宏池会(こうちかい)は、かつて存在した自由民主党の派閥。1957年6月に池田勇人を中心に結成された[2][3]政治資金パーティー収入の裏金事件を受け、2023年12月7日に会長の岸田文雄が派閥を離脱し[4]、2024年1月23日に正式に解散した[1]

宏池会
略称 池田派
前尾派
大平派
鈴木派
宮澤派
加藤派[注 1]
堀内派
古賀派
岸田派
前身 自由党吉田派)
設立 1957年6月
設立者 池田勇人
解散 2024年1月23日[1]
種類 自由民主党の派閥
本部 日本自転車会館1号館→全国町村会館
所在地 東京都港区赤坂千代田区永田町
会長 空席
予算 207,742,774円
ウェブサイト https://kouchikai1957.com/
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全国町村会館(千代田区永田町)。宏池会が入居する

自由党の流れをくむ保守本流の派閥であり[5][6]、自民党内では伝統的にハト派の政策集団として知られた[7][8][9]。岸田は、派閥から「真の政策集団」に変わることを目指すとしている[10]

概要

木曜研究会が前身の政策科学的機構としては、宏池政策研究会と定義される。吉田茂が率いた自由党の流れをくむ保守本流の派閥である[5][6]。宏池会から分裂した志公会(麻生派)や有隣会(谷垣グループ)もこれに含まれる。

吉田茂の直系の弟子である池田勇人によって創立されて以来[11]大平正芳鈴木善幸宮澤喜一岸田文雄と5人の内閣総理大臣自民党総裁を輩出、野党時代にも河野洋平谷垣禎一と2人の自民党総裁が出ており、自他共に名門派閥と見なされてきた。更に、宏池会に源流を持つ分派の麻生太郎や、かつて所属経験のある菅義偉も総理・総裁となっている。

元来、池田を取り巻く官僚出身の議員やスタッフを中心に形成されたという沿革もあり、今日に至るまで政策に通じた議員が多く在籍する。しかし、政策に明るいものの政争に暗いと評され、「公家集団」と揶揄されることもしばしばみられる[12][13]

当初から離合集散を繰り返してきた自民党各派閥に比べて、各会長の下で一致結束して派閥を継続してきたとされ、自民党草創期の名称を今日まで維持している唯一の派閥でもある。しかし、後述のように派内抗争とも無縁ではなく、特に1993年の野党転落を機に派の主導権争いが激化してからは分派や合流を繰り返し、先述のように現在では宏池会、志公会(麻生派)や有隣会(谷垣グループ)と3つの集団に分かれている。

政策

安全保障では日米関係を重視しながらも、伝統的にハト派の政策集団として知られた[7][8][9]第1次小泉内閣以降、タカ派が主流化する中、宏池会再結集においてはリベラル派の再結集をアピールした。

名称

「宏池会」の名は、後漢の学者・馬融の「高光の榭(うてな)に休息し、以て宏池に臨む」という一文(出典は『広成頌』)から、陽明学安岡正篤が命名したものである。池田勇人の「池」の字、池田の出身地である広島の「ひろ」を「宏」に掛けているともいわれる。

事務所

創設以来、赤坂日本自転車会館1号館に事務所が置かれていたが、再開発によりビルの取り壊しが決定したため、永田町全国町村会館に移った。

沿革

結成

 
池田勇人

1957年6月、池田勇人後援会として「宏池会」が結成された[2][3][2]

1960年7月14日に行われた自民党総裁選で池田が当選。7月19日に内閣総理大臣に就任した。

池田は、旧自由党吉田茂派(吉田学校)を同門の佐藤栄作周山会)と分ける形で派閥を形成し、池田の下には前尾繁三郎大平正芳黒金泰美鈴木善幸宮澤喜一小坂善太郎など官僚系を中心とした人材が結集した。また、派のブレーンにはやはり大蔵官僚出身の下村治・田村敏雄などが集まり政策を立案していった。

前尾派・大平派時代

 
大平正芳

1964年11月9日、池田は首相を退陣。

1965年8月13日、池田が病死。同日、前尾繁三郎が2代会長に就任した[3]

1971年、佐藤四選を許した前尾に飽き足りない田中六助田沢吉郎塩崎潤ら若手議員は大平正芳を担いで、前尾を会長から下ろした(大平クーデター)。同年4月16日、大平が3代会長に就任[3]

