シュタットバーンドイツ語: Stadtbahn)は、ドイツ(旧:西ドイツ)において確立した中量軌道輸送システムの概念の1つ。元は"市街鉄道"を意味する単語であったが、1960年代以降は主に路面電車と同じ規格で建設された小断面の都市鉄道(地下鉄)を指すようになり、北米で確立したライトレールと呼ばれる概念にも大きな影響を与えた。この項目では、西ドイツ国外における、地下区間を有し地下鉄と見做される場合があるライトレールについても解説する[1][2]

最初のシュタットバーンであるフランクフルト地下鉄

概要 編集

歴史 編集

1950年代以降、日本アメリカなど西側諸国各地と同様に西ドイツでも自家用車バスが急速に普及し、モータリーゼーションが進行した。その結果各地で路面電車路線が廃止された一方、バス以上の輸送量を持つ路面電車を積極的に活用する動きも存在し、定時性の確保や評定速度の向上を目的にした専用軌道や路面電車優先信号の設置が進められた。だが1960年代に入ると自動車の普及はますます進行し、都心の道幅が狭い箇所では路面電車の走行自体が自動車によって阻まれる事例も生じていた[3]

そこで、混雑が激しい道路の上を走る併用軌道を地下に敷設したトンネルに移し、ホームも高床式に改めた地下鉄へ改装する計画が西ドイツ各地で進行し始めた。これらは従来の高規格の地下鉄(Uバーン)とは異なり路面電車の車両限界をそのまま用いる小型規格を採用した他、利便性や工事の迅速性、費用の面からトンネルは地下の浅い位置に建設する事となった[4]

当初は地下路線を延長すると同時に地上路線の高規格化や高架化も進め、最終的に路面電車から都市高速鉄道へ発展させるという目標で計画が行われた事例が多く、愛称も"地下路面電車"(U-Straßenbahn)から都市鉄道を指す"シュタットバーン"(Stadtbahn)へと変化していった。ただし多くの都市では後述のデメリットもあり開通以降も従来の路面電車との両立が実施されている[5]

西ドイツにおいて高床式プラットホームの採用を始めとする本格的なシュタットバーンとして始めて開通したのは、1968年フランクフルト地下鉄である[6]

利点・欠点 編集

路面電車を基にした小規格の地下鉄であるシュタットバーンには、下記のような利点・欠点が存在する[5]

利点 編集

  • 線路を地下に移す事で道路の混雑を避け、定時性が確保される。
  • トンネルの規格を小さくした場合、従来の地下鉄と比べて建設費用が抑えられる。
  • 従前の路面電車と同じ規格であるため、既存のネットワークを維持する事が可能である。

欠点 編集

  • 地上に線路を敷設する場合と比べ、トンネル掘削などの費用が嵩む。
  • 路面電車が移設された分道路を走る自動車の量が増え、結果的に混雑がより激しくなってしまう。
  • 駅が地下にあるため、乗客は階段エスカレーターエレベーターを用いた上下移動を強いられる。
  • 高床式プラットホームを採用した場合、従来の低床式停留所に対応した路面電車車両をそのまま導入する事は困難で、改造による高床式対応や全面置き換えが必要となる[注釈 2]

主要車両 編集

事例 編集

ドイツ国外の類似例 編集

シュタットバーンの成功に触発され、ベルギーオランダソビエト連邦など世界各地で路面電車規格の地下鉄の建設が行われた他、北アメリカで誕生したライトレールと呼ばれる、これまでの路面電車よりも高規格かつ高速の中量軌道輸送システムにも大きな影響を与えた。ただし地域によってはシュタットバーンと異なり、トンネルや地下駅などの施設は高規格の地下鉄と同等ながらも使用する車両は低床ホームに対応した従来の路面電車車両と言う例が多数存在する[2][19][20]

以下に紹介する「路面電車と同規格の地下鉄」および「地下区間を有し地下鉄としても扱われる路面電車」は、日本地下鉄協会が作成した資料に基づいたものである[21][22]

