戦艦)対策として、本国艦隊に残すべきだ。」と覚書に綴った[6]アレキサンダー海軍大臣パウンド第一海軍卿が反対したが、チャーチルを翻意させられなかった[7][8]日本南方侵攻作戦に対抗して新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズ (HMS Prince of Wales) と巡洋戦艦レパルス (HMS Repulse) [9]、さらに新鋭空母インドミタブル (HMS Indomitable, 92) が極東に派遣された[8][注釈 4]

1941年12月12日、アルカディア会談をおこなうためアメリカ合衆国へ向かうイギリス首相ウィンストン・チャーチルイギリス陸軍イギリス海軍イギリス空軍の指導者達は、デューク・オブ・ヨークに乗艦してイギリスを出発した[14]。冬の大西洋を横断するためハッチは閉鎖され、乗客は甲板に出ることを許されず、チャーチルは妻クレメンタインに「第二次世界大戦がはじまって以来、私が過ごしたもっとも長い一週間」と語っている[15]。デューク・オブ・ヨークは12月22日に東海岸メリーランド州アナポリスに到着した。チャーチル首相はそこから空路でワシントンD.C.に移動し、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトに出迎えられた[15]。デューク・オブ・ヨークは1942年1月にバーミューダへの慣熟航海を行い、1月17日にスカパ・フローへと向かった[16]。なおチャーチル首相は1月15日に航空機でアメリカを出発[17]、バミューダを経由し、約18時間の飛行でイギリスに戻った[18]

このあと、デューク・オブ・ヨークはソ連向け輸送船団の護衛任務についた[19]。 1942年3月1日、デューク・オブ・ヨークは巡洋戦艦レナウン (HMS Renown) 、巡洋艦ケニア (HMS Kenya, C14) 、6隻の駆逐艦とともにソビエト連邦にむかうPQ12船団の近接護衛を務めた。ジョン・トーヴィー大将が、ドイツ戦艦ティルピッツ (DKM Tirpitz) が船団攻撃に出撃して来るかもしれないと考えたため3月6日には戦艦キング・ジョージ5世 (HMS King George V) 、空母ヴィクトリアス (HMS Victorious, R38) 、重巡洋艦ベリック (HMS Berwick, 65) 、駆逐艦6隻が増強された。3月6日、ドイツ戦艦は出撃し、19時40分ごろにイギリス潜水艦により発見された。ヴィクトリアス搭載機による不成功に終わった雷撃を除けば[20]、両軍の間に接触は無かった[16]

4月初頭、アメリカ海軍の新型戦艦ワシントン (USS Washington, BB-56) 、空母ワスプ (USS Wasp, CV-7) 、重巡洋艦ウィチタ (USS Wichita, CA-45)、重巡タスカルーサ (USS Tuscaloosa, CA-37) などから構成される第39任務部隊(ロバート・C・ギッフェン少将)が、スコットランドオークニー諸島スカパ・フロー泊地に到着し、ジョン・トーヴィー大将が率いるイギリス本国艦隊の指揮下に入った[21][注釈 5]。デューク・オブ・ヨークはワシントン(ギッフェン少将旗艦)と演習をおこなう[23]。ワシントンの将兵はデューク・オブ・ヨークの射撃について酷評している[23]

5月1日、姉妹艦キング・ジョージ5世がPQ15船団 (Convoy PQ 15) を護衛中に味方駆逐艦パンジャビ (HMS Punjabi, F21) と衝突して後者が沈没、戦艦の方も修理が必要になった[24]。デューク・オブ・ヨークが本国艦隊旗艦を引き継ぐ。

第99任務部隊(第39任務部隊より改称)は[25]、そのあと本国艦隊と合流のため5月15日に編成替えが行われ、5月22日に大型艦(デューク・オブ・ヨーク、ワシントン、ヴィクトリアス)と巡洋艦や駆逐艦が出撃する[26]。一週間後にスカパ・フローへ戻る[27]。6月4日にはヨーロッパ方面艦隊の司令官ハロルド・スターク提督がワシントンに乗艦、その司令官旗を掲揚し、ワシントンには臨時司令部が置かれた[28]。6月7日にはジョージ6世がワシントンを視察した[29]

