キャプテン・ビーフハート

キャプテン・ビーフハートCaptain Beefheart)ことドン・ヴァン・ヴリートDon Van Vliet1941年1月15日 - 2010年12月17日)は、アメリカ合衆国シンガーソングライターミュージシャンアーティスト詩人作曲家プロデューサー映画監督画家

  • キャプテン・ビーフハート
  • (ドン・ヴァン・ヴリート)
Captain Beefheart in Toronto.jpg
1974年のトロント公演にて
基本情報
出生名 ドン・グレン・ヴリート
生誕
死没
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間
レーベル
共同作業者
  • キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド(1964年-1969年)
  • キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド(1970年-1982年)

概要編集

ヴァン・ヴリートは1964年、キャプテン・ビーフハートのステージ名で「キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド」を結成して、リーダー兼ボーカリストになった。キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドは1970年以後は「キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド」と名乗り、1982年まで合計約18年間活動した。彼等は1960年代に始まったアメリカ西海岸のサイケデリック・ミュージック・シーンにおける最も重要なバンドの一つに挙げられ、イギリスや西ヨーロッパ諸国でも支持を得た。

1982年、ヴァン・ヴリートは音楽界から退き、2010年に病没するまで画家ドン・ヴァン・ヴリートとして絵画の世界で活動した。

略歴編集

生い立ち編集

ヴァン・ヴリートは1941年1月15日、アメリカ合衆国カリフォルニア州グレンデールでヴリート家に生まれた。 出生名はドン・グレン・ヴリート(Don Glen Vliet[10]。幼少期より美術工芸に才能を発揮し、地元のメディアに作品が取り上げられたこともあった[注釈 1][11]。転居先の高校で同級生のフランク・ザッパとR&Bのレコード鑑賞を通じて親交を深め、やがてザッパがギター、ヴァン・ヴリートがボーカルを担当して録音するようになった。キャプテン・ビーフハートというステージ名は、ザッパと共同で制作していた映画[12]に基づいて生まれた[注釈 2]

ミュージシャンとして編集

ハウリン・ウルフなどの影響下にある強烈な濁声を持ったブルース・シンガーとして頭角を現わす。1964年、キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド(以下、ヒズ・マジック・バンド)を形成。この頃、名字をヴリートからヴァン・ヴリートに変えた。ヒズ・マジック・バンドは1965年にA&M・レコードと契約を結び[13]、プロデューサーにデヴィッド・ゲイツ[注釈 3]を迎えて、1966年4月にデビュー・シングル'Diddy Wah Diddy'[注釈 4]、同年6月に2作目のシングル'Moonchild'[注釈 5] を発表した[注釈 6]

ヒズ・マジック・バンドは1967年ブッダ・レコードから『セイフ・アズ・ミルク』でアルバム・デビュー。メンバーにはライ・クーダーがいた[注釈 7]。彼らは1968年ブルー・サム・レコードに移籍してセカンド・アルバムを制作したが、その発表を待たずにザッパが設立したストレイト・レコードに移籍した。まもなくブルー・サム・レコードからセカンド・アルバム『ストリクトリー・パーソナル』が発表されたが、ブルージーな『セイフ・アズ・ミルク』とは対照的に、サイケデリックな音響効果が加えられていた。これはブルー・サム・レコードの設立者でもあったプロデューサーのボブ・クラスナウが無断で行なったもので[14]、ヴァン・ヴリートを激怒させた。

ヴァン・ヴリートはストレイト・レコードの自由な環境下で新曲を作り、新メンバーを迎えたヒズ・マジック・バンドは集団生活を送ってリハーサルに明け暮れた。ザッパをプロデューサーに迎えて1969年に発表した二枚組のサード・アルバム『トラウト・マスク・レプリカ』は、ブルースを基本としつつフリー・ジャズ民族音楽ポリリズム現代音楽の不協和音などの要素をふんだんに盛り込んだ問題作であり、当時の音楽シーンに衝撃を与えた。

1970年には、自らのプロデュースで『トラウト・マスク・レプリカ』の延長線上にある次作『リック・マイ・デカルズ・オフ、ベイビー』を制作して、キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド名義で発表した。その後、バンドのメンバーの入れ替わりにレコード会社やマネージメントの変更が重なって混乱が生じ、ヴァン・ヴリートは1974年に音楽活動を停止するに至ったが、1975年のザッパとの活動を契機にバンドを再起動してライブ活動を再開し、1978年から1982年までの間に再び意欲的な作品を発表した。これらの活動を通じて、1970年代のパンクポストパンクあるいはニュー・ウェイヴの世代にも大きな影響を与えた[注釈 8][15]トム・ウェイツはキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドから大きな影響を受けたのみならず、ヴァン・ヴリートが2010年に病没するまで彼との接触を保った数少ない人物の一人である[15]

音楽活動の末期である1982年10月には、NBCの人気番組『レイト・ナイト・ウィズ・デヴィッド・レターマン』に単独出演した[16]

