鮫島 彩(さめしま あや、1987年6月16日 - )は、栃木県河内郡河内町(現・宇都宮市)出身[1]女子サッカー選手。常盤木学園高等学校卒業。大宮アルディージャVENTUS所属。元サッカー日本女子代表。ポジションはミッドフィールダー(サイドハーフ)、ディフェンダー (サイドバック)[2]

鮫島 彩
名前
愛称 サメ
カタカナ サメシマ アヤ
ラテン文字 SAMESHIMA Aya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1987-06-16) 1987年6月16日(36歳)
出身地 日本の旗 日本栃木県河内郡河内町(現・宇都宮市
身長 163cm
体重 54kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 大宮アルディージャVENTUS
ポジション MFDF
背番号 3
利き足 右足
ユース
1995-2002 日本の旗 河内SCジュベニール
2003-2005 日本の旗 常盤木学園高校サッカー部
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2011 日本の旗 TEPCOマリーゼ 98 (18)
2011 アメリカ合衆国の旗 ボストン・ブレイカーズ 5 (0)
2011-2012 フランスの旗 モンペリエHSC 18 (0)
2012-2014 日本の旗 ベガルタ仙台レディース 21 (3)
2015-2020 日本の旗 INAC神戸レオネッサ 102 (2)
2021- 日本の旗 大宮アルディージャVENTUS 37 (0)
代表歴2
2008-2021 日本の旗 日本 114 (5)
獲得メダル
女子サッカー
女子W杯
2011 ドイツ
2015 カナダ
オリンピック
2012 ロンドン 女子
アジア大会
2018 ジャカルタ 女子
1. 国内リーグ戦に限る。2023年6月11日現在。
2. 2021年4月8日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴

ユース時代

小学1年生のとき、近所に女子サッカーチームがあり、「サッカーというより鬼ごっこ」のような雰囲気に惹かれてサッカーを始める。中学校の部活ではテニス部に所属し、「絶対にサッカー選手になりたい」という気持ちはなかった[3]。ところが、後に日本女子代表となる安藤梢も在籍していた地元クラブの河内SCジュベニールに所属すると、監督の阿満憲幸の指導のもと頭角をあらわした[4]。その後U-15の全国大会に出場。実力を認められ、宮城県仙台市にある常盤木学園高等学校にサッカー留学した。1年からレギュラーに起用され、第14回全日本高等学校女子サッカー選手権大会では背番号10を背負い準優勝した。高校時代は攻撃的MFのポジションでスピードに乗ったドリブルを得意とした[5]。8度の全国大会出場、3度の準優勝を経験した鮫島は一躍注目を集め、U-18で初めて日本代表に選ばれる。しかし、母親と同じく「看護師になりたいという気持ちがあった」鮫島は、「代表練習に行くのはもう嫌で、嫌で」、また「欲がなくて、そういう高いレベルでプレーすることを望んでいなかった。」[3]

東京電力マリーゼ時代

なでしこリーグのYKK AP東北女子サッカー部フラッパーズ(宮城県志田郡三本木町、現・大崎市)が東京電力女子サッカー部マリーゼ(福島県双葉郡広野町)になる際、高校卒業後の進路に悩む鮫島に誘いをかけたところ、高校の部活や代表合宿を通して「YKKの楽しい雰囲気」を知っていた鮫島はこれを承諾し、高校卒業後の2006年にマリーゼに入団[6]。プロ契約ではないため、東京電力福島第一原発で事務員の仕事をするかたわら、練習や試合に臨んだ[7]。レギュラーを獲得するとU-20日本女子代表に選出され、AFC U-19女子選手権2006マレーシアでは、韓国戦、インド戦、中国戦でゴールを決めた。

2007年、シーズンにチームはディビジョン2に降格したが、鮫島はmocなでしこリーグ2007ディビジョン2シーズン最優秀選手賞(MVP)を受賞し、チームも優勝して1年での一部復帰を果たした。

2007年以降なでしこチャレンジプロジェクトに参加すると、2008年にはなでしこジャパンに初選出された。代表ではサイドの突破力を買われ、ミッドフィールダーから左サイドバックにコンバートされた。2009年シーズンではマリーゼでも左サイドバックとして出場している。

