イェスパー・グレンケア

デンマークのサッカー選手

イェスパー・グレンケアJesper Grønkjær, 1977年8月12日 - )は、デンマーク王国グリーンランドヌーク出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはミッドフィールダーフォワード

イェスパー・グレンケア
バーミンガム・シティでのグレンケア (2004年)
名前
ラテン文字 Jesper Grønkjær
基本情報
国籍  デンマーク
生年月日 (1977-08-12) 1977年8月12日(46歳)
出身地 ヌーク
身長 187cm
体重 81kg
選手情報
ポジション MF, FW
利き足 右足
ユース
デンマークの旗 ティステズ
グリーンランドの旗 B-67
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1998 デンマークの旗 AaB 86 (10)
1998-2000 オランダの旗 アヤックス 55 (12)
2000-2004 イングランドの旗 チェルシー 88 (7)
2004-2005 イングランドの旗 バーミンガム・シティ 16 (0)
2005 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 16 (0)
2005-2006 ドイツの旗 シュトゥットガルト 25 (0)
2006-2011 デンマークの旗 コペンハーゲン 114 (16)
通算 400 (45)
代表歴
1993 デンマークの旗 デンマーク U-16 2 (2)
1992-1994  デンマーク U-17 19 (13)
1994-1997  デンマーク U-19 19 (7)
1996-1999  デンマーク U-21 24 (4)
1999-2010 デンマークの旗 デンマーク 80 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

現在は母国デンマークでのサッカー中継のコメンテーターや不動産関係の仕事を行なっている[1]

クラブ経歴 編集

AaB 編集

グリーンランドヌークに生まれ、幼少期にデンマーク本土へ移住してティステズという街で育った。移住後すぐに地元のサッカークラブであるティステズFCのユースチームに加入している。サッカー選手として活躍することを目指していたグレンケアだったが、当時のティステズFCのコーチはグレンケアの恵まれた才能を生かすため、短距離走選手になることを薦めた。1995年、昨シーズンのデンマーク・スーペルリーガ王者であるオールボーBKに加入。加入後すぐにレギュラーに定着すると、プロ1シーズン目にはUEFAチャンピオンズリーグに出場し、在籍3シーズンで当時10代だったグレンケアはすでに公式戦100試合以上の出場機会を得ていた。この活躍により、欧州トップレベルのクラブからオファーが舞い込んできた。

アヤックス 編集

1997年10月、350万ユーロでアヤックス・アムステルダムへの売却が決まり、翌年6月に加入することになった。当時のアヤックスには監督にモアテン・オルセンが、選手には同胞のオーレ・トビアセンらがいた。ここでは、1997-98シーズンにKNVBカップを制し、翌シーズンにはアヤックスサポーターが選ぶクラブ年間最優秀選手に輝いた[2]

チェルシー 編集

2000年10月、当時のデンマーク人最高額となる780万ユーロでプレミアリーグチェルシーFCに移籍したが[3]、2001年1月まで負傷離脱しており、デビューは長引いた。デビュー後は安定した活躍を披露できずにいたが、1月28日に行われたFAカップ4回戦のジリンガムFC戦にて4-2での勝利に貢献する2ゴールを挙げた[4]

2002-03シーズンのプレミアリーグ最終節リヴァプールFC戦、グレンケアは決勝ゴールを挙げたが、これは後のチェルシーの歴史を変えたと言われている。この試合に勝てば来季CL権獲得だったが、引き分け以下だった場合はチャンピオンズリーグ出場が叶わないという試合だった。来季のチャンピオンズリーグに出場できなければ、チェルシーの財政は圧迫され、選手に給料を払えないどころか経営破綻すると当時の会長に脅された。また、現チェルシー資金源のロマン・アブラモヴィッチトッテナム・ホットスパーFCの出資者かチェルシーの出資者になるか決めかねていたが、リヴァプール戦の結果チャンピオンズリーグ出場権を得たチェルシーに出資することを決めた。その後アブラモヴィッチの豊富な資金力を元に急成長と遂げたチェルシーは国際舞台の場で活躍することになる。ゆえに、このグレンケアのゴールは"ビリオン・ポンド・ゴール"と呼ばれ[5]、クラブの歴史を大きく変える、そして、価値ある決勝弾となった[6]

