マラガCF
マラガ・クルブ・デ・フトボル(スペイン語: Málaga Club de Fútbol、スペイン語発音: [ˈmalaɣa ˈkluβ ðe ˈfuðβol])は、スペイン・マラガに本拠地を置くプロサッカークラブ。2021-22シーズンはリーガ・エスパニョーラのセグンダ・ディビシオン(2部)に所属している。アンダルシア州で最も歴史あるクラブのひとつである。
マラガCF | ||||
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原語表記 | Málaga Club de Fútbol, S.A.D. | |||
愛称 | Los Boquerones(アンチョビ) | |||
クラブカラー |
青 白 | |||
創設年 | 1904年 | |||
所属リーグ | リーガ・エスパニョーラ | |||
所属ディビジョン | セグンダ・ディビシオン | |||
ホームタウン | アンダルシア州マラガ県マラガ | |||
ホームスタジアム |
![]() ラ・ロサレーダ | |||
収容人数 | 30,044[1] | |||
代表者 |
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監督 |
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公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
歴史編集
1992年のチーム交替編集
1948年5月25日、CDマラガはジュニアクラブのCDサント・トマスを引き継ぐ形でリザーブチームを立ち上げた。CDマラガは1933年にCAマラゲーニョ(Club Atlético Malagueño)を含むマラガの2つのクラブが合併して結成されているが、リザーブチームはこの際に消滅したCAマラゲーニョという名称を譲り受けた。1959-60シーズン、リザーブチームのCAマラゲーニョとトップチームのCDマラガはともにテルセーラ・ディビシオン(当時3部相当)に在籍することになったが、前者は本来ならばリーグ規定により降格するはずであった。これを回避するために、彼らは母体となるクラブから分割され、リザーブチームではなく独立したひとつのクラブとしてスペインサッカー連盟(RSFF)に登録された。
1992年、CDマラガは財政難により解散し、リザーブチームのCAマラゲーニョがCDマラガのリーグ参戦資格を譲り受けて存続した。1992-93シーズンの彼らはテルセーラ・ディビシオン(現4部相当)のグループ9に参戦して成功を収め、セグンダ・ディビシオンB(3部相当)昇格を果たした。しかし、翌シーズンには再びテルセーラに降格となり、さらに財政難に直面して活動停止の危機に追い込まれた。1993年12月19日、クラブのメンバー間の投票によってクラブ名称の変更が選択された。1994年6月29日、CAマラゲーニョはマラガCF(Málaga Club de Fútbol S.A.D.)に改名し、かつてCDマラガと呼ばれていたクラブが公式に前身クラブとなった。また、1990年にCAマラゲーニョのリザーブチームとしてSDマラシターナ(Sociedad Deportiva Malacitana)が設立され、トップチームのマラガCFへの改名と同時にマラガCF Bとなった。なお、2009年からはトップチームの旧称であるCAマラゲーニョを名乗っている。
2000年代初頭の台頭編集
2000年代初頭のマラガは有望な若手とトップレベルの選手たちを抱えており、より近代的で先進的なスタジアムの所有を誇っていた。UEFAチャンピオンズリーグ出場権には届かなかったが、大きな支持を集めたホアキン・ペイロ監督の下で常に成功を収めた。2002年にはUEFAインタートトカップに出場し、KAAヘント(ベルギー)、ヴィレムII(オランダ)、躍進中のビジャレアルCF(スペイン)を破り、クラブ史上初となる国際大会でのトロフィーを獲得した。2002-03シーズンのUEFAカップではFKジェリェズニチャル・サラエヴォ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)、AEKアテネFC(ギリシャ)などを撃破し、準々決勝でボアヴィスタFC(ポルトガル)にPK戦の末に敗れたものの、大会前の期待以上のベスト8という成功を収めた。ペイロ監督の引退後にはチームの解体が緩やかに始まり、ダリオ・シルバ、キキ・ムサンパ、フリオ・デリー・バルデス、ペドロ・コントレラスなどがクラブを去った。2003年夏にはファンデ・ラモス監督が就任した。2003-04シーズンのホームでのFCバルセロナ戦ではサルバがハットトリックを達成するなどし、クラブ史上最高の5-1というスコアでカタルーニャの巨人を粉砕した。また、テルセーラ・ディビシオンに所属していたBチームが2002年にはセグンダB、2003年にセグンダ・ディビシオンと立て続けに昇格を果たしその後3シーズンをセグンダで戦った。
