レバンテUD

スペインのサッカークラブ

レバンテ・ウニオン・デポルティーバ, S.A.D.Levante Unión Deportiva, S.A.D.スペイン語: [leˈβante uˈnjon depoɾˈtiβa])は、スペインバレンシア州バレンシアに本拠地を置くサッカークラブ。

レバンテUD
原語表記 Levante Unión Deportiva, S.A.D.
愛称 Les Granotes (蛙)
クラブカラー     青・    えんじ
創設年 1909年
所属リーグ ラ・リーガ
所属ディビジョン 2部(2022-23
ホームタウン バレンシア
ホームスタジアム Levante2-0Lega2018.jpg
シウダ・デ・バレンシア
収容人数 26,354人
代表者 スペインの旗 キコ・カタラン
監督 イタリアの旗 アレッシオ・リスチ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

1909年9月9日に設立され、現在はラ・リーガに所属している。ホームスタジアムはエスタディオ・シウダ・デ・バレンシア

歴史編集

 
1932年のレバンテ対バレンシアCF

初期 (1909-1935)編集

1909年、ラ・マルバリョーサのレバンテ海岸から名を取り、レバンテFC英語版として設立された[1][2] (2009年9月9日に創立100周年記念[3])。レバンテFCはバレンシアのサッカークラブの草分け的存在のひとつである。現在のローカルライバルであるバレンシアCFはまだ誕生していなかったが、バレンシアではカバニャルFCが1903年から活動していた。グラウンド所有者である香水業者の計画で、造船所近くのラ・プァトゥヘタでカバニャルFCとの初試合が行われた。次に使われたグラウンドも湾岸区域で、クラブは徐々に労働者階級と結びつけられて考えられるようになっていった。1919年には同年に設立されたバレンシアCFと初対戦し、0-1で敗れた。この試合はアルヒロス地区に完成した新しいグラウンドのお披露目試合であった。1928年にはバレンシア州選手権で初優勝し、クラブ初のタイトルを獲得した。

ヒムナスティコFC編集

パトロナート・デ・ラ・フベントゥ・オブレラ、ウニベルシタリオFCとしてプレーしていたクラブが改名し、1909年にはヒムナスティコFCが誕生した。スペイン国王のアルフォンソ13世の庇護を受け、1920年までにレアル・ヒムナスティコCFと改名した。ヒムナスティコは1920年にバレンシア州選手権で決勝に進出したが、決勝は試合そのものが行われなかった。1931年にはスペイン第二共和政が成立し、クラブ名称からレアルの単語が抜け落ちた。1934-35シーズンのセグンダ・ディビシオン(2部)は10チームから24チームに拡大され、レバンテFCとヒムナスティコは揃ってデビューした。1935年、レバンテFCはバレンシア州、ムルシア州、アンダルシア州のチームが集って行われたレバンテ海岸選手権で優勝した。さらにコパ・デル・レイではバレンシアCFとFCバルセロナを相次いで破って準決勝に進出したが、準優勝したCEサバデルに敗れた。

コパ・デ・ラ・エスパーニャ・リブレ編集

スペイン内戦中、レバンテFCとヒムナスティコはメディテラニアン・リーグ(地中海リーグ)に参加し、それぞれ5位と6位であった。このリーグに参加したチームはコパ・デ・ラ・エスパーニャ・リブレ(フリー・スペイン・カップ)にも参戦した。この大会はリーグの上位4クラブが参加するように意図されたものであったが、FCバルセロナがメキシコとアメリカ遠征に出発したため、結果としてレバンテFCが代わりに出場することになった。準決勝はレバンテFCとバレンシアCFとで行われ、1937年7月18日にモンジュイックで行われたバレンシア・ダービーはバレンシアCFの勝利に終わった。