ベルギー 編集

1970年代以降路面電車規格の地下路線の導入が進められたベルギーにおいて、これらの路線はプレメトロ英語版(Premetro)と呼ばれる。ドイツ(西ドイツ)における多くのシュタットバーンとは異なり、路面電車がそのまま地下に乗り入れる構造になっているのが特徴である[23][24]アントワープシャルルロワにはプレメトロのみが存在し都心における地下鉄網となっている一方、首都ブリュッセルには1976年以降高規格の地下鉄も存在し、プレメトロとして開通後高規格の地下鉄に転換される、現有路線も将来の転換を目的にした設計である等プレメトロは地下鉄を補完する役割を担っている[19][25]

オランダ 編集

オランダではライトレールの事をシュネルトラムオランダ語版(Sneltram)と呼ぶが、そのうち首都アムステルダムを走るアムステルダム地下鉄の51系統は従来の路面電車を改装し第三軌条方式を用いる既存の地下鉄路線との直通を可能としたものである。そのため、使用されている車両(S1形・S2形オランダ語版S3形オランダ語版)は架空電車線方式直流600 V)と第三軌条方式(直流750 V)双方に対応している[29][30]

フランス 編集

スペイン 編集

ポルトガル 編集

ソビエト連邦 編集

1960年代、ソビエト連邦では中規模都市における混雑解消の一環として、都市に築かれた路面電車網の一部を地下に移す"メトロトラムロシア語版"計画を策定した。そのテストケースとして現:ロシア連邦ヴォルゴグラード、現:ウクライナクルィヴィーイ・リーフにおいて建設が行われ、双方とも地下路線はソ連における地下鉄規格に基づいた設計となっている[20][37]

この2都市以外の採用例はなく、現:アルメニアエレバン地下鉄エレバン)も当初はメトロトラムとして建設する予定であったが変更され高規格の地下鉄路線として開通している[38]

アメリカ合衆国 編集

アメリカにおいて「路面電車規格の地下鉄」と言う発想自体は19世紀末の時点で既に存在しており、1897年ボストンで開業した、道路上の混雑を避けるため都心の路面電車を地下に移したトレモント・ストリート地下鉄はアメリカ初の旅客用地下鉄である[注釈 3][40]。また1956年に廃止されたロチェスター地下鉄も路面電車を地下化したものであり、車両も路面電車規格のままであった[41]

カナダ 編集

"ライトレール"の概念に基づいた最初の路線であるエドモントンLRTはシュタットバーン同様に都心部が地下区間となっており、以降北米各地に開通したライトレールに影響を及ぼした[51]

関連項目 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ a b c シュタットバーンは標準軌(1,435 mm)、市電は狭軌(1,000 mm)
  2. ^ 一例として、市電のシュタットバーン化によって廃車になり広島電鉄に譲渡されたドルトムント市電の連接車がある[7]
  3. ^ a b ただしトレモント・ストリート地下鉄由来の地下区間は1962年に廃止された[39]
  4. ^ 1991年以降一部車両のエッセン・シュタットバーンドイツ語版への譲渡が実施されている[12][54]
  5. ^ ドイツのシュタットバーンと同型の車両が導入されている[55]