大平派においては、伊東正義斎藤邦吉佐々木義武が「大平派三羽烏」と呼ばれた。大平は総理総裁に就任すると椎名裁定以来の総幹分離の慣例を破って総裁派閥である斎藤邦吉を幹事長に起用し、大平―斎藤ラインで1979年衆院選を行い、自派閥衆議院議員を50名に増やした。

鈴木派・宮澤派時代

 
鈴木善幸
 
宮澤喜一

1980年6月12日、衆院選・参院選の最中に大平が急逝。同年7月15日、鈴木善幸が宏池会代表(のち会長)に就任。7月17日、鈴木は内閣総理大臣に就任[3]。鈴木は元来、大平を総裁とすべく尽力してきた裏方の調整役であり、派閥を率いて総裁を目指す人物とはみなされていなかったが、反主流派の造反に端を発する総選挙の中での大平急逝という特異な状況下、党内融和を求める空気の中で、同じ宏池会の実力者でありキングメーカーの田中角栄とも関係が良好な鈴木に白羽の矢が立つことになった。この時期の宏池会では、大平の後継を巡り宮澤喜一と田中六助の間に「一六戦争」と呼ばれる抗争が繰り広げられていたため、鈴木の代表就任は決着がつくまでの当面のつなぎという性格も強かった。宮澤は早くから将来を嘱望される存在であったものの、人望と政治的手腕に欠け、一方の田中(六)は鈴木善幸の擁立や新自由クラブとの連立工作などで存在感を増してゆく。背景には宮澤嫌いで知られる田中角栄と、宮澤を好んだ福田赳夫による「角福戦争」がある。

鈴木退陣後は中曽根康弘総裁の下で「半主流派」などと揶揄される。二階堂擁立構想では、鈴木ら派幹部が主導的役割を演じた。宮澤と田中六助の後継争いは、1985年1月31日に田中が死去したことで、宮澤の継承で落ち着いた。宮澤の会長就任時期は「1986年6月」と示す資料がある一方で[14]、宏池会の公式サイトは「1987年9月4日」と記述している[3]

1987年10月8日、自民党総裁選が告示され、宮澤、竹下登安倍晋太郎の3人が立候補するも、10月20日の「中曽根裁定」により竹下に敗れた。

1991年10月27日に行われた自民党総裁選で、宮澤は竹下派の後押しを受けて総裁に当選。11月5日、宮澤は内閣総理大臣に就任した。

その竹下派の分裂が引き金になり、自民党は1993年に野党に転落することになった。野党転落後は宮澤が会長に留任したまま、宏池会の河野洋平が総裁となり、1994年に自社さ連立を実現させ、与党に復帰する。しかし河野総裁の任期中から宮澤の後継争いも絡んで加藤紘一と河野との対立が深刻化し(「KK戦争」)、加藤が1995年の総裁選で橋本龍太郎を支持したこともあり、河野は総裁続投断念に追い込まれる。河野は総理に就任しない最初の総裁となった。

加藤派、加藤の乱

 
加藤紘一

1998年12月22日、加藤紘一が第6代会長に就任[3]。同月、河野は派閥を離脱し、派内の反加藤議員を結集して1999年1月に大勇会を結成した。長らく結束を保ってきた宏池会にとって最初の分裂だったが、翌年にはさらなる激震に見舞われることになる。

2000年11月に野党から提出された森内閣不信任案に加藤は同調。しかし派閥全体を動かすことができずに尻すぼみに終わった(加藤の乱)。結果、加藤を支持するグループと、反加藤グループ(堀内派)に分裂し、両派が互いに「宏池会」と名乗る異常な事態となった(加藤グループは、2年後に加藤が秘書のスキャンダルで議員辞職に追い込まれて小里貞利が継承。その後小里が政界引退し、2005年9月26日の派閥総会で谷垣禎一が会長に就任)。

宏池会分裂時の各派閥についての詳細は、以下の項目も参照。

小泉政権

5年半の長期政権となった小泉政権においては、谷垣派は谷垣自身がほぼ一貫して重要閣僚を担っていたため事実上の主流派として政権を支える一方、堀内派は政権に対する距離が定まらず、2003年の総裁選などでも派内対立が激化した。2005年のいわゆる郵政法案とその後の郵政解散を巡っては、堀内光雄会長が反対票を投じて離党に追い込まれ、古賀も棄権票を投じたため誓約書を書かされた上でようやく公認を得るなど苦汁を舐めさせられている。小泉の「脱派閥」方針で一貫して派閥の弱体化が進んだ時期だったが、相対的に小泉の出身派閥である清和会の存在感が増していくと、それに対する対抗の意味もあり、宏池会の再結集が語られるようになっていった。