2つのクラブの合併編集

スペイン内戦中にレバンテFCのグラウンドが破壊されたが、選手たちは無傷で残った。それと対照的に、ヒムナスティコはグラウンドは無事であったが選手の多くを失った。この結果、レバンテFCとヒムナスティコの2クラブは1939年に合併し、UDレバンテ=ヒムナスティコとして再出発を切った。合併の2年後にはヒムナスティコの名を外してレバンテUDと名を変え、ホームのユニフォームカラーにはアスルグラーナ(青とえんじ)と呼ばれるヒムナスティコのカラーが使用された。この名称とユニフォームカラーは現在も変わらず残っており、アウェーのユニフォームカラ―にはレバンテFCが当初使用していた白と黒が使われている。

初のプリメーラ参戦編集

プリメーラ・ディビシオン(1部)への昇格は1960年代まで待たねばならなかった。1962-63シーズンはセグンダ・ディビシオンのグループ2を2位で終え、昇格プレーオフではデポルティーボ・ラ・コルーニャを2試合合計4-2で破って初のプリメーラ・ディビシオン昇格を決めた。1963-64シーズンはライバルのバレンシアCFに2試合とも勝利し、10位で初のシーズンを終えた。1964-65シーズンはFCバルセロナにホームで5-1と大勝したが、リーグ戦14位となり、昇降格プレーオフでCDマラガに敗れてセグンダ・ディビシオン降格となった。1965-66シーズンから約40年間はセグンダ・ディビシオンかテルセーラ・ディビシオン(1976-77シーズン以前は3部、1977-78シーズン以降は4部)またはセグンダ・ディビシオンB(3部、1977年に新設)で過ごし、この間にセグンダ・ディビシオンBで3回、テルセーラ・ディビシオンで1回優勝した。

2度目のプリメーラ参戦以降編集

2003-04シーズンにはセグンダ・ディビシオンで優勝し、49年ぶりのプリメーラ・ディビシオン昇格を果たしたが、1シーズンでセグンダ・ディビシオン降格となった。2005-06シーズンは3位となり、プリメーラ・ディビシオンに再昇格した。2006-07シーズンのホームでのバレンシア・ダービーは、リガ・ムスタファの2得点やサルバ・バジェスタローラン・クルトワの得点で4-2と快勝した。2007-08シーズンは開幕から低迷し、7節終了後にアベル・レシーノ監督を解任したが、開幕10戦で1分9敗(3得点23失点)という有様であった。2008年1月には経営難による給料未払いが発覚し[4]、同月の移籍期間にはサヴィオクリスティアン・リガノマルコ・ストラーリなど主力5選手が放出された。選手たちは給料未払いの一点について抗議し、デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦の試合開始直後には(抗議の意味合いから)何秒間か動くことを拒否した。レアル・マドリード戦後にもストライキの可能性を示唆したが、結局ストライキは行われず、さらなる下部リーグへの降格処分も免れた。2節から最下位を動かず、4試合を残してセグンダ降格が決まった。

2008-09シーズンはセグンダでも最低クラスの年間予算700万ユーロであったが[4]、2008年夏に就任したルイス・ガルシア・プラサ監督は及第点の8位に導いた。2009年春には会社倒産法を適用して経営再建に踏み出し[4]、クラブ創設100周年の2009-10シーズンには、2010年6月13日のCDカステリョン戦(3-1)に勝利してプリメーラ・ディビシオン昇格を決めた。最終節はレアル・ベティスに0-4で大敗したが、ベティスはレバンテUDと同勝ち点の4位に終わっている。2010-11シーズン中には8戦連続無敗というプリメーラでのクラブ記録を打ち立て、エースのフェリペ・カイセドの活躍などもあって14位で残留を果たした。21節から32節までの12試合は8勝3分1敗で勝ち点27を稼ぎ、この期間に限ればFCバルセロナに次ぐ成績を残している。

