1967年アメリカグランプリ

1967年アメリカグランプリ (1967 United States Grand Prix) は、1967年のF1世界選手権第10戦として、1967年10月1日ワトキンズ・グレン・グランプリレースコースで開催された。

アメリカ合衆国 1967年アメリカグランプリ
レース詳細
1967年F1世界選手権全11戦の第10戦
ワトキンズ・グレン(1956–1970)
ワトキンズ・グレン(1956–1970)
日程 1967年10月1日
正式名称 X United States Grand Prix
開催地 ワトキンズ・グレン・グランプリ・サーキット
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ワトキンズ・グレン
コース 恒久的レース施設
コース長 3.78 km (2.35 mi)
レース距離 108周 408.2 km (253.8 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)
ポールポジション
ドライバー ロータス-フォード
タイム 1:05.48
ファステストラップ
ドライバー イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス-フォード
タイム 1:06.0 (81周目)
決勝順位
優勝 ロータス-フォード
2位 ロータス-フォード
3位 ブラバム-レプコ

108周で行われたレースは、ロータスジム・クラークが2番手スタートから優勝し、チームメイトのグラハム・ヒルが2位、ブラバムデニス・ハルムが3位となった。

レース概要 編集

 
ロータス・49を駆るジム・クラークが優勝した。

ジム・クラークは最後の2周でマシンを労りながら走り、チームメイトのグラハム・ヒルに6秒差を付けてフィニッシュし、アメリカGP3勝目(そして最後となる)を挙げた。これはクラークにとって今シーズン3勝目で、そして通算23勝目であった。クラークは翌年4月にドイツでのF2レースで事故死したが、それまでにさらに2勝(次戦の最終戦メキシコGPと翌年の開幕戦南アフリカGP)を挙げて通算勝利数を25まで伸ばし、ファン・マヌエル・ファンジオを1勝上回りF1史上最多勝利を挙げた[1]

コーリン・チャップマンロータス・49が第3戦オランダGPに登場して以来、出走した7戦全てでポールポジションを獲得し、トラック上で最速のマシンであった。しかし、ロータス・49は信頼性に問題があり、シーズンの残り2戦の北米ラウンドを迎えた時点でドライバーズチャンピオンを争うのは、ディフェンディングチャンピオンのジャック・ブラバムデニス・ハルムブラバム勢のみだった。

金曜日の予選は雲と霧に覆われて薄暗い中で始まったが、天気がゆっくりと回復するにつれて、ロータスのマシンは再びはクラークとともに最速タイムをグラハム・ヒルの前に出した。土曜日ははるかにコンディションが上昇し、ほぼ全員が前日からタイムを縮めた。クラークはセッション後半に1分06秒07を出し、平均時速125 mph (201 km/h)の壁を破りポールポジションを決めたかに見えた。しかし、ヒルはポールポジションの賞金1,000ドルを獲得することを諦めず、クラークがフルタンクでマシンのハンドリングをチェックしていた時に、彼は1分05秒48を出してチームメイトのクラークからポールポジションを奪い取った。ベルギーGPで自身のアメリカ車イーグルウェスレイク英語版を初優勝に導いたダン・ガーニーは3番手、唯一のフェラーリを走らせるクリス・エイモンが4番手となった。

レース当日は8万人の観客が美しく明るい太陽に迎えられた。その前日の夜、フォード・コスワース・DFVエンジンの開発に75,000ポンドを投じたダゲナムイギリス・フォードで広報を務めるウォルター・ヘイズ英語版は、レースの最後にロータス・フォードの2人のドライバーによる優勝争いが行われていた場合、コイントスで勝者を決めるべきだと提案し、2人のドライバーの好成績に自信を示した。ドライバーたちは、メキシコで取り決めが覆される可能性があると判断して合意し、ヒルはコイントスに勝った。

レースが始まるとロータス勢が先行し、1周目が終わるとヒルはクラーク、ダン・ガーニー、ブラバム、クリス・エイモン、ハルム、ブルース・マクラーレンをリードした。2周目にガーニーがクラークを抜いて2位に上がり、その後すぐにハルムはエイモンとブラバムの前に出た。10周目にはクラークがガーニーを抜き返して2位に戻り、エイモンのフェラーリがペースを上げ始めた。彼はまずブラバムを抜き、21周目にハルムとガーニーを抜いて3位に浮上した。ガーニーはサスペンションが壊れて後退した。