宏池会結集構想

2006年に入ると、河野グループも含めた旧宮澤派の流れを汲む三派の再結集を目指す大宏池会構想が具体的に表面化した。谷垣と河野グループ(当時)所属の麻生太郎ポスト小泉に名乗りを上げているため、2006年9月の自民党総裁選が終了した10月頃の合同で三派幹部の認識は一致しており、「大宏池会」への流れは加速していると見られてきた。

同年10月5日、古賀誠が第8代会長に就任[3]

総裁候補を有しない丹羽・古賀派内部では若手議員を中心に安倍待望論が根強く、丹羽雄哉・古賀誠も事実上の安倍支持を表明、さらに丹羽・古賀派のベテランである柳澤伯夫が安倍陣営の選対本部長に就任(後に厚生労働大臣)。安倍が勝利した総裁選後の人事では丹羽・古賀派からは丹羽が総務会長に就任したのに加え、4人を閣僚に送り込み、河野グループ(2006年12月以降、麻生派)でも麻生外相が留任するなど主流派となったのと対照的に、谷垣派は完全に要職から外れた。さらに総裁選後は丹羽・古賀派の古賀系の議員による丹羽外しの動きが見られた。

2007年、安倍退陣後の総裁選においては総裁選の過程で早くから谷垣・古賀が派として福田康夫支持を打ち出し、対立候補の麻生を一転劣勢に追い込んだため「麻生包囲網」などと言われた。福田政権においては古賀・谷垣自ら三役入りする一方で、麻生は入閣を拒否し反主流派に回った。かつての盟友である麻生・古賀の関係が冷え込んだのもこの時期である。

このように三派の関係や各派内部においても溝が生じたため、総裁選を過ぎた後は、大宏池会としての合流は困難な情勢となった。

古賀派・谷垣派の再合流

他方、上述の総裁選をきっかけに谷垣・古賀両派の関係は緊密化し、2007年末になって麻生派抜きの「中宏池会」として古賀派と谷垣派が2008年5月にも再合流することで両派閥が合意。これに伴い「宏池会」の名称で2つの派閥が並立する状態は7年ぶりに収束することになった。

その後、再合流は通常国会前が望ましいとの観点から2008年5月13日に前倒しされ、古賀が派閥会長に、谷垣が代表世話人に、堀内光雄が名誉会長に、逢沢一郎が事務総長に、それぞれ就任した。

中宏池会の成立により宏池会(2008年10月15日現在[15]61人)は、清和政策研究会(2008年6月20日現在[16]玉澤徳一郎含めて89名)、平成研究会(2008年2月13日現在[17]69人)に次ぐ第3派閥となり、ハト派勢力として党内に影響を与えると見られた。

総裁派閥に

 
谷垣禎一

自民党が野党に転落した第45回衆議院議員総選挙では宏池会も所属衆議院議員を25人と半減させたが、第1派閥の清和会、第2派閥の平成研がそれぞれ1/3に議席数を減らしたため、衆議院では第1派閥となった。

2009年9月28日に行われた自民党総裁選では、谷垣禎一が勝利。自派も含めて幅広く支持を集めての圧勝だったが、小野寺五典が自ら立候補を模索した上河野太郎支持に回ったほか、菅義偉も派閥を退会して河野を積極的に支持するなど、総裁選は派閥単位の動きよりは世代対立の様相を呈した。宏池会が総裁派閥となるのは、皮肉にも前回の野党転落時の河野洋平以来14年ぶりだが、就任後もしばらくは離党者が相次ぐなど、厳しい党運営が続いた。谷垣と菅は同じ日本海側出身として関係が深く、第174回国会の予算委では菅が民主党鳩山由紀夫小沢一郎の金の問題を徹底的に追求した。

