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ノーベル平和賞

ノーベル賞のひとつ

ノーベル平和賞(ノーベルへいわしょう、ノルウェー語: Nobels fredspris)は、ノーベル賞の一部門で、アルフレッド・ノーベルの遺言によって創設された5部門のうちの一つ[1][2]

ノーベル平和賞
会場 オスロ
 ノルウェー
授与者 ノルウェー・ノーベル委員会
初回 1901年
最新回 2018年
最新受賞者 デニス・ムクウェゲ
ナーディーヤ・ムラード
公式サイト http://www.nobelprize.org/
ノーベル平和賞受賞者を決定するノルウェー議会
オスロ市庁舎外観
1974年のノーベル平和賞のメダル

ノーベル賞の創設者アルフレッド・ノーベルはスウェーデンノルウェー両国の和解と平和を祈念して「平和賞」の授与はノルウェーで行うことにした。平和賞のみ、スウェーデンではなくノルウェー政府が授与主体である。

ノーベル平和賞のメダルは、表面にはアルフレッド・ノーベルの横顔(各賞共通)、裏面には三位一体を表現した図案「Pro pace et fraternitate gentium」の文が刻まれている(受賞者名も刻まれる)[3]

目次

概要編集

創設者のノーベルは遺言で、平和賞を「国家間の友好関係、軍備の削減・廃止、及び平和会議の開催・推進のために最大・最善の貢献をした人物・団体」に授与すべしとしている[2][1]。他のノーベル賞と異なり、団体も授与対象となっているのが特徴である[2]。政治情勢の影響を受けやすく、第一次世界大戦第二次世界大戦の時期等、受賞者がないことも見られた[2]

また、受賞前の実績だけではなく、受賞後の政治的情勢を誘引する目的で贈られる場合もある。賞は、12月10日午後1時(現地時間)からオスロのオスロ市庁舎で授賞式が行われる。

選定方式編集

毎年の受賞は最高3人。選考はノルウェーの国会が指名する5人の委員と選考を取り仕切る1人の書記で構成されているノルウェー・ノーベル委員会が行う。各国に推薦依頼状(通常非公表)を送り、推薦された候補者より選ばれる。2013年には259の個人と組織(うち50の組織)の推薦があり、過去最大の数とされている[4]。受賞が決まるのは例年10月頃。候補者の名前は50年間公表されない[4]。個人の場合は生存していることが条件であり、死後この賞を受けたのはダグ・ハマーショルドのみ(存命中に授与が決定していたため)[4]

トマーシュ・マサリクウィリアム・ハワード・タフトなどの政治家、ニコライ2世ハイレ・セラシエ1世といった君主、レフ・トルストイピエール・ド・クーベルタンなどが候補となっていたことが公表されている[4]。また、1939年にはアドルフ・ヒトラーが推薦されているが、これは反ファシズムの立場を取るスウェーデンの国会議員によるもので、皮肉を意図したものであった[4]ベニート・ムッソリーニヨシフ・スターリンフアン・ペロン夫妻といった独裁者もノミネートされているが、受賞には至っていない[4]

ジェーン・アダムズは1916年に初めて推薦を受けて以来、1931年に受賞するまでにのべ91回の推薦を受けた。これは推薦を受けた回数としては最多のものである[4]

賞金編集

賞金額は1901年当時の賞金額を、その年の貨幣価値に換算されたものが贈られる[5]。2012年以降、平和賞の賞金は一つの賞あたり、800万スウェーデン・クローナとされている[4]。このため共同受賞となった場合には、受賞金額を受賞者達で分け合うことになる。1976年に受賞したベティ・ウィリアムズマイレッド・コリガン=マグワイアの組織は、賞金の分配でもめてバラバラになってしまった[要出典]

評価と論争編集

物議を醸した受賞例編集

医学・物理・化学の科学3賞は、業績に対してある程度客観的な評価と期間を経て選考決定される。しかし、ノーベル平和賞は「現在進行形の事柄に関わる人物」も受賞対象になり、毎年選考に向けて、選考委員に対するロビー活動や政治行動が多く起こるため、選考結果を巡り、世界中で度々論議が起こる。科学3賞や、賞そのものに対して批判のあるノーベル経済学賞と比べ、政治色が強くなりがちである。