スターク提督が艦を離れた後、空母ワスプも地中海戦線の焦点になっていた英領マルタへのクラブラン(航空機輸送作戦)に駆り出されたので、本国艦隊の頼りになる空母はヴィクトリアスだけになった[30]。デューク・オブ・ヨークやワシントンは、ソ連の港に通じる北極海の航路を哨戒した。6月27日、PQ17船団 (Convoy PQ-17) はアイスランドを出発し、アルハンゲリスクにむかった[31]。トーヴィ提督直率の警戒部隊(戦艦デューク・オブ・ヨーク、戦艦ワシントン、空母ヴィクトリアス、巡洋艦数隻、随伴駆逐艦)が間接護衛をおこない、ルイス・ハミルトン英語版少将が率いる英米巡洋艦部隊が直接護衛をおこなう(PQ-17船団戦闘序列)。ドイツ軍は輸送船団PQ17を攻撃するためレッセルシュプルング作戦英語版を発動した[32][注釈 6]。 ティルピッツ以下のドイツ艦隊を恐れたイギリス海軍省はPQ17船団を分散させ、大損害を蒙った[33]ソ連向け援助船団は運航停止に追い込まれる[注釈 7]。7月14日にギフェン少将は旗艦をウィチタへ移し、ワシントンはアメリカ大陸に帰っていった[34]

 
トーチ作戦のH部隊。戦艦デューク・オブ・ヨーク、ネルソン、空母フォーミダブル、巡洋戦艦レナウン、軽巡アルゴノート

1942年10月、デューク・オブ・ヨークはH部隊の新たな旗艦としてジブラルタルに派遣され、翌月にはトーチ作戦を支援した[35]。デューク・オブ・ヨークはイタリア王立空軍 (Regia Aeronautica) による攻撃を受けたがそれらは比較的小規模であり、空母ヴィクトリアスやフォーミダブル (HMS Formidable, R67) 、フューリアス (HMS Furious, 47) 搭載機によって速やかに処理された。その後デューク・オブ・ヨークはイギリスに戻り修理を受けた[36]

1943年9月上旬[37]、ドイツ海軍の戦艦2隻(ティルピッツ、シャルンホルスト)がノルウェースピッツベルゲン島に艦砲射撃をおこなった[38][39]。デューク・オブ・ヨークは北大西洋から北極海方面においてソビエト連邦むけ北極船団の護衛を担当した。10月、リーダー作戦に参加。

12月26日エーリヒ・バイ少将が率いるドイツ戦艦シャルンホルスト (DKM Scharnhorst) と駆逐艦部隊が[40]、連合軍のソ連向け輸送船団JW55B英語版を攻撃した[41]。まずバーネット提督指揮下の巡洋艦部隊(ノーフォークベルファストシェフィールド)がシャルンホルストを迎撃し、シャルンホルストはレーダーに損害を受けた[42]。その後、ブルース・フレーザー提督が率いるデューク・オブ・ヨーク(旗艦)と大型軽巡ジャマイカ (HMS Jamaica, 44) および駆逐艦部隊が戦闘に加入する[43]。本艦はスタビライザー方式の主砲射撃方位盤により荒天の揺れを抑え、さらに正確なレーダー管制射撃[44]によりこれを大破させた。シャルンホルストはデューク・オブ・ヨークに圧倒され、最終的に巡洋艦や駆逐艦の雷撃により沈没した[42]

1944年3月下旬から4月初旬にかけて、本艦と姉妹艦アンソン (HMS Anson, 79) は空母2隻(ヴィクトリアス、フューリアス)と共に、フィヨルドに潜むドイツ戦艦「ティルピッツ」を葬ることを企図したタングステン作戦に参加した。このあとも「ティルピッツ」は幾度も攻撃を受け、11月12日に沈没した[45]。ティルピッツの脅威がなくなると、キング・ジョージ5世級戦艦も太平洋戦線に配置転換された[19]。 1945年4月にはイギリス太平洋艦隊所属となり、7月太平洋に到着し、太平洋艦隊の旗艦として9月2日の日本の降伏調印式に参加している。