ボストン/モンペリエ時代

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)によって引き起こされた福島第一原子力発電所事故の影響を受け、マリーゼが活動を自粛すると[8]「このままサッカーを続けていいのか」と思い悩んだが、サッカーを続けることを選び[5]、マリーゼの練習に参加していたアメリカ人選手の誘いもあってWPSボストン・ブレイカーズに移籍した[9]。当時のマリーゼの監督だった菅野将晃は「国内に移籍したとしてもマリーゼが気になってプレーに集中できないんじゃないかと思って、海外を薦めました」と話している[10]。東京電力でプレーしていたということで、国内移籍では受け入れ先に迷惑がかかるのではないか、という配慮もあった[5]。6月12日のスカイ・ブルーFC戦で後半はじめから途中出場したのがWPSデビューとなった。

同年6月に開催された2011 FIFA女子ワールドカップにおいても左サイドバックとして全試合でスタメンとしてプレーし、7月17日に行われた決勝戦でもアメリカ代表に勝利し優勝を決めたチームに貢献した[11]。8月10日、これまでのスポーツ界の貢献に対して、同じく栃木県出身の安藤梢とともに栃木県県民栄誉賞を授与された[12]。ロンドン・オリンピック最終予選でもチームで唯一5試合フル出場した[13]

同年9月12日、フランスリーグ1部のモンペリエHSCと2年契約を結んだと発表[14]。当時モンペリエには宇津木瑠美も所属していた[15]

同年12月22日、熊谷紗希永里優季とともに、東松島市立矢本西小学校(宮城県東松島市)を訪問し、サッカー教室などで被災地の児童たちと交流した[16]

2012年6月をもってモンペリエHSCを退団[17]

ベガルタ仙台時代

2012年7月9日、ベガルタ仙台レディースに移籍[18]。チーム初のプロ契約選手となる[19]

同年8月21日、仙台市から賛辞の楯が贈呈されることとなった[20]

日本代表としてロンドンオリンピックでは6試合中5試合に出場し、銀メダルを獲得した。

2013年3月20日仙台市内で常盤木学園高校と練習試合中、後半に右足の違和感を訴えて途中交代[21]、その後リハビリで様子を見ていたが5月23日に痛みが引かないため精密検査を行った結果、右太腿の肉離れと腱損傷で全治約3カ月と診断されたと発表[22]。リハビリ中に同じ施設に通っていた冬季オリンピックスノーボード女子パラレル大回転代表の竹内智香と交流を持ち、その後竹内は2014年ソチオリンピックで銀メダルを獲得した[23]

2014年2月28日にヒューストン・ダッシュへ半年間の完全移籍(9月にベガルタ仙台に戻る予定だった)が決まったものの[24]、2月の日本代表合宿中に再び負傷し[25]、結局ヒューストン・ダッシュとの契約はできず、同年7月29日にベガルタ仙台レディースへ復帰が発表された[26]

INAC神戸レオネッサ時代

2015年1月、INAC神戸レオネッサにプロ契約での移籍を発表した[27]。 年末に行われた皇后杯で優勝し、自身初のクラブタイトル獲得。

2015年6月から開催されたFIFA女子ワールドカップ カナダ大会では決勝でアメリカ代表に敗れ大会連覇は逃したが、アメリカのスポーツ専門局ESPNは大会のベストイレブンに準優勝の日本から唯一鮫島を選出した[28]

2016年、2016年リオデジャネイロオリンピックのサッカー競技・アジア予選の日本代表メンバーに選出されたが、チームは予選3位となり五輪出場権を逃した[29]

2016年シーズン、2010年以来6年ぶりとなるリーグのベストイレブンに選出された[30]

2017年シーズン、2年連続でリーグのベストイレブンに選出された[31]

2021年1月13日、INAC神戸レオネッササポーターに約900文字のメッセージを残し、大宮アルディージャVENTUSに移籍した[32]

