丸木舟
丸木舟(まるきぶね)(学術用語:monoxylon[注釈 1]、 英: logboatあるいはdugout canoeあるいはdugout[注釈 2])は、1本の木をくりぬいてつくる舟[1]。一本の太い丸太(=丸木)を刳(く)りぬいて作られたカヌーのこと。「独木舟」と表記することも[1](その場合大抵「まるきぶね」とルビをふる)。「刳舟(くりぶね)」とも[1][注釈 3]。
一本の丸太をくりぬいており、(全く何もつけていない丸木舟も多いが)付属構造物がある場合でも、せいぜい梁もしくはわずかな「コベリ」を付ける程度である。なお、便宜上、刳りぬき部材を前後に継いだり、左右に継いだり、刳舟の両側に舷側板を継ぎ足したり、刳った舷側に船底板を組み合わせたりと、若干、複材化したものも、いちいち呼び分けていては不便なので、便宜上「丸木舟」と呼んでいる。[2]
丸木舟というのは、船(舟)の形式としては最古のものであり、考古学者によって発見されているものは新石器時代にまで遡る[3]。 先史時代、太古の昔より、現在に至るまで使われ続けているものである。木材自体が水に浮くので丸木舟は水没してしまうことが無く、また壊れにくいので、安全性が高く、後に大型の船舶が登場しても、(数は昔に比べれば減ったが)一定の役割を担い続けている船である。[注釈 4]
制作編集
一本の巨木の丸木(丸太)をくり抜く。
石器時代には石器でくり抜いた。現代では金属製の斧や鑿などといった道具を使う。北米では、(先住民の時代から)丸太の上で火をおこして炭にしてくり抜くという技法も用いる。
舟の内側の底の面は、湾曲している場合もあるし、平らに仕上げる場合もある。
- 南米・スリナムでの制作風景
スリナム(1940年代~1950年代)
- スラブ式丸木舟の制作過程
- 北米の丸木舟づくり
- 北米の丸木舟づくり
- 他
丸木舟づくり(エストニア)
アフリカ編集
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アフリカ、マラウイ湖で現在も使われている丸木舟
中東~地中海沿岸、ヨーロッパ南部編集
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ヨーロッパ北部編集
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オランダで発見された、「現在知られている中で、世界で最古の丸木舟(カヌー)」などと言われているen:Pesse canoe。炭素年代測定法により、紀元前8040年~紀元前7510年ころのものと推定されている。(同国のA28自動車道を建設中の1955年に発見された。)
アジア編集
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西アジア~中央アジア~東アジアの丸木舟。
南太平洋地域編集
この海域では、歴史的には、丸木舟が多く用いられた。また船底に刳り抜き材を用い、舷側や船首、船尾に別の材を付加して結び合わせるものも多い。現在ではアウトリガーカヌーが広汎に使用されている。現在では板材を使用したものやFRP艇が多い。アウトリガーカヌーの起原はよくわかっていないが、東南アジア島嶼部からオーストロネシア人の拡散とともに広がっていったことは確実とみられる。丸木舟から発展したという説と、中国で発達したいかだから発展したという説があるが、史料に乏しく定説には至っていない。
日本編集
先史時代のもの、歴史時代のもの、現存のもの、を含め、多くの例を占める単材刳舟は、一本の丸太を刳りぬいて造られるものであり大きさは材料となる木で制限され全長5~8メートル程度が一般的である。だが、大阪市西淀川区大仁町鷺洲から発掘された古墳時代と推定される全長11.7メートルのクスノキの刳舟など10メートルを越す大型のものも存在した。