出典 編集

  1. ^ 柚原誠 2017, p. 44-52.
  2. ^ a b der Bijl, Rob van, van Oort, Niels, Bert Bukman (2018-7-4) (英語). Light Rail Transit Systems: 61 Lessons in Sustainable Urban Development. Elsevier. pp. 67-68. ISBN 978-0128147849 
  3. ^ 柚原誠 2017, p. 44-45.
  4. ^ 柚原誠 2017, p. 45.
  5. ^ a b 柚原誠 2017, p. 46-49.
  6. ^ a b c 日本地下鉄協会 2010, p. 179-183.
  7. ^ 島田雅登「新車ガイド2 ドルトムントからの使者 広電70形営業開始」『鉄道ファン』第23巻第2号、交友社、1983年2月1日、71頁。 
  8. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 186-187.
  9. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 187-191.
  10. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 192-193.
  11. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 194-195.
  12. ^ a b 日本地下鉄協会 2010, p. 195-198.
  13. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 198-200.
  14. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 200-201.
  15. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 201-203.
  16. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 203-206.
  17. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 206-210.
  18. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 210-213.
  19. ^ a b 日本地下鉄協会 2010, p. 257-263.
  20. ^ a b c 日本地下鉄協会 2010, p. 322-324.
  21. ^ a b 日本地下鉄協会 2010, p. 444-472.
  22. ^ 世界の地下鉄データ一覧表”. 日本地下鉄協会. 2019年9月21日閲覧。
  23. ^ John Hoyle (1975年5月16日). “Letters to the editor -- The tram is the answer”. Sydney Morning Herald. https://news.google.com/newspapers?id=RfpjAAAAIBAJ&sjid=YeYDAAAAIBAJ&pg=5235%2C5030573 2019年9月21日閲覧。 
  24. ^ Ian Yearsley (1972-12-21). “Trams are coming back”. New Scientist (Reed Business Information Ltd.): 699-701. https://books.google.com/books?id=xgKLfKjjft8C&lpg=PA699&dq=&pg=PA699#v=onepage&q&f=false 2019年9月21日閲覧。. 
  25. ^ 大賀寿郎『戎光祥レイルウェイ・リブレット1 路面電車発達史 ―世界を制覇したPCCカーとタトラカー』戎光祥出版、2016年3月、86頁。ISBN 978-4-86403-196-7 
  26. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 257.
  27. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 260.
  28. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 262-263.
  29. ^ a b 日本地下鉄協会 2010, p. 253.
  30. ^ a b Amstelveenlijn: van verleden naar toekomst - ウェイバックマシン(2013年9月2日アーカイブ分)
  31. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 162-163.
  32. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 218.
  33. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 228-230.
  34. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 470.
  35. ^ Alicante Tram-Train, Operated by Ferrocarriles de la Generalitat Valenciana, Spain”. RailwayTechnology. 2019年9月21日閲覧。
  36. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 234-236.
  37. ^ a b 日本地下鉄協会 2010, p. 333-335.
  38. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 344-345.
  39. ^ Tour of abandoned subway network offers a glimpse of how the T was built”. boston.com (2009年12月26日). 2019年9月21日閲覧。
  40. ^ "First Car off the Earth: Allston Electric Goes into the subway on schedule time." - ウェイバックマシン(2005年8月29日アーカイブ分)
  41. ^ “Passenger Runs End on Subway After 29 Years”. The Rochester Democrat and Chronicle: p. 5. (1956年7月1日). https://www.newspapers.com/clip/22451512/rochester_subway_ends_july_1_1956/ 2018年4月3日閲覧。 
  42. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 364-367.
  43. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 360.
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  45. ^ Gargan, Edward A. (1984年10月10日). “Buffalo Trolley Line Clangs to a Start”. The New York Times. https://www.nytimes.com/1984/10/10/nyregion/buffalo-trolley-line-clangs-to-a-start.html 2019年9月21日閲覧。 
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  50. ^ Lindblom, Mike (2009年7月30日). “Light rail averaging 12,000 riders per weekday so far”. The Seattle Times. オリジナルの2016年4月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160816235517/http://old.seattletimes.com/html/localnews/2009570527_webstridership31m.html 2019年9月21日閲覧。 
  51. ^ 宇都宮浄人・服部重敬『LRT -次世代型路面電車とまちづくり-』交通研究協会、2010年12月28日、15-16頁。ISBN 978-4-425-76181-4 
  52. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 401-403.
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  57. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 409-413.
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  59. ^ 日本の中量軌道システムの海外輸出 - ウェイバックマシン(2015年12月22日アーカイブ分)
  60. ^ リニアメトロ”. 日本地下鉄協会. 2019年9月21日閲覧。
  61. ^ Alois Brunnenthaler (1969年1月12日). “Bei minus 5 Grad: Gürteltunnel war Festplatz”. http://www.arbeiter-zeitung.at/cgi-bin/archiv/flash.pl?seite=19690112_A05;html=1 2019年9月21日閲覧。 
  62. ^ „Z przodu szybki, z tyłu szybki, stąd jest szybki..." - ウェイバックマシン(2014年2月19日アーカイブ分)
  63. ^ T4 Topkapı Habibler Tramvay Hattı - ウェイバックマシン(2012年7月27日アーカイブ分)
  64. ^ La Brugeoise et Nicaise et Delcuve - ウェイバックマシン(2012年10月20日アーカイブ分)
  65. ^ 日本地下鉄協会 2010, p. 39-40.

参考資料 編集

  • 日本地下鉄協会 (2010). 世界の地下鉄 151都市のメトロガイド. ぎょうせい. ISBN 978-4-324-08998-9