所属クラブ

個人成績

クラブ

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 皇后杯 期間通算
2006 東京電力女子サッカー部
マリーゼ
25 なでしこ Div.1 17 1 - 2 0 19 1
2007 21 なでしこ Div.2 21 8 4 3 3 0 28 11
2008 9 なでしこ Div.1 21 5 - 3 0 24 5
2009 21 1 - 3 1 24 2
2010 なでしこ 18 3 5 3 2 0 25 6
2011 8 活動自粛
アメリカ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2011 ボストン・ブレイカーズ 28 WPS 5 0 - - 5 0
フランス リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2011-12 モンペリエHSC 8 ディヴィジオン・アン 18 0 - 5 0 23 0
日本 リーグ戦 リーグ杯 皇后杯 期間通算
2012 ベガルタ仙台レディース 9 チャレンジ 6 3 - 2 1 8 4
2013 なでしこ 9 0 0 0 2 2 11 2
2014 6 0 - 3 1 9 1
2015 INAC神戸レオネッサ 3 なでしこ1部 20 0 - 5 0 25 0
2016 18 1 8 0 5 0 31 1
2017 17 0 5 0 2 0 24 0
2018 18 1 5 0 5 0 28 1
2019 12 0 2 0 0 0 14 0
2020 17 0 - 3 1 20 1
2021-22 大宮アルディージャVENTUS WE 17 0 - 2 0 19 0
2022-23 20 0 5 0 2 0 27 0
2023-24 3 0 1 0 4 0
通算 日本 1部 231 12 33 3 45 6 309 21
日本 2部 27 11 4 3 - 31 14
アメリカ 1部 5 0 - - 5 0
フランス 1部 18 0 - 5 0 23 0
総通算 281 23 37 6 50 6 368 35

代表

主な出場歴

試合数


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2008 2 1
2009 3 0
2010 15 1
2011 18 0
2012 14 0
2013 3 0
2014 2 1
2015 12 1
2016 3 0
2017 13 0
2018 18 1
2019 10 0
2021 1 0
通算 114 5
2021年4月8日現在

ゴール

# 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会 出典
1. 2008年5月31日   ホーチミン トンニャット・スタジアム   チャイニーズタイペイ ○ 11-0 佐々木則夫 2008 AFC女子アジアカップ [33]
2. 2010年5月20日   成都 成都スポーツセンター   ミャンマー ○ 8-0 2010 AFC女子アジアカップ [34]
3. 2014年10月28日   バンクーバー BCプレイス   カナダ ○ 3-2 国際親善試合 [35]
4. 2015年6月12日   バンクーバー BCプレイス   カメルーン ○ 2-1 2015 FIFA女子ワールドカップ [36]
5. 2018年4月1日   諫早 トランスコスモススタジアム長崎   ガーナ ○ 7-1 高倉麻子 MS&ADカップ2018 [37]

タイトル

クラブ

代表

個人

主なメディア出演

テレビ番組

  • あの試合をもう一度!スポーツ名勝負「なでしこ初優勝ドイツ大会2011」(NHKBS1) リモート出演 2020年5月30日[38].2020年5月29日付、2020年12月29日閲覧
  • S☆1PLUS(2021年9月22日、TBS

CM

雑誌掲載

  • 週刊サッカーマガジン 鮫島本人によるコラム「サメトーーク」掲載(2012年)