ソロ活動は少なく、ザッパとの活動がいくつか挙げられる程度であった。1969年に彼の2作目のソロ・アルバム『ホット・ラッツ』に客演。キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドが解散状態にあった1975年には、フランク・ザッパ・アンド・ザ・マザーズ・オブ・インヴェンションの『ワン・サイズ・フィッツ・オール』に客演し、さらに彼等の国内ツアーに参加してライブ・アルバム『ボンゴ・フューリー』を共作として発表した。但し、ヴァン・ヴリートの音楽とザッパの音楽は明らかに異なっており、また極めて個性的な両者の人間関係は緊張を孕んでいた[17]

画家として編集

1971年に発表したキャプテン・ビーフハート名義のアルバム『ザ・スポットライト・キッド』の裏面ジャケットに、キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドのメンバーを描いた作品を掲載した[18]

1972年4月4日から22日まで、リヴァプールのブルーコート・ギャラリーで、キャプテン・ビーフハート名義で初の個展を開き、好評を得た[19][20]

1982年以後、音楽界から退き、画家としての活動に専念した。

病没編集

2010年12月17日多発性硬化症とそれに伴う合併症により、カリフォルニア州アルカータの病院で死去[21][22]。69歳没。

ディスコグラフィ編集

キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド編集

キャプテン・ビーフハート編集

ヴァン・ヴリートが単独で参加した作品を示す。

オリジナル・アルバム
オリジナル・アルバム (客演)
コンピレーション・アルバム

脚注編集

出典編集

  1. ^ “In Memoriam”. Billboard (Nielsen Business Media) 123 (35): 135. (October 1, 2011 - December 17). ISSN 0006-2510. https://books.google.co.jp/books?id=jim-YANOn5AC&pg=RA12-PA135. 
  2. ^ a b c d e f g h i j Ankeny, Jason. Captain Beefheart Biography, Songs, & Albums - オールミュージック. 2022年8月7日閲覧。
  3. ^ Hansen, Barret (1968年12月7日). “Records”. Rolling Stone. San Francisco: Straight Arrow Publishers. 2022年8月7日閲覧。
  4. ^ a b c d Leatham, Thomas (2022年7月13日). “The story of Captain Beefheart, an art sculpting child prodigy”. faroutmagazine.co.uk. Far Out Magazine. 2022年8月7日閲覧。
  5. ^ a b c Art-rock pioneer Captain Beefheart dies aged 69”. France24 (2010年12月18日). 2022年8月7日閲覧。
  6. ^ Winner, Langdon (2010年12月17日). “The Odyssey of Captain Beefheart: Rolling Stone's 1970 Cover Story”. Rolling Stone. 2022年8月7日閲覧。
  7. ^ a b Masters, Marc (2018年4月28日). “Captain Beefheart and His Magic Band: Trout Mask Replica”. Pitchfork Media. Condé Nast. 2022年8月7日閲覧。
  8. ^ Tawa, Nicholas E. (2005). Supremely American: Popular Song in the 20th Century: Styles and Singers and What They Said About America. Lanham, MA: Scarecrow Press. pp. 249-250. ISBN 0-8108-5295-0 
  9. ^ A beginner's guide to the weird world of Captain Beefheart”. The A.V. Club. G/O Media (2014年11月6日). 2022年8月7日閲覧。
  10. ^ Barnes (2011), p. 1.
  11. ^ Barnes (2011), pp. 2–6.
  12. ^ Zappa & Occhiogrosso (1990), p. 54.
  13. ^ Barnes (2011), p. 22.
  14. ^ 『ルナー・ノーツ—キャプテン・ビーフハート』ビル・ハークルロード (著)、ビリー・ジェイムス (著)、水声社、1999年、ISBN 978-4891764050
  15. ^ a b Barnes (2011), pp. 247–248, 268–269, 325–328.
  16. ^ Barnes (2011), pp. 299–300.
  17. ^ Barnes (2011), p. 213.
  18. ^ Barnes (2011), p. 150.
  19. ^ Bluecoat Library”. 2022年8月28日閲覧。
  20. ^ Barnes (2011), pp. 164–165.
  21. ^ Captain Beefheart Dead At 69 MTV 2010-12-18.
  22. ^ キャプテン・ビーフハート氏死去 米ミュージシャン 共同通信 2010年12月18日閲覧
  23. ^ Barnes (2011), pp. 254–255.
  24. ^ Barnes (2011), pp. 255–256.
  25. ^ Discogs”. 2022年12月3日閲覧。
  26. ^ Discogs”. 2022年12月3日閲覧。
  27. ^ Ulrich (2018), pp. 670–676.
  28. ^ Ulrich (2018), pp. 296–305.
  29. ^ Ulrich (2018), pp. 355–367.