平和賞受賞者が、その後に世界の失望を招くこともあり、問題視されている[6]。ノーベル平和賞受賞者の一部は、戦争を助長したと思われる行動を取ったこともあり、「ノーベル平和賞でなくノーベル戦争賞と呼ばなければいけない」という皮肉もある[7]。特に中東和平問題について広瀬隆は、イスラエルパレスチナ解放機構の秘密会談が行われた背景にアラブ人が不利になる可能性を指摘していた[8]

ノルウェー外交による政治アピールの側面もあるとの見方もある。2015年10月9日付けの『ディ・ヴェルト』は「ノーベル平和賞における巨大な誤った決定」との見出しで、同紙が疑問に思う『ノーベル平和賞受賞者』を列挙した。

  • オシエツキー(1935年授賞、ドイツ国)やサハロフ(1975年授賞、ソビエト連邦)、アウンサンスーチー(1991年授賞、ミャンマー)、劉暁波(2010年授賞、中華人民共和国)などのように、母国で政治犯とされている人物への授賞は、やはり当事国政府から強い反発を引き起こしている。ドイツ国では「ドイツ芸術科学国家賞」が、ソビエト連邦では「レーニン平和賞」が、中国では「孔子平和賞」が創設されるなど、ノーベル平和賞に対する対抗措置が取られることもある。
  • 受賞者が政治犯として当事国に拘束されていたり、出国が認められなかった場合には、本人が授賞式に出席できないケースもたびたびある。サハロフとワレサ(1983年)の場合は妻、アウンサンスーチーの場合は、ミャンマー国外在住の夫と息子が代理出席したが、オシエツキーの場合は代理出席した弁護士が賞金のみを受け取り横領した。劉の場合は、妻の出国を政府当局が認めなかったため、家族の代理出席も出来なかった。
  • 非核三原則」を提唱したことをもって、1974年に受賞した佐藤栄作の場合、後に有事の際に、在日本アメリカ軍の「核兵器持ち込み」に関する密約が、日米間で結ばれていたことが2010年に明るみに出た(西山事件日米核持ち込み問題)。
  • 2000年に史上初の南北首脳会談を実現させたとして受賞した大韓民国(韓国)大統領金大中も、政権発足当時から受賞のために組織的な「工作」を行っていたことや、会談の相手国である朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に5億ドルを不法に送金していたことが、後年アメリカに政治亡命した大韓民国国家安全企画部(現・韓国国家情報院)の元職員によって暴露され、「カネで買った平和賞」との批判が巻き起こった。いずれも、受賞当時には知られていなかった事実が明るみに出ることで、平和賞受賞者として相応しかったのかという議論が長い間続いているケースである。
  • 1973年には、ベトナム戦争パリ協定調印を理由に、アメリカ合衆国ヘンリー・キッシンジャーベトナム民主共和国(北ベトナム)レ・ドゥク・トが共同受賞したが、キッシンジャーへの授与に対しては、ノーベル平和賞委員会の中でも激しい議論が巻き起こり、反対した2人の委員が、抗議のため辞任するほどだった。平和賞の授与主体であるノルウェー政府は、激しい世論の批判にさらされ、当時の国王オラフ5世が、首都オスロの路上で雪玉を投げ付けられる事件まで起きた。またレ・ドゥク・トは、ベトナム平和が訪れていない事を理由に、平和賞の受賞を辞退した。その後、ベトナム民主共和国はパリ和平協定を破って、南ベトナムへの攻撃を再開し、1975年4月30日にはサイゴン陥落させ、ベトナム全土を武力統一し、1976年にベトナム社会主義共和国を樹立させた。
  • 1994年には、パレスチナ和平合意締結を理由に、イスラエルのイツハク・ラビン首相とシモン・ペレス外相、パレスチナ解放機構 (PLO) のヤーセル・アラファト議長が共同受賞したが、パレスチナの平和は続かず、やがて武力紛争が再開された。
