ホンダF1(Honda F1)は、モータースポーツ世界選手権「フォーミュラ1」で活動している日本のレーシングチーム。正式名称は、ホンダ・レーシング・F1チームHonda Racing F1 Team)。2015年以降はエンジンサプライヤーとして参戦している。母体は自動車メーカーの本田技研工業

ホンダF1
Honda.svg
エントリー名 ホンダ・R&D・カンパニー (1964 - 1966)
ホンダ・レーシング (1967 - 1968)
ラッキーストライク・ホンダ・レーシング・F1チーム (2006)
ホンダ・レーシング・F1チーム (2007 - 2008)
Honda Racing F1 Team logo.png
チーム国籍 日本の旗 日本
チーム本拠地 日本の旗 日本 東京 (1964)
オランダの旗 オランダ アムステルダム (1965 - 1966)
イギリスの旗 イギリス バークシャー スラウ (1967 - 1968)
イギリスの旗 イギリス ノーサンプトンシャー ブラックレー (2006 - 2008)
日本の旗 日本 栃木県さくら市 (2006 - 2008, 2015 - 現在)
イギリスの旗 イギリス バッキンガムシャー ミルトン・キーンズ (2015 - 現在)
主なチーム関係者 日本の旗 中村良夫
イギリスの旗 ロス・ブラウン
イギリスの旗 ニック・フライ
日本の旗 田辺豊治
主なドライバー アメリカ合衆国の旗 ロニー・バックナム
アメリカ合衆国の旗 リッチー・ギンサー
イギリスの旗 ジョン・サーティース
イギリスの旗 ジェンソン・バトン
ブラジルの旗 ルーベンス・バリチェロ
以前のチーム名称 ラッキーストライク・B・A・R・ホンダ
撤退後 ブラウンGP・フォーミュラワン・チーム
F1世界選手権におけるチーム履歴
参戦年度 シャーシメーカーとして:
1964 - 1968 , 2006 - 2008
エンジンメーカーとして:
1964 - 1968 , 1983 - 1992 , 2000 - 2008 , 2015 - 2021[1]
出走回数 シャーシメーカーとして:
88
エンジンメーカーとして:
460 (459スタート)
コンストラクターズ
タイトル
シャーシメーカーとして:
0
エンジンメーカーとして:
6 (1986, 1987, 1988, 1989, 1990, 1991)
ドライバーズ
タイトル
シャーシメーカーとして:
0
エンジンメーカーとして:
5 (1987, 1988, 1989, 1990, 1991)
優勝回数 シャーシメーカーとして:
3
エンジンメーカーとして:
78
通算獲得ポイント シャーシメーカーとして:
157
エンジンメーカーとして:
2,681.5
表彰台(3位以内)回数 シャーシメーカーとして:
9
エンジンメーカーとして:
199
ポールポジション シャーシメーカーとして:
2
エンジンメーカーとして:
80
ファステストラップ シャーシメーカーとして:
2
エンジンメーカーとして:
67
F1デビュー戦 シャーシメーカーとして:
1964年ドイツGP
エンジンメーカーとして:
1964年ドイツGP
初勝利 シャーシメーカーとして:
1965年メキシコGP
エンジンメーカーとして:
1965年メキシコGP
最後のレース シャーシメーカーとして:
2008年ブラジルGP
エンジンメーカーとして:
2020年アブダビGP
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歴史編集

ホンダのF1参戦は、シャシー、エンジン含め全て自社製造しフルワークス体制でチームとして参戦した1964年から1968年の第1期、1983年から1992年までの第2期はエンジンメーカーとして、エンジンの開発や既存のチームとの提携などを行っていました、後にフルワークス体制のホンダF1チームに移行した2000年から2008年の第3期、エンジンとエネルギー回生システム(ERS)をパッケージしたパワーユニットのサプライヤーとしての2015年からの第4期に分かれる。

なお、厳密にいえば、参戦体制は、第1期・第2期・第4期の参戦は本田技研工業及び本田技術研究所によるものであり、2006年以降を含む第3期参戦は本田技研工業により1999年にイギリスに設立されたホンダ・レーシング・ディベロップメント(HRD)社によるものである。

第1期編集

 
RA271(1964年)

1964年にF1参戦した当時のホンダは、マン島TTレースを制したものの、単なるオートバイメーカーに過ぎず、四輪車は軽トラックを発売しただけという四輪車メーカーとしては弱小メーカーでしかなかった。F1参戦の準備は、順風満帆の2輪部門の陰でこっそりと行われ、当初はエンジンサプライヤーとして参戦する予定だった。

1961年からF1の排気量は1.5Lと決まっており、横置きの1.5LV型12気筒エンジンを開発することに決定。エンジン技術者である中村良夫は、開発したエンジンを使ってもらうコンストラクターを探し始める。フェラーリBRMは自社製エンジンを使っているため除外され、ブラバムロータスクーパーのうちブラバムにほぼ内定した。その後ブラバムのシャシーに載せることを前提にエンジンの熟成が進められた。

1963年秋、ロータスのコーリン・チャップマンが急きょ来日、ホンダ本社に訪れこう言った。「2台走らせるロータス・25のうち1台はクライマックスエンジンを載せるが、もう1台にホンダを載せたい。場合によってはジム・クラークにドライブさせてもいい」と。これを機にコンストラクターはブラバムからロータスに変更され、エンジン開発もロータス・25にあわせて行われた。

ところが参戦を予定していた1964年2月、チャップマンから電報が届いた。「2台ともクライマックスエンジンでやる。ホンダのエンジンは使えなくなった。あしからず」というものだった[2]。コンストラクターを探す時間はなく、自社でシャシーを造るフルコンストラクターとして参戦することになった。

急きょシャシーを急造することになるが、ナショナルカラーの問題が発生する。1960年代のF1マシンは国ごとにナショナルカラーが決まっており、イギリスはブリティッシュグリーン、フランスはブルー、イタリアはレッド、ドイツはシルバーという具合だった。日本は初出場なためナショナルカラーは決まっていなかった。宗一郎が好きな色だったゴールドが提案されたがすでに南アフリカが登録済み、日の丸をイメージした白と赤を申し出たがかなわず、アイボリーホワイトに日の丸を入れたものに決定した[3]

 
初優勝を果たしたRA272(ホンダコレクションホール所蔵)

1964年8月2日のドイツGPニュルブルクリンク)で初参戦[4]。チャップマンから絶縁電報を受け取ってからわずか6か月後のことであった。

1965年には全戦出場し最終戦の第10戦メキシコGPリッチー・ギンサーが念願の初優勝を果たすが、これは1.5Lエンジン時代のF1最終戦での勝利であると同時に、その後F1に参加したタイヤメーカーの中では最多の368勝をあげることになるグッドイヤーの初勝利でもあった。

1966年に大幅なレギュレーションの改正が行われ、エンジンの排気量がそれまでの1.5Lから倍の3.0Lになった。ホンダはこのレギュレーションに対応するべく新しいV型12気筒エンジンの開発を行ったが、既存のエンジンを結合したり、スポーツカーレースのカテゴリで使っていたエンジンを流用した他のチームと比べると、大幅に出遅れた。結局このシーズンは終盤のイタリアGPでようやくエンジンが完成して参戦した。同年のF2ではホンダエンジンを供給したブラバムが開幕11連勝を達成。最終戦でシーズン全勝は逃すものの、圧倒的な強さを見せた。

 
イタリアでの劇的なレースを制したRA300。このマシンはサーティースの仲介によってローラがシャーシーの制作に加わった。

1967年にはジョン・サーティースがチームに加入した。1964年のワールドチャンピオンの加入はチームに大きな力を与えた。このシーズンのドライバーはサーティース1人だけだったが、彼はホンダのマシンで優勝1回、3位1回と2回表彰台に昇り20ポイントを獲得、コンストラクターズランキング4位につけた。特に優勝したイタリアGPは2位のジャック・ブラバムに対してわずか0.2秒差での勝利で、この1967年の成績が第1期ホンダの最高成績となった。

1968年のワークスマシンは昨シーズンサーティースがイタリアで劇的な勝利をもたらしたRA300の進化版RA301であった。一方これとは別に、創始者の本田宗一郎が固執していた空冷エンジンV型8気筒)を搭載したRA302が制作され、この年のフランスGPに持ち込まれたが、スポット参戦でドライブしたジョー・シュレッサーが炎上死する悲劇に見舞われた。

この事故の後、ホンダはF1を撤退するのではないかとささやかれ始めた。この頃社会問題になっていた大気汚染に対する市販車用低公害型エンジン[5]の開発を理由として、結局1968年シーズン終了後F1活動休止を発表した。この年は初めてフォード・コスワース・DFVエンジンを搭載したマシンがドライバーズとコンストラクターズのチャンピオンになった。DFVエンジンの登場はグランプリからワークスチームの退場と、プライベーターチームの百花繚乱をもたらした。

第2期編集

 
スピリット201C・ホンダ(1983年)
 
ウィリアムズFW10・ホンダ(1985年)
 
マクラーレンMP4/5・ホンダ(1989年)
 
ターボエンジン・RA168E(1988年)。この年マクラーレンのプロストとセナによってイタリアGP以外のすべてのレースに勝利した

ルノーによって先鞭が付けられたターボエンジンの登場は、自動車メーカーに対してF1へのカムバックを促した。ホンダはまず国際F2選手権全日本F2選手権にエンジン供給を行い、1983年スピリットチームにエンジンを供給するというかたちでF1への復帰を果たした。その年の最終戦南アフリカGPからウィリアムズへのV型6気筒エンジンRA163Eの供給を開始し、翌1984年第9戦アメリカGPケケ・ロズベルグにより復帰後初勝利をあげた。