緩やかな後退と財政難編集
2004年夏にはファンデ・ラモス監督が就任からわずか1シーズンでセビージャFCに去り、グレゴリオ・マンサーノ監督が就任した。経営難によって主力のホセミやサルバを放出せざるを得ず、新戦力のマルシオ・アモローゾやパウロ・ワンチョペは使い物にならなかった。10節からの9試合で8敗を喫して降格圏に沈んでいたクラブを救ったのはアントニオ・タピア監督だった。マンサーノ監督からチームを引き継ぐとカンテラ(下部組織)からセサル・ナバスを引き上げ、最終ラインに安定感をもたらした。若手のフアン・ロドリゲスや新戦力のフェルナンド・バイアーノらの攻撃陣を積極的に起用し、最終的に10位に食い込んでみせた。2005年夏にはサルバを買い戻し、ウルグアイ代表のリカルド・モラレスを獲得したが、主力の大量放出の穴は埋まらなかった。2005-06シーズンは開幕から黒星を積み重ね、わずか勝ち点24しか挙げられずに最下位でシーズンを終えてセグンダ降格となった。また、セグンダに所属していたBチームも同シーズンは21位に終わり、トップチームの降格とは無関係にセグンダBに降格となった。Bチームは翌シーズンもさらに降格で元のテルセーラに戻ってしまい、その後も度々昇格プレーオフに顔を出しながらいまだ再昇格には至っていない。
2006年、かつてレアル・マドリードの会長を務めたロレンソ・サンスがクラブの株式の97%を取得し、かつて選手としてキャプテンを務めたロレンソの息子フェルナンド・サンスが会長に就任した。2006-07シーズンは良いスタートを切ったが、彼らの調子は劇的に落ち込んだ。ラスト6節のうち2節はセグンダB降格圏に沈んだが、この困難な状況を何とか打開し、セグンダ降格初年度を乗り切って残留を果たした。2007-08シーズンも7連勝するなどしてスタートダッシュを決め、昇格への軌道に乗っているように思われたが、やはり調子を崩し、首位の座をCDヌマンシアに奪われた。最終節はホームでのCDテネリフェ戦であり、プリメーラ昇格を決定づけるには勝利が必要であったが、アントニオ・イダルゴの2得点で2-1と勝利して2位の座を守り、3シーズンぶりのプリメーラ復帰を決めた。
2008年夏にはタピア監督を復帰させ、プリメーラ昇格に貢献したDFヘスス・ガメスやMFアポーニョを引き留めつつ、以前に所属経験のあるMFセルジオ・ドゥダ、FWアルベルト・ルケなどを獲得。2008-09シーズン開幕から4試合は無得点で1分3敗と苦戦したが、5節のバリャドリード戦で初勝利を挙げると、8節のアウェーでのセビージャ戦まで4連勝し、その後は安定して一桁順位をキープした。A・ルケは途中出場が多いながらも8得点と復活し、ドゥダはチームトップの8アシストを決めるなど、シーズン前に補強した選手が期待に応えた。プリメーラ初挑戦のアポーニョとFWナビル・バハはそれぞれ9得点を挙げ、55得点はリーグ6位の成績だった。最終的に8位でシーズンを終え、昇格組として最高の成績を残した。2009年にアンダルシア州のセビージャ、ウエルバ、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ、マラガを開催地として行われたピース・カップでは、アストン・ヴィラFC(イングランド)に勝利したが、アトランテFC(メキシコ)に敗れ、グループリーグ最下位に終わった。2009-10シーズンのリーグ戦は前シーズンと一転して17位と苦戦した。
アル=タニの到着編集
2010年6月11日、カタール王室の一員でもあるシェイク・アブドゥラ・ビン・ナッサル・アル=タニが、3600万ユーロ(約39億8000円)と報じられる金額でF・サンス会長からクラブを買収した[2]。7月28日、アル=タニはクラブの会長に就任した[3][4]。FCポルトなどを率いた経験のあるジェズアウド・フェレイラ監督が登用されたが、低迷が続いたために2010-11シーズン途中で解任された。ビジャレアルCFやレアル・マドリードを率いた経験があるマヌエル・ペジェグリーニ監督が後任監督に就任し、2011年1月にエンツォ・マレスカ、マルティン・デミチェリス、ジュリオ・バチスタなどを獲得すると、シーズン終盤戦に一気に順位を上げて11位でシーズンを終えた[2]。2011年夏にはマラガ出身であるフェルナンド・イエロをGMとして招聘し、11人の選手を放出するとともに、ルート・ファン・ニステルローイ、ヨリス・マタイセン、ジェレミー・トゥララン、サンティ・カソルラ、ホアキン・サンチェスなど、確かな実力のあるベテランを中心に補強を施した。ペジェグリーニが初めてフルシーズン指揮した2011-12シーズンは、カソルラの大活躍もあってリーグ4位となり、クラブ史上初めてUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。