  • 2002年には、アメリカのジミー・カーター元大統領が受賞した。当時アメリカが行おうとしていたイラク戦争に対して、ヨーロッパとりわけ北欧諸国は反対の立場をとっており、カーターの受賞は、カーターが北欧同様にイラク攻撃に懐疑的であったことによると考えられている。また2005年に受賞したエジプトのモハメド・エルバラダイは、イラク戦争を契機に、アメリカに対して批判的態度を採っており、この受賞もジョージ・W・ブッシュ政権への批判であると指摘されている[9]
  • 2007年には、環境問題提起によるアメリカの元副大統領アル・ゴアへの授賞も、上記と同じように政治的な意味合いが強かったのではないかとされている。2000年の大統領選挙は、ゴア対ブッシュとなり後者の勝利が決定に至るまで、紆余曲折(ブッシュ対ゴア事件参照)があったことは周知の事実である。また、同じく候補だったイレーナ・センドラー(ポーランドのシンドラーとも呼ばれる反ホロコーストレジスタンスの活動家)の方が平和賞の趣旨に沿った活動を行っており、より相応しかったのではないかと言う批判も根強かった[10]
  • 2009年には、アメリカのバラク・オバマ大統領が、プラハでの「核なき世界」演説に代表される「核軍縮政策の呼びかけ」などを理由に受賞したが、「演説だけで受賞」と言う揶揄や、大統領就任1年目で実績が乏しい段階での授与だったため、「時期尚早ではないか」との論議が巻き起こった[11][12]。平和賞推薦の締め切りが、オバマの大統領就任12日後だったことも、驚きに拍車をかけることとなった[13]その後2010年の臨界前核実験実施や2013年のシリア騒乱への武力介入の動きに対しても批判が挙がっている[要出典]。しかもオバマは2015年、アフガニスタンで、1999年受賞者である国境なき医師団運営しているクンドゥズの病院を、誤った情報に基づいて攻撃し、戦争犯罪と指弾された[14]
  • 2012年には、欧州の平和と和解への長年の貢献を評価したとして欧州連合が受賞。しかし評価する声もある一方、通貨ユーロソブリン危機の影響が強い中での受賞に、中国新華社では「平和賞の名声損なう」[15]、チェコ大統領ヴァーツラフ・クラウスは「悲劇的な過ち」[16]、ロシア人権活動家リュドミラ・アレクセーエワが「正しいとはいえない」[17]、イランのナガヴィー・ホセイニー報道官が「政治的に利用されるための道具となっている」[18]など、政治的との批判もある。
  • 2014年のマララ・ユスフザイの受賞については「若過ぎではないのか」(史上初の未成年者)[19]、「イスラム国家を敵に回した」などの声が挙がった。
  • 2017年の核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の受賞については、アメリカ合衆国やロシア連邦など、主要核保有国が駐在特命全権大使の授賞式出席をボイコットするなど反発している。
  • ミャンマー民主化運動の指導者として、1991年に受賞したアウン・サン・スー・チーは、2016年の総選挙で率いる国民民主連盟が大勝して、事実上の最高指導者である「国家顧問」に就任したが、民族浄化との指摘もあるロヒンギャ問題への対応が消極的であるとして、平和賞の取り消しを求める請願運動がインターネット上で行われ、36万を超える署名が寄せられている。これに対し選考委員会は、取り消しに関する条項が存在しない事を理由に、行わないとの声明を出している[20]

ガンディーが受賞しなかった理由編集

マハトマ・ガンディーはノーベル平和賞を受賞しなかった。死後数十年経ってからノーベル委員会が公表した事実によると、ガンディーは1937年から1948年にかけて前後5回ノーベル平和賞にノミネートされていた(1948年は暗殺の直後に推薦の締め切りがなされた)。これについてノーベル委員会は、ガンディーが最終選考に残った1937年、1947年、1948年の選考に関しウェブサイト上で以下のように述べている[21]

