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牛田(うした)は、広島市東区に位置する地区である。ここでは「牛田」を町名に冠する同区内の地区の総称として用いる。広島市中心部への近接性に恵まれ、住宅地としての性格が強い。当地域の人口は29,708人[1]

牛田
牛田新町の不動院金堂。市内唯一の国宝である。
牛田新町の不動院金堂。市内唯一の国宝である。
牛田の位置(広島市旧市内内)
牛田
牛田
北緯34度24分42.6秒 東経132度28分12.69秒 / 北緯34.411833度 東経132.4701917度 / 34.411833; 132.4701917
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 Flag of Hiroshima Prefecture.svg 広島県
市町村 Flag of Hiroshima, Hiroshima.svg 広島市
東区
人口
2019(令和元)年5月末現在
 • 合計 29,768人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
732-0061・732-0062・732-0063・
732-0064・732-0065・732-0066・
732-0067・732-0068
市外局番 082
ナンバープレート 広島
※座標は牛田旭一丁目15番交差点付近

地理編集

  • 広島県を流れる太田川が下流域で太田川放水路旧太田川(本川、ほんかわ)・京橋川に分岐する地点から河口部近くに位置している。地形的には牛田山頂から西に延びる丘陵(新山(にいやま)など)によって大まかに二分され、北が牛田新町の3・4丁目地区(かつての「新山村」)、南は上記の丘陵と二葉山に挟まれる谷間から京橋川沿岸へと下っていく低地部で、かつての牛田村の中心地である。

住居表示と各町の地誌編集

  • 牛田新町(うしたしんまち) - 町の北部(3・4丁目)は明治になって牛田村に編入された「新山村」にほぼ相当する(バス停の名前として残っている「天水」(あまず)は新山村以来の地名で、清水がわき出していたことに由来する)。南半分(1・2丁目)は、敗戦以前は水道施設(現在の牛田浄水場)および軍施設(工兵第5連隊作業場 / 現在の国家公務員アパート付近)が大半を占めており、白島地区とを結ぶ「工兵橋」はその時期の名残である。町名には「新たに編入された町」という意味が込められていると思われる。牛田地区が「広島市牛田町」として一つの町にまとめられていた時期の小地区名の一つであった。
  • 牛田山(うしたやま) - 戸坂地区中山地区と牛田地区を隔てる牛田山の南麓地域であり、大半は緑地である。
  • 牛田旭(うしたあさひ) - 牛田地区が「広島市牛田町」として一つの町にまとめられていた時期の小地区名「牛田旭」に由来する。
  • 牛田早稲田(うしたわせだ) - 町名は、町内に所在するかつての牛田村鎮守社「早稲田神社」に由来する。また牛田地区が「広島市牛田町」として一つの町にまとめられていた時期の小地区名の一つであった。牛田早稲田3丁目・4丁目は「早稲田団地」と呼ばれ公務員官舎が数多く建設されたが、2014年(平成26年頃)から再開発が進んでいる。
  • 牛田本町(うしたほんまち) - 町名は京橋川に面する牛田地区の中心地(旧牛田村の役場所在地)であることに由来するものと思われる。また「広島市牛田町」として一つの町にまとめられていた時期の小地区名の一つであった。
  • 牛田東(うしたひがし) - 昭和初期に「御代の台住宅地」と謳われた桜が丘(2丁目)をはじめ、東園団地(3丁目)、松風園団地(4丁目)などの造成団地がある。
  • 牛田中(うしたなか)
  • 牛田南(うしたみなみ)- 牛田地区が「広島市牛田町」として一つの町にまとめられていた時期の小地区名の一つ「牛田南町」に由来する。

隣接している地区編集

地名編集

地名の由来は、古来この地が公卿大人の所領地で「大人田」(うした)と呼ばれたことにちなむとの説(芸藩通志)、斥鹵(せきろ / アルカリ土壌の荒れ地)が開拓されたことから「潮田」(うしおだ)と呼ばれたとの説、あるいは牛牧の地などの説がある。

歴史編集

中世編集

  • 1503年(文亀3年) - 武田元繁が牛田新山に神田八幡宮を、8年後に早稲田八幡宮を勧進。
  • 1541年(天文10年) - 毛利隆元、佐東郡大牛田・小牛田を大内氏から預けられる。
  • 1595年(文禄4年) - 毛利輝元、己斐・牛田など広島周辺の諸村を公領として代官を設置。

