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牛田(うした)は、広島市東区に位置する地区である。ここでは「牛田」を町名に冠する同区内の地区の総称として用いる。牛田旭は一丁目から二丁目まであり郵便番号732-0067、牛田新町は一丁目から四丁目までで732-0068、牛田中は一丁目から二丁目までで732-0065、牛田東は一丁目から四丁目までで732-0063、牛田本町は一丁目から六丁目までで732-0066、牛田南は一丁目から二丁目までで732-0064 、牛田山は732-0061、牛田早稲田は一丁目から四丁目までで732-0062である(いずれも広島東郵便局管区)。当地域の人口は29,708人[1]

牛田
牛田新町の不動院金堂。市内唯一の国宝である。
牛田新町の不動院金堂。市内唯一の国宝である。
牛田の位置(広島市旧市内内)
牛田
牛田
北緯34度24分42.6秒 東経132度28分12.69秒 / 北緯34.411833度 東経132.4701917度 / 34.411833; 132.4701917
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 Flag of Hiroshima Prefecture.svg 広島県
市町村 Flag of Hiroshima, Hiroshima.svg 広島市
東区
人口
平成25年7月末現在
 • 合計 29,708人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
732-0061・732-0062・732-0063・
732-0064・732-0065・732-0066・
732-0067・732-0068
市外局番 082
ナンバープレート 広島
※座標は牛田旭一丁目15番交差点付近

目次

地理編集

広島県を流れる太田川が下流域で太田川放水路旧太田川(本川、ほんかわ)・京橋川に分岐する地点から河口部近くに位置している。地形的には牛田山頂から西に延びる丘陵(新山(にいやま)など)によって大まかに二分され、北が牛田新町の3・4丁目地区(かつての「新山村」)、南は上記の丘陵と二葉山に挟まれる谷間から京橋川沿岸へと下っていく低地部で、かつての牛田村の中心地である。

隣接している地区編集

北側…牛田山を隔てて戸坂(へさか)

南側…二葉山を隔てて山根町光が丘二葉の里

西側…太田川を挟んで西区大芝安佐南区祇園、また京橋川を挟んで中区白島

東側…牛田山を隔てて中山

住居表示と各町の地誌編集

  • 牛田新町(うしたしんまち)
町の北部(3・4丁目)は明治になって牛田村に編入された「新山村」にほぼ相当する(バス停の名前として残っている「天水」(あまず)は新山村以来の地名で、清水がわき出していたことに由来する)。南半分(1・2丁目)は、敗戦以前は水道施設(現在の牛田浄水場)および軍施設(工兵第5連隊作業場 / 現在の国家公務員アパート付近)が大半を占めており、白島地区とを結ぶ「工兵橋」はその時期の名残である。町名には「新たに編入された町」という意味が込められていると思われる。牛田地区が「広島市牛田町」として一つの町にまとめられていた時期の小地区名の一つであった。
  •  
    牛田山山頂から二葉の里、広島市街を望む
    牛田山(うしたやま)
戸坂地区中山地区と牛田地区を隔てる牛田山の南麓地域であり、大半は緑地である。
  • 牛田旭(うしたあさひ)
牛田地区が「広島市牛田町」として一つの町にまとめられていた時期の小地区名「牛田旭」に由来する。
  • 牛田早稲田(うしたわせだ)
町名は、町内に所在するかつての牛田村鎮守社「早稲田神社」に由来する。また牛田地区が「広島市牛田町」として一つの町にまとめられていた時期の小地区名の一つであった。
  • 牛田本町(うしたほんまち)
町名は京橋川に面する牛田地区の中心地(旧牛田村の役場所在地)であることに由来するものと思われる。また「広島市牛田町」として一つの町にまとめられていた時期の小地区名の一つであった。
  • 牛田東(うしたひがし)
  • 牛田中(うしたなか)
  • 牛田南(うしたみなみ)
牛田地区が「広島市牛田町」として一つの町にまとめられていた時期の小地区名の一つ「牛田南町」に由来する。

歴史編集

地名の由来編集

地名の由来は、古来この地が公卿大人の所領地で「大人田」(うした)と呼ばれたことにちなむとの説(芸藩通志)、斥鹵(せきろ / アルカリ土壌の荒れ地)が開拓されたことから「潮田」(うしおだ)と呼ばれたとの説、あるいは牛牧の地などの説がある。

安芸郡牛田村から広島市牛田町へ編集

明治22年(1889年町村制発足にともない、現在の牛田地区にほぼ相当する領域には安芸郡牛田村が設置された。昭和時代初期、全国的に市町村合併の動きが進行すると、昭和4年(1929年)、牛田村を含む広島市周辺の7町村は同市に編入合併した。これにより旧牛田村域はそのまま「広島市牛田町」へと町名変更されたが、同町はきわめて広範囲であるため平地部を中心に牛田南町・早稲田・牛田旭町・牛田本町・牛田新町など下位の小地名(正式の町名ではない)に慣行的に分けられていた。

