ジョゼ・マルセロ・フェレイラ

ゼ・マリア(Zé Maria)こと、ジョゼ・マルセロ・フェレイラ(José Marcelo Ferreira、1973年7月25日 - )は、ブラジルピアウイ州出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダーミッドフィールダー(主に右サイドバック)。日本では、ACペルージャ中田英寿とチームメートとしてプレイしたことで知られている。キャリアを通じてカフーと比較されたり、もう一人のカフーなどといわれた[1]

ゼ・マリア
名前
本名 ジョゼ・マルセロ・フェレイラ
José Marcelo Ferreira
ラテン文字 Zé Maria
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1973-07-25) 1973年7月25日(50歳)
出身地 オエイラスポルトガル語版
身長 174cm
体重 71kg
選手情報
ポジション DF (RSB) / MF (RMF)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1995 ブラジルの旗 ポルトゥゲーザ 28 (2)
1993 ブラジルの旗 セルジッペ (loan) 38 (5)
1994 ブラジルの旗 ポンチ・プレッタ (loan) 22 (3)
1996-1998 ブラジルの旗 フラメンゴ 13 (1)
1996-1998 イタリアの旗 パルマ 45 (2)
1998-2004 イタリアの旗 ペルージャ 144 (16)
1999 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ (loan) 34 (4)
1999 ブラジルの旗 パルメイラス (loan) 15 (1)
2000 ブラジルの旗 クルゼイロ (loan) 29 (2)
2004-2006 イタリアの旗 インテル 29 (1)
2006-2007 スペインの旗 レバンテ 14 (0)
2008 ブラジルの旗 ポルトゥゲーザ 5 (1)
2008-2009 イタリアの旗 チッタ・ディ・カステッロ 0 (0)
通算 416 (35)
代表歴
1996-2001 ブラジルの旗 ブラジル  25 (0)
監督歴
2010 イタリアの旗 カステッロ
2010 イタリアの旗 カタンザーロ
2015 ルーマニアの旗 チェアラウル
2016-2017 ケニアの旗 ゴル・マヒア
2017-2018 アルバニアの旗 ティラナ
獲得メダル
男子 サッカー
オリンピック
1996 アトランタ サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。2015年9月11日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴 編集

クラブ 編集

1991年にポルトゥゲーザでデビュー。2度の期限付き移籍を経て、1996年にCRフラメンゴに移籍した。

同年夏、レアルマドリードとの契約寸前であったが、セリエAでのプレーを希望し、パルマACに移籍した[1]。パルマでの2シーズンをほぼレギュラーとしてプレーした。ワールドカップのメンバーを外れたことから、パルマからの移籍を志願したが、本人の希望には全く合わないACペルージャへ移籍させられることとなった[1]。その後、母国クラブへのレンタルを経て、ペルージャでの復帰3季目となる2002-03シーズンには6ゴールを挙げ、クラブの10位確保に貢献した。2003年のUEFAインタートトカップで優勝し、翌シーズンのUEFAカップでは3回戦まで進んだ。しかしクラブは2003-04シーズンの結果セリエB降格が決まった。

2003-05シーズン、インテルナツィオナーレ・ミラノ移籍。移籍初年度はレギュラーとしてプレー。2004-05シーズンのコッパ・イタリア決勝ASローマ戦の第1戦では、アドリアーノの得点をアシストして優勝を果たした[1]2シーズン目の出場機会は大幅に減少したが、カルチョ・スキャンダルによりスクデットを獲得した。

2006年、プリメーラ・ディビシオンに復帰したレバンテUDに加入した。当初は右サイドバックの1番手であったが徐々に出場機会を失い、2006-07シーズンはリーグ14試合の出場に終わった。

レバンテを退団してからはシェフィールド・ユナイテッドFCクイーンズ・パーク・レンジャーズFCといったクラブとの交渉が行われたが、契約は成立しなかった[2]。2008年、古巣であるポルトゥゲーザに加入し母国に復帰した。同年8月に契約を解除し、エッチェッレンツァ(イタリア5部) のSSDグロウプ・チッタ・ディ・カステッロイタリア語版と合意に達した。

36歳で現役を引退[3]。その後、ペルージャにサッカースクールを開校した[4]

代表 編集

1996年のゴールドカップで初めてA代表入り。同年のアトランタ五輪に出場、マイアミの奇跡として知られる日本にも出場、3位に入って銅メダルを獲得した。

ブラジル代表として25試合に出場したが、ワールドカップには縁がなかった。1997年のコンフェデレーションズ・カップで優勝。コパ・アメリカ1997でも優勝を経験した。しかし、1998年のゴールドカップでは怪我を抱えていたにも関わらず、マリオ・ザガロにより全試合に出場させられ、優勝を逃して批判されたことにより、関係が悪化し、同年のワールドカップ・フランス大会のメンバーから落選した[1]。その後、2001年のコンフェデレーションズ・カップまで代表でプレーした。

指導者 編集

2010年3月15日、カステッロの監督に就任した。2010-11シーズンはレガ・プロ・セコンダ・ディヴィジオーネUSカタンザーロの指揮官を務めたが、数か月で解任された[5]。2015年1月31日、リーガ1FCチェアラゥル・ピアトラ・ネアムツの監督に就任した[6]

タイトル 編集

クラブ 編集

セルジッペ
フラメンゴ
ヴァスコ・ダ・ガマ
ペルージャ
インテル

代表 編集

ブラジル

脚注 編集

  1. ^ a b c d e Zé Maria, l'altro Cafu: dagli anni di Perugia ai trionfi con l'Inter”. GOAL (2021年10月5日). 2023年8月31日閲覧。
  2. ^ Blades pull out of Ze Maria deal”. BBC SPORT (2007年9月25日). 2015年9月11日閲覧。
  3. ^ ...con Zè Maria”. TuttoMercatoWeb.com (2008年8月9日). 2015年9月11日閲覧。
  4. ^ Zé Maria spends week watching Inter train” (2010年1月15日). 2015年9月11日閲覧。
  5. ^ CALCIO, CATANZARO: ESONERATO ZE' MARIA, SQUADRA AD ALOI”. la Repubblica (2011年11月2日). 2015年9月11日閲覧。
  6. ^ UFFICIALE: Ceahlaul, il nuovo allenatore è Ze Maria”. TuttoMercatoWeb.com (2015年1月13日). 2015年9月11日閲覧。

外部リンク 編集