開発初期にはターボラグの解消に悩まされたが、量販車の技術を応用した低燃費・高出力のターボエンジンの開発に成功。車載センサーからリアルタイムでデータを収集するテレメトリーシステムを導入し、衛星回線を通じて日本の研究所でも分析を行った。さらに1986年まで中嶋悟鈴鹿サーキットなどでウィリアムズシャシーを使ったエンジンテストを行いつつ、ヨーロッパでもホンダエンジンを搭載したラルトF2に参戦した。その後中嶋悟は1987年にロータス(この年からエンジンを供給)から日本人初のフル参戦を果たした。なお、ホンダは中嶋の個人スポンサーでもあった。

また第2期F1活動中の1980年代後半には、1986年1987年にはコンストラクターズ・タイトル、1987年にはネルソン・ピケのドライバーズ・タイトルを獲得した上に、1988年にホンダエンジンを搭載したマクラーレンが16戦中15勝し[6][7]アイルトン・セナがドライバーズ・タイトルを獲得した。さらに1989年にはマクラーレンのアラン・プロストが、1990年にはセナが再びチャンピオンに輝くなど、その当時ホンダのエンジンが最も高性能であり、コンストラクターは6年連続、ドライバーは5年連続でホンダエンジン搭載車が獲得したことから、「ホンダエンジンなくしては総合優勝を狙えない」とまで言われた。また、ホンダの活躍と中嶋の参戦、フジテレビジョンによる全戦中継が後押しした1980年代後半から1990年代前半にかけての日本国内のF1ブームでは、当時人気を博したセナと蜜月関係を結び、「F1のホンダ」として大いに知名度を高めた。 

1991年には、中嶋が所属するティレルチームに対し、前年マクラーレンが使用したV型10気筒エンジンをベースとしたRA101Eを供給した。しかし、これは前年のコスワースDFRに比べて、重く大きくなったことからマシンバランスを崩すことになり、エンジンパワーの増加による駆動系の信頼性の問題と相まって、ステファノ・モデナモナコGPでの予選2位、カナダGPでの決勝2位という散発的な好リザルトは得るも、シーズン通しての好成績には結びつかなかった。

同1991年にマクラーレン・MP4/6には、V型12気筒エンジンRA121Eが搭載された。そしてブラジルGPにおいてアイルトン・セナがドライブするマシンは深刻なギアボックス・トラブルを抱えていた。4速を失ったのを始め、続いて3速・5速を失った。レース終盤にはついに6速のみで走行せざるを得なかった[8]が、セナは母国初優勝を果たした。このことは彼の秀逸なドライビングテクニックのみならず、ホンダエンジンの高い適応性を示した。

その後、ウィリアムズが優れた空力性能に加えてアクティブサスペンションなどハイテク装備で他チームを圧倒したことや、本田技研工業の世界各国での新車販売不振などにより、第2期F1活動は1992年に終了。この間ウィリアムズやマクラーレンなど多くのチームにエンジンを供給していたホンダは、1983年~1992年までの間だけで通算69勝をあげ、F1史上空前の強力なエンジンサプライヤーとして君臨した。F1撤退後の1993年には、かつてライバルだったフェラーリへ技術供与を行っていた。

無限ブランドとしての参戦編集

1992年には無限(現・M-TEC)が1991年にティレルに供給されたRA101Eをベースに独自に開発した無限MF351Hで、F1への参戦を開始[9]するなど、ホンダの撤退後もホンダの技術を元にしたエンジンはF1に参戦し続けた。

1996年にはモナコGPにてオリビエ・パニスリジェ)が無限ブランドとしての初勝利をあげ、この勝利を皮切りとして1998年ベルギーGPではジョーダンデイモン・ヒルが優勝、チームメイトのラルフ・シューマッハが2位という、無限ブランドとして初(ジョーダンにとっても初)のワン・ツーフィニッシュを飾る。 1999年にはハインツ=ハラルド・フレンツェンフランスGPイタリアGPにてそれぞれ優勝を飾った。なお、フレンツェンのF1生涯における3回の優勝のうち、2回が無限エンジンでの勝利であった。

2000年もシーズン終了までジョーダンにエンジン供給がなされる予定であったが、この年からホンダブランドでB・A・Rのために開発したエンジンを投入したことに伴い、シーズン途中からジョーダンにもホンダエンジンとしてのブランドのエンジンが供給されることが決定したため、2000年度をもってこのブランドでの参戦に幕を閉じた。

1992年から2000年にかけての無限ブランドの F1 における戦績は、通算4勝、ポールポジション1回、獲得総ポイント182ポイントであった。

第3期編集

シャシー製造への試み編集

 
RC-F1 1.5X(ホンダコレクションホール所蔵)
 
RA099(ホンダコレクションホール所蔵)

第2期活動の終盤、「エンジンだけでなく車体も造ってみたい」という社内有志の希望により、水面下でリサーチカーの試作が行われた[10]。1991年末にはV12エンジンを搭載するRC-F1 1.0X(現在ホンダ学園所蔵)、1992年にはモノコックを新造したRC-F1 1.5Xがテスト走行を行った。さらに、F1活動休止中の1996年にも、ステップドボトム仕様のRC-F1 2.0X(無限ホンダV10搭載)が製作された。1.5Xと2.0Xは黒一色のボディカラーから通称「カラス」と呼ばれた。

1998年には当時本田技研工業の社長だった川本信彦の口から「シャシー製造を含めたフルワークスによるF1参戦」が明言された。その後、イギリスにホンダ・レーシング・ディベロップメント (HRD) を設立し参戦準備を進め、デザインを日本で行いイタリアのダラーラがシャーシRA099の製作を担当して、1999年にテストドライバーにヨス・フェルスタッペンを起用してサーキット走行を行うところまで準備が進んだ。しかし、当時テクニカルディレクターを務めていたハーベイ・ポスルスウェイトバルセロナでのテスト中に急死したこと、またホンダ社内に根強く残る慎重論などを背景に、結局ホンダはフルワークスによる参戦を断念した。

エンジンサプライヤーとしての復帰編集

 
B・A・R 007に搭載されたRA005E

2000年に、B・A・Rへエンジン供給と車体の共同開発を行うという形でF1に復帰した[11]。2000年シーズンはすでにB・A・Rによってマシンが製作されていたため、本格的な車体の共同開発は2001年以降となる。

エンジン供給にとどまらず、2002年からはホンダ独自のギアボックスの開発が行われた[12]。当初はギヤなどの内部部品とマグネシウムケーシングの研究が行われた。マグネシウムケーシングに関しては2002年のB・A・R 004で採用されたが、B・A・Rがカーボンファイバーケーシングの採用を決定したことから開発はそちらに移行した[13]。内部部品のほうに関しては開発が継続され、2004年から実戦投入された。2005年には、変速時のパワーロスを無くすシームレスシフト(クイックシフト)を実戦投入した[14]。2006年以降他チームにも急速に広まっていった。

2001年と2002年にはジョーダンにもエンジン供給を行った。

2000年から始まった第3期では、第2期と異なりなかなか良い結果を残せずにいた。しかし、2004年シーズンは好成績を収めた。タイヤをブリヂストンからミシュランに変更したが、その変更にうまく対応できたB・A・R 006で11回表彰台に上り、コンストラクターズランキング2位へと躍進した。しかし、念願の第3期初優勝には手が届かなかった。同年末にはチームの株式45%を取得し、共同経営に乗り出した。

2005年シーズンは、開幕当初レギュレーション変更に伴う影響をマシン設計に十分反映できていなかったことから出遅れ、ようやく、第4戦サンマリノGPで3、5位でフィニッシュし復活の兆しを見せたと思われるや、レース後の車検で重量違反が発覚し、その後の裁定でサンマリノGPのリザルト取り消しおよびその後2戦(スペインGPモナコGP)の出場停止となってしまった。しかし、その後巻き返しを見せて、第8戦カナダGPポールポジションを獲得、第12戦ドイツGP、第16戦ベルギーGPではジェンソン・バトンが表彰台を獲得したが、コンストラクターズランキングは6位に終わった。

フルコンストラクターとしての参戦再開編集

2006年
2007年よりタバコ広告が全グランプリで禁止されることにともない、B・A・Rのメインスポンサーであるブリティッシュ・アメリカン・タバコ (BAT) が2006年限りで撤退することが決まっていた。そこで、ホンダはBATが保有する残り株式を取得し、38年ぶりに「純ホンダ」のワークスチームとして参戦することを決めた[15]
ドライバーはB・A・R時代からのエースであるバトンと、フェラーリから移籍のルーベンス・バリチェロ、サードドライバーにはアンソニー・デビットソンというラインアップ。また鈴木亜久里が新たに立ち上げたスーパーアグリにエンジンを供給し、ギアボックス等の開発にあたって技術支援も行った。
前半戦は成績不振が続き、B・A・R時代から技術部門を率いてきたジェフ・ウィリスに替えて、中本修平をシニア・エンジニアリング・ディレクターに任命した。第13戦ハンガリーGPでジェンソン・バトンが14位スタートながら波乱のレースを制して、優勝し第3期参戦としての初勝利を果たした。オールホンダとしては39年ぶりの優勝。後半戦はコンスタントにポイントを獲得して、コンストラクターズランキング4位で終了した。
2007年
 
