山田町
山田町(やまだまち)は、岩手県沿岸中部の三陸地方に位置する、太平洋に面する町である。
やまだまち 山田町 | |||||
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国 |
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地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 岩手県 | ||||
郡 | 下閉伊郡 | ||||
市町村コード | 03482-7 | ||||
法人番号 |
2000020034827 ![]() | ||||
面積 |
262.81km2 | ||||
総人口 |
14,402人 [編集] (推計人口、2021年2月1日) | ||||
人口密度 | 54.8人/km2 | ||||
隣接自治体 | 宮古市、上閉伊郡大槌町 | ||||
町の木 | すぎ | ||||
町の花 | はまなす | ||||
町の鳥 | うみねこ | ||||
山田町役場 | |||||
町長 | 佐藤信逸 | ||||
所在地 |
〒028-1392 岩手県下閉伊郡山田町八幡町3番20号 北緯39度28分3.6秒東経141度56分56.1秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
中心的産業はリアス式海岸を利用した養殖を中心とする漁業や観光であるが、山間部を中心に中小工場が稼働している。
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で、中心街を含む海岸部が大きな津波被害を受け、復興に取り組んでいる。
地理編集
太平洋に面した町で、リアス式海岸である船越湾の北部と、船越半島、山田湾で海岸に面している。関口川や織笠川が山田湾に注ぎ、関口川河口のやや南に山田港があり、周辺に鉄道駅や役場、病院などが集中する。町の西端は高滝森で、西部一帯は、津軽石川の上流部の流域となっている。
2011年(平成23年)3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、地殻変動によって当地域の地盤が東南東へ25cmずれたことが、GPS(全地球測位システム)を用いた国土地理院測地観測センターによる分析の結果、明らかとなった[1]。
- 山地 :高滝森(たかだきもり)、十二神山(じゅうにしんざん)、霞露ヶ岳(かろがだけ)
- 川・水系 :津軽石川(つがるいしかわ)、関口川(せきぐちかわ)、織笠川(おりかさかわ)
- 湾・海岸 :船越湾、山田湾
隣接する市町村編集
- cf. 岩手県の市町村全図 :≪外部リンク≫ “県内各市町村”. (公式ウェブサイト). 岩手県. 2011年5月5日閲覧。
歴史編集
沢田地区の遺跡からは、縄文時代前期(約6000年前)の集落跡が発見されている。房の沢遺跡の古墳からは、蝦夷の首長の副葬品と思われる蕨手刀と直刀が出土している。中世になると安倍氏や奥州藤原氏の勢力下となる。
鎌倉時代から室町時代には、国府などへ軍馬を提供するための公的な牧場が置かれ、閉伊氏や福士氏の一族が管理した。南部氏が領内統一し、盛岡藩が成立した後は、大槌代官所の管轄となる。江戸時代前期にはオランダ船が漂着するブレスケンス号事件が起きる。
太平洋戦争中は大日本帝国海軍航空隊の山田湾基地が置かれ、終戦間際に米軍による攻撃を受けた。終戦後は米軍基地を経て航空自衛隊の山田分屯基地が置かれた。
2011年3月11日の東日本大震災により町は大津波とそれが引き起こした津波火災に包まれ、JR東日本(当時)陸中山田駅周辺の17ヘクタールが焼失[2]するなど、高台の一部を残して町内は壊滅的被害を受けた。市街地の大幅な高台移転は、自家用自動車を運転しない高齢者の不便や道路の維持費といった問題が懸念されたため、陸中山田駅周辺に災害公営住宅など市街地を集約して、地盤を3メートルかさ上げしたうえで高さ10メートルの防潮堤で再度の津波から守る工事を実施した[2]。
年表編集