  • 1937年には、彼の支持者の運動が時として暴力を伴ったものに発展したことや、政治的な立場の一貫性に対する疑問、彼の運動がインドに限定されていることへの批判があった。
  • 1947年は、当時インドですでに起きていたヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立への対処に関し、ガンディーが非暴力主義を捨てるかのような発言をしたことで、選考委員の間に受賞に対する疑問が起きた。
  • 1948年は最終候補3人の1人で選考委員からは高い評価を得ていたが、故人に対してノーベル賞を与えられるかどうかで議論が起きた。当時は規定で除外されていなかったが、何らかの組織に所属していなかったガンディーの場合賞金を誰が受け取るかが問題になった。最終的に、受賞決定後に死亡した場合以外は故人に賞を与えるのは不適切だという結論となった。ガンディーがもう1年長生きしておれば、賞を与えられていたと考えるのが合理的であろう。
  • ガンディーがそれまでの他の平和賞受賞者とは異なるタイプの平和運動家であったこと、1947年当時のノーベル委員会には今日のように平和賞を地域紛争の平和的調停に向けたアピールとする考えがなかったことが影響している。委員会がイギリスの反発を恐れたという明確な証拠は見当たらない。

受賞者編集

1900年代編集

受賞者名 出身国 受賞理由
1901   アンリ・デュナン   スイス 国際赤十字の創設とジュネーヴ条約制定に向けての貢献
  フレデリック・パシー   フランス 列国議会同盟や国際平和会議の創設を主導したこと
1902   エリー・デュコマン   スイス 国際平和ビューローの名誉事務局長として
  シャルル・ゴバ 列国議会同盟の事務総長として
1903   ウィリアム・ランダル・クリーマー   イギリス 国際仲裁連盟英語版の書記として
1904   万国国際法学会   世界 不明瞭であった戦争法規の存在を喚起するなど、国際法の科学の一般的原則を策定する学会の労力に対して
1905   ベルタ・フォン・ズットナー   オーストリア=ハンガリー帝国 『武器を捨てよ!』の著作と、平和運動への寄与に対して
1906   セオドア・ルーズベルト   アメリカ アメリカ合衆国大統領として日露戦争の講和を斡旋したことに対して
1907   エルネスト・テオドロ・モネータ   イタリア ロンバルディア平和調停連盟の議長として
  ルイ・ルノー   フランス フランスを代表する国際法学者であり、ハーグ平和会議における常設仲裁裁判所の判事として
1908   ポントゥス・アルノルドソン   スウェーデン スウェーデン平和と仲裁協会英語版の創設者として
  フレデリック・バイエル   デンマーク スカンディナヴィア半島の和平を推進し、国際平和ビューローの名誉議長を務めたこと
1909   オーギュスト・ベールナールト   ベルギー 2度に亘るハーグ平和会議の代表を務め、列国議会同盟を先導したことに対して
  エストゥールネル・ド・コンスタン   フランス 英仏、独仏の相互理解のための国際仲裁に関する顕著な外交実績に対して

1910年代編集

受賞者名 出身国 受賞理由
1910   国際平和ビューロー   世界 様々な国家間の平和社会の連携のための行動に対して
1911   トビアス・アッセル   オランダ 国際常設仲裁裁判所の設立
  アルフレート・フリート   オーストリア=ハンガリー帝国 ドイツ平和協会英語版の創設
1912   エリフ・ルート   アメリカ 国際仲裁にかける強い関心と、彼の国際裁判所についての草案に対して
1913   アンリ・ラ・フォンテーヌ   ベルギー 国際平和ビューローの代表者として
1914 なし
1915
1916
1917   赤十字国際委員会   世界
1918 なし
1919   ウッドロウ・ウィルソン   アメリカ 国際連盟創設への貢献