展示されるRA107(2007年東京モーターショーにて)
2007年はバトン、バリチェロ共に残留、サードドライバーにスーパーアグリのレギュラーシートを獲得したデビッドソンに代わって前年レッドブルのレギュラードライバーだったクリスチャン・クリエンを迎えた。
ホンダは2007年に使用するマシンRA107のカラーとしてスポンサーロゴを使用せずに、宇宙から映し出される地球をイメージし、環境問題をテーマとしたカラーリングを発表した。ただしレギュレーションによって定められているノーズのマニュファクチャラーロゴと供給タイヤメーカーロゴはプリントされている。
このマシンを構成するカラーのピクセルをウェブ上で誰でも購入できるチャリティを展開した。イギリスGPからは、マシン上にピクセル購入した人の名前が小さな白文字で書かれた(環境問題に賛同すれば寄付金は、必ずしも必要でない)。リアウイングには「myearthdream.com」とチャリティサイトのアドレスが示された。
ホンダのエンジニアが初めて指揮を執って「低中速域でのダウンフォース向上」を目標にマシン開発を行なったが、シーズンオフのテスト段階からマシンの戦闘力の低さを露呈し、開幕後第7戦までノーポイントと成績が伸びず、事実上のBチームであるスーパーアグリにも遅れを取りチーム史上最悪の低迷期であった。第8戦フランスグランプリにおいてバトンがようやく初ポイント(8位・1pt)を記録したが、結局獲得ポイントは6点に終わった。コンストラクターズランキングは8位。
これらをふまえ、各分野での人材補強を着々と進めるため、ベネトンやフェラーリでミハエル・シューマッハの走りを支え、同年は休養していたロス・ブラウンをチーム代表に迎えることになった。
2008年
2008年もバトン、バリチェロ共に残留、リザーブドライバー兼テストドライバーに去年までウィリアムズをドライブしたアレクサンダー・ヴルツを迎えた。新代表に就任したロス・ブラウンは「3年計画」というものでの活動を発表した。なお、バリチェロとは、2005年のフェラーリ以来の同僚となった。
昨年の「my earth dream」を継続した形の「earth dreams」コンセプトを発表。昨年とは異なる物の地球環境をテーマとしたカラーリングを用い、地球環境問題の意識向上を謳っている。
2008年度のマシンRA108も、開幕前から戦闘力不足が囁かれていた。予選ではなかなかQ3に進むことができず、決勝でも入賞圏外から離れた位置でフィニッシュすることがたびたびであった。第9戦イギリスGPでは大混乱の雨の中タイヤ戦略が的中し、ルーベンス・バリチェロが3位入賞。自身3年ぶり、チームにとっても2年ぶりのポディウムとなった。しかし、その後一度も入賞できず、コンストラクターズランキング9位でシーズンを終えた。
また、5月27日に、ブラックレーのファクトリーがF1チームとして初のISO14001を取得した。
サーキット以外でもF1マシンが登場した。メイクウィッシュ・ジャパンの依頼により静岡市葵区県立こども病院に入院中の白血病の男の子の夢を叶えるために病院の中庭へF1マシンを持ち込み、その男の子は病室からストレッチャーに乗って移動、感動と感謝でF1マシンを眺めたという。

撤退とチーム売却編集

2008年シーズン終了後、チームは2009年から搭載が可能になる運動エネルギー回生システム (KERS) のテストを進め、来期のドライバーにはバリチェロに代わり、セナの甥であるブルーノ・セナルーカス・ディ・グラッシを起用すると噂された[16]

しかし、2008年12月5日、ホンダ社長の福井威夫が緊急記者会見を行い、2009年以降F1世界選手権シリーズから撤退する方針を発表した[17]。撤退の理由として、サブプライムローン問題に端を発した金融危機による業績の悪化に伴って、レーシングチームの維持費負担がホンダの経営を圧迫する恐れがあるため、経営資源の効率的な再配分が必要であることが挙げられた。なお、今回の記者会見では「2008年の成績や今後のレギュレーション変更が(撤退の)理由ではない」ことを明言している。「休止」ではなく「撤退」という表現を使用したことについては、「自動車産業の新しい時代に対処するというメッセージが入っている」と説明した[18]

ホンダはチームを解散せず、新オーナーへの売却によりF1参戦を継続することを目指しており、2009年1月12日にFIAが公表した2009年シーズンのエントリーリスト[19]には依然名前が残されていた。3月6日、チーム代表であったロス・ブラウンに全株式を売却したことが発表され、新チーム名は「ブラウンGP F1チーム」となった[20]。売却額が1ポンド(147円)と報道された[21]ように無償譲渡も同然であった[22]

 
ブラウン・BGP001として参戦したRA109

ホンダのチーム資産とRA109(改めブラウン・BGP001)を引き継いだブラウンGPは、2009年開幕戦で初出場、初優勝を遂げるなどし、最終的にはダブル・タイトルを獲得した、翌年からはチーム売却でメルセデスチームとして活動している。

なお、F1への投資額に関して、2007年はホンダが全F1参戦チームで最もコストが高かったという[23]。また、デイリーテレグラフによれば、ロス・ブロウン獲得とその後の「2009年向け開発」を重視しての先行開発費用がさらに増えることから、2008年も最も高いコストをかけたチームとなる模様だと伝えられてきた。他にもBBCが報じた2005-2009年のメーカー別F1投資額[24]では、撤退し参戦していない2009年を除き全ての年で最高額を投じている[25]

さらに「Pitpass」の報じた1950-2009年のF1の全歴史で投じた額[26]でも、ホンダは17億2000万ポンドでトップとなっている(2位はメルセデスの14億7000万ポンド、フェラーリは8億9100万ポンド)。

撤退後の2009年、当時のホンダ社長である伊東孝紳は「経済的に回復してもF1に復帰することはない」と述べた[27]。しかし、2014年からF1のエンジン規定が見直されることから、ホンダがF1に復帰するのではないかとの憶測が流れた[28]。2013年2月の記者会見で、伊東は「F1のレギュレーションも変わりつつあり、一方で我々の事業も安定してきている」「今は一生懸命勉強している最中です」とコメントした[29]

なお、F1エンジンの開発を担当していた一部エンジニアは、2006年から2008年までF1プロジェクトの技術担当だった中本修平によってHRCへと招聘され、ロードレース世界選手権に参戦しているRC212Vのエンジン及び電子制御システム開発を担当している。また撤退発表後も、ホンダの栃木研究所においてシャシー開発が引き続き行われていたことが、2012年に明らかになっている(詳細はブラウン・BGP001#幻のRA109を参照)。

第4期編集

第2期マクラーレンとのジョイント編集

 
マクラーレンMP4-30・ホンダ(2015年マレーシアグランプリ)

2013年5月16日、ホンダは緊急記者会見を開き、2015年よりパワーユニット(エンジンおよびエネルギー回生システム(ERS)。以下、PUと略す)のサプライヤーとしてF1へ復帰すると発表した[30][31]。2015年は第2期のパートナーだったマクラーレンのみと再び組むことになるが[32]、独占契約ではないため2016年以降は複数チームへ供給する可能性もある[33]。2015年2月10日には本田技研工業本社(東京都港区南青山)にて本田技研社長伊藤孝紳および新井康久F1プロジェクト総責任者がフェルナンド・アロンソおよびジェンソン・バトンの両選手同伴でF1復帰に関する記者会見を開いた[34]

2015年は一年を通じて信頼性やパフォーマンスに悩まされた。カナダGPではチームからの(パワー不足のため)燃料をセーブせよという無線の指示にアロンソが「こんなドライビング、まるでアマチュアのようじゃないか。僕はレースをする。燃料のことは後で集中するから」と断り[35]、ホンダのホームグランプリとなる日本GPでもアロンソが無線で「GP2のエンジンかよ! GP2だ!」とパワー不足のエンジンに不満を漏らした[36]。コンストラクターズランキング9位とマクラーレンは創立以来ワーストの結果となってしまった。

ただ、ここまで戦闘力不足が起きたのは理由がある。車体設計においては、空力的メリットを得るために車体後部をタイトに絞り込んだ「サイズゼロ」コンセプトを導入したが、そのアグレッシブな設計ゆえに冷却系の問題が発生[37]。また、エンジン全体の小型化を優先した関係で、MGU-H(熱エネルギー回生)の発電量不足やデプロイメント(エネルギーの使用配分)の問題にも悩まされ[38]、いわゆるパワー不足の原因となった[39]。また、2015年のレギュレーションは「シーズン開幕前にエンジンのホモロゲーションを行い、それをシーズン中使用する」という規定となっていた。ただ、この年はトークンシステム[40]によりホモロゲーションは事実上解除されていたが、2015年に参戦したホンダの場合、「新規参入メーカーはシーズン前にすべてのホモロゲーションを行う」という規定の対象となっていた。最終的にはトークンシステムの利用に基づいて開発した改良型エンジンの投入は開幕戦以降に行うことは認められていたものの、序盤戦は未利用のモデルで戦わざる負えず、前半戦は相対的な戦闘力不足もあった。ただ、ベルギーGPでの改良型の投入や最終戦アブダビGPでは、バトンがホンダPUよりも圧倒的に性能の優れているメルセデスPUを搭載するウィリアムズバルテリ・ボッタスを抑えたり、アロンソがレース中のラップタイムで3番目に速いタイムを出すなど、後半戦では性能の向上を果たしたモデルの投入して、コースによっては一定の戦闘力を発揮した。しかし、シーズン中にこの問題点が判明したからといっても、ホンダは他のメーカーに比べ使えるトークン数が少ないうえ、エンジン使用数の制限により、かつてのような物量作戦で実戦データを収集して改良するという手も使えなかった。そのため、時のシーズンで使用しているモデルのユニット別の改良は可能であったが、この制度上、2016年に行われたターボの大型化など[41]のエンジンの再設計を行ったモデルの投入は事実上禁止されていたため(ただし、再設計については他のメーカーも同様である)、2015年度中に抜本的な解決策は不可能であった。むしろ「サイズゼロ」コンセプトを選んだマクラーレンとそれを受け入れたホンダの失敗[42][43]という側面もあった。 ただ、この失敗は実は2014年のフェラーリが犯しており、2014年シーズン後にエンジンのコンパクト化に起因するパワー不足[44]とパワー不足を埋め合わせるほどの空力的アドバンテージ[45]はなかったと同チームの技術者らがコメントしている。そのため、マクラーレン側もシャシー設計の方針を誤った面もあり、全ての責がホンダにあるとは言えなかった。

