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1968年南アフリカグランプリ (1968 South African Grand Prix) は、1968年のF1世界選手権の開幕戦として、1968年1月1日キャラミで開催された。

南アフリカ共和国 1968年南アフリカグランプリ
レース詳細
1968年F1世界選手権全12戦の第1戦
キャラミ (1967-1985)
キャラミ (1967-1985)
日程 1968年1月1日
正式名称 2nd AA Grand Prix of South Africa
開催地 キャラミ
南アフリカの旗 南アフリカ共和国 トランスヴァール州英語版
コース 恒久的レース施設
コース長 4.104 km (2.550 mi)
レース距離 80周 328.320 km (204.009 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)
ポールポジション
ドライバー ロータス-フォード
タイム 1:21.6
ファステストラップ
ドライバー イギリスの旗 ジム・クラーク ロータス-フォード
タイム 1:23.7 (73周目)
決勝順位
優勝 ロータス-フォード
2位 ロータス-フォード
3位 ブラバム-レプコ

レースは80周で行われ、2度のチャンピオン1965年のインディ500英語版の勝者ジム・クラークロータス-フォードポール・トゥ・ウィンを果たした。クラークは3ヶ月後に行われたF2レースの事故で亡くなったため、これが最後の出走であり勝利でもあった。

レース概要編集

キャラミでの元日と1968年シーズンは、フォード・コスワース・DFVエンジンを搭載したロータス・49を駆るジム・クラークが、前年の終盤2戦での連勝に続いての勝利で始まった[1]

エントリー編集

1968年の主要チームのラインナップ編集

前年のチャンピオンデニス・ハルムブラバムを離れ、マクラーレンに移籍してオーナーのブルース・マクラーレンニュージーランド・コンビを結成した[2][注 1]。エンジンはこの年からロータス以外のチームへの供給を開始したDFVを搭載することになったが[3]、開幕時点でDFV搭載の新車は完成せず、前年のM5ABRMV12エンジンを搭載)でハルムのみ参加した[4]。そしてこの年からマシンのカラーリングがパパイヤオレンジに変わった[5][注 2]。ブラバムはハルムに代わってヨッヘン・リントを迎え、オーナーのジャック・ブラバムとコンビを組む[6]クーパールドビコ・スカルフィオッティ英語版ブライアン・レッドマンが起用され、新たにBRMのV12エンジンを使用する予定だったが開幕に間に合わず、前年同様マセラティV12エンジンを使用する[7]フェラーリクリス・エイモンが残留し、ジャッキー・イクスアンドレア・デ・アダミッチが加入した[8]。BRMはマイク・スペンス英語版が残留し、ペドロ・ロドリゲスが加入した。同社はH16エンジンの4バルブ版を開発していたが、本レースを最後に複雑怪奇なH16エンジンの使用を諦め、前年終盤にマクラーレンが使用していた2バルブのV12エンジンを使用することになった[9]。そして新たにマトラがF1に本格参入した。実際には自社のV12エンジンを使用するワークスチームのマトラ・スポール(V12エンジンは開幕に間に合わず、暫定的に前年のF2用マシンMS7-フォードFVAで出走)と、セミワークスチームのマトラ・インターナショナル(本レースのみ暫定マシンのMS9を使用)の2チームによる参戦であった。前者はジャン=ピエール・ベルトワーズが起用され、後者はケン・ティレルがチームを率い、ドライバーにジャッキー・スチュワート、エンジンはDFVという強力な体制が敷かれた[2]。ロータスはジム・クラークグラハム・ヒル[6]ホンダジョン・サーティース[7]がそれぞれ残留し、イーグルはオーナーのダン・ガーニーが引き続きドライブする[8]

