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若里(わかさと)は、長野県長野市の市街地南部にある町名。現行行政地名は若里一・二・三・四・五・六・七丁目住居表示実施済み区域である。郵便番号は、380-0928

若里
ビッグハット(若里三丁目)
ビッグハット(若里三丁目)
若里の位置(長野市内)
若里
若里
若里の位置
北緯36度37分55.80秒 東経138度11分32.45秒 / 北緯36.6321667度 東経138.1923472度 / 36.6321667; 138.1923472
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 Flag of Nagano Prefecture.svg 長野県
市町村 Flag of Nagano, Nagano.svg 長野市
地区 芹田地区
人口
2014年平成26年)4月1日現在)[1]
 • 合計 5,835人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
380-0928
市外局番 026
ナンバープレート 長野
※座標は芹田公民館付近

目次


概要編集

地区の南端には犀川が流れ、東端を国道18号が通る。中央部には長野県道372号三才大豆島中御所線(日赤通り)が東西に横切る。接する大字町丁は以下の通り。

長野駅の南に位置し、副都心として多くの医療・文化施設が集まる。地区内には昭和50年代に若里公園長野県県民文化会館県立長野図書館)・長野赤十字病院などが置かれ、次いで1998年平成10年)の長野オリンピック前後に長野市若里多目的スポーツアリーナ(ビッグハット)・長野市若里市民文化ホール長野市保健所などが置かれた。

古くは、現在の長野赤十字病院付近の犀川に市村の渡しが置かれていた。1611年慶長16年)に丹波島の渡し北国街道の犀川渡河として定められるまで、小市の渡しとともに北国の交通を担ってきた重要な渡し(舟渡し)であった。現在渡しのあった付近に橋は架かっていないが、長野市都市計画マスタープランではこの付近の犀川両岸を何らかの形で結ぶ構想が示されている[2]

地区内の人口および世帯数は以下の通り(平成26年4月1日現在)[1]

世帯 人口
若里一丁目 704世帯 1,411人
若里二丁目 438世帯 937人
若里三丁目 336世帯 718人
若里四丁目 450世帯 909人
若里五丁目 560世帯 1,271人
若里六丁目 238世帯 532人
若里七丁目 32世帯 56人
大字若里(南市) 1世帯 1人
2,759世帯 5,835人

沿革編集

若里の範囲は、概ね1876年明治9年)時点の上水内郡若里村の範囲に相当する。

旧若里村の歴史
長野市若里の歴史

旧町名編集

若里地区では、1999年(平成11年)と2003年(平成15年)に住居表示が実施された。住居表示実施前の町名と現在の町丁名は、概ね以下の通りである[4]

旧町名 現在の町丁名
荒木(あらき) 若里一丁目
および 若里四・五丁目の各一部、中御所四丁目の一部
北市(きたいち) 若里二丁目
および 若里三・四丁目の各一部
南市(みなみいち) 若里三丁目
および 若里四・五・六・七丁目の各一部、大字若里
若里中央(わかさとちゅうおう) 若里五丁目
および 若里六丁目の一部
若里西町(わかさとにしまち) 若里五丁目

交通編集

路線バス

長野県道372号三才大豆島中御所線(日赤通り)・市道長野駅東口線上にアルピコ交通川中島バス)・長電バス長野市循環型乗合タクシーの以下の路線系統が走っている。長野赤十字病院が立地することもあって、運行本数は多い。

施設編集

若里一丁目編集

北部に若里公園が広がる。

若里二丁目編集

アパートが多い住宅地。

若里三丁目編集

東半分の長野中央市場跡地に、ビッグハットを始めとして長野五輪に伴い作られた施設が集まる。

若里四丁目編集

東半分は信州大学工学部キャンパスで占められる。

若里五丁目編集

 
長野赤十字病院

東半分は長野赤十字病院と市営団地で占められる。

若里六丁目編集

ほとんどが鐘紡長野工場の跡地で占められ、跡地に美術館保健所などの施設が建てられている。

若里七丁目編集

南半分は工場団地が広がる。

大字若里(南市)編集

住居表示未実施地区。ほぼすべてみすずコーポレーションの敷地で占められる。

脚注編集

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  1. ^ a b 長野市町別人口及び世帯数 - 長野市企画政策部企画課
  2. ^ 『長野市都市計画マスタープラン』第3編 地域別街づくり構想 - 長野市都市整備部都市計画課
  3. ^ 『角川日本地名大辞典 20 長野県』角川書店、1990年(ISBN 4040012003
  4. ^ 長野市の大字(町)区域名称 - 長野市総務部庶務課

外部リンク編集