2011-12シーズンはクラブの総予算がプリメーラ最少の2100万ユーロ[4]であり、選手年俸の総額が約800万ユーロ(約8億4000万円)[5]という低額であった。フアン・イグナシオ・マルティネス監督は、キーパーのグスタボ・ムヌア、ディフェンスのハビ・ベンタセルヒオ・バジェステロス、アタッカーのフアンルなど、30代のベテラン選手をチームの中心に据え、前任のルイス・ガルシア監督が目指した堅守速攻のスタイルを完成させた[6]。2011年9月19日、ホームのシウタット・デ・バレンシアでレアル・マドリードから勝利を挙げると[7]、10月2日にはレアル・ベティスに勝利してクラブ史上初となる首位(タイ)に浮上し[8][9]、10月23日にはビジャレアルCFを3-0で勝利して単独首位に立った。また、8節のマラガCF戦では先発11人中9人が30代であり、平均年齢31.45歳はリーガ・エスパニョーラの先発メンバーにおける最高齢記録を更新した[4]。その後、9試合未勝利という期間もあったが、最終的には6位でリーグ戦を終え、クラブ史上初めてUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。

2012-2013シーズンは、初参戦したUEFAヨーロッパリーグでベスト16に進むなどの結果を残したが、リーグ戦では11位に終わり二年連続のUEFAヨーロッパリーグ出場は逃したものの残留となった。2013-14シーズンは正GKであったムヌアが移籍しながらも、後釜のケイロル・ナバスがリーグ最多セーブを記録して、そのシーズンのスペインプロリーグ機構のリーグ最優秀GKに選出される活躍を見せ、近年[いつから?]で最小の失点43という成績により10位で終えた。しかし2014-2015シーズンは監督であったホアキン・カパロスの退任に加え、前年の立役者であったナバスも移籍したため、序盤は降格圏に沈むなど低迷するも、2014年10月に招聘された元グラナダCF監督のルーカス・アルカラスがチームを立て直し最終的に14位で残留を果たした。そして2015-2016シーズンは序盤から下位に沈み、2015年10月に前年の残留の立役者であったアルカラス監督を解任して、ルビ新監督に立て直しを託したものの一度も降格圏から抜け出せず、2016年5月2日の第36節の対マラガCF戦に敗れると降格圏である18位以下でシーズンを終えることが確定し、2009-2010シーズン以来、7シーズンぶりのセグンダ降格が決定した。

2015-16シーズン、リーグ最終節マラガ戦に敗れ、リーグ最下位とセグンダ・ディビシオン降格が決まった。しかし、降格した2016-17シーズンにセグンダ優勝を果たし、1年でプリメーラ復帰が確定した。2017-18シーズンはシーズン早々にプリメーラ残留を決め、5月13日のFCバルセロナ戦ではエマニュエル・ボアテングのキャリア初ハットトリックなどによって5-4で大金星を挙げた[10]。これにより、バルセロナはリーグ無敗記録が途絶え、無敗優勝は叶わなかった[11]

ライバル関係編集

同じくバレンシアに本拠地を置くバレンシアCFとの試合はバレンシア・ダービーとして盛り上がる。20世紀初頭には、スペインサッカーリーグが創設されたことで、同じカテゴリーでの試合がほとんど行われなくなり、両クラブ間での対戦は減少した。 しかし、21世紀に入ってからは、レバンテが力をつけ始めていき、同カテゴリーでの試合が増えた。レバンテはバレンシアニスタを「チョトス」(バレンシア語で「xotos」)と軽蔑の意を込めて呼んでいる。また、エルチェCFエルクレスCFとも強いライバル関係を持っている。

また、オランダのサッカークラブFCトゥウェンテとも非公式ではあるが、サポーター同士の繋がりがある。きっかけは2012-13シーズンのUEFAヨーロッパリーグで対戦したことだった。2014年2月にはレバンテのあるサポーターが亡くなったとき、トゥウェンテサポーターがホームスタジアムに亡くなったサポーターに向けての横断幕を掲げ、哀悼の意を示した。