その他編集

南アフリカGPのみの参加者のうち、プライベートでブラバムを駆るジョン・ラブと、LDS英語版を駆るサム・ティングルの2人は「チーム・ガンストン英語版」から出走したが、同チームのマシンは地元南アフリカのたばこメーカー「ガンストン英語版」のオレンジに塗られた[10][注 3]。その他のチーム及びドライバーについては、後述の#エントリーリストを参照されたい。

予選編集

クラークがチームメイトのヒルに1秒差を付けてポールポジションを獲得し、ヒルとスチュワート(マトラ)がフロントローを占めた[注 4]。2列目はリントとブラバムのブラバム勢、3列目はサーティース(ホンダ)、フェラーリのデ・アダミッチとエイモンが占めた[1]。グリッドの上位6名は、過去のチャンピオン経験者(クラーク、ヒル、ブラバム、サーティース)もしくは後にチャンピオンを獲得したドライバー(スチュワート、リント)によって埋められたが、ディフェンディングチャンピオンのハルムは4列目の9番手に沈んだ。

決勝編集

スタート後にスチュワートがクラークをリードし、ヒルはリント、サーティース、ブラバム、エイモンに次ぐ7位に後退した。2周目にクラークがスチュワートを抜いて首位に立ち、ブラバムはサーティースを抜き、ヒルはエイモンとサーティースを抜いて5位に浮上した。スカルフィオッティは水漏れに苦しみ、漏れた熱い湯によって火傷を負い病院に運ばれた[1]

ブラバムは7周目に3位のリントを抜いたが、その後すぐにエンジントラブルで後退し、リントは3位に戻った。リントはヒルの猛追を受け、13周目にヒルがリントを抜いて3位に浮上した。エイモンは同じ周にサーティースを抜いて5位に浮上した[1]

ヒルは27周目にスチュワートを捕らえて2位に浮上し、以後はロータス勢の1-2体制が続く。スチュワートは3位を走行したが、43周目にコネクティングロッドが壊れてリタイアした。これによりリントが再び3位となり、レース終了までロータス勢とリントの順位は変わらず、ロータスは圧倒的な1-2フィニッシュを達成した[1]。エイモンは健闘しつつも首位争いに加われず2周遅れの4位[11]、マクラーレン移籍初戦のハルムが5位[4]、暫定的にF2マシンを駆るマトラのベルトワーズが6位に入賞した[5]。前年のRA300を使用するホンダのサーティースは、レース中盤以降に中速以下でエンジンが死んでしまうトラブルに見舞われ、入賞圏外の8位に終わった[12]

クラークはF1通算25勝目を挙げ、ファン・マヌエル・ファンジオが持つF1通算最多勝利記録(24勝)を更新した。チームメイトのヒルもしっかり2位につけ、前年は信頼性に欠けていたロータス・49も熟成され、円熟期のクラークが1968年のチャンピオンを獲得するお膳立ては全て整ったかに見えた。しかし、これがクラークにとっての最後の優勝になろうとは誰も予想し得なかった。ヨーロッパラウンドが始まるまでのインターバル期間である4月7日、雨模様のホッケンハイムリンクで行われたF2レース「ドイツトロフィー英語版」でクラークは不可解な事故を起こし、あっけなく亡くなってしまった[注 5]。享年32歳。世界中が天才の死を悼んだ[13]1963年1965年にチャンピオンを獲得したクラークは、72戦25勝(勝率34.7%)、ポールポジション33回[13]、最多ラップリーダー43回、通算リードラップ1,943周、ハットトリック[注 6]11回、グランドスラム8回[注 7]という圧倒的な記録を残して、永遠の旅に出た[13]

そのクラークに代わってインディ500英語版に参加したスペンスも、5月初旬に同レースの練習走行で事故死してしまい、彼にとっても本レースが最後のF1世界選手権レースとなった[14]