一方でオーナーを筆頭とする経営陣の怠慢な資金繰りによる給与や移籍金の未払いが2012年頃より表面化し始め、2011-12シーズン終了後には主力であったカソルラをアーセナルFCへ売却した。2012-13シーズンの戦力低下は不可避であったが、それでもホアキンや新加入のハビエル・サビオラらベテラン勢の活躍やペジェグリーニの戦術の浸透もあり、CLではプレーオフを勝ち抜くだけでなくACミランやFCゼニト・サンクトペテルブルクなどを抑えグループリーグを首位突破した。しかしながら資金難が改善されることはなく、UEFAによって今後4シーズンの欧州カップ戦参加禁止の処分が下されることとなった。
2013年夏にはイスコをレアル・マドリード[5]、ホアキンをフィオレンティーナ、ジェレミー・トゥラランをモナコへ売却し[6]、監督もベルント・シュスターが後任に就任した[7]。
2部降格とアル=タニ独裁の終焉編集
2017-18シーズン、プリメーラ残留に向けて夏の移籍市場では12人、冬には8人もの選手を補強したが、いずれも実ることはなく、開幕5連敗を喫するなど、不安定なスタートとなった。1月中旬のヘタフェCF戦に敗れ、降格圏の19位に転落すると、監督のミチェルを解任し、後任にホセ・ゴンサレスを据えた。しかし、状況は改善されるどころか就任後リーグ戦7連敗など悪化の一途をたどり、後半戦は20位から一度も抜え出すことなく、11シーズンぶりのセグンダ降格が決定した。降格の要因には、サンドロ・ラミレスに代わるエース候補とされたボルハ・バストンの不調、カタール人オーナーのアル=タニによるワンマン経営などがあった。降格後も杜撰な経営が続き、2019-20シーズンにはレスター・シティからフリーで加入した岡崎慎司やレンタル先から復帰したホセ・ロドリゲスがサラリーキャップの問題で選手登録が開幕に間に合わない事態となった。クラブは抗議したものの岡崎はわずか1ヶ月で退団(その後同じスペインのウエスカに加入)、ロドリゲスはフエンラブラダにレンタル移籍となった。2020年2月19日、アル=タニはクラブの資金を私的に利用した横領などの容疑で一時的に解任され、後任には裁判所が指名したホセ・マリア・ムニョスが就任した[8]。
対外関係編集
東アンダルシア・ダービー編集
同じアンダルシア州内に本拠地を置くグラナダCFとライバル関係にあり、彼らとの対戦は東アンダルシア・ダービー(デルビ・オリエンタル、デルビ・アンダルス)と呼ばれる。プリメーラ・ディビシオン(1部)での対戦成績は互角であるが、通算対戦成績ではグラナダCFが優位である。
トロフェオ・コスタ・デル・ソル編集
1961年から1983年までプレシーズンにトロフェオ・コスタ・デル・ソルというトーナメント大会を組織していた。当時のCDマラガは決勝でレアル・マドリード、レッドスター・ベオグラード(ユーゴスラビア)、ダービー・カウンティFC(イングランド)を破って3回優勝している。この大会は2003年に復活し、マラガCFは決勝でニューカッスル・ユナイテッドFC(イングランド)、レアル・ベティス、パルマFC(イタリア)を破って3回優勝している。マラガCFのトロフィールームには、CDマラガ時代の3個も含めて計6個のトロフィーが飾られている。
スポンサー編集
2009年8月27日、イギリスのブックメーカーであるウィリアムヒルと3年契約を結んだと発表し、ウィリアムヒルがユニフォームの胸スポンサーとなった[9]。しかし、イスラーム教徒である新オーナーが宗教上の理由から契約を履行することを拒否したため、この契約は2010年9月17日に打ち切られ、2011年6月に国連教育科学文化機関(UNESCO)が新スポンサーとなった。
提携クラブ編集
以下のクラブはマラガCFと提携関係にある。
タイトル編集
CDマラガ時代編集
国内タイトル編集
- セグンダ・ディビシオン : 1回
- 1987-88
- セグンダ・ディビシオンB : 2回
- 1951–52, 1966–67
- トロフェオ・コスタ・デル・ソル : 3回
- 1963, 1971, 1974
マラガCF時代編集
国内タイトル編集
- セグンダ・ディビシオン : 1回
- 1998-99
- セグンダ・ディビシオンB : 1回
- 1997-98
- トロフェオ・コスタ・デル・ソル : 5回
- 2005, 2008, 2010, 2011, 2012
国際タイトル編集
- UEFAインタートトカップ : 1回
- 2002
合計編集
国内タイトル編集
- セグンダ・ディビシオン : 2回
- 1987-88, 1998-99
- セグンダ・ディビシオンB : 2回
- 1951–52, 1966–67
- セグンダ・ディビシオンB : 1回
- 1997-98
- トロフェオ・コスタ・デル・ソル : 8回