- 1935年(昭和10年)11月17日:国鉄(JR東日本の前身)山田線の豊間根駅と陸中山田駅が開業。
- 1936年(昭和11年)11月10日:国鉄山田線の織笠駅と岩手船越駅が開業。
- 1980年(昭和55年)7月17日:山田町(旧・山田町)出身の鈴木善幸が第70代内閣総理大臣に就任。
- 1983年(昭和58年)3月10日:国鉄山田線の織笠駅が無人駅となる。
- 1985年(昭和60年)10月20日:山田町が千葉県の山田町(現・香取市域)と姉妹都市提携。
- 1990年(平成2年)8月2日:山田町が青森県の平賀町(現・平川市域)と友好親善都市提携。
- 1999年(平成11年)5月:国道45号上に道の駅やまだが開業。
- 2000年(平成12年)5月13日:オランダのザイスト市(en、ユトレヒト州)と友好都市提携。
- 2002年(平成14年):三陸自動車道の山田道路が開通。
- 2002年(平成14年)8月2日:山田道路の山田南インターチェンジと山田インターチェンジが開業。
- 2003年(平成15年)8月31日:上山田町(長野県更級郡、現・千曲市)との姉妹都市提携を解消。
東日本大震災後編集
- 2011年(平成23年)3月11日:マグニチュード9.0の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)が発生し、山田町は震度5弱(観測地点:八幡町地区)を記録した[3]。さらにこの地震が引き起こした大津波によって町は壊滅状態となった[4][5]
- 町域の地盤は東南東へ25cmずれた (#)。
- 町域にあるJR東日本(山田線)の駅のうち、陸中山田駅と織笠駅は、周辺地域の駅同様、駅舎などが流失あるいは焼失し、線路にも多大な被害が出た[6]。
- 3月17日 :IBC岩手放送(在・盛岡市)が、震災以前から難聴エリアとなっていた山田町と大槌町の一部地域に情報提供するため、山田町に臨時FM放送局「IBCやまださいがいエフエム」を開局[7]。後に正式な中継局となる。
- 5月31日 :長期ボランティアに入っている茶人の為公史が、自分のトラックに搭載した移動茶室を用いて、山田町から他地域への情報発信を目的としたインターネット放送局「光の茶会」を開局。Ustreamで20:00-21:00に毎晩、定時放送を行っているほか、昼間、解説つきで復興状況を詳しく報告している。山田町からの数少ない情報発信手段である。
- 2019年(平成31年)3月23日:東日本大震災の影響で運休が続いていたJR山田線宮古駅 - 釜石駅間を復旧し、三陸鉄道に移管。
行政区域の変遷(市町村制施行以後)編集
行政編集
姉妹都市・友好都市編集
日本国内
日本国外
かつて姉妹都市提携を結んでいた町編集
経済編集
漁業が中心的産業であるが、かつての勢いはなく、そのため、町の人口も漸減傾向にある。
山田道路の完成など自動車交通は充実する一方で郊外化も進行しており、中心市街地は集客力を失い、衰退傾向が見て取れる。隣の宮古市・大槌町のような大型商業施設と呼べるものはないが、主に大沢地区に郊外型の店舗が集積するようになってきており、しまむらのような全国チェーンの進出も見られる。
漁業以外では、製造業の工場が、宮古市に隣接する豊間根地区にいくつか立地する。釜石市寄りの織笠・船越地区は目立った産業はないが、山と海に囲まれた自然豊かなロケーションを生かし、観光客向けの外食店や道の駅が営業している。
経済は退潮傾向にあるが、市町村合併の機運は小さい。北隣の宮古市は地理的距離があるうえ、宮古の経済規模も大きくないことから、依存度は総じて低い。南隣の大槌町は釜石市と緊密さを強めており、こちらも山田との関係性は薄い。
※以上は東日本大震災被災以前の状況である。
産業編集
水産業編集
郵便局編集
地域編集
人口編集
山田町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 山田町の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 山田町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