また、ホンダ・RA300[15]ブラバム・BT11英語版もF1最後の出走となった。

エントリーリスト編集

チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
  ブルース・マクラーレン・モーターレーシング 1   デニス・ハルム マクラーレン M5A BRM P142 3.0L V12 G
  ブラバム・レーシング・オーガニゼーション 2   ジャック・ブラバム ブラバム BT24 レプコ 740 3.0L V8 G
3   ヨッヘン・リント
  チーム・ロータス 4   ジム・クラーク ロータス 49 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
5   グラハム・ヒル
  アングロ・アメリカン・レーサーズ 6   ダン・ガーニー イーグル T1G ウェスレイク 58 3.0L V12 G
  ホンダ・レーシング 7   ジョン・サーティース ホンダ RA300 ホンダ RA273E 3.0L V12 F
  スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 8   クリス・エイモン フェラーリ 312/67 フェラーリ 242 3.0L V12 F
9   ジャッキー・イクス
10   アンドレア・デ・アダミッチ
  オーウェン・レーシング・オーガニゼーション 11   ペドロ・ロドリゲス BRM P126 BRM P142 3.0L V12 G
12   マイク・スペンス P115 BRM P75 3.0L H16
  クーパー・カー・カンパニー 14   ブライアン・レッドマン クーパー T81B マセラティ 10/F1 3.0L V12 F
15   ルドビコ・スカルフィオッティ T86
  マトラ・インターナショナル 16   ジャッキー・スチュワート マトラ MS9 フォードコスワース DFV 3.0L V8 D
  チーム・ガンストン 17   ジョン・ラブ ブラバム BT20 レプコ 620 3.0L V8 F
18   サム・ティングル LDS Mk3
  ロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシングチーム 19   ジョー・シフェール クーパー T81 マセラティ 9/F1 3.0L V12 F
  ヨアキム・ボニエ・レーシングチーム 20   ヨアキム・ボニエ クーパー T81 マセラティ 9/F1 3.0L V12 F
  マトラ・スポール 21   ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ MS7 フォードコスワース FVA 1.6L L4 D
  スクーデリア・スクリバンテ 22   デイヴ・チャールトン ブラバム BT11 レプコ 620 3.0L V8 F
24   トニー・ジェフリーズ 1 クーパー T55 クライマックス FPF 2.8L L4
  チーム・プレトリア 23   ジャッキー・プレトリウス ブラバム BT11 クライマックス FPF 2.8L L4 F
  ジョン・ラブ 25   バシル・ヴァン・ルーヤン クーパー T79 クライマックス FPF 2.8L L4 F
ソース:[16]
追記
  • ピンク地F2マシンで参加
  • ^1 - エンジンが準備できず[17]

結果編集

予選編集

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 4   ジム・クラーク ロータス-フォード 1:21.6 - 1
2 5   グラハム・ヒル ロータス-フォード 1:22.6 +1.0 2
3 16   ジャッキー・スチュワート マトラ-フォード 1:22.7 +1.1 3
4 3   ヨッヘン・リント ブラバム-レプコ 1:23.0 +1.4 4
5 2   ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 1:23.2 +1.6 5
6 7   ジョン・サーティース ホンダ 1:23.5 +1.9 6
7 10   アンドレア・デ・アダミッチ フェラーリ 1:23.6 +2.0 7
8 8   クリス・エイモン フェラーリ 1:23.8 +2.2 8
9 1   デニス・ハルム マクラーレン-BRM 1:24.0 +2.4 9
10 11   ペドロ・ロドリゲス BRM 1:24.9 +3.3 10
11 9   ジャッキー・イクス フェラーリ 1:24.9 +3.3 11
12 6   ダン・ガーニー イーグル-ウェスレイク 1:25.6 +4.0 12
13 12   マイク・スペンス BRM 1:25.9 +4.3 13
14 22   デイヴ・チャールトン ブラバム-レプコ 1:26.2 +4.6 14
15 15   ルドビコ・スカルフィオッティ クーパー-マセラティ 1:26.3 +4.7 15
16 19   ジョー・シフェール クーパー-マセラティ 1:26.4 +4.8 16
17 17   ジョン・ラブ ブラバム-レプコ 1:27.0 +5.4 17
18 21   ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ-フォード 1:27.2 +5.6 18
19 20   ヨアキム・ボニエ クーパー-マセラティ 1:27.3 +5.7 19
20 25   バシル・ヴァン・ルーヤン クーパー-クライマックス 1:27.8 +6.2 20
21 14   ブライアン・レッドマン クーパー-マセラティ 1:28.0 +6.4 21
22 18   サム・ティングル LDS-レプコ 1:28.6 +7.0 22
23 23   ジャッキー・プレトリウス ブラバム-クライマックス 1:29.0 +7.4 23
ソース:[18][19]
追記
  • ピンク地F2マシンで参加