- 1963, 1971, 1974, 2005, 2008, 2010, 2011, 2012
国際タイトル編集
- UEFAインタートトカップ : 1回
- 2002
成績編集
近年の成績編集
シーズン ディビジョン 順位 試 勝 引 敗 得 失 点 コパ・デル・レイ 欧州カップ戦 備考 1999-00 プリメーラ 12位 38 11 15 12 55 50 48 2回戦敗退 2000–01 8位 38 16 8 14 60 61 56 2回戦敗退 2001–02 10位 38 13 14 11 44 44 53 ベスト32 2002–03 14位 38 11 13 14 44 49 46 ベスト32 UC ベスト8 2003–04 10位 38 15 6 17 50 55 51 ベスト16 2004–05 10位 38 15 6 17 40 48 51 ベスト32 2005–06 20位 38 5 9 24 36 68 24 3回戦敗退 降格 2006–07 セグンダ 15位 42 14 13 15 49 50 55 ベスト16 2007–08 2位 42 20 12 10 58 42 72 ベスト32 昇格 2008–09 プリメーラ 8位 38 15 10 13 55 59 55 ベスト32 2009–10 17位 38 7 16 15 42 48 37 ベスト16 2010–11 11位 38 13 7 18 54 68 46 ベスト16 2011–12 4位 38 17 7 14 54 53 58 ベスト16 2012–13 6位 38 16 9 13 53 50 57 ベスト16 UCL ベスト8 2013–14 11位 38 12 9 17 39 46 45 ベスト32 2014–15 9位 38 14 8 16 42 48 50 準々決勝敗退 2015-16 8位 38 12 12 14 38 35 48 ベスト32 2016-17 11位 38 12 10 16 49 55 46 ベスト32 2017-18 20位 38 5 5 28 24 61 20 ベスト32 降格 2018-19 セグンダ 3位 42 21 11 10 51 31 74 2回戦敗退 2019-20 14位 42 11 20 11 35 33 53 1回戦敗退 2020-21 12位 42 14 11 17 37 47 53 ベスト32 2021-22 18位 42 11 12 19 36 57 45 2回戦敗退
過去の成績編集
- FCマラゲーニョとして
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- CDマラシターノとして
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- CDマラガとして
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- (CDマラガのリザーブチームとしての)CAマラゲーニョ
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- (独立したクラブとしての)CAマラゲーニョ
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- マラガCFとして
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- CDマラガとして
- 20シーズン - プリメーラ・ディビシオン(1部)
- 31シーズン - セグンダ・ディビシオン(2部)
- 9シーズン - テルセーラ・ディビシオン(当時3部相当)
- マラガCFとして
- 17シーズン - プリメーラ・ディビシオン(1部)
- 7シーズン - セグンダ・ディビシオン(2部)
- 4シーズン - セグンダ・ディビシオンB(現3部相当)
- 2シーズン - テルセーラ・ディビシオン(当時3部相当、現4部)
- 合計
- 37シーズン - プリメーラ・ディビシオン(1部)
- 38シーズン - セグンダ・ディビシオン(2部)
- 4シーズン - セグンダ・ディビシオンB(現3部相当)
- 11シーズン - テルセーラ・ディビシオン(当時3部相当)
現所属メンバー編集
- 2022年3月31日現在[13]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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※括弧内の国旗はその他保有国籍、もしくは市民権、星印はEU圏外選手を示す。
リザーブチーム編集
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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ローン移籍編集