1920年代編集

受賞者名 出身国 受賞理由
1920   レオン・ブルジョワ   フランス 国際連盟の総会議長として
1921   カール・ヤルマール・ブランティング   スウェーデン 国際連盟に対する貢献
  クリスティアン・ランゲ   ノルウェー ノルウェー・ノーベル委員会の事務総長、列国議会同盟の事務局長として
1922   フリチョフ・ナンセン   ノルウェー 戦争難民の帰国および飢餓難民救済活動
1923 なし
1924
1925   オースティン・チェンバレン   イギリス ロカルノ条約締結の主役として
  チャールズ・ドーズ   アメリカ ドイツの経済を回復し安定させる計画についての研究
1926   アリスティード・ブリアン   フランス ロカルノ条約の締結に尽力
  グスタフ・シュトレーゼマン   ドイツ
1927   フェルディナン・ビュイソン   フランス 独仏融和への貢献に対して
  ルートヴィッヒ・クヴィデ   ドイツ
1928 なし
1929   フランク・ケロッグ   アメリカ ケロッグ・ブリアン協定締結に尽力

1930年代編集

受賞者名 出身国 受賞理由
1930   ナータン・セーデルブロム   スウェーデン キリスト教相互の団結(エキュメニズム)のみならず、世界平和のためにキリスト教会を関与させることへの彼の尽力に対して
1931   ジェーン・アダムズ   アメリカ 婦人国際平和自由連盟の指導とその社会改革に対して
  ニコラス・バトラー 不戦条約の締結推進とアメリカ合衆国における平和運動の先導者として
1932 なし
1933   ラルフ・ノーマン・エンジェル   イギリス 大いなる幻影』の著作と、国際連盟への支援、並びに反戦論の敷衍による国際平和への貢献に対して
1934   アーサー・ヘンダーソン   イギリス 世界軍縮会議英語版の議長として
1935   カール・フォン・オシエツキー   ドイツ 反戦主義的ジャーナリズム活動を称えて
1936   カルロス・サアベドラ・ラマス   アルゼンチン パラグアイとボリビア間の対立の仲介
1937   ロバート・セシル   イギリス 国際連盟における彼の業績に対して
1938   ナンセン国際難民事務所   世界 その難民救助活動に対して
1939 なし[22]

1940年代編集

受賞者名 出身国 受賞理由
1940 なし
1941
1942
1943
1944   赤十字国際委員会   世界
1945   コーデル・ハル   アメリカ 国際連合憲章の起草を称えて
1946   エミリー・グリーン・ボルチ   アメリカ 婦人国際平和自由連盟名誉国際会長として
  ジョン・モット キリスト教青年会会長として
1947   イギリス・フレンズ協議会   イギリス その慈善活動への熱意に対して
アメリカ・フレンズ奉仕団   アメリカ
1948 なし
1949   ジョン・ボイド・オア   イギリス 国際連合食糧農業機関の長官や、「国家平和協議会」の議長として

1950年代編集

受賞者名 出身国 受賞理由
1950   ラルフ・バンチ   アメリカ パレスチナ和平調停に尽力し、アラブ諸国とイスラエルの停戦交渉に貢献
1951   レオン・ジュオー   フランス 国際労働機関創設への貢献に対して
1952   アルベルト・シュヴァイツァー   フランス ランバレネにおける外科医としての診療活動に対して
1953   ジョージ・マーシャル   アメリカ マーシャル・プランに対して
1954 国際連合難民高等弁務官事務所   世界 東西冷戦下の難民のための政治的、法的保護に対して
1955 なし
1956
1957   レスター・B・ピアソン   カナダ 第二次中東戦争時に国連緊急軍の創設を提唱
1958   ドミニク・ピール   ベルギー 第二次世界大戦後のヨーロッパでの難民救済活動
1959   フィリップ・ノエル=ベーカー   イギリス 生涯を通じた国際平和と国際協力への熱心な活動に対して

1960年代編集

受賞者名 出身国 受賞理由
1960   アルバート・ルツーリ   南アフリカ共和国 アフリカ民族会議の議長であり、南アフリカ共和国の対アパルトヘイト闘争において最前線で活動したこと
1961   ダグ・ハマーショルド[23]   スウェーデン 世界の平和と協力を推進し、国際連合の強化に尽力
1962   ライナス・ポーリング   アメリカ 核兵器に対する反対運動
1963   赤十字国際委員会   世界 国際赤十字の創設100周年を記念して
  国際赤十字赤新月社連盟
1964   マーティン・ルーサー・キング・ジュニア   アメリカ アメリカ合衆国における人種偏見を終わらせるための非暴力抵抗運動
1965 国際連合児童基金   世界 国際援助機関として
1966 なし
1967
1968   ルネ・カサン   フランス 国連人権宣言の起草に対して
1969   国際労働機関   世界 労働条件や生活水準の改善のための取組みに対して

