カフー

ブラジルのサッカー選手
この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の)はエバンジェリスタ第二姓(父方の)はデ・モラエスです。

カフー(Cafu)ことマルコス・エバンジェリスタ・デ・モラエスMarcos Evangelista de Moraes1970年6月7日 - )は、ブラジルサンパウロ州サンパウロ出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。元ブラジル代表。

カフー Football pictogram.svg
Cafu brazil.jpg
2010年のカフー
名前
本名 マルコス・エバンジェリスタ・デ・モラエス
Marcos Evangelista de Moraes
愛称 il Pendolino, 右サイドの支配者
ラテン文字 CAFU
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1970-06-07) 1970年6月7日(50歳)
出身地 サンパウロ
身長 176cm
体重 75kg
選手情報
ポジション DF(RSB)
利き足 右足
ユース
1988-1990 ブラジルの旗 サンパウロ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1994 ブラジルの旗 サンパウロ 117 (7)
1994-1995 スペインの旗 サラゴサ 16 (0)
1995 ブラジルの旗 ジュヴェントゥージ 2 (0)
1995-1997 ブラジルの旗 パウメイラス 35 (0)
1997-2003 イタリアの旗 ローマ 163 (5)
2003-2008 イタリアの旗 ミラン 119 (4)
通算 452 (16)
代表歴
1990-2006[1] ブラジルの旗 ブラジル 142 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。2009年6月16日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

「カフー」はニックネームで、1970年代に活躍したカフリンガCafuringaという名前のサッカー選手に由来する。長らく活躍したイタリアでは振り子を意味する「イル・ペンドリーノ(il Pendolino)」という異名で呼ばれたこともあった。また「右サイドの支配者」という異名でも呼ばれる。

経歴編集

クラブ編集

初期編集

1988年、18歳の時に地元サンパウロサンパウロFCに入団した。入団後にサイドバックにコンバートされ、1992年トヨタカップではFCバルセロナを破り優勝、1993年のトヨタカップACミラン戦ではパリ―ニャの先制ゴールをアシストし[2]、大会連覇に貢献するなど活躍した。1994年、レアル・サラゴサに優勝への切り札と期待されて移籍するも[3]、攻撃を警戒され、対戦チームに厳しくマークされ[3]、加入後出場した数試合でチームは勝利出来ないなど[3]、レアル・サラゴサでは目立つ活躍が出来ず、1年で退団し、再び地元ブラジルに帰国し、SEパウメイラスに移籍することになる。

ASローマ編集

1997年、イタリアセリエAの強豪ASローマに移籍。ASローマの18年ぶりとなるスクデット制覇に貢献するなど主力として活躍した。

ACミラン編集

 
ACミラン時代

33歳となった2003年夏にはASローマを退団し、Jリーグ横浜F・マリノスへの入団合意が伝えられたが[4][5][6]、最終的には違約金を横浜FMに支払う形で、ACミランがカフーを獲得した[7]。ACミラン移籍後は右サイドバックのレギュラーとしていきなり2003-04シーズンのACミランのスクデットに貢献するなど、主力としての変わらぬ活躍を見せることになる。また、この年にペレの選んだ偉大なサッカー選手100人、「FIFA 100」に選ばれている。

2006年まで長くUEFAチャンピオンズリーグのタイトルは獲得できずにいたが、UEFAチャンピオンズリーグ 2006-07で19年目にして初の栄冠に輝くなど、ベテランとなっても衰えぬ活躍を見せていたが、2007-08シーズンの終了後、ACミランとの契約満了に伴い退団と同時に現役引退。

引退後は、指導者には転身せず、夫人と共にスポーツ代理店を経営するなど実業家となったが、2019年にはスポーツ代理店の経営不振や投資の失敗により、およそ600万ドルもの負債を抱えていることが報じられている。

ブラジル代表編集

1990年9月12日のスペイン戦で代表デビューを果たした[8]。その後の1994年のワールドカップでは3試合に出場[8]、決勝では、試合中のジョルジーニョの故障に伴い、途中交代で出場決勝のイタリア戦でも先発出場して[9]、優勝に貢献した。以後、代表のレギュラーとしての地位を確立し、1998 FIFAワールドカップでは決勝でフランスに敗れ連覇を逃したが、出場停止になったオランダ戦以外の6試合に出場、グループリーグ第2戦のモロッコ戦ではリバウドのゴールをアシストした[8]

2002 FIFAワールドカップではキャプテンとして全試合に出場し、優勝に貢献した。

2006年のドイツ大会ではグループリーグ初戦のクロアチア戦でカカのゴールをアシスト[8]、ラウンド16のガーナ戦ではアドリアーノのゴールをアシストし[8]、準々決勝まで進むが、フランス戦で破れ、これ以後、年齢のこともあり、代表招集されることは無かった。

代表通算キャップ数は142を数えており、これはブラジル代表における歴代最多記録である。また、1994年、1998年、2002年、2006年の4度のFIFAワールドカップに出場しているが、このうち2006年を除く3回はいずれも決勝まで進んでおり(優勝2回、準優勝1回)、決勝戦の試合出場を3度経験した唯一の選手である。

エピソード編集

  • 試合中においても、笑顔を絶やさない選手である。
  • サッカー界きっての"ガム好き"を公言している[10]
  • セリエAにおいて、最も嬉しかったのは、ASローマ時代のスクデットだと答えている[11]
  • 2011年4月9日、ブラジルサンパウロで作られた世界一高いレゴタワー(31メートル19センチ)の最後の1ブロックを積んで完成させた。
  • 2019年9月、友人や息子のダニーロとサッカーで遊んでいたところ、試合中にダニーロが昏倒。カフー自ら病院へ搬送したが、30歳という若さでそのまま帰らぬ人となった。ダニーロは元々、冠動脈硬化症を患っており、数日後に手術を受ける予定だった。

個人成績編集

所属クラブ シーズン 番号 リーグ戦
出場 得点
1990 サンパウロ 2 20 2
1991 サンパウロ 20 1
1992 サンパウロ 21 1
1993 サンパウロ 18 1
1994 サンパウロ 16 2
1994-95 サラゴサ 16 0
1995 パルメイラス 19 0
1996 パルメイラス 16 0
1997 パルメイラス 0 0
1997-98 ローマ 31 1
1998-99 ローマ 20 1
1999-00 ローマ 28 2
2000-01 ローマ 31 1
2001-02 ローマ 27 0
2002-03 ローマ 26 0
2003-04 ミラン 28 1
2004-05 ミラン 33 1
2005-06 ミラン 19 1
2006-07 ミラン 24 0
2007-08 ミラン 15 1
通算 428 15

代表での成績編集

出典[1]


ブラジル代表国際Aマッチ
出場得点
1990 3 0
1991 9 0
1992 2 0
1993 12 0
1994 7 1
1995 5 0
1996 3 0
1997 20 0
1998 12 2
1999 12 0
2000 10 2
2001 6 0
2002 12 0
2003 7 0
2004 9 0
2005 8 0
2006 5 0
通算 142 5

獲得タイトル編集

代表編集

クラブ編集

サンパウロFC

ASローマ

ACミラン

個人タイトル編集

脚注編集

[脚注の使い方]