決勝編集

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 4   ジム・クラーク ロータス-フォード 80 1:53:56.6 1 9
2 5   グラハム・ヒル ロータス-フォード 80 +25.3 2 6
3 3   ヨッヘン・リント ブラバム-レプコ 80 +30.4 4 4
4 8   クリス・エイモン フェラーリ 78 +2 Laps 8 3
5 1   デニス・ハルム マクラーレン-BRM 78 +2 Laps 9 2
6 21   ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ-フォード 77 +3 Laps 18 1
7 19   ジョー・シフェール クーパー-マセラティ 77 +3 Laps 16
8 7   ジョン・サーティース ホンダ 75 +5 Laps 6
9 17   ジョン・ラブ ブラバム-レプコ 75 +5 Laps 17
NC 23   ジャッキー・プレトリウス ブラバム-クライマックス 71 規定周回数不足 23
Ret 6   ダン・ガーニー イーグル-ウェスレイク 58 オイル漏れ 12
Ret 9   ジャッキー・イクス フェラーリ 51 オイル漏れ 11
Ret 20   ヨアキム・ボニエ クーパー-マセラティ 46 オーバーヒート 19
Ret 16   ジャッキー・スチュワート マトラ-フォード 43 エンジン 3
Ret 18   サム・ティングル LDS-レプコ 35 オーバーヒート 22
Ret 25   バシル・ヴァン・ルーヤン クーパー-クライマックス 22 エンジン 20
Ret 11   ペドロ・ロドリゲス BRM 20 燃料系統 10
Ret 2   ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 16 エンジン 5
Ret 10   アンドレア・デ・アダミッチ フェラーリ 13 アクシデント 7
Ret 12   マイク・スペンス BRM 7 燃料系統 14
Ret 14   ブライアン・レッドマン クーパー-マセラティ 4 オイル漏れ 21
Ret 22   デイヴ・チャールトン ブラバム-レプコ 3 ディファレンシャル 14
Ret 15   ルドビコ・スカルフィオッティ クーパー-マセラティ 2 水パイプ 15
ソース:[20]
ファステストラップ[21]
ラップリーダー[22]
追記
  • ピンク地F2マシンで参加