宏池会の再分裂

しかし翌2010年の第22回参議院議員通常選挙で与党を過半数割れに追い込むと、各種地方選や2011年の統一地方選挙などでも勝利を重ね、総裁としての谷垣は一定の評価を得るようになっていった。総裁再選を目指し、2012年自由民主党総裁選挙への立候補に意欲を示す谷垣は、出身派閥の領袖である古賀へ支援を要請した。しかし古賀は「若い人へバトンタッチするべき」と述べて、谷垣への支援を拒否した。派内の旧谷垣派議員らが反発する中、古賀は参議院議員林芳正擁立に乗り出した。出身派閥の支援を得られなくなった谷垣は脱派閥を打ち出し、党内最大勢力となった無派閥議員の支持を得ようとするも、幹事長の石原伸晃の立候補もあって推薦人の確保すらままならなくなり、執行部内の候補一本化を理由に最後は立候補の断念に追い込まれた。

2012年9月26日、自民党総裁選が行われ、林は第1回投票で候補者5人中最下位で落選した。決選投票で安倍晋三が石破茂を破り、自民党総裁に就任した。次期総選挙における自民党の政権奪還が有力視される中、谷垣は総理の座を目前で逃すことになったが、こうした展開は皮肉にも、やはり宏池会出身の総裁であった河野洋平のケースと酷似したものだった[18]

同年9月27日、古賀は会長職を辞任する意向を表明した[19]。後任には谷垣側近の逢沢一郎を充て、派内の融和を図ろうとするも、谷垣系の反発は収まらず、逢沢や川崎二郎などの約10人の旧谷垣派出身議員が退会届を提出した。逢沢らは、総裁退任後に宏池会への復帰を見送った谷垣や、谷垣の再選を支持した議員らと共に、「有隣会」を旗揚げし、宏池会は再び分裂した。

岸田文雄が会長に就任

 
岸田文雄

2012年10月4日、古賀に近い岸田文雄が第9代会長に就任した[20][3]。ナンバー2の座長には林芳正が、名誉会長には古賀が就くこととなった。以後マスメディアなどでは「岸田派」と呼ばれるようになる。総裁選での支援候補の敗北や、派閥の分裂で、求心力が大幅に低下した古賀は、同年12月の第46回衆議院議員総選挙に立候補せず、政界を引退した。

同年12月26日に発足した第2次安倍内閣では岸田(外務大臣)、林(農林水産大臣)、小野寺五典防衛大臣)、根本匠復興大臣)の4人が入閣した。

2014年9月3日に発足した第2次安倍改造内閣では林、小野寺、根本が閣外へ去り、岸田が留任、塩崎恭久厚生労働大臣)、事務総長の望月義夫環境大臣)が新たに入閣。後任の事務総長に宮腰光寛が就任した。その後辞任した閣僚の後任として上川陽子宮澤洋一、林がそれぞれ法務大臣経済産業大臣、農林水産大臣として入閣し、合計6人となった。

その後は塩崎が退会したほか、2015年10月に発足した第3次安倍第1次改造内閣では岸田が留任したのみで、1名の入閣にとどまった[21]

2016年は「加藤の乱」前後の派閥の長だった堀内光雄、加藤紘一、小里貞利が相次いで他界した。

2017年8月3日に発足した第3次安倍第3次改造内閣では上川が法務大臣、小野寺が防衛大臣再任、林が文部科学大臣松山政司内閣府特命担当大臣の4名が入閣し派閥最多。岸田は党の政務調査会長に就任した。

2019年7月21日第25回参議院通常選挙では溝手顕正中泉松司大沼瑞穂二之湯武史が落選した[22]

2020年9月1日、同年9月14日に行われる自民党総裁選挙に岸田が立候補を表明した[23]。結果は内閣官房長官菅義偉に敗れ、2位に終わった[24]

2021年8月26日、菅の任期満了に伴い同年9月29日に行われる自民党総裁選挙に、昨年に引き続き岸田が立候補を表明した[25]。1回目の投票で得票数は岸田がトップであったがいずれの候補者も過半数に届かなかったため決選投票の結果、河野太郎を破り、第27代総裁に選出され[26]、更に10月4日に第100代内閣総理大臣に選出された。宏池会所属の総裁は谷垣以来、総理は宮沢喜一以来となった。自民党の総理大臣は在任中派閥を離れることが慣例とされていたが、岸田は総理就任後も宏池会会長にとどまった[27]