戦後から現在まで編集

1970年の町名変更により、上記の牛田町は大部分が牛田南・牛田東・牛田早稲田・牛田旭・牛田新町・牛田山・牛田中・牛田本町に分割、1974年には残りの町域が戸坂地区(戸坂くるめ木)に編入され、町名としての「牛田町」は消滅した。これらの各町は1980年に広島市が政令指定都市に移行したさい東区に属した。また牛田は地区内を通る公共交通機関がバスしか存在しない状況が長く続いていたが、1994年になって新交通システムアストラムラインが開通、地域内に初めての鉄道駅として牛田駅および不動院前駅が開業した。

交通編集

鉄道編集

バス編集

道路編集

橋梁編集

本川京橋川の分岐点より京橋川側のやや下流に位置する市内唯一の吊り橋。明治22年(1889年)、対岸の白島町北端に駐屯する陸軍工兵第5連隊が、牛田村内の作業所との連絡のため架設した。現在の橋は戦後架け替えられたものである。
京橋川対岸の白島地区とを結ぶ位置にある。寛文4年(1664年)に初めて築造され、地区内で現存する橋の中では最古の歴史をもつ。広島城下では唯一街道筋(西国街道雲石街道)以外に架けられた橋であった。

施設編集

博物館編集

後述の牛田浄水場(旧・広島水源地)の施設のうち、旧送水ポンプ室を転用し1985年7月に開館した。かつての量水室はビデオルームとなっている。

公共施設編集

100年以上の歴史を持つ急速濾過方式の浄水場で、旧称は「広島水源地」。明治29年(1896年)、明治天皇勅令により建設が開始された広島市上水道は、当初この水源地と宇品を結ぶ軍用水道であったが、1899年8月25日には市民用の接続水道とあわせて給水を開始した。第二次世界大戦後、牛田浄水場と改称され現在に至る。現在の給水能力は1日11万立方メートルで、浄水場内の牛田配水池と南区の黄金山配水池に送水し、市内の東部地域および安芸郡府中町坂町へ給水している。
かつての牛田浄水場の敷地の一部を転用して建設された運動施設。

宗教施設編集

真言宗。前身である「安芸国安国寺」は遅くとも平安時代までには建立されていたといわれる。16世紀後半に安国寺恵瓊により再建され、その際、大内義隆によって1540年山口に建立された金堂が移築されたと伝えられる。原爆被災に際しては爆心地から遠隔にあったため大きな被害を免れ、前記の金堂は広島市唯一の国宝、楼門と鐘楼は国指定の重要文化財となっている。
  • 牛田早稲田神社(牛田早稲田2丁目)
旧称「早稲田八幡宮」。永正8年(1511年)の勧請と伝えられ、神田八幡宮(現在の神田神社で明治期宇品に移転)と並ぶ牛田村の鎮守社であった。町名(牛田早稲田)の由来となっている。神社の鎮座する早稲田山の東斜面には弥生時代土壙墓遺跡があり市指定史跡である。
  • 安楽寺(牛田本町1丁目)
真宗本願寺派1533年天文2年)、安芸国守護武田氏の家臣である豊島氏が開いた「真宗道場」を起源とする。
  • 日通寺(観音堂 / 牛田新町1丁目)
日蓮宗広島藩主浅野家菩提寺で、裏の新山には歴代藩主の墓がある(私有地につき立入できない)。もともと浅野家は日蓮宗を奉じていたが、それまで藩主の菩提寺であった尾長村(現・東区山根町)の国前寺不受不施派禁圧により寺領を没収されたことをきっかけに天台宗に改宗、賀茂郡国近村から同宗の寺院を移転し菩提寺とした。

教育機関編集

小学校
明治7年(1874年9月30日「賛成舎」として設立された地区内最古の小学校昭和22年(1947年)、現校名に改称。
中学校
高等学校
大学・短大

公園編集

  • 牛田総合公園(牛田新町1丁目)
旧牛田浄水場の敷地の一部を転用して作られた市民公園。
  • 牛田緑地(牛田山)

郵便局・銀行・金融機関編集

  • 広島牛田郵便局(牛田本町3丁目)
  • 広島牛田本町五郵便局(牛田本町5丁目)
  • 広島牛田早稲田郵便局(牛田早稲田1丁目)
  • 広島牛田早稲田団地郵便局(牛田東4丁目)
  • 広島牛田新町郵便局(牛田新町3丁目)
  • 広島信用金庫牛田支店(牛田中1丁目)

商業施設編集

産業編集

祭り・行事編集

  • ほおずき祭り

出身人物・ゆかりのある人物編集

政治家編集

官僚編集

法曹編集

学術編集

芸能編集

スポーツ編集

脚注編集

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  1. ^ 2013年7月末現在、住民基本台帳調査による。広島市調べ

参考文献編集

外部リンク編集

関連事項編集