複材刳舟のうち前後継ぎのものに、大阪市今福鯰江川の三郷橋(現・城東区今福西1丁目)で大正6年(1917年)5月に出土した刳舟があり、全長13.46メートル、全幅1.89メートルだったとされるが空襲で焼けてしまった。また浪速区難波中3丁目の鼬川で、明治11年(1878年)に出土した残存長12メートル程の刳舟も空襲で焼けてしまったが、当時日本に在住していたモースも見学しておりスケッチや写真などが残されている。他に、天保9年(1838年)愛知県海部郡佐織町で出土した刳舟は残存していた長さが十一間二尺(20.6メートル)あったといわれている[4]。これら三例の前後継ぎの複材刳舟はいずれもクスノキ製とされている。
先史時代の丸木舟編集
日本での先史時代の丸木舟の発見例はおおよそ200例ほどで、その分布は関東地方に最も多く150例近くあり、そのうち千葉県での発見例は100例を数え日本全体の半分を占める。各地域での発見例では、千葉県北東部の縄文時代のラグーン(潟湖)が湖沼群として残る栗山川中流域での出土がことに多く、流域には山武姥山貝塚などの貝塚も分布している。次に多いのが滋賀県の琵琶湖周辺で25例ほどあり、福井県から島根県にかけての日本海側がこれにつづく。また、大阪湾では古墳時代のものと推定される大型のものの出土例が何例かある。
日本の先史時代の丸木舟の出土例の多くは縄文後・晩期のものであるが、縄文早期や前期の出土例もある。これまで縄文前期の丸木舟として、福井県若狭町の鳥浜貝塚、京都府舞鶴市の浦入遺跡、島根県の島根大学構内遺跡、長崎県多良見(たらみ)町の伊木力(いきりき)遺跡、埼玉県草加市の綾瀬川や千葉県多古町の栗山川流域遺跡群などの出土例が報告されており、2013年には千葉県市川市の雷下遺跡(かみなりしたいせき)で、日本最古の縄文時代早期のものとみられる丸木舟が出土した。このうち、千葉県多古町の栗山川流域遺跡群で1995年に出土したムクノキの丸木舟は全長が7.45メートルあり、京都府舞鶴市の浦入遺跡で1998年に出土したスギの丸木舟の現在長は4.4メートルであるが全長8メートル、幅0.85メートルと推定されている。また、埼玉県草加市の綾瀬川出土や千葉県市川市の雷下遺跡出土のものもこれに次ぎ、このような大型の丸木舟は海洋での使用が十分可能であり、縄文前期には人々は、丸木舟に乗って島々に出かけていたと推測される。
なお、縄文時代の舟材に鳥浜貝塚、浦入遺跡や島根大学構内遺跡の出土例のようにスギ材が使われるのは稀であり[要出典]、東日本での出土例ではイヌガヤ、ムクノキ、クリ、カヤなどが使用されている。古墳時代の大型の丸木舟にはクスノキの使用例が目立つ。
- 東北地方の発見例
- 関東地方の発見例
- 千葉県
- 千葉市 - 終戦後の1947年7月、千葉市畑町の東京大学検見川厚生農場(現・東京大学検見川総合運動場)の一部を借り受け草炭を採掘していた現場で、ほぼ完全な形の丸木舟が見つかった。この発見はその後の丸木舟の研究の原点となる発見だった。そして1951年3月には3粒のハスの実が見つかり、このうちの1粒が発芽に成功、ピンク色の大輪の花を咲かせ大賀ハスと名づけられた。
- 南房総 - 1948年12月に安房郡豊田村(現・南房総市)加茂遺跡で発見された全長7メートル、幅50センチメートル、今から5,200年前の縄文時代中期初頭のものとされるムクノキの丸木舟は、長らく日本最古とされていた。
- 九十九里地方 - 九十九里浜沿岸での発見例は千葉県全体の8割に及ぶが、そのほとんどは栗山川水系での発見である(匝瑳市:30艘以上、香取郡多古町:20艘以上、山武郡横芝光町:18艘、他)。また、匝瑳市の宮田下遺跡では、丸木舟と杭列が発見され、繋留された丸木舟が想像される。これらの丸木舟の大部分は縄文時代後期から晩期のものとされているが、詳細な年代の特定がされていないものも多く、埋め戻されたものも少なくない。その中で1点のみ挙げれば、1995年に多古町の栗山川流域遺跡群で発見された全長7.45メートル、ムクノキの丸木舟がある。測定に基いて得られた年代は今から5,500年前、縄文時代前期にあたり、市川市の雷下遺跡出土のものに次ぐ古さである。
- 市川市 - 2013年11月に市川市の雷下遺跡で、長さ約7.2メートル、幅約0.5メートルのムクノキ製の丸木舟が出土した。縄文時代早期の約7,500年前のものとみられ、日本最古と考えられている[5][6]。