近世編集

  • 1663年(寛文3年) - 新山に「日新館」が開荘。
  • 1664年(寛文4年) - 神田橋が架かる。

安芸郡牛田村から広島市牛田町へ編集

  • 1878年(明治11年) - 郡区町村編制法による安芸郡牛田村、安芸郡新山村が新発足。
  • 1882年(明治15年) - 隣村の新山村を吸収合併。
  • 1887年(明治20年) - 現在の牛田旭二丁目に呉警察署海田市牛田分署設置。
  • 1889年(明治22年) - 町村制発足にともない、現在の牛田地区にほぼ相当する領域に安芸郡牛田村が設置。
  • 1898年(明治38年) - 牛田水源地造成。
  • 1926年(大正15年) - 神田橋が鉄筋コンクリート橋に架け換え。同年9月12日、牛田山の土石流が発生。
  • 1929年(昭和4年) - 全国的な町村合併の動きを受け、牛田村を含む広島市周辺の7町村は同市に編入合併した。これにより旧牛田村域はそのまま「広島市牛田町」へと町名変更されたが、同町はきわめて広範囲であるため平地部を中心に牛田南町・早稲田・牛田旭町・牛田本町・牛田新町など下位の小地名(正式の町名ではない)に慣行的に分けられていた。

戦後から現在まで編集

  • 1970年(昭和45年) - 町名変更により、上記の牛田町は大部分が牛田南・牛田東・牛田早稲田・牛田旭・牛田新町・牛田山・牛田中・牛田本町に分割。
  • 1974年(昭和49年) - 残りの町域が戸坂地区(戸坂くるめ木)に編入され、町名としての「牛田町」は消滅した。これらの各町は1980年に広島市が政令指定都市に移行したさい東区に属した。また牛田は地区内を通る公共交通機関がバスしか存在しない状況が長く続いていたが、1994年になって新交通システムアストラムラインが開通、地域内に初めての鉄道駅として牛田駅および不動院前駅が開業した。
  • 1978年(昭和53年) - 第1回「牛田親子マラソン大会」が太田川河畔で開催。
  • 1986年(昭和61年) - 5月10日より一部地区で公共下水道使用開始[2]
  • 1994年(平成6年) - 牛田総合公園開園、第1回「牛田ほおずき祭り」開催。

教育編集

幼稚園・こども園編集

  • あやめ幼稚園(牛田中2丁目) - 1950年(昭和25年)開園[3]
  • 認定こども園牛田新町光明保育園(牛田新町3丁目)- 2011年(平成23年)4月1日開園[4]
  • 認定こども園広島光明学園(牛田本町5丁目) - 1933年(昭和8年)に前身の「光明寺付属三立山保育園」開園。1969年(昭和44年)に現在地に移転。
  • 比治山大学短期大学部付属幼稚園(牛田新町4丁目) - 1968年(昭和43年)開園。
  • 広島女学院ゲーンズ幼稚園(牛田東4丁目) - 1962年(昭和37年)開園。1993年(平成5年)に現在地に移転。

小学校編集

中学校編集

高等学校編集

大学・短大編集

産業編集

戦後ベッドタウンや文教地区として発展してきたため、産業の集積はあまりない。

交通編集

鉄道編集

バス編集

道路編集

橋梁編集

  • 牛田大橋 - 1965年(昭和40年)5月10日完成。老朽化、交流量増加の進んでいた神田橋の代替ルートとして役立っている。
  • 神田橋 - 京橋川対岸の白島地区とを結ぶ位置にある。1664年(寛文4年)に初めて築造され、地区内で現存する橋の中では最古の歴史をもつ。広島城下では唯一街道筋(西国街道雲石街道)以外に架けられた橋であった。

施設編集

博物館編集

後述の牛田浄水場(旧・広島水源地)の施設のうち、旧送水ポンプ室を転用し1985年7月に開館した。かつての量水室はビデオルームとなっている。

公共施設編集

  • 広島市水道局牛田浄水場(牛田新町1丁目) - 100年以上の歴史を持つ急速濾過方式の浄水場で、旧称は「広島水源地」。明治29年(1896年)、明治天皇勅令により建設が開始された広島市上水道は、当初この水源地と宇品を結ぶ軍用水道であったが、1899年8月25日には市民用の接続水道とあわせて給水を開始した。第二次世界大戦後、牛田浄水場と改称され現在に至る。現在の給水能力は1日11万立方メートルで、浄水場内の牛田配水池と南区の黄金山配水池に送水し、市内の東部地域および安芸郡府中町坂町へ給水している。
  • 広島ビッグウェーブ・東区スポーツセンター(同上) - かつての牛田浄水場の敷地の一部を転用して建設された運動施設。総合公園にある「バラ園」は、グリーンフェスタ'97開幕に合わせ1997年(平成9年)9月に開園。
  • 牛田公民館(牛田新町1丁目)
  • 早稲田公民館(牛田東4丁目)

公園編集

  • 牛田総合公園(牛田新町1丁目) - 旧牛田浄水場の敷地の一部を転用して作られた市民公園。
  • 牛田緑地(牛田山)

