吉頂寺 晃きっちょうじ あきら[出典 1][注釈 2]1906年(明治39年)4月7日[出典 2] - 不明)は、日本俳優。本名は岡崎 光(旧名・岡崎 光彦)、旧芸名に吉頂寺 光吾妻 三郎[2]東京市神田区[注釈 1]出身[1]

きっちょうじ あきら
吉頂寺 晃
別名義 吾妻 三郎
生年月日 (1906-04-07) 1906年4月7日
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 東京市神田区[注釈 1]
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1926年 - 1980年代
主な作品
『懺悔の刃』
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来歴

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懺悔の刃』のスチル写真。左が吾妻(吉頂寺)、右は小波初子

第一早稲田高等学院を中退した後、高松プロ吾妻撮影所の研究生となる。

1926年(大正15年)、タカマツ・アズマプロ製作の『男児一諾』でデビューする[3]。翌1927年松竹蒲田撮影所時代劇部に移り、吾妻三郎名義で、小津安二郎監督のデビュー作『懺悔の刃』などに主演する[出典 1]。その後、河合映画東亜キネマ帝国キネマ長瀬撮影所新興キネマを経て、東宝の専属俳優となる。

東宝専属時代は、クレジットされないエキストラとしての出演が大多数を占めている。1970年(昭和45年)に専属俳優の一斉解雇が行われるまで東宝に在籍。それ以降もテレビCMに出演するなど1980年代頃まで俳優業を続けた。

人物・エピソード

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デビュー当時は阪東妻三郎の人気が上がってきたころで、映画各社が阪妻そっくりのチャンバラスタアをつくろうとしていた。「吾妻三郎」は「阪東妻三郎のそっくりさん」ということで売り出され[3]、これに似せて着けられた芸名で、誰も「あづま」とは読まず、「われ妻三郎」と読んでいた。場末の三本立ての館などでは、阪妻に顔も似ていて「妻三郎」でもあるのでだまされて入った客も相当いたという[7]

出演作品

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映画

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テレビ

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脚注

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注釈

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  1. ^ a b 現・東京都千代田区
  2. ^ 資料によっては、「きっちょうじ ひかる」と記載されている[4][5]
  3. ^ 出演シーンカット。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba ノンクレジット。
  5. ^ 出演シーンカット。

出典

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  1. ^ a b c d 東宝特撮映画全史 1983, p. 529, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」
  2. ^ a b c d e f モスラ映画大全 2011, p. 49, 「脇役俳優辞典16」
  3. ^ a b c d e f g h 初代ゴジラ研究読本 2014, p. 108, 「オール初代ゴジラ俳優大図鑑」
  4. ^ 『日本映画人名事典 男優篇 下巻』(キネマ旬報1996年[要ページ番号]
  5. ^ a b c d ゴジラ大百科 1993, p. 118, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」
  6. ^ a b c d e f g 野村宏平、冬門稔弐「4月7日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、101頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  7. ^ 『ひげとちょんまげ』(稲垣浩、毎日新聞社刊)
  8. ^ a b 東宝特撮映画全史 1983, pp. 535–536, 「主要特撮作品配役リスト」
  9. ^ ゴジラの逆襲”. 東宝 WEB SITE. 東宝. 2022年2月28日閲覧。
  10. ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 9, 「『透明人間』作品解説/俳優名鑑」
  11. ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 17, 「『獣人雪男』作品解説/俳優名鑑」

出典(リンク)

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参考文献

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外部リンク

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