政治資金パーティー収入の裏金問題

2023年10月、神戸学院大学教授の上脇博之は、自民党5派閥が政治資金パーティーの収入を2018 - 2021年分の政治資金収支報告書に計4168万円分を過少記載したとする告発状を東京地方検察庁に提出した[28][29][30]。記載漏れの内訳は、清和政策研究会(安倍派)が1952万円、志帥会(二階派)が974万円、平成研究会(茂木派)が620万円、志公会(麻生派)が410万円、宏池政策研究会(岸田派)が212万円[29][31]。11月18日、NHKが上脇の告発内容や東京地検特捜部が5派閥の担当者に任意の事情聴取を要請し、聴取を進めていることなどを報じた[32]

同年12月1日、安倍派が所属議員が販売ノルマを超えて集めた分の収入を裏金として議員側にキックバックする運用を組織的に続けてきた疑いがあることが、朝日新聞によってスクープされた[33]。12月3日、二階派も所属議員が販売ノルマを超過して集めた分を派閥側の政治資金収支報告書の収入に記載しない運用をしていた疑いがあることが報じられた[34]。記載しなかった総額は安倍派と同じく1億円を超えるとされた(安倍派についてはその後、5億円に修正された[35][34]。岸田派の裏金の総額はこのときは報じられなかった。同月の宏池政策研究会の政治資金収支報告書の記載内容は下記のとおり。

宏池政策研究会
年月日 パーティー名 会場 収入 購入者数 出典
2018年4月23日 宏池会と語る会 東京プリンスホテル 1億7321万9460円 3,258人 [36]
2019年5月15日 宏池会と語る会 東京プリンスホテル 1億8292万3676円 3,034人 [37]
2020年10月5日 宏池会と語る会 東京プリンスホテル 1億5532万7470円 2,218人 [38]
2021年7月8日 宏池会と語る会 東京プリンスホテル 1億4966万9450円 2,528人 [39]
2022年5月18日 宏池会と語る会 東京プリンスホテル 1億8328万9780円 2,851人 [40]
(合計) 8億4442万9836円

同年12月7日付で岸田は派閥から離脱した[4][41]。後任は置かず、会長は空席とすることが定められた[42]

2024年1月18日、岸田派が2018年 - 2020年の3年間で約3000万円のパーティー収支を政治資金収支報告書に記載せずに裏金にしていたことが報道により明らかとなった[43]。同日、宏池政策研究会の2020年分の政治資金収支報告書のうち、政治資金パーティーの収入の「1億5532万7470円」を「1億6428万7470円」に修正した[38]。宏池会の元会計責任者が政治資金規正法違反容疑で立件される見通しとなったことを受けて、同日夜、岸田は宏池会の解散を検討していることを明らかにした[44]。1月19日、岸田は記者団の質問に対し「政治の信頼回復のために宏池会を解散する」と明言した[45]。同日、元会計責任者が同法違反(虚偽記入)の罪で略式起訴された[46]

同年1月23日、宏池会は臨時総会を開き、派閥の解散を正式に決定した[1]

東京簡易裁判所は1月26日付で元会計責任者に罰金100万円の略式命令を出した[47]

歴代会長

会長 派閥呼称 期間
1 池田勇人 池田派 1957年 - 1965年
2 前尾繁三郎 前尾派 1965年 - 1971年
3 大平正芳 大平派 1971年 - 1980年
4 鈴木善幸 鈴木派 1980年 - 1986年
5 宮澤喜一 宮澤派 1986年 - 1998年
6 加藤紘一 加藤派 1998年 - 2001年
- 分裂※1 加藤派→小里派→谷垣派
堀内派→丹羽・古賀派→古賀派
2001年
7 堀内光雄 堀内派 2001年 - 2006年
8 古賀誠※2 古賀派 2006年 - 2012年
9 岸田文雄 岸田派 2012年 - 2023年
- 空席※3 岸田派 2023年 - 2024年

※1 加藤の乱をきっかけに、加藤派と堀内派に分裂
※2 谷垣派が古賀派に合流
※3 岸田の派閥離脱に伴う。後任は置かない[41][42]
※4 太字は首相(総裁)経験者
※5 代数、期間は宏池会公式HPに拠る

解散時の構成

2024年1月現在。

役員

会長 会長代行 座長 副会長 事務総長 事務総長代行 事務局長 政策委員長 最高顧問
空席[42] 根本匠 林芳正 金子恭之
田村憲久
平井卓也
根本匠 小野寺五典
松山政司
木原誠二 宮沢洋一 (金子原二郎)

