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横山たかし・ひろし(よこやまたかし・ひろし)は松竹芸能所属の漫才コンビ。横山やすしの弟子で、ともに明蝶芸術学院の出身。1968年昭和43年)コンビ結成。同年新世界新花月で初舞台。ホラ吹き漫才の第一人者。

横山たかし・ひろし
メンバー 横山 たかし(本名:山高 考)
生年月日: (1948-10-06) 1948年10月6日(70歳)
横山 ひろし(本名:小林 秀光)
生年月日: (1947-01-19) 1947年1月19日(72歳)
結成年 1968年
事務所 松竹芸能
活動時期 1968年 -
師匠 横山やすし
正司玲児
現在の活動状況 舞台
芸種 漫才
現在の代表番組 バラエティー生活笑百科
受賞歴
第1回NHK上方漫才コンテスト新人賞(1971年
第3回NHK上方漫才コンテスト優秀努力賞(1973年
第3回上方お笑い大賞銀賞(1974年
第29回上方漫才大賞大賞(1994年
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目次

プロフィール編集

横山たかし(よこやま- 、1948年(昭和23年)10月6日 - )ボケ担当、愛媛県伊予郡松前町出身。本名・山高 考(やまたか たかし)。

横山たかしの名は三代目。初代は横山プリン、二代目はレツゴー正児

横山ひろし(よこやま- 、1947年(昭和22年)1月19日 - )ツッコミ担当、愛媛県越智郡波方町(当時:現今治市)出身。本名・小林 秀光(こばやし ひでみつ)。

妻は松竹芸能の後輩にあたる漫才師の春けいこ

来歴・エピソード編集

  • 2人とも松竹新喜劇俳優曽我廼家明蝶の設立した明蝶芸術学院の3期生。明蝶と学院について「(明蝶は)売れてないころも“うちの子や”と、よく名前を出してくれた。明蝶学院は、たかし・ひろしの原点」と語っている[1]
  • コンビ結成直後から、オカマに扮したたかしが、相方のひろしに迫る「おかまどつき漫才」でいきなり売れ、1971年昭和46年)のNHK上方漫才コンテスト新人賞受賞するなど、下積みの苦労は余りしていない。しかし当時の放送倫理基準では問題視され、テレビ・ラジオからの出演要請が少なかったため、寄席主体だった(朝日放送ナンバ壱番館」、NHK上方演芸会」)。なお「笑点」には、1970年代前半から現在に至るまで、何度も出演している。
  • ホラ吹き漫才は1971年神戸松竹座に出ていた頃、たかしが当時人気だった歌手の藤圭子の愛人だとホラを吹いたら受けたので、その後田中角栄の大言壮語を振ったりしたことで、ホラ吹き漫才のスタイルが生まれた(上方演芸会)。またたかしの派手な燕尾服の衣装はたまたまテレビで園遊会のニュースを見ていたら着ている人がいて参考にした。
  • 生活苦に喘いでいるというネタを信じた客が泣き出したり、これでご飯を食べなさいと現金を渡されたことがある[2]
  • マンネリ化もあって、漫才ブームにも無縁のまま低迷、1990年代に入ってやしきたかじんが「たかし・ひろしの漫才は面白い」と番組のゲストに呼んだことを契機に、再浮上した。たかしは「たかじんのお陰で飯を食えるようになった」と、べんちゃら含みの発言をしている。
  • 1988年頃に20周年を機会に芸に行き詰まりで解散・廃業を考えたことがある、営業の終わり喫茶店で話し合いが持たれた。
  • 1994年平成6年)、第29回上方漫才大賞で大賞を受賞。
  • たかしはデビュー当時のオセロ中島知子松嶋尚美に対して『10年間頑張ったら100万円やる!!』と高言を吐いた。そして活動10年目の正月に中島と松嶋二人が、たかしの楽屋を訪れ『活動10年目に入りました、約束はどうなっていますか?』に対し、たかしは『すまんかった!勘弁してくれ!!』と土下座して謝り、値引きして二人に10万円をやった。
  • 2009年(平成21年)コンビ結成40周年。近年ひろしはボケ防止のため、落語に挑戦している。
  • 2014年3月に、たかしが腰部脊柱管狭窄症を発症し、約1年の間活動を休止した。その間たかしはリハビリテーションに励んだが、下半身が自由にならず舞台への復帰が危ぶまれた。その話を聞いた後輩芸人の増田英彦の発案により、車椅子での舞台復帰が計画された。金色の車椅子を特注し、2015年3月それをネタに織り込んで舞台へ復帰した。