2016年八郷隆弘社長は同年の目標を「安定的に予選10位以内から決勝に臨む」ことに定めた[46]定年に伴い退職する新井康久に代わり、長谷川祐介がF1プロジェクト総責任者に就任した[47][48]。 予選では度々Q3まで進出、決勝でもコンスタントに入賞できるようになりダブル入賞4回を記録。高速サーキットのイタリアGPではアロンソがファステストラップを記録し、同系統のコースであるベルギーGPで入賞するなど、ターボの大型化などのエンジンの再設計[41]やシャシーの見直し[49]により、前年に比べれば戦闘力の向上に成功した。だが、ホンダの地元日本GPでは前年同様不調に終わった。同GPでQ1敗退を喫したバトンは、高速サーキットの鈴鹿はマクラーレン・ホンダにとってカレンダーで最悪のサーキットの一つとコメント[50]し依然として苦戦が続いていた。表彰台には及ばなかったものの、コンストラクターズランキング6位まで浮上した。

2017年もマクラーレンへ独占供給を続ける[51]。長谷川祐介F1プロジェクト総責任者は「2017年の“現実的な目標”は表彰台」と語っている[52]。新車MCL32に搭載された「RA617H」はコンセプトを一新し、低重心化と軽量化を図りパワーを向上させたとしている[53]が、プレシーズンテストではトラブルが続出し、パワー不足も露呈してしまった[54]。ただし、パワー不足については、他メーカーのパフォーマンス改善がホンダを上回っていたと長谷川は語っている[55]。それでもアロンソは開幕2戦では渾身の走りで入賞圏内を走行していたが、いずれもパワーユニット以外のトラブルによりリタイアに終わった。そして第3戦バーレーンGPは信頼性及びパワーの低さの問題が如実に現れたレースとなってしまった。ストフェル・バンドーンがFP1およびFP2それぞれでMGU-Hのトラブルに見舞われ[56]、予選ではアロンソがMGU-Hのトラブルが発生[57]。決勝ではバンドーンのMGU-Hに再びトラブルが発生しスタートすらできず[58]、アロンソは「こんなパワー不足でレースをしたことはない!」と無線で叫ぶほどのパワー不足に泣かされるも、下位グループとのバトルを行いつつ走行していたが[59]、完走を目前にエンジントラブルが発生してリタイア(90%以上走行したため14位完走扱い)に終わった[60]。さらにロシアGPでもフリー走行でバンドーンのMGU-Kが故障し、早くも4戦目で規定を超える5基目のパワーユニット交換を強いられ、予選ではアロンソが再びパワー不足を嘆く無線が流れた[61]。決勝ではフォーメーションラップでアロンソのパワーユニット(以下PU)に不具合が出てスタートすらできなかった。スペインGPでもフリー走行でアロンソのPUにトラブルが発生したが、予選では初めてQ3に進出し7番グリッドを得た。モナコGPではバトン(インディ500に参戦したアロンソの代走)とバンドーンが揃ってQ3に進出した。しかし、高速サーキットのジル・ヴィルヌーヴ・サーキットで行われたカナダGPでは、決勝におけるアロンソのスピードトラップトップ317.6km/hに対し、トップのセバスチャン・ベッテルフェラーリ)は344.1km/hと26.5km/hも遅く、「彼らはストレートの途中で僕を抜いていった。こんなにスピード差があるのは危険でさえある」とアロンソは酷評した。それでもアロンソはレース終盤まで入賞圏内の10位を走行していたが、残り2周でエンジンがブローして入賞を逃した[62]。ここまでマクラーレンはチームワーストの開幕7戦ノーポイントとなってしまった。しかし第8戦アゼルバイジャンGPでアロンソが9位に入り、ようやく今季初入賞を果たした。その後、ハンガリーGPでアロンソが6位、バンドーンが10位にそれぞれ入賞し、ザウバーを逆転してコンストラクターズランキング最下位を脱し9位となった。

パートナーシップの終焉編集

この状況に業を煮やしたマクラーレンは、ホンダとの提携解消を示唆した[63]。一方、ホンダはマクラーレン以外のチームへのパワーユニット供給を模索し[64]、2018年からザウバーへカスタマーパワーユニットを供給することが決まった[65]。しかし、ザウバーのチーム代表がモニシャ・カルテンボーンからフレデリック・ヴァスールに交代してからは契約の解除が検討され[66]、7月27日に契約が白紙撤回された[67](翌28日にフェラーリとの契約を発表[68])。その後、トロ・ロッソとの交渉を行ったが一度決裂した[69]。しかし、第14戦シンガポールグランプリのフリー走行1回目の後に、供給されることが発表され[70]、同時に2015年から供給を行っていたマクラーレンとの契約を2017年いっぱいで解消することが発表された。契約解消発表後は入賞回数も増加し、アロンソは終盤3戦でポイントを獲得した。

シーズン終了後に長谷川F1プロジェクト総責任者が退任、運営体制も変更され、HRDさくらを担当する執行役員が研究開発をリードし、レース・テスト運営も統括する。また、F1プロジェクト総責任者のポジションは廃止され、現場の指揮に専念するテクニカルディレクターを新たに設置した。初代テクニカルディレクターは田辺豊治が務める[71]

この3年間に関して、元FOA会長のバーニー・エクレストンは「毎日毎日、彼らは協力して働くのではなく、あらゆることで戦いをしかけていた。愚かなことだ」とマクラーレン側の態度を批判した[72]。また、マクラーレン側がホンダに対して理不尽な態度を何度も繰り返した事を批判する声[73]、アロンソが政治的駆け引きからホンダを一方的に批判していると指摘する者[74][75]もいるなど、ホンダに対して同情的な声も聞かれた。

後年、当時ホンダのモータースポーツ部長を務めた山本雅史が、契約解消した経緯の一部を明かしている。マクラーレンとは3年+2年オプションの契約であり、オプションを行使した残り2年の契約に両社とも前向きであった。しかし、マクラーレン側は今シーズンの不振を補填する目的で、オプションから更に延長した3年契約を要求。これにホンダ側は難色を示したため、マクラーレンは正規のオプションも行使せず解消に至ったと説明している。また、本来であれば契約解消でホンダの契約先が無くなる不利な立場であったが、それ以前にレッドブル・レーシング関係者と水面下で接触しており、スクーデリア・トロ・ロッソとの締結を進めていた秘話を明かしている[76]

レッドブルグループ勢とのジョイント編集

2018年はトロ・ロッソへ単独供給を行う。開幕前のテストではPUに関するトラブルはほとんど見られず順調に周回をこなしたが[77][78]、開幕戦オーストラリアGPで早くもピエール・ガスリーのMGU-Hにトラブルが出てリタイア[79]ブレンドン・ハートレイはタイヤのトラブルに2回見舞われた影響で最下位の15位完走に終わり、厳しいスタートとなった。その後、第2戦でガスリーが4位入賞を果たし第4期における最高記録を更新したが、結果的にそれが唯一の見せ場となってしまい、マシントラブルの減少やQ3進出回数ではマクラーレンを上回っているなど明るいニュースも見られたが、テクニカルディレクターのジェームス・キーの離脱によるシャシー開発の停滞、チーム戦略やドライバーのミス、などにより十分な結果を残せず苦戦。また、マシン自体もマシン開発が後半の段階でのPU変更であったため、ホンダPU用に改設計する余裕がなく、全体的な戦闘力不足も生じた。そのため、トロ・ロッソとしてはコンストラクターズ9位と前年より後退し、かつてのパートナーだったマクラーレンを逆転するには至らなかった。

トロ・ロッソの親チームであるレッドブルが、ルノーとの関係悪化からホンダへパワーユニット供給元を変更する噂が各所から流れていたが[80][81]、6月19日にホンダと2019年から2年間の供給契約を締結したことを正式に発表した。トロ・ロッソへも引き続き供給を行う[82]。レッドブルチーム代表のクリスチャン・ホーナーは「今シーズンのホンダには大きな進歩が見られた。カナダGPで投入されたルノーとホンダの各新パワーユニットへの調査の結果、パワーユニット変更への決心が付いた」「純粋に技術的な理由により、これが将来に向けて正しい動きであるという結論に達した」[83]「初めて自動車メーカーと緊密に連携することになり、当初から車体とパワーユニットの融合を考慮したマシン造りができる」[84]とコメントしている。なお、レッドブル側はアストンマーティンとのタイトルスポンサー契約は継続する意向を示し、日英の自動車メーカーの名前が「1つのチームに並び立つ」ことになる[85]。更にターボチャージャーの開発・製造に関わる技術協力体制を強化すべく、IHIとテクニカルパートナーシップ契約を締結した[86]

 
2019ブラジルGPのホンダ1–2

2019年はレッドブルとトロ・ロッソの2チームに供給。レッドブルのマックス・フェルスタッペンが開幕戦オーストラリアGPで3位に入賞し、レッドブルとのパートナーシップ初戦で2008年イギリスGP以来、2015年のF1復帰後初の表彰台を獲得した[87]。メルセデスが開幕から連勝を続ける中で迎えた第9戦オーストリアGPでフェルスタッペンが優勝を果たし、ホンダにとっては2006年ハンガリーGP以来、2015年のF1復帰後初優勝となった[88]。さらに第11戦ドイツGPでは雨で大波乱となったレースでフェルスタッペンがシーズン2勝目をあげ、さらにトロ・ロッソのダニール・クビアトも3位に入り、1992年ハンガリーGP以来となるダブル表彰台を獲得した。さらに第12戦ハンガリーGPでは、フェルスタッペンがメルセデスのルイス・ハミルトンと名勝負を繰り広げた。しかし、終盤でタイヤがもたず、賭けに出たハミルトンに抜かされてしまった。第20戦ブラジルGPではフェルスタッペンがシーズン3勝目をあげ、さらにトロ・ロッソのピエール・ガスリーが2位に入り、1991年日本GP以来、2015年のF1復帰後初となる1-2フィニッシュとなった。