注釈編集

  1. ^ 13歳の時には、16歳になってから三年間、ヨーロッパで美術工芸の勉強をする奨学金に合格したほどであった。両親の反対などの理由で辞退した。
  2. ^ 二人が1964年に制作していた低予算のSF映画Captain Beefheart vs. The Grunt Peopleの登場人物。ザッパが台本を書き、ヴァン・ヴリートが魔力を発揮するマジック・マンであるキャプテン・ビーフハートを演じる計画であった。ザッパの『ミステリー・ディスク』でその名残であるマテリアルを聴くことができる。
  3. ^ 1970年代にソフト・ロック・バンドとして名を馳せたブレッドのリーダーである。
  4. ^ ボ・ディドリーの1956年のヒット曲のカバー。作者はWillie DixonとEllas McDaniel。Ellas McDanielは、ディドリーの本名である。
  5. ^ 作者は、プロデューサーのゲイツ。
  6. ^ これらのシングル曲は裏面の曲と共に、1984年に発表された12インチEP『ザ・レジェンダリー・A&M・セッションズ』に収録された。
  7. ^ クーダーは、音楽監督の役割も担った重要なメンバーであったが、アルバムの制作が終了した直後のステージでヴァン・ヴリートがとった行動を見て、彼に愛想を尽かして脱退した。
  8. ^ ジョン・ライドンジョー・ストラマ―ミック・ジョーンズなどのパンク・ロック世代、ザ・ポップ・グループXTCディーヴォ(Devo)などのポスト・パンク・ロック世代が挙げられる。
  9. ^ フランク・ザッパ・アンド・ザ・マザーズ・オブ・インヴェンションとの共作。
  10. ^ フランク・ザッパのアルバム。'Willie The Pimp'でボーカルを担当した。
  11. ^ フランク・ザッパ・アンド・ザ・マザーズ・オブ・インヴェンションのアルバム。ブラッドショット・ローリン・レッドの変名で参加して、'San Ber'dino'でハーモニカを担当した。
  12. ^ フランク・ザッパのアルバム。'Find Her Finer'でハーモニカを担当した。
  13. ^ ザ・チューブスのアルバム。'Cathy's Clone'でソプラノ・サキソフォン、'Golden Boy'でハーモニカを担当した。
  14. ^ 1978年に公開されたポール・シュレイダーの監督作『ブルーカラー/怒りのはみだし労働者ども』のオリジナル・サウンド・トラックで、ジャック・ニッチェ名義のアルバム。ヴァン・ヴリートはキャプテン・ビーフハートの名で、シュレイダー、ニッチェ、ライ・クーダーの共作'Hard Workin' Man (Main Title)'を歌った。この曲はシングル・カットされた。
  15. ^ ザッパの未発表ライブ音源集。1975年5月21日にテキサス州オースティンで開かれたザ・マザーズ・オブ・インヴェンションとのコンサートで録音された'The Torture Never Stops Original Version'を収録。ヴァン・ヴリートはリード・ボーカルを担当。
  16. ^ ザッパの未発表音源集。ヴァン・ヴリートが参加した5曲を収録。'Lost in a Whirlpool'は1958年12月か1959年1月にカリフォルニア州ランカスターアンテロープ・ヴァリー・ジュニア・カレッジでザッパと弟のボビーザッパとの録音。'Tiger Roach'は1964年にザッパのスタジオZでザッパや後にキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドの初期のメンバーになったヴィック・モーテンセンらと録音。'I'm a Band Leader'は1968年か69年の録音。"Alley Cat" は1969年にザッパの家の地下室でザッパ、キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドのジョン・フレンチ、元ザ・マザーズ・オブ・インヴェンションで1970年にキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドに加入することになるエリオット・イングバーらと録音。'The Grand Wazoo'は1969年の録音。'Lost in a Whirlpool'と'Alley Cat'はヴァン・ヴリートとザッパの共作。'I'm a Band Leader'と'The Grand Wazoo'はザッパが書いた文章をヴァン・ヴリートが朗読したもの。
  17. ^ ザッパの未発表音源集。ヴァン・ヴリートが参加した'Opening Night at Studio Z (Collage)'(1964年)、'I was a Teen-age Shop'(1964年)、'The Birth of Captain Beefheart'(1964年)、'Metal Man Has Won His Wings'(1964年)を収録。

参考文献編集

  • 『ルナー・ノーツ—キャプテン・ビーフハート』、ビル・ハークルロード (著)、ビリー・ジェイムス (著)、水声社、1999年、ISBN 978-4891764050
  • Barnes, Mike (2011), Captain Beefheart: The Biography, Omnibus Press, ISBN 978-1-78038-076-6 
  • Courrier, Kevin (2013), Trout Mask Replica, Bloomsbury, ISBN 978-0-8264-2781-6 
  • French, John (2010), Beefheart: Through the Eyes of Magic, Proper Music Publishing, ISBN 978-0-9561212-5-7 
  • Harkleroad, Bill; James, Billy (2000). Lunar Notes: Zoot Horn Rollo's Captain Beefheart Experience. Gonzo Multimedia Publishing. ISBN 978-1-908728-34-0 
  • Ulrich, Charles (2018), The Big Note: A Guide To The Recordings Of Frank Zappa, New Star, ISBN 978-1-55420-146-4 
  • Van Vliet, Don (1987), Skeleton Breath, Scorpion Blush, Verlag Gachnang & Springer, ISBN 3-906127-15-X 
  • Zappa, Frank; Occhiogrosso, Peter (1990). The Real Frank Zappa Book. Touchstone. ISBN 0-671-70572-5 

関連項目編集

外部リンク編集