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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歴代監督編集
- ルイス・ウルキリ 1948-1949
- リカルド・サモラ 1949-1951
- アントニオ・バリオス 1951-1952
- エレニオ・エレーラ 1952
- ルイス・カサス・パサリン 1953-1954
- サビーノ・バリナガ 1961-1963
- ホセ・マリア・サラガ 1964
- ドメネク・バルマーニャ 1964-1965
- エルネスト・ポンス・フォルン 1966-1967
- オットー・バンベル 1967-1969
- ホセ・マリア・サラガ 1969
- カルマール・イェネー 1970-1972
- マルセル・ドミンゴ 1972-1974
- ミロラド・パヴィッチ 1975-1977
- カルマール・イェネー 1978-1980
- セバスティアン・ビベルティ 1978-1980(非公式)
- Abdellah Ben Barek 1980-1981
- アントニオ・ベニテス 1981-1985
- アントニオ・ベニテス 1986-1987
- ラディスラオ・クバラ 1987-1988
- ルイス・コスタ 1988-1989
- アントニオ・ベニテス 1989-1990
- ワルド・ラモス 1990
- Abdellah Ben Barek 1990-1991
- ホセ・ルイス・モンレアル 1991-1992
- アントニオ・モンテロ・"ネネ" 1992
- フェルナンド・ロサス 1992-1993
- アントニオ・モンテロ・"ネネ" 1993
- リカルド・"アルビス" 1993-1994
- アントニオ・ベニテス 1994-1995
- ホアキン・ペイロ 1998-2003
- ファンデ・ラモス 2003-2004
- グレゴリオ・マンサーノ 2004-2005
- アントニオ・タピア 2005-2006
- マヌエル・ルイス・イエロ 2006
- マルコス・アロンソ 2006-2007
- ホセ・マリア・バケーロ 2007
- フアン・ムニス 2007-2008
- アントニオ・タピア 2008-2009
- フアン・ムニス 2009-2010
- ジェズアウド・フェレイラ (2010)
- ラファ・ヒル (暫定) (2010)
- マヌエル・ペレグリーニ (2010-2013)
- ベルント・シュスター (2013-2014)
- ハビ・グラシア (2014-2016)
- フアンデ・ラモス (2016)
- マルセロ・ロメロ (2016-2017)
- ミチェル (2017-2018)
- ホセ・ゴンサレス (2018)
- フアン・ムニス (2018-2019)
- ビクトル・サンチェス (2019-2020)
- セルヒオ・ペリセル (2020-2021)
- ホセ・アルベルト (2021-2022)
- ナチョ・ゴンサレス (2022)
- パブロ・ゲーデ (2022-)[14]
歴代所属選手編集
GK編集
- ペドロ・コントレラス 1999-2003
- フランセスク・アルナウ 2001-2011
- イニャキ・ゴイティア 2003-2009
- グスタボ・ムヌア 2009-2010
- ロベルト・サンタマリア 2009-2010
- セルヒオ・アセンホ 2011
DF編集
- ホセミ 1999-2004
- リトス 2001-2006
- アレクシス・ルアーノ 2003-2006
- ジョルジェ・リベイロ 2006
- フランシスコ・モリネーロ 2006-2007
- イバン・クアドラード 2008
- マノロ 2008-2011
- ミラン・ステパノヴ 2009-2010
- パトリック・ムティリガ 2009-2011
- フアニート・グティエレス 2009-2010
- マルティン・デミチェリス 2011-2013
- ヨリス・マタイセン 2011-2012
- パウ・トーレス 2018-2019
MF編集
- シリル・マカナキ 1990-1992
- ホセ・マリア・モビージャ 1997-2001
- フランシスコ・ルフェテ 1999-2001
- イヴァン・レコ 2001-2005
- ドゥダ 2001-2002, 2003-2006, 2008-
- マルセロ・ロメロ 2001-2007
- フェデリコ・インスア 2003-2004
- ファン・ロドリゲス 2003-2006
- ハビエル・カジェハ 2006-2009
- アポーニョ 2007-2012
- パブロ・デ・バロス 2008-2009
- セリム・ベナシュール 2009-2010
- シャビ・トーレス 2009-2010
- バルド 2009-2010