1957年除籍、解体。

主な活動編集

など

ギャラリー編集

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 英国王がその主権者を務めるガーター騎士団のモットー。
  2. ^ 1936年1月20日に死去したイギリス国王ジョージ5世の第一王子がエドワード8世(プリンス・オブ・ウェールズ)、第二王子がジョージ6世(デューク・オブ・ヨーク)である[3]
  3. ^ ヨーク公 (Duke of York) またはヨーク=オールバニ公爵 (Duke of York and Albany) にちなむ「デューク・オブ・ヨーク」の艦名をもつイギリス船は多数存在する(デューク・オブ・ヨーク)。イギリス海軍の艦艇としては他に、帆走カッターデューク・オブ・ヨーク(1763年)がある。
  4. ^ インドミタブルは訓練中にカリブ海ジャマイカで座礁した[10]アメリカ合衆国で修理をおこなったが太平洋戦争開戦までにシンガポールに進出できず[11]、直掩航空兵力を欠いたZ部隊の主力艦2隻がマレー沖海戦で沈没する一因となった[12][13]
  5. ^ 第39任務部隊の本来の司令官はウィルコックス少将だったが、大西洋横断中に戦艦ワシントンから落下して行方不明になった[22]。そこでギッフェン少将が第39任務部隊の指揮を引き継いだ[22]
  6. ^ レッセルシュプルングとは、チェスにおけるナイト桂馬)の働きのこと。
  7. ^ ソ連向け援助船団は、9月初旬のPQ18船団から再開された。続いて12月中旬にJW-51A船団が運航されて成功し、12月下旬のJW-51B船団ではバレンツ海海戦が生起した。

出典編集

  1. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 68–73イギリス/キング・ジョージ5世
  2. ^ ミドルブック、戦艦 1979, p. 54.
  3. ^ a b ミドルブック、戦艦 1979, p. 71.
  4. ^ a b グレンフェル 2008, p. 78.
  5. ^ ミドルブック、戦艦 1979, pp. 50–51.
  6. ^ ミドルブック、戦艦 1979, pp. 52–53.
  7. ^ グレンフェル 2008, p. 79.
  8. ^ a b ミドルブック、戦艦 1979, pp. 58–61.
  9. ^ 帝国の落日(下) 2010, pp. 241–243.
  10. ^ ミドルブック、戦艦 1979, pp. 82–84.
  11. ^ グレンフェル 2008, p. 81.
  12. ^ グレンフェル 2008, pp. 108–112九 敗戦の原因
  13. ^ グレンフェル 2008, pp. 182–183.
  14. ^ 太平洋の試練(上)真珠湾からミッドウェイ 2013, pp. 206–208チャーチル、アメリカを訪問
  15. ^ a b 太平洋の試練(上)真珠湾からミッドウェイ 2013, p. 268.
  16. ^ a b Garzke p. 216
  17. ^ 太平洋の試練(上)真珠湾からミッドウェイ 2013, p. 300.
  18. ^ キーガン 2015, p. 170.
  19. ^ a b ジョーダン、戦艦 1988, p. 73.
  20. ^ 丸、写真集ドイツの戦艦 1977, pp. 178a-179戦歴/☆戦艦☆ティルピッツ
  21. ^ 戦艦ワシントン 1988, pp. 57–58.
  22. ^ a b 戦艦ワシントン 1988, pp. 52–55.
  23. ^ a b 戦艦ワシントン 1988, pp. 58–59.
  24. ^ 戦艦ワシントン 1988, pp. 67–69.
  25. ^ 戦艦ワシントン 1988, p. 63.
  26. ^ 戦艦ワシントン 1988, p. 72.
  27. ^ 戦艦ワシントン 1988, p. 73.
  28. ^ 戦艦ワシントン 1988, p. 74.
  29. ^ 戦艦ワシントン 1988, p. 75.
  30. ^ 戦艦ワシントン 1988, p. 76.
  31. ^ 戦艦ワシントン 1988, pp. 78–79.
  32. ^ 戦艦ワシントン 1988, pp. 77–78.
  33. ^ 戦艦ワシントン 1988, p. 86.
  34. ^ 戦艦ワシントン 1988, p. 87.
  35. ^ Konstam p. 43
  36. ^ Chesneau p. 14
  37. ^ 丸、写真集ドイツの戦艦 1977, pp. 178b-179.
  38. ^ 丸、写真集ドイツの戦艦 1977, p. 41.
  39. ^ 丸、写真集ドイツの戦艦 1977, pp. 179a-180戦歴/☆巡洋戦艦☆シャルンホルスト
  40. ^ 丸、写真集ドイツの戦艦 1977, p. 73.
  41. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 36–41ドイツ/シャルンホルスト級
  42. ^ a b 丸、写真集ドイツの戦艦 1977, pp. 179b-180.
  43. ^ 丸、写真集ドイツの戦艦 1977, p. 174.
  44. ^ 世界の艦船 増刊第67集
  45. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 46–47.