- 埼玉県
- 茨城県
- 東京都
- 神奈川県
- 近畿・北陸地方の発見例
- 滋賀県
- 福井県・京都府(若狭湾周辺)
- 福井県若狭町(鳥浜貝塚・ユリ遺跡) - 2006年11月から2007年7月にかけて行った福井県埋蔵文化財調査センターの発掘調査で、縄文時代後期ごろの地層から丸木舟5艘が見つかった。同遺跡では以前の調査でも、今回の発掘現場近くから4艘の丸木舟が見つかっており、1981年7月に見つかった縄文時代前期のものは当時日本最古とされていた。
- 京都府舞鶴市(浦入遺跡) - 関西電力舞鶴発電所建設に伴い、1995年6月から1998年5月にかけ、浦入遺跡群の発掘調査が行われこの調査により出土した丸木舟(現存長4.4メートル)は、全長8メートル、幅0.85メートルと推測され、日本最古・最大級とされていた。この丸木舟より若干新しい時期の杭やイカリ石も発見され、桟橋のような施設があったこともうかがわせる。
- 大阪府
- 山陰地方の発見例
- 九州地方の発見例
歴史時代の丸木舟編集
山形県東田川郡藤島町(現・鶴岡市)で、奈良・平安時代のものとされる長さ14.05メートルのスギの刳舟が出土しており、大阪市出土の古墳時代のものに次ぐ大きさのものとされている。単材製もの(独木舟)で現存する物としては日本最大とされ、鶴岡市東田川文化記念館に展示されている。
富士五湖ではこれまで9艘の丸木舟が見つかっている。富士河口湖町の野鳥の森公園に展示してあるものは全長約10メートル、幅約0.8メートルと山梨県内最大級、鎌倉時代のものと推定されている。
民俗資料としての丸木舟編集
丸木舟は、壊れない、沈まない、という特徴を持ち、大型の船舶が登場して後も一定の役割を担っていた。しかし近年では繊維強化プラスチック(FRP)の小型船舶の登場や、材料となる大木が得難くなったことなどにより、次第に過去のものとなりつつある。このようなことから、以下の物件が重要有形民俗文化財に指定されている。
- 北海道
- 青森県
- 秋田県
- 大沼の箱形くりぶね(きっつ)(1964年5月29日指定)
- 田沢湖のまるきぶね(1964年5月29日指定)
- 男鹿のまるきぶね(1965年6月9日)
- 岩手県
- 新潟県
- 島根県
- 山口県
- 江崎のまるきぶね(1957年6月3日指定)
また、記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財として、「ドブネの製作工程」(新潟県)、「種子島のまるきぶねの製作習俗」(鹿児島県)が選択され、「津軽海峡及び周辺地域における和船製作技術」(青森県)が重要無形民俗文化財に指定されている等、有形無形の民俗資料は数多くある。
南西諸島の丸木舟編集
琉球王国で使用されていた船舶や舟艇のうち、大型構造船である進貢船はジャンクであり、やや小型の馬艦船(マーラン船)もそれに近い構造を持っていた。また、奄美群島の板付(イタツケ、イタツキ)や小早船(クバヤ)、沖縄本島北部のタタナー(二棚船)、大宜味村の祭ウンジャミに登場するハーリー船、八重山諸島の豊年祭に登場するパーレー船など和船に類似する構造を持つ船もあったが、それより南で用いられていた小型のサバニは全て丸木舟(クリブニ)であった。
丸木舟構造のサバニは、わずか2~3名を乗せることができる程度の大きさで、櫂で操縦する小舟であるが、明治期以後、アギヤーと呼ばれる追込網漁の出現と進展に適応して大型化し、造波抵抗を除去するための工夫と配慮がなされるなど、船型を洗練させた。その結果、凌波性とともに高速性が向上し、サンゴ礁域のような障害の多い水域で操業するのに優れていた。
北アメリカ編集
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いわゆるインディアンのカヌーは丸木舟がほとんどであった。
インディアンの丸木舟(1590年)
南アメリカ編集
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脚注編集
注釈編集
- ^ ギリシア語で、mono(=単一)+ xylon(=樹木)