2003-04シーズンのチャンピオンズリーグ ベスト8にてアーセナルFCと対戦したチェルシーはホームでの第一戦を1-1のドローで終えるも、第二戦にえ、グレンケアの先制ゴールもあって3-2でアーセナルを破り、ベスト4進出を決めた[7]。そのベスト4ではASモナコと対戦し、再びグレンケアは得点を挙げたものの、チームは2戦合計5-3で敗れ、大会を後にした。

スペイン、ドイツ挑戦 編集

2004年7月、恩師でもあったチェルシー監督クラウディオ・ラニエリが解任されると、グレンケアは220万ユーロの売却額で同じくプレミアリーグのバーミンガム・シティFCと放出された[8]。しかし、バーミンガムではスティーヴ・ブルース監督の戦術に適応するまで時間が掛かり、12月までに16試合には出場したものの、無得点なおかつフル出場もわずかだった[9]。しかし、EFLカップリンカーン・シティFC戦でクラブ唯一の得点を挙げている[10]。2004年12月、アトレティコ・マドリードに200万ユーロで移籍した[11]。アトレティコ・マドリードではセサル・フェランド監督にサイドでの突破力を買われ、レギュラーに定着し、フェルナンド・トーレスの得点をアシストするプレーが多くなった。しかし、グレンケア自身はスペインの環境に馴染むことができず、2004-05シーズン終了後に移籍リクエストをクラブに提出。その夏に400万ユーロほど増額された600万ユーロという移籍金でドイツのVfBシュトゥットガルトに引き取られた[12]。当時のシュトゥットガルトは、イタリア人監督ジョヴァンニ・トラパットーニの下、豪華なメンバーを要しており、グレンケアの同胞であるヨン・ダール・トマソンらがいた。しかし、トラパットーニはグレンケアやトマソンを重用せず、ベンチに追いやった。結果、リーグ中位に落ち着いた責任を取る形でトラパットーニは解任され、これを機にドイツやデンマークメディアは彼らに移籍を薦めた。

コペンハーゲン 編集

 
FCコペンハーゲンでのグレンケア (2010年)

2006年6月23日、デンマーク・スーペルリーガFCコペンハーゲンに移籍した[13]。このシーズン、コペンハーゲンはチャンピオンズリーグの予選2回戦から参戦し、グレンケアはコペンハーゲン史上初の予選突破に貢献した。グループステージのSLベンフィカ戦では、8から12週間の離脱となる負傷を負ったが[14]、11月のデンマーク・カップエスビャウfB戦で戦列に復帰した。復帰後の12月6日、チャンピオンズリーググループステージ第4節のセルティックFC戦では3-1での勝利に繋がる先制点を挙げた。最終的にコペンハーゲンはリーグ優勝を果たし、シーズン終了後にグレンケアはリーグMVP候補にノミネートされた[15]。翌シーズンは負傷の影響で冬までメンバーに入り込めず、シーズン14試合の出場に終わった。2008-09シーズンはUEFAヨーロッパリーグにてベスト32に、翌シーズンのチャンピオンズリーグではクラブ史上最高成績となるベスト16進出に大きく貢献した[16]。2010-11シーズン、公式戦38試合に出場して6ゴールを挙げるなど、来季の構想に入ると思われたが、そのシーズン終了後に現役引退発表を行なった[17]

代表経歴 編集

1992年10月、当時ティステドFCのユースチームに所属していたグレンケアは、U-16デンマーク代表から初招集を受け、ユース世代デビューを果たした。1994年にはU-16 EUROに出場し、着実に評価を高めて行った。翌年の1995年にはU-19歳以下のデンマーク最優秀選手に選出され、ユース世代のデンマーク代表では通算64試合に出場して24ゴールを挙げた。

1998年、アヤックスに移籍し、レギュラーの座を掴んでいたグレンケアは、1999年3月27日、イタリア代表とのEURO 2000予選にてフル代表デビューを果たした。そのEURO2000では、ボー・ヨハンソン監督の下グループステージ全3試合に出場したが、チームは決勝トーナメントに進めなかった。