タイトル編集

国内タイトル編集

  • バレンシア州選手権優勝:1回
    • 1927-28
  • レバンテ海岸選手権優勝:1回
    • 1934-35
  • コパ・デ・ラ・エスパーニャ・リブレ優勝:1回
    • 1937
  • トロフェオ・シウダ・デ・バレンシア優勝:1回
    • 1996

成績編集

近年の成績編集

 
試合開始前の11人 (2013年5月)
シーズン ディビジョン コパ・デル・レイ 欧州カップ
リーグ 順位
2003-04 2部 1 42 22 13 7 59 33 79 ベスト16
2004–05 1部 18 38 9 10 19 39 58 37 ベスト32
2005–06 2部 3 42 20 14 8 53 39 74 1回戦敗退
2006–07 1部 15 38 10 12 16 37 53 42 ベスト32
2007–08 1部 20 38 7 5 26 33 75 26 ベスト16
2008–09 2部 8 42 18 10 14 59 59 64 2回戦敗退
2009–10 2部 3 42 19 14 9 63 45 71 2回戦敗退
2010–11 1部 14 38 12 9 17 41 52 45 ベスト16
2011-12 1部 6 38 16 7 15 54 50 55 準々決勝敗退
2012-13 1部 11 38 12 10 16 40 57 46 ベスト16 EL ベスト16
2013-14 1部 10 38 12 12 14 35 43 48 準々決勝敗退
2014-15 1部 14 38 9 10 19 34 67 37 準々決勝敗退
2015-16 1部 20 38 8 8 22 37 70 32 1回戦敗退
2016-17 2部 1 42 25 9 8 57 32 84 2回戦敗退
2017-18 1部 15 38 11 13 14 44 58 46 ベスト16
2018–19 1部 15 38 11 11 16 59 66 44 ベスト16
2019–20 1部 12 38 14 7 17 47 53 49 ラウンド32
2020-21 1部 14 38 9 14 15 46 57 41 準決勝敗退
2021-22 1部 19 38 8 11 19 51 76 35 2回戦敗退