1970年代編集

受賞者名 出身国 受賞理由
1970   ノーマン・ボーローグ   アメリカ 世界の食糧不足の改善に尽くした
1971   ヴィリー・ブラント   西ドイツ 東ドイツを含めた東欧諸国との関係正常化を目的とした、彼の東方外交に対して
1972 なし
1973   ヘンリー・キッシンジャー   アメリカ ベトナム戦争の和平交渉
  レ・ドゥク・ト[24]   ベトナム
1974   ショーン・マクブライド   アイルランド 人権に強い関心を示し、欧州評議会を通じて欧州人権条約を規定し、アムネスティ・インターナショナルを創設、並びに国際法律家委員会の事務総長を務めたこと
  佐藤栄作   日本 非核三原則の提唱
1975   アンドレイ・サハロフ   ソビエト連邦 人権や軍縮、およびすべての国家間協力のための彼の奮闘に対して
1976   ベティ・ウィリアムズ   イギリス 北アイルランドの平和運動への貢献
  マイレッド・コリガン・マグワイア
1977 アムネスティ・インターナショナル   世界 チリ・ピノチェト政権における国民への弾圧を告発
1978   アンワル・アッ=サーダート   エジプト キャンプ・デービッド合意
  メナヘム・ベギン   イスラエル
1979   マザー・テレサ   インド 長期間にわたる献身的な働きにより、苦しみのなかにいる人々に安息をもたらした

1980年代編集

受賞者名 出身国 受賞理由
1980   アドルフォ・ペレス・エスキベル   アルゼンチン ラテンアメリカの人権向上への尽力に対して
1981 国際連合難民高等弁務官事務所   世界 難民の移住と定着と処遇の改善に資する活動に対して
1982   アルバ・ライマル・ミュルダール   スウェーデン 国連の軍縮交渉において重要な役割を果たし、国際的な認知を得た、壮大な実績に対して
  アルフォンソ・ガルシア・ロブレス   メキシコ
1983   レフ・ヴァウェンサ   ポーランド 「連帯」の結党と、民主化運動の発起に対して
1984   デズモンド・ムピロ・ツツ   南アフリカ
1985 核戦争防止国際医師会議   世界 核戦争がもたらす悲惨な結果について理解を広めるのに貢献
1986   エリ・ヴィーゼル   アメリカ ホロコーストに関する大統領委員会」の議長として
1987   オスカル・アリアス・サンチェス   コスタリカ 中央アメリカにおける和平調停への尽力と、ニカラグアとエルサルバドルの間の紛争を仲裁した功績に対して
1988   国際連合平和維持活動   世界 国連の基本的信条の実現に向けての重要な貢献に対して
1989   ダライ・ラマ14世   チベット 非暴力によるチベット解放闘争と、チベットの歴史と文化遺産の保存のための、寛容と相互尊重に基づく平和的解決の提唱