2年後の2002 FIFAワールドカップ開幕時にはチェルシーFCに在籍していたが、この大会でもレギュラーとして活躍した。自身2回目のEURO大会となったUEFA EURO 2004では開幕節のポルトガル代表戦の直前に母親が亡くなり、グレンケアの心身状態を考慮し、ポルトガル戦は欠場した。

2010年には、FCコペンハーゲンでの活躍から、2010 FIFAワールドカップの本大会登録メンバーに含まれた[18]。しかし、デンマークはオランダ代表日本代表と同組だったグループEを突破できず、大会終了後にグレンケアは代表引退を決断した[19]

人物 編集

2016年、現役を引退してからうつ病になり、およそ5年間の間入院していたことを明かした。うつ病を患った原因は、現役を引退し、生まれて初めて目標・やりがいの無い時間が生まれ、漠然とした虚無感に襲われたからと話している[20]

2016年2月1日、デンマークアマチュアリーグに所属するFCグレンスレデルネにアマチュア選手として加入し、6月に再度現役を引退した[21][22]

個人成績 編集

クラブ 編集

クラブ シーズン リーグ カップ リーグカップ 欧州大会 通算
ディヴィジョン 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
AaB 1995-96 スーペルリーガ 29 3 8 0 37 3
1996–97 28 1 28 1
1997–98 29 6 29 6
クラブ通算 86 10 8 0 94 10
アヤックス 1998-99 エールディヴィジ 25 8 4 2 4 0 33 10
1999–00 25 3 1 0 4 0 30 3
2000–01 5 1 0 0 1 1 6 2
クラブ通算 55 12 5 2 0 0 9 1 69 15
チェルシー 2000–01 プレミアリーグ 14 1 2 2 0 0 0 0 16 3
2001–02 13 0 3 0 0 0 0 0 16 0
2002–03 30 4 5 1 2 0 2 0 39 5
2003–04 31 2 4 0 3 0 10 1 48 3
クラブ通算 88 7 14 3 5 0 12 1 119 11
バーミンガム・シティ 2004–05 プレミアリーグ 16 0 0 0 2 1 18 1
アトレティコ・マドリード 2004–05 ラ・リーガ 16 0 1 0 17 0
シュトゥットガルト 2005–06 ブンデスリーガ 25 0 2 0 1 0 7 0 35 0
コペンハーゲン 2006–07 スーペルリーガ 21 5 4 0 6 1 31 6
2007-08 25 3 3 1 7 1 35 5
2008–09 14 2 0 0 2 0 16 2
2009–10 29 2 1 0 12 4 42 6
2010–11 25 4 1 0 12 2 38 6
クラブ通算 114 16 9 1 39 8 162 25
キャリア通算 400 45 31 6 8 1 75 10 514 62

代表 編集

出場大会
試合数

Aマッチ 80試合 5得点 (1999年 - 2010年)


デンマーク代表国際Aマッチ
出場得点
1999年 6 0
2000年 8 0
2001年 8 1
2002年 12 1
2003年 7 2
2004年 12 1
2005年 5 0
2006年 2 0
2007年 10 0
2008年 0 0
2009年 6 0
2010年 4 0
通算 80 5
ゴール
# 日付 会場 対戦国 得点 結果 大会
1 2001年4月25日 デンマーク, コペンハーゲン   スロベニア 1–0 3–0 親善試合
2 2002年5月26日 日本, 和歌山県   チュニジア 1–0 2–1 親善試合
3 2003年6月7日 デンマーク, コペンハーゲン   ノルウェー 1–0 1–0 EURO2004予選
4 2003年8月20日 デンマーク, コペンハーゲン   フィンランド 1–0 1–1 親善試合
5 2004年6月18日 ポルトガル, ブラガ   ブルガリア 2–0 2–0 EURO 2004

タイトル 編集

クラブ 編集

AFCアヤックス
FCコペンハーゲン

個人 編集

  • U-19デンマーク最優秀選手 : 1回 (1995)
  • アヤックス年間最優秀選手 : 1回 (2000)
  • スーペルリーガ年間最優秀選手 : 1回 (2007)