事業撤退へ編集

2020年10月2日17時に突如として翌2021年シーズン限りでF1事業からの撤退を発表。2050年のカーボンニュートラル実現に向けて経営資源を集中させるためだと八郷社長は説明した[89]。しかし、年間で見ればハミルトン擁するメルセデスには及ばないものの、レースでの優勝争いに貢献できるようになったため、将来への展望は明るいと見られ[90]、少なくとも、2019年アブダビグランプリの前後に2021年まで供給契約を延長することを発表[91]したことから、2022年以降も活動する計画を持っていると思われていた。また、予定では2024年までは現在のV6ハイブリッドパワーユニットが継続されるため[92]、2022年以降も供給するためのハードルが低めなことや現場のスタッフのコメントからは2022年以降も供給する意思を持っていたこと[93]から、撤退する可能性は低いと思われていた。一方で巨額の開発予算に伴う会社への負担[94]や会社の収益構造の課題による先行き不安[95][96]から、2022年以降の供給に対する不安要素もあった。だが、2015年復帰時には「二度と撤退しない」と公言し、会見で参戦を継続すべきだと声があったことを認めたこと[97]や現場の声からも撤退する様子を見せていなかったこと[98][99]から、この発表はあまりに突然過ぎる撤退表明であった。そのため、日本のF1ファンから多くの困惑と批判の声が上がり、モータースポーツメディアの国内最大手であるオートスポーツ誌すら感情的な記事を掲載するほどであった[100]

拠点編集

2018年現在は日本(HRD Sakura)とイギリス(HRD Milton Keynes)の2拠点体制となっている。2拠点間の時差を利用してほぼ24時間体制で開発が行われているという[101]

HRD Sakura
栃木県さくら市に所在。本田技術研究所の一部門であり、F1以外にSUPER GTスーパーフォーミュラ等の車両・エンジンの開発も行っているが[102]、全従業員の8割以上がF1に関わっているという[101]。主にパワーユニット(PU)の基礎開発などを担当する。
HRD Milton Keynes
イギリス・バッキンガムシャーミルトン・キーンズに所在。Honda R&D Europe(UK)の一部門である。主にレースの運用部門のエンジニアが常駐し、PUのメンテナンスを担当するほか、バッテリーパックの開発なども行っている[101]

F1での戦績編集

シャーシの結果編集

(key)

シャーシ エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 ポイント ランキング
1964 RA271 RA271E
1.5L V12
D MON NED BEL FRA GBR GER AUT ITA USA MEX 0 9位
  ロニー・バックナム Ret Ret Ret
1965 RA272 RA272E
1.5L V12
G RSA MON BEL FRA GBR NED GER ITA USA MEX 11 6位
  リッチー・ギンサー Ret 6 Ret Ret 6 14 7 1
  ロニー・バックナム Ret Ret Ret Ret 13 5
1966 RA273 RA273E
3.0L V12
G MON BEL FRA GBR NED GER ITA USA MEX 3 8位
  リッチー・ギンサー Ret NC 4
  ロニー・バックナム Ret 8
1967 RA273
RA300
RA273E
3.0L V12
G

F

RSA MON NED BEL FRA GBR GER CAN ITA USA MEX 20 4位
  ジョン・サーティース 3 Ret Ret Ret 6 4 1 Ret 4
1968 RA300
RA301
RA302
RA273E
3.0L V12
RA301E
3.0L V12
RA302E
3.0L V8
F

G

RSA ESP MON BEL NED FRA GBR GER ITA CAN USA MEX 14 7位
  ジョン・サーティース 8 Ret Ret Ret Ret 2 5 Ret Ret Ret 5 6
  ジョー・シュレッサー Ret
  デビッド・ホッブス Ret
  ヨアキム・ボニエ* 5
2006 RA106 RA806E
2.4L V8
M BHR MAL AUS SMR EUR ESP MON GBR CAN USA FRA GER HUN TUR ITA CHN JPN BRA 86 4位
  ルーベンス・バリチェロ 15 10 7 10 5 7 4 10 Ret 6 Ret Ret 4 8 6 6 12 7
  ジェンソン・バトン 4 3 10 7 Ret 6 11 Ret 9 Ret Ret 4 1 4 5 4 4 3
2007 RA107 RA807E
2.4L V8
B AUS MAL BHR ESP MON CAN USA FRA GBR EUR HUN TUR ITA BEL JPN CHN BRA 6 8位
  ジェンソン・バトン 15 12 Ret 12 11 Ret 12 8 10 Ret Ret 13 8 Ret 11 5 Ret
  ルーベンス・バリチェロ 11 11 13 10 10 12 Ret 11 9 11 18 17 10 13 10 15 Ret
2008 RA108 RA808E
2.4L V8
B AUS MAL BHR ESP TUR MON CAN FRA GBR GER HUN EUR BEL ITA SIN JPN CHN BRA 14 9位
  ジェンソン・バトン Ret 10 Ret 6 11 11 11 Ret Ret 17 12 13 15 15 9 14 16 13
  ルーベンス・バリチェロ DSQ 13 11 Ret 14 6 7 14 3 Ret 10 16 Ret 17 Ret 13 16 11