エイモンは誰もが驚いたことに、ロータス勢との差を縮めたが、ヨアキム・ボニエクーパーを周回遅れにしようとして4秒を失った。彼は再びインを閉め、曲がったセクションまで先行したが、速いコーナーで追い抜かれた。ロータス勢とエイモンの上位3台は周回遅れのジョー・シフェールジョン・サーティースを抜いたが、サーティースはエイモンの手信号に異議を唱え、3周遅れにもかかわらずブレーキングを遅らせてエイモンの前に出たが、サーティースは61周目に失火を起こし、エイモンは再びロータス勢への追撃体制に入った。前戦イタリアGPホンダ・RA300にデビューウィンをもたらしたサーティースだったが、本レースは予選から燃料バッグのバリ[注 1]によってエンストを起こして11番手に終わり、決勝も6位まで浮上したが同様のトラブルによって2回のピットインを強いられ、最後はバッテリーが上がってリタイアした[2]

ヒルはクラッチが固まってしばらくギアを変更することができず、クラークに首位を明け渡した。クラークが先頭に立つと、エイモンは65周目にヒルを捉えた。ヒルがギアチェンジに苦労する間に、エイモンは2位に浮上した。しかし、エイモンが76周目に突然油圧が下がって2位に戻った。8周後、ヒルが再びギアチェンジ不能になると、エイモンは96周目まで2位をキープしたが、エンジンのオイルが切れて破損しリタイアした[3]

ヒルは前夜「勝った」と主張していたが、その主張を受け入れるにはあまりにも遅れていたため、クラークは帰ってしまった。その後、106周目の途中でクラークの右リアサスペンションの上部支持材が壊れ、ホイールが内側にたるんでしまった。クラークはダメージを評価するために首をかがめ、特に左カーブで細心の注意を払いながら、ゴールに向かってマシンを動かし始めた! ヒルとの差は残り2周の時点で45秒あったが、最終ラップに入ると23秒まで縮まった。緑と黄色のロータスのマシンは両方ともトラブルを抱えながら、最後の1周をゆっくりと走行した。最終的にクラークはヒルに6秒差でフィニッシュした。

ハルムは最後にロータス勢に仕掛けることができたかもしれなかったが、彼のエンジンは燃料不足によりスパッタリングしていたため3位に終わった。クラークが勝ったことにより、ブラバムとハルムのブラバム勢によるドライバーズチャンピオンの決定は、3週間後の最終戦メキシコGPに持ち越しとなった。

エントリーリスト 編集

チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
  ブラバム・レーシング・オーガニゼーション 1   ジャック・ブラバム ブラバム BT24 レプコ 740 3.0L V8 G
2   デニス・ハルム
  ホンダ・レーシング 3   ジョン・サーティース ホンダ RA300 ホンダ RA273E 3.0L V12 F
  クーパー・カー・カンパニー 4   ヨッヘン・リント クーパー T81B マセラティ 10/F1 3.0L V12 F
21   ジャッキー・イクス T86
  チーム・ロータス 5   ジム・クラーク ロータス 49 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
6   グラハム・ヒル
18   モイセス・ソラーナ
  オーウェン・レーシング・オーガニゼーション 7   ジャッキー・スチュワート BRM P115 BRM P75 3.0L H16 G
8   マイク・スペンス P83
  スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 9   クリス・エイモン フェラーリ 312/67 フェラーリ 242 3.0L V12 F
  アングロ・アメリカン・レーサーズ 11   ダン・ガーニー イーグル T1G ウェスレイク 58 3.0L V12 G
  ブルース・マクラーレン・モーターレーシング 14   ブルース・マクラーレン マクラーレン M5A BRM P142 3.0L V12 G
  ロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシングチーム 15   ジョー・シフェール クーパー T81 マセラティ 9/F1 3.0L V12 F
  ヨアキム・ボニエ・レーシングチーム 16   ヨアキム・ボニエ クーパー T81 マセラティ 9/F1 3.0L V12 F
  レグ・パーネル・レーシング 17   クリス・アーウィン BRM P83 BRM P75 3.0L H16 F
  ギ・リジェ 19   ギ・リジェ ブラバム BT20 レプコ 620 3.0L V8 F
  マトラ・スポール 22   ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ MS7 フォードコスワース FVA 1.6L L4 G
  カストロール・オイルズ・リミテッド 30   アル・ピース 1 イーグル T1F クライマックス FPF 2.8L L4 G
ソース:[4]
追記
  • ピンク地F2マシンで参加
  • ^1 - エントリーしたが出場せず[5]