脚注 編集

  1. ^ Jesper Grønkjær om udlandskarriere: Jeg var i tvivl” (dk). Tipsbladet (2020年6月9日). 2021年5月19日閲覧。
  2. ^ Webster, Rupert. “GRONKJAER A GOOD BUY”. Sky Sports. 2021年5月19日閲覧。
  3. ^ “Chelsea sign £7.8m Gronkjaer”. The Independent. (2000年10月31日). https://www.independent.co.uk/sport/football/premier-league/chelsea-sign-pound78m-gronkjaer-637219.html 2011年8月24日閲覧。 
  4. ^ “Chelsea defeat brave Gills”. BBC Sport. (2001年1月28日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/fa_cup/1139916.stm 2012年6月24日閲覧。 
  5. ^ “Jesper Gronkjaer: The winger who scored Chelsea's £1bn goal”. The Independent (London). (2011年2月21日). https://www.independent.co.uk/sport/football/news-and-comment/jesper-gronkjaer-the-winger-who-scored-chelseas-1bn-goal-2220694.html 2021年5月20日閲覧。 
  6. ^ 買収から1000試合…アブラモビッチが変えたチェルシーの運命”. Goal.com (2020年12月2日). 2021年5月20日閲覧。
  7. ^ Haylett, Trevor (2004年4月6日). “Bridge breaks Arsenal's hearts”. UEFA.com. 2011年6月2日閲覧。
  8. ^ “Birmingham sign Gronkjaer”. BBC Sport. (2004年7月12日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/teams/b/birmingham_city/3879817.stm 2011年8月24日閲覧。 
  9. ^ “Bruce hails resurgent Gronkjaer”. BBC Sport. (2004年11月3日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/b/birmingham_city/3977981.stm 2014年10月6日閲覧。 
  10. ^ “Birmingham 3–1 Lincoln”. BBC. (2004年9月21日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/league_cup/3655968.stm 2011年6月2日閲覧。 
  11. ^ “Gronkjaer ties up move to Madrid”. BBC Sport. (2004年12月21日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/teams/b/birmingham_city/4066059.stm 2011年8月24日閲覧。 
  12. ^ German Bundesliga”. ESPN FC (2005年7月30日). 2013年8月11日閲覧。
  13. ^ FCK henter Jesper Grønkjær hjem” (dk). dr.dk (2006年6月23日). 2011年6月2日閲覧。
  14. ^ Møller, Jesper (2006年9月15日). “Jesper Grønkjær ude i 8–12 uger” (dk). Danmarks Radio. 2011年6月2日閲覧。
  15. ^ Davidsen, Mads (2007年11月12日). “Dobbeltgevinst til FCK” (デンマーク語). tipsbladet.dk. 2012年1月6日閲覧。
  16. ^ Sådan vil vi huske Jesper Grønkjær” (デンマーク語). DR (2011年5月26日). 2012年1月6日閲覧。
  17. ^ Bruun, Peter (2011年5月26日). “Grønkjær announces retirement plan”. UEFA.com. 2012年1月6日閲覧。
  18. ^ Olsen names final Denmark squad”. UEFA.com (2010年5月28日). 2010年6月2日閲覧。
  19. ^ Lauridsen, Søren (2010年6月24日). “Grønkjær stopper på landsholdet” (デンマーク語). Ekstra Bladet. 2010年6月24日閲覧。
  20. ^ La nueva vida de Gronkjaer: de la élite a un psiquiátrico que por fin ha abandonado”. BeSoccer (2021年4月19日). 2021年5月19日閲覧。
  21. ^ Danmarks vildeste Serie 4-hold med kæmpe transferbombe: Henter tidligere Chelsea-stjerne Archived 5 March 2017 at the Wayback Machine.‚ footy.dk, 1 February 2016
  22. ^ FC Græsrødderne henter eks-Chelsea-spiller Archived 3 February 2016 at the Wayback Machine.‚ tv3sport.dk, 1 February 2016

外部リンク 編集