脚注

  1. ^ “ロンドン五輪特集 五輪選手名鑑・サッカー DF・鮫島彩”. デイリースポーツ online. (2012年). http://www.daily.co.jp/olympic/london/meikan/soccer/samejima.shtml 2015年7月2日閲覧。 
  2. ^ 鮫島彩、同僚MF仲田歩夢&京川舞の“制服2ショット”公開 「なんで私が2人の写真を…」(Football ZONE web)”. Yahoo!ニュース (2020年5月27日). 2020年6月16日閲覧。
  3. ^ a b 弓削高志「なでしこ鮫島が初めて語る『震災』と『五輪』」『文藝春秋』2011年11月、151頁。
  4. ^ 『なでしこの誓い 世界一の心のきずな物語』ISBN:9784052035203、学研教育出版、2012年10月16日、41-68頁
  5. ^ a b c 朝日新聞』、2011年7月16日付。
  6. ^ 週刊サッカーマガジン』2011年10月11日号
  7. ^ 週刊現代』、2011年7月25日号。
  8. ^ 東電女子サッカー部マリーゼが解散、『日刊スポーツ』、2011年7月13日、2017年12月23日閲覧。
  9. ^ 鮫島 東京電力からブレーカーズへ移籍完了スポーツニッポン』 2011年6月17日付、2017年12月23日閲覧。
  10. ^ 東電女子サッカー部監督「鮫島彩は優しいコ。だから海外を薦めた」日刊SPA! 2011.8.9付、2017年12月23日閲覧。
  11. ^ FIFA女子ワールドカップ ドイツ 2011 特設ページ 日本サッカー協会 2011年7月18日付
  12. ^ 安藤&鮫島に女性初の栃木県民栄誉賞ニッカンスポーツ.2011.7.22付、2017年12月23日閲覧。
  13. ^ 『サッカーマガジン』2011年10月11日号。
  14. ^ なでしこ鮫島が仏のモンペリエに移籍ニッカンスポーツ.2011.9.12付、2017年12月23日閲覧。
  15. ^ モンペリエで戦う鮫島彩と宇津木瑠美、それぞれの成長と葛藤 Web Sportiva.2012.2.8付、2017年12月23日閲覧。
  16. ^ 「なでしこ・鮫島&永里&熊谷、被災地小学校で雪合戦」『スポーツ報知』(アーカイブ). 2011年12月22日付、2017年12月23日閲覧。
  17. ^ 鮫島彩 モンペリエ退団へ…仙台からオファーも「まだ決めてない」スポニチ・アネックス.2012.6.3付、2017年12月23日閲覧。
  18. ^ 鮫島彩、仙台への帰還と挑戦 2部チームから目指すさらなる高みSportsnavi. 2012.9.18、2017年12月23日閲覧。
  19. ^ 8月21日(火)、鮫島彩選手新加入記者会見を行いました。ベガルタ仙台公式サイト.2012.8.21付、2017年12月23日閲覧。
  20. ^ 鮫島彩選手「賛辞の楯」受彰のお知らせベガルタ仙台公式サイト.2012.9.13付、2017年12月23日閲覧。
  21. ^ 鮫ちゃんヒヤリ!?右足違和感で途中交代日刊スポーツ.2013.3.20、2016年12月28日閲覧。
  22. ^ なでしこ鮫島 右太腿肉離れと腱損傷で全治3カ月スポニチアネックス.2013.5.23、2016年12月28日閲覧。
  23. ^ 鮫島志願フル出場 米移籍へ仕上がり順調日刊スポーツ.2014.2.22、2016年12月28日閲覧。
  24. ^ 鮫島彩選手 ヒューストン・ダッシュへ完全移籍のお知らせ ベガルタ仙台HP.2014年1月31日付、2017年12月23日閲覧。
  25. ^ 鮫島けがで代表合宿離脱、上尾野辺を招集ニッカンスポーツ.2014.2.26付、2017年12月23日閲覧。
  26. ^ 鮫島彩選手 ベガルタ仙台レディースへ復帰のお知らせベガルタ仙台HP.2014年7月29日付、2017年12月23日閲覧。
  27. ^ 鮫島彩選手、チャンスルギ選手 2015シーズン加入のお知らせINAC神戸レオネッサHP.2015年1月16日付、2017年12月23日閲覧。
  28. ^ 鮫島 女子W杯ベストイレブン!なでしこで唯一選出スポニチアネックス.2015.7.8付、2017年12月23日閲覧。
  29. ^ なでしこ、宮間や大儀見ら20人選出 五輪最終予選 日本経済新聞、2016年3月3日閲覧。
  30. ^ 2016年度プレナスなでしこリーグ/プレナスチャレンジリーグ表彰式 最優秀選手は阪口夢穂選手に決定!なでしこリーグ.2016.6.25付、2017年12月23日閲覧。
  31. ^ 2017プレナスなでしこリーグ敢闘賞に中島依美、ベストイレブンに鮫島彩、中島依美、新人賞に福田ゆい選出されました!INAC神戸レオネッサ公式サイト.2017.10.10付、2017年12月23日閲覧。
  32. ^ なでしこジャパン鮫島彩 INAC神戸から大宮に完全移籍 900文字の別れのあいさつスポーツニッポン.2021.1.13付、2021年1月13日閲覧
  33. ^ MATCH SUMMARY” (英語). 2012年5月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月12日閲覧。
  34. ^ なでしこジャパン”. www.jfa.or.jp. 日本サッカー協会. 2024年2月12日閲覧。
  35. ^ スタメン・試合結果 | なでしこジャパン”. www.jfa.jp. 日本サッカー協会. 2024年2月12日閲覧。
  36. ^ 試合結果│FIFA女子ワールドカップ カナダ2015”. www.jfa.jp. 日本サッカー協会. 2024年2月12日閲覧。
  37. ^ MS&ADカップ2018”. www.jfa.jp. 公益財団法人日本サッカー協会. 2024年2月12日閲覧。
  38. ^ ニュース : 【5/30放送 鮫島選手 NHK BS-1「あの試合をもう一度!スポーツ名勝負」出演】”. INAC神戸 レオネッサ. 2021年5月1日閲覧。
  39. ^ JALの新CMになでしこが登場…空港で華麗な“見えない”パス回し披露”. サッカーキング (2015年5月2日). 2015年5月8日閲覧。

関連項目

外部リンク