エンジンの結果編集

エンジン シャーシ タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 ポイント ランキング
1983 RA163E
1.5L V6t
スピリット・201
スピリット・201C
G BRA USW FRA SMR MON BEL DET CAN GBR GER AUT NED ITA EUR RSA 0 NC
  ステファン・ヨハンソン Ret Ret 12 7 Ret 14
ウィリアムズ・FW09   ケケ・ロズベルグ 5 2 11位
  ジャック・ラフィット Ret
1984 RA163E
1.5L V6t
RA164E
1.5L V6t
ウィリアムズ・FW09
ウィリアムズ・FW09B
G BRA RSA BEL SMR FRA MON CAN DET USA GBR GER AUT NED ITA EUR POR 25.5 6位
  ケケ・ロズベルグ 2 Ret 4 Ret 6 4 Ret Ret 1 Ret Ret Ret 8 Ret Ret Ret
  ジャック・ラフィット Ret Ret Ret Ret 8 8 Ret 5 4 Ret Ret Ret Ret Ret Ret 14
1985 RA164E
1.5L V6t
RA165E
1.5L V6t
ウィリアムズ・FW10 G BRA POR SMR MON CAN DET FRA GBR GER AUT NED ITA BEL EUR RSA AUS 71 3位
  ケケ・ロズベルグ Ret Ret Ret 8 4 1 2 Ret 12 Ret Ret Ret 4 3 2 1
  ナイジェル・マンセル Ret 5 5 7 6 Ret DNS Ret 6 Ret 6 11 2 1 1 Ret
1986 RA166E
1.5L V6t
ウィリアムズ・FW11 G BRA ESP SMR MON BEL CAN DET FRA GBR GER HUN AUT ITA POR MEX AUS 141 1位
  ナイジェル・マンセル Ret 2 Ret 4 1 1 5 1 1 3 3 Ret 2 1 5 Ret
  ネルソン・ピケ 1 Ret 2 7 Ret 3 Ret 3 2 1 1 Ret 1 3 4 2
1987 RA167E
1.5L V6t
ウィリアムズ・FW11B G BRA SMR BEL MON DET FRA GBR GER HUN AUT ITA POR ESP MEX JPN AUS 137 1位
  ネルソン・ピケ 2 DNS Ret 2 2 2 2 1 1 2 1 3 4 2 15 Ret
  ナイジェル・マンセル 6 1 Ret Ret 5 1 1 Ret 14 1 3 Ret 1 1 DNS
  リカルド・パトレーゼ 9
ロータス・99T   アイルトン・セナ Ret 2 Ret 1 1 4 3 3 2 5 2 7 5 Ret 2 DSQ 64 3位
  中嶋悟 7 6 5 10 Ret NC 4 Ret Ret 13 11 8 9 Ret 6 Ret
1988 RA168E
1.5L V6t
マクラーレン・MP4/4 G BRA SMR MON MEX CAN DET FRA GBR GER HUN BEL ITA POR ESP JPN AUS 199 1位
  アラン・プロスト 1 2 1 1 2 2 1 Ret 2 2 2 Ret 1 1 2 1
  アイルトン・セナ DSQ 1 Ret 2 1 1 2 1 1 1 1 10 6 4 1 2
ロータス・100T   ネルソン・ピケ 3 3 Ret Ret 4 Ret 5 5 Ret 8 4 Ret Ret 8 Ret 3 23 4位
  中嶋悟 6 8 DNQ Ret 11 DNQ 7 10 9 7 Ret Ret Ret Ret 7 Ret
1989 RA109E
3.5L V10
マクラーレン・MP4/5 G BRA SMR MON MEX USA CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR ESP JPN AUS 129 (141) 1位
  アイルトン・セナ 11 1 1 1 Ret 7 Ret Ret 1 2 1 Ret Ret 1 DSQ Ret
  アラン・プロスト 2 2 2 5 1 Ret 1 1 2 4 2 1 2 3 Ret Ret
1990 RA100E
3.5L V10
マクラーレン・MP4/5B G USA BRA SMR MON CAN MEX FRA GBR GER HUN BEL ITA POR ESP JPN AUS 121 1位
  アイルトン・セナ 1 3 Ret 1 1 20 3 3 1 2 1 1 2 Ret Ret Ret
  ゲルハルト・ベルガー Ret 2 2 3 4 3 5 14 3 16 3 3 4 Ret Ret 4
1991 RA121E
3.5L V12
マクラーレン・MP4/6 G USA BRA SMR MON CAN MEX FRA GBR GER HUN BEL ITA POR ESP JPN AUS 139 1位
  アイルトン・セナ 1 1 1 1 Ret 3 3 4 7 1 1 2 2 5 2 1
  ゲルハルト・ベルガー Ret 3 2 Ret Ret Ret Ret 2 4 4 2 4 Ret Ret 1 3
RA101E
3.5L V10
ティレル・020 P   中嶋悟 5 Ret Ret Ret 10 12 Ret 8 Ret 15 Ret Ret 13 17 Ret Ret 12 6位
  ステファノ・モデナ 4 Ret Ret Ret 2 11 Ret 7 13 12 Ret Ret Ret 16 6 10
1992 RA122E
3.5L V12
RA122E/B
3.5L V12
マクラーレン・MP4/6B
マクラーレン・MP4/7A
G RSA MEX BRA ESP SMR MON CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR JPN AUS 99 2位
  アイルトン・セナ 3 Ret Ret 9 3 1 Ret Ret Ret 2 1 5 1 3 Ret Ret
  ゲルハルト・ベルガー 5 4 Ret 4 Ret Ret 1 Ret 5 Ret 3 Ret 4 2 2 1
2000 RA000E
3.0L V10
BAR・002 B AUS BRA SMR GBR ESP EUR MON CAN FRA AUT GER HUN BEL ITA USA JPN MAL 20 5位
  ジャック・ヴィルヌーヴ 4 Ret 5 16 Ret Ret 7 15 4 4 8 12 7 Ret 4 6 5
  リカルド・ゾンタ 6 9 12 Ret 8 Ret Ret 8 Ret Ret Ret 14 12 6 6 9 Ret
2001 RA001E
3.0L V10
ジョーダン・EJ11 B AUS MAL BRA SMR ESP AUT MON CAN EUR FRA GBR GER HUN BEL ITA USA JPN 19 5位
  ハインツ=ハラルド・フレンツェン 5 4 11 6 Ret Ret Ret PO Ret 8 7
  リカルド・ゾンタ 7 Ret
  ジャン・アレジ 10 6 8 7 Ret
  ヤルノ・トゥルーリ Ret 8 5 5 4 DSQ Ret 11 Ret 5 Ret Ret Ret Ret Ret 4 8
BAR・003   オリビエ・パニス 7 Ret 4 8 7 5 Ret Ret Ret 9 Ret 7 Ret 11 9 11 13 17 6位
  ジャック・ヴィルヌーヴ Ret Ret 7 Ret 3 8 4 Ret 9 Ret 8 3 9 8 6 Ret 10
2002 RA002E
3.0L V10
ジョーダン・EJ12 B AUS MAL BRA SMR ESP AUT MON CAN EUR GBR FRA GER HUN BEL ITA USA JPN 9 6位
  ジャンカルロ・フィジケラ Ret 13 Ret Ret Ret 5 5 5 Ret 7 DNQ Ret 6 Ret 8 7 Ret
  佐藤琢磨 Ret 9 9 Ret Ret Ret Ret 10 16 Ret Ret 8 10 11 12 11 5
BAR・004   ジャック・ヴィルヌーヴ Ret 8 10 7 7 10 Ret Ret 12 4 Ret Ret Ret 8 9 6 Ret 7 8位
  オリビエ・パニス Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret 8 9 5 Ret Ret 12 12 6 12 Ret
2003 RA003E
3.0L V10
BAR・005 B AUS MAL BRA SMR ESP AUT MON CAN EUR FRA GBR GER HUN ITA USA JPN 26 5位
  ジャック・ヴィルヌーヴ 9 DNS 6 Ret Ret 12 Ret Ret Ret 9 10 9 Ret 6 Ret
  佐藤琢磨 6
  ジェンソン・バトン 10 7 Ret 8 9 4 DNS Ret 7 Ret 8 8 10 Ret Ret 4
2004 RA004E
3.0L V10
BAR・006 M AUS MAL BHR SMR ESP MON EUR CAN USA FRA GBR GER HUN BEL ITA CHN JPN BRA 119 2位
  ジェンソン・バトン 6 3 3 2 8 2 3 3 Ret 5 4 2 5 Ret 3 2 3 Ret
  佐藤琢磨 9 15 5 16 5 Ret Ret Ret 3 Ret 11 8 6 Ret 4 6 4 6
2005 RA005E
3.0L V10
BAR・007 M AUS MAL BHR SMR ESP MON EUR CAN USA FRA GBR GER HUN TUR ITA BEL BRA JPN CHN 38 6位
  ジェンソン・バトン 11 Ret Ret DSQ 10 Ret DNS 4 5 3 5 5 8 3 7 5 8
  佐藤琢磨 14 Ret DSQ 12 Ret DNS 11 16 12 8 9 16 Ret 10 DSQ Ret
  アンソニー・デビッドソン Ret
2006 RA806E
2.4L V8
スーパーアグリ・SA05
スーパーアグリ・SA06
B BHR MAL AUS SMR EUR ESP MON GBR CAN USA FRA GER HUN TUR ITA CHN JPN BRA 0 11位
  佐藤琢磨 18 14 12 Ret Ret 17 Ret 17 15 Ret Ret Ret 13 NC 16 DSQ 15 10
  井出有治 Ret Ret 13 Ret
  フランク・モンタニー Ret Ret 16 18 Ret Ret 16
  山本左近 Ret Ret Ret Ret 16 17 16
2007 RA807E
2.4L V8
スーパーアグリ・SA07 B AUS MAL BHR ESP MON CAN USA FRA GBR EUR HUN TUR ITA BEL JPN CHN BRA 4 9位
  佐藤琢磨 12 13 Ret 8 17 6 Ret 16 14 Ret 15 18 16 15 15 14 12
  アンソニー・デビッドソン 16 16 16 11 18 11 11 Ret Ret 12 Ret 14 14 16 Ret Ret 14
2008 RA808E
2.4L V8
スーパーアグリ・SA08A B AUS MAL BHR ESP TUR MON CAN FRA GBR GER HUN EUR BEL ITA SIN JPN CHN BRA 0 11位
  佐藤琢磨 Ret 16 17 13
  アンソニー・デビッドソン Ret 15 16 Ret
2015 RA615H
1.6L V6t
マクラーレン・MP4-30 P AUS MAL CHN BHR ESP MON CAN AUT GBR HUN BEL ITA SIN JPN RUS USA MEX BRA ABU 27 9位
   ケビン・マグヌッセン DNS
  フェルナンド・アロンソ Ret 12 11 Ret Ret Ret Ret 10 5 13 18 Ret 11 11 11 Ret 15 17
  ジェンソン・バトン 11 Ret 14 DNS 16 8 Ret Ret Ret 9 14 14 Ret 16 9 6 14 14 12
2016 RA616H
1.6L V6t
マクラーレン・MP4-31 P AUS BHR CHN RUS ESP MON CAN EUR AUT GBR HUN GER BEL ITA SIN MAL JPN USA MEX BRA ABU 76 6位
  フェルナンド・アロンソ Ret 12 6 Ret 5 11 Ret 18 13 7 12 7 14 7 7 16 5 13 10 10
  ストフェル・バンドーン 10
  ジェンソン・バトン 14 Ret 13 10 9 9 Ret 11 6 12 Ret 8 Ret 12 Ret 9 18 9 12 16 Ret
2017 RA617H
1.6L V6t
マクラーレン・MCL32 P AUS CHN BHR RUS ESP MON CAN AZE AUT GBR HUN BEL ITA SIN MAL JPN USA MEX BRA ABU 30 9位
  ストフェル・バンドーン 13 Ret DNS 14 Ret Ret 14 12 12 11 10 14 Ret 7 7 14 12 12 Ret 12
  フェルナンド・アロンソ Ret Ret 14 DNS 12 16 9 Ret Ret 6 Ret 17 Ret 11 11 Ret 10 8 9
  ジェンソン・バトン Ret
2018 RA618H
1.6L V6t
トロ・ロッソ STR13 P AUS BHR CHN AZE ESP MON CAN FRA AUT GBR GER HUN BEL ITA SIN RUS JPN USA MEX BRA ABU 33 9位
  ピエール・ガスリー Ret 4 18 12 Ret 7 11 Ret Ret 13 14 6 9 14 13 Ret 11 12 10 13 Ret
  ブレンドン・ハートレイ 15 17 20 10 12 19 Ret 14 11 Ret 10 11 14 Ret 17 Ret 13 9 14 11 12
2019 RA619H
1.6L V6t
レッドブル・RB15 P AUS BHR CHN AZE ESP MON CAN FRA AUT GBR GER HUN BEL ITA SIN RUS JPN MEX USA BRA ABU 417 3位
  ピエール・ガスリー 11 8 6 Ret 6 5 8 10 7 4 14 6
  アレクサンダー・アルボン 5 6 6 5 4 5 5 14 6
  マックス・フェルスタッペン 3 4 4 4 3 4 5 4 1 5 1 2 Ret 8 3 4 Ret 6 3 1 2
トロ・ロッソ STR14   アレクサンダー・アルボン 14 9 10 11 11 8 Ret 15 15 12 6 10 85 6位
  ピエール・ガスリー 9 11 8 14 7 9 16 2 18
  ダニール・クビアト 10 12 Ret Ret 9 7 10 14 17 9 3 15 7 Ret 15 12 10 11 12 10 9
2020 RA620H
1.6L V6t
レッドブル・RB16 P AUT STY HUN GBR 70A ESP BEL ITA TUS RUS EIF POR EMI TUR BHR SKR ABU 319 2位
  アレクサンダー・アルボン 13 4 5 8 5 8 6 15 3 10 Ret 12 15 7 3 6 4
  マックス・フェルスタッペン Ret 3 2 2 1 2 3 Ret Ret 2 2 3 Ret 6 2 Ret 1
アルファタウリ・AT01   ピエール・ガスリー 7 15 Ret 7 11 9 8 1 Ret 9 6 5 Ret 13 6 11 8 107 7位
  ダニール・クビアト 12 10 12 Ret 10 12 11 9 7 8 15 19 4 12 11 7 11
情報源:[103]

ホンダエンジンを搭載したチームとドライバー編集

 
ホンダに初勝利をもたらしたリッチー・ギンサー
 
ピットで中村監督と会話するジョン・サーティース(1967年オランダGP)
 
ホンダエンジン最多勝利獲得者であるアイルトン・セナ
 
ワークス体制で39年ぶりに勝利したジェンソン・バトン
 
第2次ワークス体制最後の表彰台を獲得したルーベンス・バリチェロ(右)