- ジョルディ・パブロ 2009-2010
- サンティ・カソルラ 2011-2012
- ジュリオ・バチスタ 2011-2013
- エンツォ・マレスカ 2011-2012
- ジェレミー・トゥララン 2011-2013
- イスコ 2011-2013
FW編集
- フアニート 1987-1989
- カターニャ 1998-2000
- エドガール 1998-2003, 2003-2007
- アルベルト・ルケ 1999-2000, 2008-2011
- キキ・ムサンパ 1999-2003
- ダリオ・シルバ 1999-2003
- フリオ・デリー・バルデス 2000-2003
- サルバ・バジェスタ 2003-2004, 2005-2006, 2007-2009
- マルシオ・アモローゾ 2004-2005
- パウロ・ワンチョペ 2004-2005
- フェルナンド・バイアーノ 2004-2005
- エリセウ 2007-2009
- アドリアン・ロペス 2008-2009, 2022-
- エジーニョ 2009-2012
- ビクトル・オビンナ 2009-2010
- フェルナンド・フォレスティエリ 2009-2010
- ルート・ファン・ニステルローイ 2011-2012
- ホアキン・サンチェス 2011-2013
- オレクサンドル・ヤコヴェンコ 2014
- 岡崎慎司 2019
脚注編集
- ^ “La Rosaleda Stadium”. Málaga CF. 2013年5月24日閲覧。
- ^ a b “スペイン一のビッグクラブを目指せ! 新体制2年目を迎えたマラガの野望。”. Number Web (2011年6月17日). 2011年8月22日閲覧。
- ^ Qatari Sheikh Al-Thani buys Malaga. Four Four Two、2010年6月26日
- ^ How many top European clubs are now owned or sponsored by Qatar? Socqer.com
- ^ “Real Madrid announce Isco signing”. Goal.com (2013年6月26日). 2014年4月22日閲覧。
- ^ “Official: Toulalan signs for Monaco”. Goal.com (2014年4月15日). 2014年4月22日閲覧。
- ^ “BBC Sport – Malaga name Bernd Schuster as Manuel Pellegrini's replacement”. Bbc.co.uk (2013年6月14日). 2014年4月22日閲覧。
- ^ “解任されたマラガCFのカタール人会長はクラブに1,000万ドルの支払い義務:裁判所資料|ARAB NEWS”. www.arabnews.jp. 2021年4月12日閲覧。
- ^ “Malaga sign William Hill sponsor deal”. footballshirtculture.com. 2009年10月23日閲覧。
- ^ “Real Jaén C.F y Málaga C.F. estrechan sus lazos” (Spanish). realjaen.com. 2011年6月26日閲覧。
- ^ “Málaga C.F. y Córdoba C.F. abren un marco de colaboración” (Spanish). malagacf.com. 2011年6月27日閲覧。
- ^ “Ya comenzó La Academia del Málaga” (Spanish). malagachile.cl. 2012年3月22日閲覧。
- ^ https://www.malagacf.com/equipo/malaga-cf
- ^ “Pablo Guede assumes command of the first team”. Málaga CF (2022年4月2日). 2022年4月5日閲覧。
外部リンク編集
- 公式サイト (英語)
- Málaga at La Liga (スペイン語) (英語)
- Futbolme team profile (スペイン語)
- International supporters' site (英語)
- History of Football in Málaga (スペイン語)
- Foro Malaguistas (スペイン語)
- Unofficial website
- Trofeo Costa del Sol (スペイン語)
- Trofeo Ciudad de Torcal (スペイン語)
- Fan's Blog
- The on-line trading cards collection of Málaga C.F!