結果 編集

予選 編集

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 6   グラハム・ヒル ロータス-フォード 1:05.48 - 1
2 5   ジム・クラーク ロータス-フォード 1:06.07 +0.59 2
3 11   ダン・ガーニー イーグル-ウェスレイク 1:06.64 +1.16 3
4 9   クリス・エイモン フェラーリ 1:06.65 +1.17 4
5 1   ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 1:06.73 +1.25 5
6 2   デニス・ハルム ブラバム-レプコ 1:07.45 +1.97 6
7 18   モイセス・ソラーナ ロータス-フォード 1:07.88 +2.40 7
8 4   ヨッヘン・リント クーパー-マセラティ 1:07.99 +2.51 8
9 14   ブルース・マクラーレン マクラーレン-BRM 1:08.05 +2.57 9
10 7   ジャッキー・スチュワート BRM 1:08.09 +2.61 10
11 3   ジョン・サーティース ホンダ 1:08.13 +2.65 11
12 15   ジョー・シフェール クーパー-マセラティ 1:08.25 +2.77 12
13 8   マイク・スペンス BRM 1:09.01 +3.53 13
14 17   クリス・アーウィン BRM 1:09.64 +4.16 14
15 16   ヨアキム・ボニエ クーパー-マセラティ 1:09.78 +4.30 15
16 21   ジャッキー・イクス クーパー-マセラティ 1:09.94 +4.46 16
17 19   ギ・リジェ ブラバム-レプコ 1:11.32 +5.84 17
18 22   ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ-フォード 1:12.05 +6.57 18
ソース:[6][7]
追記
  • ピンク地F2マシンで参加

決勝 編集

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 5   ジム・クラーク ロータス-フォード 108 2:03:13.2 2 9
2 6   グラハム・ヒル ロータス-フォード 108 +6.3 1 6
3 2   デニス・ハルム ブラバム-レプコ 107 +1 Lap 6 4
4 15   ジョー・シフェール クーパー-マセラティ 106 +2 Laps 12 3
5 1   ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 104 +4 Laps 5 2
6 16   ヨアキム・ボニエ クーパー-マセラティ 101 +7 Laps 15 1
7 22   ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ-フォード 101 +7 Laps 18
Ret 3   ジョン・サーティース ホンダ 96 オルタネーター 11
Ret 9   クリス・エイモン フェラーリ 95 エンジン 4
Ret 7   ジャッキー・スチュワート BRM 72 燃料噴射装置 10
Ret 21   ジャッキー・イクス クーパー-マセラティ 45 オーバーヒート 16
Ret 19   ギ・リジェ ブラバム-レプコ 43 エンジン 17
Ret 17   クリス・アーウィン BRM 41 エンジン 14
Ret 8   マイク・スペンス BRM 35 エンジン 13
Ret 4   ヨッヘン・リント クーパー-マセラティ 33 エンジン 8
Ret 11   ダン・ガーニー イーグル-ウェスレイク 24 サスペンション 3
Ret 14   ブルース・マクラーレン マクラーレン-BRM 16 水漏れ 9
Ret 18   モイセス・ソラーナ ロータス-フォード 7 イグニッション 7
ソース:[8]
ファステストラップ[9]
ラップリーダー[10]
追記
  • ピンク地F2マシンで参加

第10戦終了時点のランキング 編集

  • : トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半5戦のうちベスト4戦がカウントされる。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ ホンダRA273まで横浜ゴム製の米軍規格に合った高級な燃料バックを使用していたが、ローラとの合作であるRA300は、英国製の安いレーシングカー用の燃料バッグに変更されていた。

出典 編集

  1. ^ (林信次 1995, p. 36,57)
  2. ^ (中村良夫 1998, p. 225-226)
  3. ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 231)
  4. ^ USA 1967 - Race entrants”. STATS F1. 2019年6月27日閲覧。
  5. ^ USA 1967 - Result”. STATS F1. 2019年6月27日閲覧。
  6. ^ USA 1967 - Qualifications”. STATS F1. 2019年6月26日閲覧。
  7. ^ USA 1967 - Starting grid”. STATS F1. 2019年6月26日閲覧。
  8. ^ 1967 United States Grand Prix”. formula1.com. 2014年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月26日閲覧。
  9. ^ USA 1967 - Best laps”. STATS F1. 2019年6月26日閲覧。
  10. ^ USA 1967 - Laps led”. STATS F1. 2019年6月26日閲覧。
  11. ^ a b United States 1967 - Championship”. STATS F1. 2019年3月21日閲覧。

参照文献 編集

  • en:1967 United States Grand Prix(2019年5月25日 9:57:02(UTC))より翻訳
  • Doug Nye (1978). The United States Grand Prix and Grand Prize Races, 1908-1977. B. T. Batsford. ISBN 0-7134-1263-1
  • Henry N. Manney (December, 1967). "U. S. Grand Prix". Road & Track, 77-81.
  • 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6 
  • 中村良夫『F-1グランプリ ホンダF-1と共に 1963-1968 (愛蔵版)』三樹書房、1998年。ISBN 4-89522-233-0 
  • アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2 

外部リンク 編集

前戦
1967年イタリアグランプリ
FIA F1世界選手権
1967年シーズン
次戦
1967年メキシコグランプリ
前回開催
1966年アメリカグランプリ
  アメリカグランプリ 次回開催
1968年アメリカグランプリ