1990年代編集

受賞者名 出身国 受賞理由
1990   ミハイル・ゴルバチョフ   ソビエト連邦 冷戦の終結・中距離核戦力全廃条約調印・ペレストロイカによる共産圏の民主化
1991   アウンサンスーチー   ビルマ ミャンマーの人権と民主主義の確立のための非暴力闘争に対して
1992   リゴベルタ・メンチュウ   グアテマラ グアテマラ先住民の人権と権利の向上のための努力に対して
1993   ネルソン・マンデラ   南アフリカ アパルトヘイト体制を平和的に終結させて新しい民主的な南アフリカの礎を築いたため
  フレデリック・ウィレム・デクラーク
1994   ヤーセル・アラファート   パレスチナ 中東へ平和を築く努力に対して
  イツハク・ラビン   イスラエル
  シモン・ペレス
1995   ジョセフ・ロートブラット   イギリス 国際政治における当面の核兵器の削減と、長期的な核廃絶のための努力に対して
  パグウォッシュ会議   世界
1996   カルロス・フィリペ・シメネス・ベロ   東ティモール 東ティモールにおける紛争の正当で平和的な解決への尽力
  ジョゼ・ラモス=ホルタ
1997   地雷禁止国際キャンペーン   世界 対人地雷の禁止および除去に対する貢献
  ジョディ・ウィリアムズ   アメリカ
1998   ジョン・ヒューム   イギリス 北アイルランド紛争の平和的解決の模索への尽力に対して
  デヴィッド・トリンブル
1999 国境なき医師団   世界 アフリカ・アジア・南米の各大陸における、その先駆的な人道的活動に対して

2000年代編集

受賞者名 出身国 受賞理由
2000   金大中   韓国 韓国、および一般に東アジアの民主主義と人権のための努力、特に北朝鮮との平和と和解のため
2001   国際連合   世界 より良く組織され、より平和な世界のための取組みに対して
  コフィー・アナン   ガーナ
2002   ジミー・カーター   アメリカ 数十年間にわたり、国際紛争の平和的解決への努力を続け、民主主義と人権を拡大させたとともに、経済・社会開発にも尽力した
2003   シーリーン・エバーディー   イラン 民主主義と人権擁護に対する貢献
2004   ワンガリ・マータイ   ケニア 持続可能な開発、民主主義と平和に対する貢献
2005   国際原子力機関   世界 原子力エネルギーの平和的利用に対する貢献
  モハメド・エルバラダイ   エジプト
2006   ムハマド・ユヌス   バングラデシュ 貧困層の経済的・社会的基盤の構築に対する貢献
グラミン銀行
2007 気候変動に関する政府間パネル   世界 人為的気候変動(地球温暖化)についての問題点を広く知らしめ、気候変動防止に必要な措置への基盤を築くために努力したことに対して
  アル・ゴア   アメリカ
2008   マルッティ・アハティサーリ   フィンランド インドネシア・アチェ武装勢力の紛争解決への尽力に対して
2009   バラク・オバマ   アメリカ 国際外交、及び、諸民族間における協力強化の為、並外れた努力を払い、世界中の人々に、良き将来への希望を与えた

2010年代編集

受賞者名 出身国 受賞理由
2010   劉暁波   中国 中国の基本的人権確立のために長期にわたる非暴力の闘いを継続した
2011   エレン・ジョンソン・サーリーフ   リベリア 平和構築活動に女性が安全かつ全面的に参加できるよう求めて非暴力の活動を行った
  レイマ・ボウィ
  タワックル・カルマン   イエメン
2012   欧州連合   欧州連合 欧州地域の安定及び協調路線を図る取り組みを評価して
2013 化学兵器禁止機関   世界 化学兵器の排除のための多大な努力
2014   マララ・ユスフザイ   パキスタン 児童と青年に対する抑圧に対する戦いとすべての児童のための教育への権利への貢献を称えて
  カイラシュ・サティーアーティ   インド
2015   チュニジア国民対話カルテット   チュニジア ジャスミン革命後の民主化への貢献に対して
2016   フアン・マヌエル・サントス   コロンビア 50年以上にわたる国内の内戦の終結に向けた決然たる努力に対して
2017   核兵器廃絶国際キャンペーン   スイス 核兵器の使用による、人類への壊滅的な結果に注目を集めさせ、その廃絶のための条約締結を達成した画期的な努力に対して
2018   デニス・ムクウェゲ   コンゴ民主共和国 戦場や紛争地域において兵器として用いられる戦時性暴力を終結させるための努力に対して
  ナーディーヤ・ムラード   イラク

