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メイショウバトラー日本の元競走馬。馬名の由来は冠名の「メイショウ」と戦士、闘士を意味する「バトラー」からである。屈腱炎を克服し、10歳となっても現役を続けていた。

メイショウバトラー
Meisho-Battler 20080224tokyo11race paddock.jpg
2008年2月24日 東京競馬場
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 2000年4月19日(19歳)
メイショウホムラ
メイショウハゴロモ
母の父 ダイナガリバー
生国 日本の旗 日本北海道静内町
生産 三木田明仁
馬主 松本好雄
調教師 高橋成忠栗東
競走成績
生涯成績 61戦14勝
中央競馬27戦7勝)
地方競馬34戦7勝)
獲得賞金 6億0843万3000円(通算)
2億7200万3000円(中央競馬)
3億3643万円(地方競馬)
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目次

戦績編集

2003年、デビューは遅く3歳の6月だった。2戦目のダートの未勝利戦で勝利し初勝利を挙げる。その後芝のレースに転向し3戦2勝、2着1回という成績で条件馬の身分ながら果敢にも秋華賞へ出走するが、7番人気で7着、さらにエリザベス女王杯にも出走するが、12番人気で12着という結果に終わった。その後のゴールデンホイップトロフィーでは、2番人気で4着、格上挑戦となった阪神牝馬ステークスでは、12番人気で12着という結果に終わった。

2004年、関門橋ステークス(1600万下)では、後に愛知杯を制するメモリーキアヌらを相手に勝利しオープン馬となると、続く小倉大賞典では3番人気に支持されレースに勝利し重賞初勝利を挙げる。その後は中距離路線の重賞で2着4回、3着1回と好走するも勝利する事はなかった。

2005年、右前屈腱炎を発症し療養の為この1年を棒に振ることとなる。

2006年、復帰戦となったダートの欅ステークスでは、12番人気で12着となるも、休養明け2戦目のプロキオンステークスでは、7番人気だったがレースに勝利し、復活を果たした。その後サマーチャンピオンシリウスステークスと重賞を3連勝し完全復活を証明し、JBCマイルに出走し、ブルーコンコルドには敗れはしたものの2着となった。しかし、ジャパンカップダートでは6番人気で12着、兵庫ゴールドトロフィーでは1番人気に支持されるも5着という結果に終わった。

2007年フェブラリーステークスでは、8番人気で10着、黒船賞では1番人気に支持されるも5着となるも、その後のかきつばた記念さきたま杯スパーキングレディーカップ、さらにはクラスターカップと重賞を4連勝した。次の東京盃ではリミットレスビッドの2着に敗れ、続く第7回JBCスプリントでは8着だった。次走はクイーン賞に1番人気で出走するも2着、兵庫ゴールドトロフィーでも1番人気になるが3着だった。

2008年根岸ステークスから始動し6着、続くフェブラリーステークスでも11着と大敗するが、マリーンカップでは8歳牝馬としては史上初となる交流重賞勝ちを収め、健在ぶりをアピールした。その後、かきつばた記念で3着、続くさきたま杯とスパーキングレディーカップで2着、さらにクラスターカップで7着となった。続くマイルチャンピオンシップ南部杯では2着、JBCスプリントでは5着だった。続くジャパンカップダートでは最低人気となり結果も15着とシンガリ負けを喫した。その後、兵庫ゴールドトロフィーに3年連続で出走、人気通りの5着に敗れた。

2009年、交流重賞の黒船賞に出走するが、5着に敗れた。その後、3年連続での出走となったかきつばた記念では6着だったが、50戦目となるマリーンカップで2連覇を達成した。9歳牝馬の交流重賞勝ちは史上初である。続くスパーキングレディーカップとクラスターカップは共に3着に敗れた。その後、2年ぶりに出走した東京盃では見せ場がなく9着に敗れた。続くマイルチャンピオンシップ南部杯ではエスポワールシチーの3着に入った。

2010年、10歳緒戦は5月のさきたま杯で復帰したが、スマートファルコンの9着に敗れた。4年連続での出走となったスパーキングレディーカップでは見せ場なく11着と大敗した。4年連続出走となったクラスターカップでは3番手追走から一瞬先頭に躍り出るもサマーウインドの3着に敗れた。10月のマイルチャンピオンシップ南部杯では中団から追い上げるもオーロマイスターの4着、4年連続出走となったJBCスプリントでは見せ場なく10着と大敗、続くクイーン賞ではミラクルレジェンドの7着、兵庫ゴールドトロフィーでは5着という結果に終わった。2011年2月26日付で競走馬登録を抹消、生まれ故郷である北海道新ひだか町の三木田明仁牧場で繁殖牝馬となる[1]。初年度の種付けはメイショウサムソンの予定だった[1]が、メイショウボーラーに変更されて2012年3月15日に牝馬が誕生した。

エピソード編集

  • 2004年の小倉記念では2着に敗れたものの同馬主のメイショウカイドウが勝利し、また2006年のサマーチャンピオンではやはり同馬主のメイショウボーラーを2着に退け勝利し、松本好雄オーナー所有馬による1-2フィニッシュを達成。
  • プロキオンステークスで勝利した日に福島競馬場で行われた七夕賞でも、松本好雄オーナーの所有馬であるメイショウカイドウが勝利し、松本好雄オーナーは東西ダブル重賞制覇を成し遂げた。ちなみに福島での表彰式には息子の松本好隆が参加した。
  • 夏の暑さに非常に強く、同厩舎のサンレイジャスパーとともに「夏女」として知られている。7〜8月の盛夏に出走したレースでは、15戦6勝、2着3回、3着4回の成績を残した。
  • 2010年に10歳となっても現役を続けたのは管理調教師である高橋成忠の意向による(本人は「わがまま」と述べている[2])。
  • 2003年の西海賞でエミネントシチーに先着、後に2009年のマイルチャンピオンシップ南部杯でその初仔であるエスポワールシチーに敗れるという、世代交代の早い競走馬としては珍しい、母子2代との対戦経験を持つ。

血統表編集

メイショウバトラー血統ネヴァーベンド系 / Northern Dancer 5×4=9.38%) (血統表の出典)

メイショウホムラ
1988 鹿毛
父の父
* ブレイヴェストローマン
Bravest Roman
1972 鹿毛
Never Bend Nasrullah
Lalun
Roman Song Roman
Quiz Song
父の母
メイショウスキー
1981 鹿毛
マルゼンスキー Nijinsky II
* シル
* フェアリーテイル Sicambre
Fee Royale

メイショウハゴロモ
1993 鹿毛
ダイナガリバー
1983 鹿毛
* ノーザンテースト Northern Dancer
Lady Victoria
ユアースポート * バウンティアス
ファインサラ
母の母
メイショウエンゼル
1984 黒鹿毛
* テュデナム Tudor Melody
Heath Rose
グリンホースメン * パーシア
ハイポンド F-No.12


メイショウホムラ、母メイショウハゴロモ、祖母(父の母)メイショウスキー、祖母(母の母)メイショウエンゼルはすべて松本好雄オーナーの所有馬で、さらにすべての馬は高橋成忠厩舎にかつて所属していた。

脚注編集

  1. ^ a b 重賞10勝のメイショウバトラーが故郷で繁殖入り(競走馬のふるさと案内所、2011年2月28日)。
  2. ^ 高橋成師ラストサマー、サンレイジャスパーに賭ける(ZAKZAK、2010年7月29日)

外部リンク編集