参考文献編集

  • ジョン・キーガン「第九章 ビッグ・スリー 一九四一 ~ 四五年」 『チャーチル 不屈の指導者の肖像』富山太佳夫、岩波書店、2015年8月 (原著2002年)。ISBN 978-4-00-023887-8 
  • ラッセル・グレンフェル 『プリンス オブ ウエルスの最期 主力艦隊シンガポールへ 日本勝利の記録』田中啓眞 訳、錦正社、2008年8月 (原著1953年)。ISBN 978-4-7646-0326-4 
  • ジョン・ジョーダン 『戦艦 AN ILLUSTRATED GUIDE TO BATTLESHIPS AND BATTLECRUISERS』〈イラストレイテッド・ガイド6〉石橋孝夫(訳)、株式会社ホビージャパン、1988年11月。ISBN 4-938461-35-8 
  • 世界の艦船増刊第67集
  • イアン・トール「第五章 チャーチルは誘惑する」 『太平洋の試練(上) 真珠湾からミッドウェイまで』村上和久(訳)、文藝春秋、2013年6月。ISBN 978-4-16-376420-7 
  • 月間雑誌「丸」編集部編 『丸季刊 全特集 写真集 ドイツの戦艦 ド級前戦艦から戦艦まで全37隻のすべて THE MARU GRAPHIC WINTER 1977』〈丸 Graphic・Quarterly 第27号〉株式会社潮書房、1977年7月。 
  • M・ミドルブック、P・マーニー 『戦艦 ― マレー沖海戦 ―』内藤一郎 訳 、早川書房、1979年6月。 
  • イヴァン・ミュージカント 『戦艦ワシントン 米主力戦艦から見た太平洋戦争』中村定 訳、光人社、1988年12月。ISBN 4-7698-0418-0 
  • ジャン・モリス 『帝国の落日〔上巻〕 パックス・ブリタニカ完結篇』椋田直子、株式会社講談社、2010年9月 (原著1978年)。ISBN 978-4-06-215247-1 
  • ジャン・モリス 『帝国の落日〔下巻〕 パックス・ブリタニカ完結篇』椋田直子、株式会社講談社、2010年9月 (原著1978年)。ISBN 978-4-06-215248-8 
  • Garzke, William H., Jr.; Dulin, Robert O., Jr. (1980). British, Soviet, French, and Dutch Battleships of World War II. London: Jane's. ISBN 0-7106-0078-X 
  • Konstam, Angus (2009). British Battleships 1939–45 (2) Nelson and King George V classes. New Vanguard. 160. Oxford, England: Osprey Publishing. ISBN 978-1-84603-389-6 
  • Chesneau, Roger, ed (1980). Conway's All the World's Fighting Ships 1922-1946. Greenwhich: Conway Maritime Press. ISBN 0-85177-146-7 
  • Chesneau, Roger (2004). King George V Battleships. ShipCraft. 2. London: Chatham Publishing. ISBN 1-86176-211-9 

関連項目編集

外部リンク編集