脚注編集

[ヘルプ]
  1. ^ a b ノーベル賞の国際政治学 -ノーベル平和賞の歴史的発展と選考過程-,吉武信彦,高崎経済大学地域政策学会,地域政策研究,vol.13-4,pp.23-40,2011-02
  2. ^ a b c d ノーベル平和賞、在ノルウェー日本国大使館
  3. ^ ノーベル賞のメダル”. アワードプレス. 2017年10月4日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h Facts on the Nobel Peace Prize - ノーベル賞公式サイト(英語)
  5. ^ The Nobel Prize Amounts - ノーベル賞公式サイト(英語)
  6. ^ なぜノーベル平和賞の受賞者は、その後に世界の「失望」を招くのか”. アワードプレス. 2017年10月4日閲覧。
  7. ^ “今回はマララさん…「ノーベル平和賞は論争を呼ぶ賞」”. 中央日報. (2014年10月13日). http://japanese.joins.com/article/214/191214.html 2014年10月13日閲覧。 
  8. ^ 広瀬は根拠を示すために、まず当事者のイスラエル、会場の山荘を提供したen:Orkla Group、その実質的な支配者であるen:Nobel Industriesハンブローズ銀行ヴァレンベリ家、そしてロスチャイルドを家系図と役員兼任関係で纏め上げた。
    『地球のゆくえ』 集英社 1994年 系図8 一九九三年中東和平秘密会談の内幕
  9. ^ ノーベル平和賞はしばしば政治的に使われていた ロケットニュース24
  10. ^ Federation of Social Workers (IFSW) – IFSW supported nomination of Irena Sendler for Nobel Peace Prize. IFSW. 2010年12月10日閲覧
  11. ^ “オバマ大統領へのノーベル平和賞授与に批判-「早まった聖人化」” (日本語). ブルームバーグ. (2009年10月10日). http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920008&sid=a1Yq5eJ2DR7U 2011年1月29日閲覧。 
  12. ^ クリストファー・ヒッチェンズ (2009年12月22日). “あまりに軽いオバマのサプライズ受賞” (日本語). ニューズウィーク. http://newsweekjapan.jp/stories/2009/12/post-849.php 2011年1月29日閲覧。 
  13. ^ “Obama:Nobel Peace Prize is call to action”. CNN. (2009年10月9日). http://articles.cnn.com/2009-10-09/world/nobel.peace.prize_1_norwegian-nobel-committee-international-diplomacy-and-cooperation-nuclear-weapons?_s=PM:WORLD 
  14. ^ “アフガン病院誤爆 国連、「戦争犯罪の可能性も」” (日本語). CNN (CNN.co.jp). (2015年10月5日). http://www.cnn.co.jp/world/35071433.html 2016年4月26日閲覧。 
  15. ^ 『中国新華社「平和賞の名声損なう」と批判論評』 産経新聞2012年10月13日
  16. ^ 『授賞は「悲劇的過ち」チェコ大統領」と批判論評』産経新聞2012年10月13日
  17. ^ “「政治的」また批判の声 実績より期待感後押し”. 産経新聞. (2012年10月13日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/121013/erp12101300480003-n1.htm 
  18. ^ “イラン国会、「西側は、ノーベル平和賞を政治的に利用」”. イラン・イスラム共和国放送. (2012年10月13日). http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/32455-%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E5%9B%BD%E4%BC%9A%E3%80%81%E3%80%8C%E8%A5%BF%E5%81%B4%E3%81%AF%E3%80%81%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%B3%9E%E3%82%92%E6%94%BF%E6%B2%BB%E7%9A%84%E3%81%AB%E5%88%A9%E7%94%A8%E3%80%8D 
  19. ^ 「若過ぎる」と懸念も=マララさん、一躍人権のヒロインに―ノーベル平和賞 時事通信2014年10月10日
  20. ^ “スーチー氏のノーベル平和賞は剥奪せず 選考委員会” (日本語). CNN (CNN.co.jp). (2018年8月30日). https://www.cnn.co.jp/world/35124851.html 
  21. ^ http://nobelprize.org/nobel_prizes/peace/articles/gandhi/index.html
  22. ^ ロバート・ベーデン・パウエルに決定していたが、第二次世界大戦勃発により賞自体が取り消された
  23. ^ 遺贈
  24. ^ 受賞辞退

関連項目編集

外部リンク編集