郵便局・銀行・金融機関編集

郵便局編集

  • 広島牛田郵便局(牛田本町3丁目) - 1932年(昭和7年)開局。牛田町に郵便局を作るため、1930年(昭和5年)9月19日の総代集会で逓信局に交渉することが発議された。
  • 広島牛田本町五郵便局(牛田本町5丁目) - 1985年(昭和60)10月15日開局[6]
  • 広島牛田早稲田郵便局(牛田早稲田1丁目) - 1964年(昭和39年)開局。
  • 広島牛田早稲田団地郵便局(牛田東4丁目) - 1993年(平成5年)開局。
  • 広島牛田新町郵便局(牛田新町3丁目) - 1968年(昭和43年)開局。

銀行・信用金庫編集

商業施設編集

スーパーマーケット編集

保養施設編集

  • 神田山荘クアハウス(牛田新町1丁目) - 被爆者の療養研究施設であったが、1995年(平成7年)に温泉が掘削されたのを契機に、1998年(平成10年)新たに増改築して健康増進施設として開館。[7][8]

名所・旧跡・祭り・行事編集

名所・旧跡編集

  • 安楽寺(牛田本町1丁目) - 真宗本願寺派1533年天文2年)、安芸国守護武田氏の家臣である豊島氏が開いた「真宗道場」を起源とする。
  • 牛田早稲田神社(牛田早稲田2丁目) - 旧称「早稲田八幡宮」。永正8年(1511年)の勧請と伝えられ、神田八幡宮(現在の神田神社で明治期宇品に移転)と並ぶ牛田村の鎮守社であった。町名(牛田早稲田)の由来となっている。神社の鎮座する早稲田山の東斜面には弥生時代土壙墓遺跡(早稲田山遺跡)があり市指定史跡である。
  • 自在坂神社(牛田新町3丁目) - 1339年(暦応2年)に安国寺の守護神として建立。当初は不動院入口付近の小山にあったが、国道54号線(祇園新道)拡張工事に伴い、1984年(昭和59年)に現在地に移設された。
  • 塚部の石灯籠(つかなべのいしどうろう)(牛田旭2丁目) - 1848年(弘化5年)に早稲田神社の氏子が神社の参道に据えて、牛田の五穀豊穣、家内安全を祈って奉献したものといわれる[9]。現在は商業ビル「サンベルモ」が隣接。
  • 日通寺(観音堂 / 牛田新町1丁目) - 日蓮宗広島藩主浅野家菩提寺で、裏の新山には歴代藩主の墓がある(私有地につき立入できない)。もともと浅野家は日蓮宗を奉じていたが、それまで藩主の菩提寺であった尾長村(現・東区山根町)の国前寺不受不施派禁圧により寺領を没収されたことをきっかけに天台宗に改宗、賀茂郡国近村から同宗の寺院を移転し菩提寺とした。
  • 辺坂入道道海の墓(牛田山)

祭り・行事編集

  • ほおずき祭り - 1994年(平成6年)に始まる。牛田商店街振興組合主催。毎年7月の二晩、ほおずき通りで開催され家族連れで賑わう[10]
  • 牛田親子マラソン大会 - 1977年(昭和52年)に光明学園で始まり、2019年現在まで続いている。

出身人物・ゆかりのある人物編集

政治家編集

官僚編集

法曹編集

学術編集

芸能編集

スポーツ編集

実業家編集

  • 横山好太郎 - 1874年(明治7年)新山村(牛田新町)出身。広島のレンガ建築に功績。

その他編集

郵便番号編集

  • 牛田旭:732-0067
  • 牛田新町:732-0068
  • 牛田中:732-0065
  • 牛田東:732-0063
  • 牛田本町:732-0066
  • 牛田南:732-0064
  • 牛田山:732-0061
  • 牛田早稲田:732-0062

(いずれも広島中央郵便局管区)。

脚注編集

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  1. ^ 2013年7月末現在、住民基本台帳調査による。広島市調べ
  2. ^ “牛田で水洗使用が始まった!”. 牛田ニュース61号. (1986年5月1日) 
  3. ^ あゆみ”. 学校法人牛田教会学園 あやめ幼稚園. 2019年7月18日閲覧。
  4. ^ 法人案内>沿革”. 社会福祉法人広島光明学園. 2019年7月18日閲覧。
  5. ^ “早稲田小学校ついに開校”. 牛田ニュース第1号. (1980年6月1日) 
  6. ^ “牛田本町五郵便局開く”. 牛田ニュース第55号. (1985年11月1日) 
  7. ^ 天然温泉・クアハウス 神田山荘”. 一般財団法人広島市原爆被爆者協議会. 2019年7月20日閲覧。
  8. ^ 牛田町史. 牛田ニュース. (2002/4/1). 
  9. ^ “牛田紹介”. 牛田ニュース第8号. (1981年8月1日) 
  10. ^ 牛田ほおずき祭り”. 牛田商店街振興会. 2019年7月15日閲覧。

参考文献編集

外部リンク編集

関連事項編集