横山やすしとの関係編集

  • コンビ結成当初は師匠と同じ吉本興業所属。横山やすしによる弟子へのに揮う非人道的な暴力を周囲が見兼ね、やすしから弟子を遠ざけるべきだと取り計らい、正司玲児が弟分に引き取る形で、松竹芸能に円満移籍させた。殴られるのは常にたかしで、「弟子に付いた間に千発(番組によっては1万発とも)位はドツかれた」「命の危険を感じた事もあった」と語っている。玲児の葬儀では2人で弔辞を読んだ。
  • そのたかしは、激昂したやすしに阪神高速道路で車から降ろされて置き去りにされたり、ふぐちり屋の二階の窓から屋外に蹴落とされたりもしている。
  • 若手時代から要領が良く小銭を持っていたひろしは無事な場合が多かったが、一本立ちしてからも電話魔のやすしには悩まされ、「どこにおるんじゃ!ボケ」の一言で呼び出されたり、電話口で「はいそうですね」と応じていると「ほんでな、コラお前ちゃんと聞いてるんか?!」と突如逆上されたりした。
  • 1994年平成6年)初夏頃、ひろし宅に師匠から電話で「もしもし横山やすしだが、ひろし頑張りや。うん、よう見てるで。一着取りや。以上!」と16秒の留守電メッセージが入っていた。やすしの死後の追悼特番でひろしは「『一着取りや』のとこがね。もう師匠は自分は一着を取れんと悟っていたんでしょうね。それを僕らに託したんでしょう。師匠ってのは、僕らにとって親みたいですから」と語っている。現在もそのテープを大切に保管しており、師弟愛の程がうかがわれる(古川嘉一郎「横山やすし 夢のなごり」)。
  • 一方たかしはやすしの出棺の際、「師匠は、漫才の星から地球へ漫才しに来た、漫才星人です」と言って号泣した。角座閉館のおり、吉本への移籍をやすしに依頼するも相手にされず一時は師弟関係に亀裂が生じたこともあったが、師弟の絆は固く、たかしは心底やすしを尊敬し、師匠のやすしを織田信長に例えている。

春やすこ・春けいことの関係編集

  • 横山ひろしは、春けいこのデビュー前からの永年の交際の末、1982年(昭和57年)に結婚。二女がある。
  • ひろし・けいこの結婚に続いて、たかしと、けいこの相方・春やすこが結納まで交わすも、やすこが「たかしに人前で殴られた」と会見で述べ、一方的に婚約解消した。その後やすこは後年一般人と結婚したが、破局の理由がたかしの暴力ではなく、たかしがいわゆる"太っ腹の遊び人"であることを理由に、両親に反対されたことを告白している。
  • たかしは一男をもうけて1982年に離婚した前夫人に、23年後の2005年(平成17年)、阪神タイガースのリーグ優勝を期に復縁を申し出て再婚。その模様は公開挙式としてテレビ中継された。島根県で別居中の夫人は広島東洋カープファンで、阪神には関心が無いという。
  • この間、たかしは昏睡強盗の被害に遭っている。

芸風編集

永らくホラ吹き漫才に専念している。手法自体は、古典落語彌次郎話に準ずるもの。

  • 金色のスパンコールをちりばめた特製ジャケットを着たたかしが「すまんの〜。大金持ちのおぼっちゃまじゃ。みんな笑えよ〜」と登場。
  • 先ずたかしが「芦屋からヘリコプターで来たんじゃ」「おぼっちゃまが乗るのはいつでもファーストクラス。地下鉄もファーストクラスじゃ」「おぼっちゃま、こないだ南極にホッキョクグマ見に行ったんじゃ」「ぶっちゃけた話、わしは外車に乗っとるんじゃ」「庭の池は琵琶湖なんじゃ」「家には秀吉が使うた皿があるんじゃ」などとホラを吹きまくる。
  • たかしのホラが始まると、ひろしは「そーら来たで来たで〜」などと盛り上げる。この時点まで、たかしはひろしを「ヨコヤマ」(立場が逆転すると、さん付けになる)と呼び、「貧乏は辛いのぉ、ヨコヤマ~」「命賭けるな、僅かな金に~」などと下僕扱いする。
  • たかしの「ネタ撒き」がひとしきり終わると、ひろしは徐々に「ネタ崩し」に移ると同時に、ボケ・ツッコミが入れ替わる。このボケ・ツッコミの途中交替は、師匠の芸から最も良く伝承した部分。
  • 怒り口調に転じたひろしが、それ迄のたかしのホラ話の矛盾点を指摘し出すと、「金があったら嘘つくかい〜」「それを言うなヨコヤマ…さん」などと、先ずは軽くいなす。
  • ひろしはここで、赤いスーツの裏地に縫い付けた「殺すぞ!」「拍手!!」といった台詞をタイミング良く客席に見せる、新手の突っ込みを用いるようになった。
  • 客の反応を見ながら「お前の車、ボンネットのとこに「外車」ってマジックで書いてあるだけやないか!」「秀吉の使うた皿がある言うたやないか!」などと、ひろしから畳み込まれると、たかしが「犬の名前が秀吉なんじゃ〜」や「医者やなしに、石屋やったんじゃ〜」と駄洒落で逃げる。
  • 更にひろしから突っ込まれると、たかしが赤いハンカチを咥えながら「あァ〜!」と悶えたり、「辛いの〜」と泣きが入る[3]。この変貌も見物。
  • 因みに、放送されない舞台では下品な下ネタも用い、「最近ごぶさたなんじゃ、頼むわ〜」などと、年配女性相手に客いじりしたりする。
  • たかしの自称38億8千万円する純金製ジャケットは、実際には市価2万円程度で、しかも通気性の無い冬服しかないため、夏場は汗だくになる(NHK上方演芸会)。尚洗濯、クリーニングはせず、ほとんどは1年半位着たら処分したり、ファンに譲ったりしている。

出演編集

テレビドラマ編集

バラエティ編集

CM編集

弟子編集

他多数、廃業したものも多い。

脚注編集

  1. ^ 産経新聞朝刊1999年(平成11年)4月17日「葬送」喜劇俳優 曽我廼家明蝶さん
  2. ^ とっぴもナイト2011年4月16日OA
  3. ^ このフレーズは、7代目笑福亭松喬が「花色木綿」の終盤で使用する他、7代目松喬と共演機会の多い伊藤史隆朝日放送テレビアナウンサー)もよく口にしている。

関連項目編集

外部リンク編集