過去の成績編集

  • レバンテFCとして
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1929-30 テルセーラ 2位
1930-31 テルセーラ 6位
1931-32 テルセーラ 1位
1932-33 テルセーラ 4位 ベスト32
1933-34 テルセーラ 5位 ベスト32
1934-35 セグンダ 3位 準決勝敗退
1935-36 セグンダ 3位 2回戦敗退
  • ヒムナスティコFCとして
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1929-30 テルセーラ 3位
1930-31 テルセーラ 5位
1931-32 テルセーラ 3位
1932-33 テルセーラ 3位
1933-34 テルセーラ 3位
1934-35 セグンダ 6位 5回戦敗退
1935-36 セグンダ 4位 GS敗退
  • レバンテUDとして
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1939-40 セグンダ 1位 1回戦敗退
1940-41 セグンダ 3位 準々決勝敗退
1941-42 セグンダ 8位 1回戦敗退
1942-43 地域リーグ 1位 1回戦敗退
1943-44 テルセーラ 1位
1944-45 テルセーラ 2位
1945-46 テルセーラ 1位
1946-47 セグンダ 6位 ベスト16
1947-48 セグンダ 5位 5回戦敗退
1948-49 セグンダ 9位 4回戦敗退
1949-50 セグンダ 13位 3回戦敗退
1950-51 セグンダ 13位
1951-52 セグンダ 14位
1952-53 テルセーラ 2位
1953-54 テルセーラ 1位
1954-55 セグンダ 15位
1955-56 テルセーラ 1位
1956-57 セグンダ 11位
1957-58 セグンダ 4位
1958-59 セグンダ 2位 ベスト32
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1959-60 セグンダ 6位 1回戦敗退
1960-61 セグンダ 6位 1回戦敗退
1961-62 セグンダ 6位 1回戦敗退
1962-63 セグンダ 2位 ベスト16
1963-64 プリメーラ 10位 ベスト32
1964-65 プリメーラ 14位 ベスト16
1965-66 セグンダ 5位 1回戦敗退
1966-67 セグンダ 4位 ベスト32
1967-68 セグンダ 14位 1回戦敗退
1968-69 テルセーラ 3位
1969-70 テルセーラ 4位 3回戦敗退
1970-71 テルセーラ 12位 1回戦敗退
1971-72 テルセーラ 6位 2回戦敗退
1972-73 テルセーラ 1位 3回戦敗退
1973-74 セグンダ 19位 5回戦敗退
1974-75 テルセーラ 2位 4回戦敗退
1975-76 テルセーラ 1位 1回戦敗退
1976-77 セグンダ 18位 2回戦敗退
1977-78 セグンダB 4位 3回戦敗退
1978-79 セグンダB 1位 2回戦敗退
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1979-80 セグンダ 10位 3回戦敗退
1980-81 セグンダ 9位 ベスト16
1981-82 セグンダ 19位 3回戦敗退
1982-83 テルセーラ 2位 2回戦敗退
1983-84 テルセーラ 2位 2回戦敗退
1984-85 セグンダB 11位 2回戦敗退
1985-86 セグンダB 10位
1986-87 テルセーラ 2位
1987-88 セグンダB 6位 3回戦敗退
1988-89 セグンダB 1位 2回戦敗退
1989-90 セグンダ 15位 1回戦敗退
1990-91 セグンダ 19位 3回戦敗退
1991-92 セグンダB 11位 3回戦敗退
1992-93 セグンダB 9位 2回戦敗退
1993-94 セグンダB 3位 3回戦敗退
1994-95 セグンダB 1位 1回戦敗退
1995-96 セグンダB 1位 3回戦敗退
1996-97 セグンダ 9位 2回戦敗退
1997-98 セグンダ 22位 1回戦敗退
1998-99 セグンダB 1位 ベスト16
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1999-00 セグンダ 7位 予選敗退
2000-01 セグンダ 8位 ベスト32
2001-02 セグンダ 19位 ベスト32
2002-03 セグンダ 4位 ベスト64
2003-04 セグンダ 1位 ベスト16
2004-05 プリメーラ 18位 ベスト32
2005-06 セグンダ 3位 1回戦敗退
2006-07 プリメーラ 15位 ベスト32
2007-08 プリメーラ 20位 ベスト16
2008-09 セグンダ 8位 2回戦敗退
2009-10 セグンダ 3位 2回戦敗退
2010-11 プリメーラ 14位 ベスト16
2011-12 プリメーラ 6位 準々決勝敗退
2012-13 プリメーラ 11位 ベスト16
2013-14 プリメーラ 10位 準々決勝敗退
2014-15 プリメーラ 14位 ベスト16
2015-16 プリメーラ 20位 ベスト32
2016-17 セグンダ 1位 2回戦敗退
2017-18 プリメーラ 15位 ベスト16
2018-19 プリメーラ 15位 ベスト16
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
2019-20 プリメーラ 12位 ベスト32
2020-21 プリメーラ 14位 準決勝敗退
2021-22 プリメーラ 19位 2回戦敗退
2022-23 セグンダ

  • レバンテFC
2シーズン : セグンダ・ディビシオン
5シーズン : テルセーラ・ディビシオン
  • ヒムナスティコFC
2シーズン : セグンダ・ディビシオン
5シーズン : テルセーラ・ディビシオン
  • レバンテUD
16シーズン : プリメーラ・ディビシオン
39シーズン : セグンダ・ディビシオン
12シーズン : セグンダ・ディビシオンB
16シーズン : テルセーラ・ディビシオン
1シーズン : ディビシオネス・レヒオナレス