ギャラリー編集

  • ワークス#1(1964年 - 1968年)
  • ワークス#2(2006年 - 2008年)
  • サプライヤー#1(1983年 - 1992年)
  • サプライヤー#2(2000年 - 2008年)
  • サプライヤー#3(2015年 - )

シャーシおよびエンジンの型式名編集

ホンダでは伝統的に「RA」で始まる型式名としているが、これは第1期のF1参戦時において、すでに実績を残していた2輪と区別する意味において、「Racing Automobile」を示す意味で付けられたもの。なお、その後に付けられる数字については参戦時期において下記のように異なる意味が込められている。

第1期
系統だった命名規則はなかった模様。最初に作られた試作エンジンの「RA270E」については、「最高出力270馬力(最高時速270kmという説もある)を目標とする」というところから「270」とつけられたと言われている。1967年の「RA300」以降については、シャシーの開発体制を日本の研究所が中心だった旧体制からイギリスの現地部隊中心の新体制に改めたことから、新たな飛躍を目指す意味で当時の監督だった中村良夫が番号を一新することを決め、きりの良いところで「300」とした。
第2期 : RA1○△E
R(Racing)
A(Automobile)
1(Formula One)
○(シリンダー数の下1桁。0,2,6が用いられた)
△(西暦の下1桁)
E(Engine)
第3期のエンジン : RA○△△E
R(Racing)
A(Automobile)
○(シリンダー数の下1桁。0,8が用いられた)
△△(西暦の下2桁)
E(Engine)
2006-2008年のシャーシ : RA1△△
R(Racing)
A(Automobile)
1(Formula One)
△△(西暦の下2桁)
第4期 : RA○△△H
R(Racing)
A(Automobile)
○(シリンダー数の下1桁。6が用いられている)
△△(西暦の下2桁)
H(Hybrid)

参戦年度・型式名編集

  • 第1期
    • 1963年 RA270(試作シャシー)、RA270E(研究目的の試作エンジン、1.5L V12
    • 1964年 RA271(シャシー)、RA271E(エンジン)
    • 1965年 RA272(シャシー)、RA272E(エンジン)
    • 1966年 RA273(シャシー)、RA273E(エンジン、レギュレーション改定に伴い排気量が3.0Lとなる)
    • 1967年 RA273, RA300(シャシー、ホンダとローラの共同開発によるマシン。通称Hondola)、RA273E(エンジン)
    • 1968年 RA300, RA301, RA302(シャシー)、RA301E, RA302E(エンジン、RA302EはV型8気筒空冷エンジン
  • 第2期
    • 1983年 RA163E(80度V型6気筒 1.5Lエンジン、F2用エンジンをショートストローク化した上でターボを付加した)
    • 1984年 RA164E
    • 1985年 RA164E、RA165E(完全新設計、ロングストローク化)
    • 1986年 RA166E
    • 1987年 RA167E
    • 1988年 RA168E
    • 1989年 RA109E(ターボエンジン禁止により3.5L NA・V10エンジンに移行)
    • 1990年 RA100E
    • 1991年 RA121E(V12エンジン、マクラーレンに供給)、RA101E(V10エンジン、ティレルに供給)
    • 1992年 RA122E、RA122E/B
  • 第3期
    • 1999年 RA099(シャシー)、無限MF301HD(エンジン) - フルコンストラクター参戦準備のテストに使用された。
    • 2000年 RA000E(3.0L V10エンジン)
    • 2001年 RA001E
    • 2002年 RA002E
    • 2003年 RA003E
    • 2004年 RA004E
    • 2005年 RA005E
    • 2006年 RA106(シャシー)、RA806E(エンジン、レギュレーション改定に伴い2.4L V8へ移行)
    • 2007年 RA107(シャシー)、RA807E(エンジン)
    • 2008年 RA108(シャシー)、RA808E(エンジン)
  • 第4期
    • 2015年 RA615H(1.6L V6ターボ)
    • 2016年 RA616H
    • 2017年 RA617H
    • 2018年 RA618H
    • 2019年 RA619H
    • 2020年 RA620H[105]

関連人物編集

  • 第1期
    • 中村良夫 - 第1期(1964年 - 1968年(断続的))監督。同時期、監督と市販四輪車開発を兼務した。
    • 河島喜好 - 1965年に短期ながら監督を務めた(埼玉製作所の所長と兼務)。のちの第2代本田技研工業社長。
    • 久米是志 - RA302のエンジン設計者(当時は川本の上司)。のちの第3代本田技研工業社長。
    • 川本信彦 - RA300・RA301のエンジン設計者であり、第2期参戦当初(1983年~1984年)のチーム監督でもあった。のちの第4代本田技研工業社長。
    • 入交昭一郎 - RA273のエンジン設計者。入社まもない設計者だったが中村達に抜擢された。後のホンダ副社長、元セガ(後のセガゲームス)社長。
  • 第2期
    • 桜井淑敏 - 第2期前半(1984年 - 1987年)総監督。
    • 後藤治 - 第2期後半(1988年 - 1990年)プロジェクトリーダーを務める。後にマクラーレン、フェラーリザウバーに在籍。
    • 本田博俊 - 元無限社長。本田宗一郎の長男。1992年から2000年まで「無限-ホンダ」としてエンジン供給し、実質的にホンダ不在の間を埋めた。
  • 第3期
    • 福井威夫 - 2000年の第3期F1参戦開始時に指揮を執る。のちの第6代本田技研工業社長。2008年の撤退会見も社長として行うこととなった。
    • 木内健雄 - 第3期前半のHONDA F1総監督(F1プロジェクトリーダー)。第2期はアイルトン・セナやアラン・プロストの担当エンジニアを務めた。
    • 和田康裕 - 本社のモータースポーツ部長を務め、ワークス体制時には本田技術研究所「HRD」の社長を兼任した。
    • 西澤一俊 - HRD所属のテクニカルディレクター。その後、栃木研究所に異動し第3期前半のエンジン/パワートレイン部門責任者を務めた。
    • 中本修平 - HRD所属の技術ディレクター。ワークス体制時には技術部門の総責任者(テクニカルディレクター)を務めた。
    • 橋本健 - 車体の技術開発責任者。
    • 櫻原一雄 - エンジン開発責任者。
    • 村松慶太 - 第3期末期のモータースポーツ部長。
    • ニック・フライ - ホンダ・レーシング・F1チームのCEO
    • ジェフ・ウィリス - 前身B・A・Rのテクニカルディレクター。ワークス体制初期まで同職を務めた。
    • ジル・ド・フェラン - 2005年より2007年7月までB・A・Rおよびホンダのスポーティングディレクターを務めた。
    • ロス・ブラウン - 2007年 - 2008年にチーム代表を務めた。
  • 第4期[106]