第1戦終了時点のランキング編集

  • : トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半6戦のうちベスト5戦がカウントされる。

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ ハルムとマクラーレンは既に前年からCan-Amでコンビを組んでいた。この両者が連戦連勝を重ね、「ブルース・アンド・デニー・ショー」という愛称が付けられた。大胆不敵なドライバー”. マクラーレン・オートモーティブ日本語版. 2019年8月14日閲覧。
  2. ^ マクラーレンは1971年までパパイヤオレンジを採用した。その後も開幕前のテスト走行などで特別にパパイヤオレンジが採用され、2017年からパパイヤオレンジが復活した。【17年F1新車発表】写真で見るマクラーレンF1!知られざるオレンジ色の秘密とは??”. formula1-data (2017年12月25日). 2019年8月14日閲覧。マクラーレン、オレンジ色で登場”. レスポンス (2006年1月11日). 2019年8月14日閲覧。
  3. ^ チーム・ロータスは本レースから3週間後のタスマンシリーズ以降、ゴールドリーフの赤と金色カラーリングで出走した。これはこの年からFIAが各チームのスポンサーシップを許可したことによるものであった。よってナショナルカラーである緑(ブリティッシュ・グリーン)のカラーリングは本レースまでとなった。よって、チーム・ガンストンがスポンサーチームによる初のF1参戦であり、初のスポンサーカラーに塗られたマシンとなった。
  4. ^ 本レースのスターティンググリッドは3-2-3。
  5. ^ クラークの死後、同サーキットに3つのシケインが設けられたが、最初のシケインにクラークの名が刻まれ「クラークシケイン」と呼ばれた。このシケインは、2002年のコース短縮によって舗装が剥がされ、森の中となっている。現在も、パラボリカコーナーに入るために右に曲がる手前にクラークの記念碑が飾られている。2つのホッケンハイムリンク”. オフィシャル・フェラーリマガジン. 2019年8月17日閲覧。
  6. ^ 1つのレースでポールポジション、優勝、ファステストラップを達成すること。
  7. ^ 前記したハットトリックに、全周回ラップリーダーを加えたもの。2019年現在においてもクラークが史上最多記録を保持している。

出典編集

  1. ^ a b c d e South African GP, 1968”. grandprix.com. 2019年8月14日閲覧。
  2. ^ a b (林信次 1995, p. 73)
  3. ^ (林信次 1995, p. 58)
  4. ^ a b (ダグ・ナイ 1989, p. 192)
  5. ^ a b Grand Prix of South Africa”. Motor Sport Magazine. 2019年8月14日閲覧。
  6. ^ a b (林信次 1995, p. 70)
  7. ^ a b (林信次 1995, p. 71)
  8. ^ a b (林信次 1995, p. 72)
  9. ^ (林信次 1995, p. 60,72)
  10. ^ 'SA was ahead of the curve' – 50 years of sponsorship in F1”. 'wheels24.co.za'. 2018年10月4日閲覧。
  11. ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 235)
  12. ^ (中村良夫 1998, p. 240)
  13. ^ a b c (林信次 1995, p. 57)
  14. ^ (林信次 1995, p. 60-61)
  15. ^ (中村良夫 1998, p. 239)
  16. ^ South Africa 1968 - Race entrants”. STATS F1. 2019年8月13日閲覧。
  17. ^ South Africa 1968 - Result”. STATS F1. 2019年8月13日閲覧。
  18. ^ South Africa 1968 - Qualifications”. STATS F1. 2019年8月13日閲覧。
  19. ^ South Africa 1968 - Starting grid”. STATS F1. 2019年8月13日閲覧。
  20. ^ 1968 South African Grand Prix”. Formula One. 2015年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月26日閲覧。
  21. ^ South Africa 1968 - Best laps”. STATS F1. 2019年8月13日閲覧。
  22. ^ South Africa 1968 - Laps led”. STATS F1. 2019年8月13日閲覧。
  23. ^ a b South Africa 1968 - Championship”. STATS F1. 2019年3月20日閲覧。

参照文献編集

  • en:1968 South African Grand Prix(2019年5月24日 9:40:09(UTC))より翻訳
  • Lang, Mike (1982). Grand Prix! Vol 2. Haynes Publishing Group. pp. 60–61. ISBN 0-85429-321-3. 
  • Walthert, Matthew (7 April 2015). "Going Out on Top: The Story of Jim Clark's Final Formula 1 Race". Bleacher Report. Retrieved 16 February 2016.
  • 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6
  • 中村良夫『F-1グランプリ ホンダF-1と共に 1963-1968 (愛蔵版)』三樹書房、1998年。ISBN 4-89522-233-0
  • アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2
  • ダグ・ナイ『チーム・マクラーレンの全て』森岡成憲(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2

外部リンク編集