※根本匠は会長代行と事務総長を兼任

衆議院議員

田村憲久
(9回、三重1区
根本匠
(9回、福島2区
石田真敏
(8回、和歌山2区
小野寺五典
(8回、宮城6区
金子恭之
(8回、熊本4区
平井卓也
(8回、比例四国香川1区
上川陽子
(7回、静岡1区
寺田稔 
(6回、広島5区
葉梨康弘
(6回、茨城3区
石原宏高
(5回、比例東京東京3区
木原誠二
(5回、東京20区
盛山正仁
(5回、比例近畿兵庫1区
岩田和親
(4回、比例九州佐賀1区
古賀篤
(4回、福岡3区
國場幸之助
(4回、比例九州・沖縄1区
小島敏文
(4回、比例中国広島6区
小林史明
(4回、広島7区
武井俊輔
(4回、比例九州・宮崎1区
辻清人
(4回、東京2区
藤丸敏
(4回、福岡7区
堀内詔子
(4回、山梨2区
村井英樹
(4回、埼玉1区
渡辺孝一
(4回、比例北海道
畦元将吾
(2回、比例中国)
金子俊平
(2回、岐阜4区
国光文乃
(2回、茨城6区
西田昭二
(2回、石川3区
深澤陽一
(2回、静岡4区
林芳正
(1回・参院5回、山口3区
石橋林太郎
(1回、比例中国)
石原正敬
(1回、比例東海三重3区
金子容三
(1回、長崎4区
神田潤一
(1回、青森2区

(計33名)

参議院議員

松山政司
(4回、福岡県
宮澤洋一
(3回・衆院3回、広島県
磯﨑仁彦
(3回、香川県
古賀友一郎
(2回、長崎県
馬場成志
(2回、熊本県
森屋宏
(2回、山梨県
足立敏之
(2回、比例区
小鑓隆史
(2回、滋賀県
藤木眞也
(2回、比例区[48]
山本啓介
(1回、長崎県)
吉井章
(1回、京都府
小林一大
(1回、新潟県
越智俊之
(1回、比例区)

(計13名)

解散より前に離脱した人物

その他国政選挙落選・引退者

※は、国政選挙落選者、◆は、政界を引退した者、●は、故人。括弧内は、議員でなくなった時点での議会所属。

備考

  • 創設者の池田を始めとして広島県に圧倒的に強く、そのほか独立した派閥も含めると、領袖の出身地・地盤が京都府福岡県東北地方に偏っている[注 2]
  • 底なしで知られた創設者の池田以降、前尾、宮澤、岸田ら伝統的に酒豪の揃った派閥として知られ、会合や宴席では部外者が唖然とする光景が繰り広げられている[注 3]
  • 参議院議員の田中直紀(参2回・衆3回、新潟県)は、古賀派を経て中宏池会結成(2008年5月13日)にも参加していたが、無所属で民主党会派の衆議院議員・田中眞紀子の夫という立場でもあるため、2008年9月26日、「地元の事情」を理由に自由民主党に離党届を提出した。離党届が幹事長・細田博之預かりとなった後、10月15日に党本部から正式に離党を受理承認され、田中直紀は無所属となり、2009年8月に妻の田中真紀子と共に民主党に入党した。これは夫人からの選挙応援に差し障りがないようにするためと見られた[15][49][50]

脚注

注釈

  1. ^ 2000年11月の加藤の乱に伴う派閥分裂中は、 の二派閥に分裂していたものの、2008年5月13日中宏池会として統一された。
  2. ^ 広島は池田勇人、池田行彦。京都は前尾、谷垣(独立後)。福岡は田中六助、古賀、麻生(独立後)。東北は鈴木(岩手)、加藤(山形)。有力者と言われた伊東正義は福島、佐々木義武は秋田である。なお、宮澤と岸田は選挙区こそ広島であったが、出身はいずれも東京である。
  3. ^ ただし、大平は下戸だった。また、宮澤は人格が豹変することでも有名だった。

出典

  1. ^ a b c 【速報】岸田派が総会で解散を正式決定 最古の派閥が66年の歴史に幕 岸田首相は出席せず麻生氏らと会談”. FNNプライムオンライン (2024年1月23日). 2024年1月23日閲覧。
  2. ^ a b c 宏池会60年 外交政策 核廃絶 試される実行力”. ヒロシマ平和メディアセンター. 中国新聞社 (2017年4月28日). 2024年1月22日閲覧。
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参考文献

関連項目

外部リンク