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ Engine Honda • STATS F1”. www.statsf1.com. 2020年12月3日閲覧。
  2. ^ それまで同社にエンジンを供給していたコヴェントリー・クライマックス社が、ロータスと当時協力関係にあったジャガーに買収され、ロータスも引き続きコヴェントリー・クライマックスのエンジンを使わなくてはならなくなったためとされる
  3. ^ 後に一部車種で設定されたスポーツグレード「タイプR」では、当時のマシンのアイボリーホワイトを彷彿とさせる「チャンピオンシップホワイト」が専用色として設定された。
  4. ^ 「ホンダについて特筆すべきは、車自身のユニークさよりも、それがフルに開発される以前にグランプリ・レースの渦中に躍り出たという事実にある。ダイムラー・ベンツのような会社だったら、少くとも勝つチャンスがなければ決してその製品をレースに出したりはしないに違いない。しかしホンダは彼らの実験を大観衆の眼前で行うことを少しも恐れない。仕事を早く仕上げるためにはレースカレンダーの要求に勝るものはないのを知っているかのようだ。ホンダがモーターサイクル・レースに現われたときも然りだった。最初の数シーズンはひどく素人くさかったのに、ごく短期間に世界のトップランクにのし上がった。」 1964 F1グランプリレーサー デイヴィド・フィップスCAR グラフィック1965年2月号
  5. ^ F1から撤退後に誕生したのがCVCCエンジンである
  6. ^ イタリアGPでセナと接触しホンダエンジン16戦全勝を阻んだジャン=ルイ・シュレッサーは、1968年にホンダRA302で事故死したジョー・シュレッサーの甥であり、ホンダにとって皮肉な巡り合わせとなった。
  7. ^ エンジンサプライヤーとしての最多勝利は1995年にルノーが上回るまでホンダが保持していた。
  8. ^ そのときの彼を捉えたオンボードカメラでは、シフトチェンジをせず終始ステアリングをから手を離さずに周回している映像が記録されている
  9. ^ エンジンのカムカバーには「HONDA」のロゴがつけられたほか、エントリー名も「無限ホンダ」だった
  10. ^ "ツインリンクもてぎ開業15周年記念展示『'90s Racing Collection』第4回 もてぎ 2&4 レース編". モビリティランド. 2013年1月15日閲覧。]
  11. ^ 『モーターファン・イラストレーテッド F1のテクノロジー3』三栄書房、2011年、p.84。ISBN 9784779611933
  12. ^ 『モーターファン・イラストレーテッド F1のテクノロジー3』三栄書房、2011年、p.77。ISBN 9784779611933
  13. ^ 『モーターファン・イラストレーテッド F1のテクノロジー3』三栄書房、2011年、p.81。ISBN 9784779611933
  14. ^ 『モーターファン・イラストレーテッド F1のテクノロジー3』三栄書房、2011年、p.78。ISBN 9784779611933
  15. ^ "Honda、BAR Hの全株式取得 単独チームで参戦へ". Carview.(2005年10月4日)2013年1月15日閲覧。
  16. ^ "バリチェロ、「F1に残留できなければ引退する」". F1-Gate.com.(2008年11月13日)2013年1月15日閲覧。
  17. ^ F1レース活動について ホンダ 広報発表 Press Information 2008 2008年12月5日閲覧
  18. ^ "【ホンダF1撤退】福井社長「休止」でなく「撤退」". レスポンス.(2008年12月5日)2013年1月15日閲覧。
  19. ^ 2009 FIA Formula One World Championship - Entry List Archived 2010年1月6日, at the Wayback Machine.
  20. ^ 全株式をブラウン氏に売却=F1撤退のホンダ(時事通信)
  21. ^ "【新聞ウォッチ】ホンダ、F1チームを1ポンドで売却、読売が衝撃報道". レスポンス.(2009年4月10日)2013年1月15日閲覧。
  22. ^ 2004年にフォードがF1から撤退した際にも、ジャガー・レーシングレッドブルへ1ドルで売却したといわれる[1]
  23. ^ Honda's costs highest in F1-report MOTOR AUTHORITY 2008年11月17日閲覧
  24. ^ Has downturn left F1 underpowered?-BBC SPORT
  25. ^ 撤退済みの2009年もフェラーリの倍・ルノーやBMWの半額程度を投じている。これは、報じられた「餞別」「手切れ金」「撤退補償金」的な意味合いのものと思われる。
  26. ^ Manufacturer spending spiralled out of control
  27. ^ ホンダ、F1復帰の可能性を否定 Topnews 2009年7月14日付け、2010年12月18日閲覧
  28. ^ "ホンダのF1復帰の可能性は? 具体的な“2つの動き”". オートスポーツ.(2013年1月12日)2013年1月15日閲覧。
  29. ^ "ホンダ、F1復活については「勉強している最中」(2/2)". オートスポーツ.(2013年2月8日)2013年2月8日閲覧。
  30. ^ ホンダ、F1復帰を正式発表!マクラーレン・ホンダ復活! F1-Gate.com 2013年5月16日
  31. ^ “ホンダ社長、F1復帰を正式発表 マクラーレンと”. 日本経済新聞 電子版 (日本経済新聞社). (2013年5月16日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASFL160N8_W3A510C1000000/?dg=1 2013年5月16日閲覧。 
  32. ^ “ホンダF1復帰の2015年は「マクラーレンが唯一の顧客」”. TopNews. (2014年4月18日). http://www.topnews.jp/2014/04/18/news/f1/106535.html 2014年4月18日閲覧。 
  33. ^ “独占契約ではないとマクラーレン”. ESPN F1. (2013年5月16日). http://ja.espnf1.com/mclaren/motorsport/story/108209.html 2013年5月16日閲覧。 
  34. ^ 日刊スポーツ 2015年2月11日付、P9右下
  35. ^ フェルナンド・アロンソ、燃料セーブの指示を拒否 - F1-gate.com・2015年6月8日
  36. ^ フェルナンド・アロンソ、レース中に怒りの無線 「GP2のエンジンかよ!」 - F1-gate.com・2015年9月27日
  37. ^ "ホンダ「F1挑戦は想像以上に困難」苦戦の原因語る"オートスポーツweb (2015年8月6日)2020年2月15日閲覧
  38. ^ "F1:ホンダの弱点、デブロイメントとは?". F1-Gate.com. (2015年10月15日)2020年2月15日閲覧
  39. ^ "ホンダ“サイズゼロ”に未来はあるか 元フェラーリ浜島裕英が今季戦いを解説 (page2/2)". スポーツナビ. (2015年9月24日)2020年2月15日閲覧
  40. ^ F1:パワーユニット開発の『トークン』とは?F1-Gate.com(2015年06月06日)2020年02月15日
  41. ^ a b "Honda、コンセプト維持のままターボの大型化を目指す". ESPN F1.(2016年1月13日)2020年2月15日閲覧
  42. ^ マクラーレン・ホンダF1辛口コラム総括編(1)ホンダの最大の過ちは「傲慢」で「無知」な初動”. AUTOSPORTweb (2017年12月23日). 2020年2月15日閲覧。
  43. ^ 【ホンダF1特集:パート2/5】ホンダの楽観視と準備不足www.topnews.jp(2020年1月1日)2020年2月15日閲覧
  44. ^ フェラーリ、“問題だらけのPU”の弱点克服へ努力”AUTOSPORT Web (2015年1月30日)2020年2月15日閲覧
  45. ^ マルモリーニがフェラーリを批判”. ESPN F1 (204年8月19日)2020年2月15日閲覧
  46. ^ “ホンダ 八郷隆弘社長、今季F1目標は「安定的に予選10位以内から決勝」”. F1-Gate.com. (2016年2月26日). http://f1-gate.com/honda/f1_30096.html 2016年12月10日閲覧。 
  47. ^ “新井康久、ホンダのF1プロジェクト総責任者退任は「定年退職」”. F1-Gate.com. (2016年2月24日). http://f1-gate.com/honda/f1_30068.html 2016年12月10日閲覧。 
  48. ^ “ホンダ:F1プロジェクト総責任者 新井康久の“定年退職”に疑問の声”. F1-Gate.com. (2016年2月26日). http://f1-gate.com/honda/f1_30111.html 2016年12月10日閲覧。 
  49. ^ 【マクラーレン分析前編】驚異の進化度。ホンダは2017年のダークホースになりうるwww.as-web.jp(2016年9月21日)2020年2月15日閲覧
  50. ^ “ジェンソン・バトン 「鈴鹿はマクラーレン・ホンダには最悪のサーキット」”. F1-Gate.com. (2016年10月9日). http://f1-gate.com/button/f1_33252.html 2016年12月10日閲覧。 
  51. ^ “ホンダ、2017年のF1エンジン供給もマクラーレンのみ”. F1-Gate.com. (2016年5月16日). http://f1-gate.com/honda/f1_31054.html 2016年12月10日閲覧。 
  52. ^ “ホンダ F1 「2017年の“現実的な目標”は表彰台」”. F1-Gate.com. (2016年11月30日). http://f1-gate.com/honda/f1_34102.html 2016年12月10日閲覧。 
  53. ^ ホンダF1長谷川総責任者「構造を一新し、パワー向上を実現しました」:マクラーレン・ホンダ発表会”. AUTOSPORTweb (2017年2月24日). 2017年2月25日閲覧。
  54. ^ アロンソ、ホンダF1の“アマチュアのようなトラブル”を批判も「心配なのは信頼性よりもパワーのなさ」”. AUTOSPORTweb (2017年3月9日). 2017年3月10日閲覧。
  55. ^ パフォーマンス差に「恐ろしさも感じる」とHonda”. ESPN F1 (2017年3月11日). 2017年3月11日閲覧。
  56. ^ “ストフェル・バンドーン 「まだトラブルのない週末を過ごせていない」”. F1-Gate.com. (2017年4月15日). https://f1-gate.com/vandoorne/f1_35913.html 2017年4月18日閲覧。 
  57. ^ “ホンダF1 「アロンソにもMGU-Hの不具合」 / F1バーレーンGP 予選”. F1-Gate.com. (2017年4月16日). https://f1-gate.com/honda/f1_35941.html 2017年4月18日閲覧。 
  58. ^ “ストフェル・バンドーン、MGU-H問題でスタートすらできず”. F1-Gate.com. (2017年4月17日). https://f1-gate.com/vandoorne/f1_35973.html 2017年4月18日閲覧。 
  59. ^ “フェルナンド・アロンソ 「こんなパワー不足でレースをしたことはない!」”. F1-Gate.com. (2017年4月17日). https://f1-gate.com/alonso/f1_35965.html 2017年4月18日閲覧。 
  60. ^ “フェルナンド・アロンソ、エンジントラブルでリタイア”. F1-Gate.com. (2017年4月17日). https://f1-gate.com/alonso/f1_35974.html 2017年4月18日閲覧。 
  61. ^ “フェルナンド・アロンソ 「ホンダのF1エンジンは1周あたり3秒遅い」”. F1-Gate.com. (2017年4月30日). https://f1-gate.com/alonso/f1_36198.html 2017年4月30日閲覧。 
  62. ^ “フェルナンド・アロンソ、ホンダのパワー不足は「危険なレベル」”. F1-Gate.com. (2017年6月12日). https://f1-gate.com/alonso/f1_37022.html 2017年6月12日閲覧。 
  63. ^ “マクラーレン、ホンダに最後通告 「我々には2018年の代替プランがある」”. F1-Gate.com. (2017年6月10日). https://f1-gate.com/mclaren/f1_36951.html 2017年6月12日閲覧。 
  64. ^ “マクラーレン 「ホンダがエンジンカスタマーを探すサポートをする」”. F1-Gate.com. (2017年4月21日). https://f1-gate.com/mclaren/f1_36042.html 2017年4月30日閲覧。 
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  67. ^ ホンダ、ザウバーF1との技術提携契約を白紙撤回。「双方の目指す方向性に相違が生じた」”. AUTOSPORTweb (2017年7月27日). 2017年7月28日閲覧。
  68. ^ ザウバーF1、ホンダとの提携取りやめ、フェラーリとパワーユニット契約。2018年は最新仕様搭載へ”. AUTOSPORTweb (2017年7月28日). 2017年7月28日閲覧。
  69. ^ “ホンダF1、トロ・ロッソへのエンジン供給に関する交渉が決裂”. F1-Gate.com. (2017年8月18日). https://f1-gate.com/honda/f1_38046.html 2017年8月18日閲覧。 
  70. ^ “ホンダ、トロ・ロッソへのF1パワーユニット供給を正式発表”. F1-Gate.com. (2017年9月15日). https://f1-gate.com./honda/f1_38538.html 2017年9月15日閲覧。 
  71. ^ ホンダF1責任者の長谷川氏が退任。2018年に向け体制一新、テクニカルディレクターが新設”. AUTOSPORTweb (2017年12月7日). 2017年12月7日閲覧。
  72. ^ 「悪いのはホンダではない」。エクレストンがマクラーレンF1を非難。ルノーでの成功に懐疑的”. AUTOSPORTweb. 2018年12月8日閲覧。
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関連項目編集

外部リンク編集