欧州の成績編集

現所属メンバー編集

2022年9月1日現在[12]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK   ダニエル・カルデナス
2 MF   ソン
3 DF   エンリク・フランケサ
4 DF   ロベル
5 DF   シュコドラン・ムスタフィ ( )( )
6 MF   パブロ・マルティネス
7 FW   ウェズレイ
8 MF   ペペル
9 FW   ロベルト・ソルダード
10 MF   ビセンテ・イボーラ
11 MF   アレハンドロ・カンテロ
13 GK   ホアン・フェメニアス
14 DF   ルベン・ヴェソ ( )
No. Pos. 選手名
15 DF   セルヒオ・ポスティゴ ( )
16 DF   アレックス・ムニョス
17 FW   ブルギ
18 FW   ホルヘ・デ・フルートス
19 FW   ロベルト・イバニェス
20 MF   ホニ・モンティエル
21 FW   チャーリー・ムソンダ ( )
22 FW   モハメド・ボルディーニ
23 DF   マルセロ・サラッキ ( )
24 MF   ホセ・カンパーニャ
29 DF   マルク・プビル

※括弧内の国旗はその他保有国籍、もしくは市民権、星印はEU圏外選手を示す。

リザーブチーム編集

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
26 GK   パブロ・クニャト
33 FW   ホセ・カンブラ
No. Pos. 選手名
35 MF   ウーゴ・レドン

ローン移籍編集

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
7 FW   ウェズレイ (アストン・ヴィラFC)
10 MF   ビセンテ・イボーラ (ビジャレアルCF)
No. Pos. 選手名
20 MF   ホニ・モンティエル (ラージョ・バジェカーノ)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- DF   トニ・エレーロ (SDアモレビエタ)
-- MF   アレックス・ブレサ (クルトゥラル・レオネサ)
-- MF   ジョルジ・コチョラシヴィリ (CDカステリョン)
No. Pos. 選手名
-- FW   ファブリシオ (CDカステリョン)
-- FW   ダニ・ゴメス (RCDエスパニョール)

歴代監督編集

歴代所属選手編集

ワールドカップ出場選手編集

レバンテ在籍中、FIFAワールドカップに臨む各国代表に招集、出場した選手。括弧内は出場大会。

GK編集


DF編集


MF編集


FW編集


脚注編集

  1. ^ Levante Unión Deportiva SAD”. Laliga.es (2018年9月13日). 2018年9月18日閲覧。
  2. ^ La nostra història, el nostre orgull
  3. ^ El Levante cumple cien años
  4. ^ a b c d e 戦力外の男たちがリーガで快進撃! レバンテが過ごす「夢のシーズン」。”. Sports Graphic Number (2011年11月4日). 2012年8月22日閲覧。
  5. ^ リストラ組が"第2の人生"を謳歌するレバンテの大躍進”. スポルティーバ (2011年10月14日). 2012年8月22日閲覧。
  6. ^ マラガ、ベティス、レバンテ…… スペインで快進撃を続ける地方の雄は勢力図を塗り替えられるか?”. OCN (2011年10月25日). 2012年8月22日閲覧。
  7. ^ マドリー相手の大金星にも冷静なレバンテ”. UEFA.com (2011年9月19日). 2012年8月22日閲覧。
  8. ^ バルサとレバンテが首位に並ぶ”. UEFA.com (2011年10月2日). 2012年8月22日閲覧。
  9. ^ 努力が実を結び始めたレバンテ”. UEFA.com (2011年10月3日). 2012年8月22日閲覧。
  10. ^ “LaLiga – Levante 5–4 Barcelona: Emmanuel Boateng scores the first hat-trick of his career against Barcelona”. MARCA. http://www.marca.com/en/football/barcelona/2018/05/13/5af89e9a268e3e46378b460f.html 2018年5月14日閲覧。 
  11. ^ Grounds, Ben (2018年5月14日). “Levante 5-4 Barcelona: Catalans' unbeaten run comes to an end in nine-goal thriller”. Sky Sports. https://www.skysports.com/football/news/11827/11371805/levante-5-4-barcelona-catalans-unbeaten-run-comes-to-an-end 2020年8月31日閲覧。 
  12. ^ Plantilla” (スペイン語). Levante UD. 202010-14閲覧。

外部リンク編集