山田町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減を見ると、14.99%減の15,826人であり、増減率は県下33市町村中31位。
教育機関編集
幼稚園編集
小学校編集
- 山田町立山田小学校
- 旧山田町立山田南小学校の校舎を使用。
- 2020年(令和2年)4月に、山田北小学校、山田南小学校、大沢小学校、織笠小学校、大浦小学校、轟木小学校の6校が統合してできた。
- 山田町立船越小学校
- 山田町立豊間根小学校
- 2020年(令和2年)4月に荒川小学校と統合。
中学校編集
- 山田町立山田中学校
- 2020年(令和2年)4月に豊間根中学校と統合。
高等学校編集
交通編集
鉄道編集
路線バス編集
- ※2011年12月より両路線ともに運行を開始した。
道路編集
高速道路編集
一般国道自動車専用道路編集
- E45 三陸自動車道
一般国道編集
県道編集
主要地方道編集
一般県道編集
名所・旧跡・観光編集
- 山田町船越地区にある博物館。日本の商業捕鯨撤退を受けて、捕鯨の歴史を伝えるため1992年に開設された。学術的にも価値の高い世界最大級のマッコウクジラの骨格標本(体長17.6m)[8]を始めとして、主に様々な鯨の骨格標本を中心に、海洋の仕組みや海洋生物を展示している。
- 2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)では、津波により3階建て建物の最上階(約5m)まで海水や泥が流れ込み、漁具や標本など約7万点が流出した[9]。1階の展示室にあったマッコウクジラの骨格標本などは海水に浸かったものの無事で[10][8]、2017年7月15日に再開した(2019年10月の台風被害により再び休館中)。
出身著名人編集
明治生まれ
昭和生まれ
震災時の画像編集
関連項目編集
脚注編集
出典編集
- ^ 「震災後も地殻変動続く 岩手・山田町で25センチ」『朝日新聞』2011年3月20日
- ^ a b 【大震災 再生の歩み】2020年11月/市街地再建:まち集約 山田を守る『読売新聞』朝刊2020年11月11日(特別面)
- ^ “震度データベース検索”. (公式ウェブサイト). 気象庁 (2011年3月11日). 2011年5月5日閲覧。
- ^ “無線から「壊滅的な状態」「何も残っていない」…迫る72時間、自衛隊など懸命な捜索活動”. MSN産経ニュース(ウェブサイト). 産業経済新聞社 (2011年3月14日). 2011年3月14日閲覧。
- ^ “「網も燃料もない」 三陸の漁港、壊滅的被害”. MSN産経ニュース(ウェブサイト). 産業経済新聞社 (2011年3月23日). 2011年3月23日閲覧。
- ^ “【東日本大震災】JR東日本、太平洋沿岸の23駅流失”. SankeiBiz - MSN産経ニュース(ウェブサイト). 産業経済新聞社 (2011年4月1日). 2011年4月13日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2011年4月1日閲覧。
- ^ “IBCラジオが山田町に臨時FM局を開局-難聴エリアに災害情報届ける”. 盛岡経済新聞(ウェブサイト). 盛岡経済新聞社 (2011年3月19日). 2011年3月20日閲覧。
- ^ a b 津波乗り越えたクジラの標本「復興の象徴」 岩手・山田 asahi.com(ウェブサイト)朝日新聞社 2011年4月11日
- ^ 「被災クジラ標本 復活/岩手・山田 体長17メートル 町のシンボル/きょう公開 6年4カ月ぶり」『読売新聞』朝刊2017年7月15日
- ^ 鯨と海の科学館 再開目指す NHKニュース(ウェブサイト)NHK 2011年4月11日
- ^ “SKE松村香織 山田町で研究生ライブを”. 日刊スポーツ (2014年10月27日). 2014年12月23日閲覧。
外部リンク編集
- 公式ウェブサイト
- 山田町 (@info_yamada) - Twitter
- 山田町観光協会
- 山田町に関連する地理データ - オープンストリートマップ
- 地図 - Google マップ