- ^ 英語の「log ログ」は丸太(まるた。=丸木)のこと。「dugout ダグアウト」は「dug」が「掘る」という意味で、「dugout」で「掘り出す」「掘り出し」という意味。
- ^ 一部の学術文献では「単材刳舟」と概念分類されることがある。発音しづらく、あまり広まっていない。[要出典]
- ^ 単一部材であるので、一種のモノコック構造である、とは一応は言える。 「剛体部材が剪断応力や曲げ応力を受け持つ、という点ではラーメンであるとも言え、モノコック構造という高尚なものというよりは、どうとでも言えるというほうが近い。[要出典]」という人がいる。
出典編集
- ^ a b c 『日本大百科全書』「丸木舟」
- ^ 「丸木舟」という概念や、分類名を理解するには、船の歴史、「船づくりの歴史」を知っておいたほうが良い。丸木舟は石器時代から存在していたわけだが、時代がはるかに下って「古代」の段階(文字で歴史が記録されるような段階)では「丸木舟」ではない船も登場した。それはどういうものかと言うと、「材木」という均質化された材料を多数作る工程(製材工程)が前段階で入っている船である。まず製材工程を行い、似たようなサイズの材木を多数作り、その多数の材木を組み合わせて船を組み上げ、水漏れ防止のために木材と木材の間に(植物の繊維質や縄やタールなどの)「水漏れ防止材」を詰めた木造船が、古代には登場したわけである。(たとえば、紀元前数千年前の、古代エジプトで、ピラミッド建造の時にナイル川経由で石材を運搬するために使われた木造船も、そのような船(舟)であった。幅が数十cm~1m弱もあるような、かなり太くて大きな材木を数十ほど組み合わせて作られた舟である。近年、エジプト考古学者によって、そういった木造船も多数発掘されており、論文は多数書かれているし、エジプトの博物館にも多数展示されている。日本のエジプト考古学者もエジプトで調査・研究を行って貢献している。)「丸木舟」というのは、そのようなあきらかな「材木」を多数組み合わせて作られた木造船と対比された概念である。(一般に、分類名・カテゴリ名、線引き、というものは、複数のカテゴリが視野に入った状態で成立している。「丸木舟」という概念・分類名も、木製の船の歴史の全体を視野に入れて使われている概念、分類名である。)
古代エジプトの段階では、ひとつひとつの材木は横幅が数十cm~1m弱もあるようなものだったが、さらに時代が下ると、次第に製材技術が精緻化し、幅の狭い材木が容易に作れるようになり、それにともない、幅が狭い材木を組み合わせて船を造る技法も発達し、時代がどんどん下ると、ついには(英語なら)「plank プランク」という、幅数センチ程度で長さ数メートルもあるような材木を何千~何万本も(船首-船尾方向に長くなるように配置して)貼り付けるようにして、船底・船側を作る技法が発達してゆくことになる。この技法を「planking プランキング」と言う。その場合、まず船の「骨格」となる竜骨や、人体の「肋骨」に当たる部材をしっかりと組み、その上に「プランク」を貼り付けてゆく。(現代では、世界各地で趣味で木製カヌーを作る、という人はけっこう多く、日本でも木製カヌー作りを趣味としている人はけっこういるが)現代で木製カヌーを作る場合は、たいてい、このプランキング技法で作る。まず竜骨などの骨格を組み、そこに(20世紀では、電動の高精度の製材機で製材した)細長い「ストリップ材」を接着剤で貼り付けてゆく。これを「ストリップ-プランキング」技法と言う。ストリップ材の太さの選択は、舟(艇)の大きさと関係があり、小さい艇では細く大きい艇では太くなる傾向があり、たとえば一人乗りのカヌーで小さいものでは、なめらかな曲線を出すために、「ストリップ材」の厚さはわずか3mm~4mm程度、幅1.5cm~3cm程度であり、「くにゃくにゃ」「ふにゃふにゃ」「ぺらぺら」の材料である。そうした「ストリップ材」を骨格に貼り付けてゆく。
つまり、この記事で扱う「丸木舟」というのは、(古代エジプトなどの)「(均質化された多数の)材木を組み合わせた舟」とも明らかに異なっているし、「プランキング技法」や「ストリップ - プランキング技法」で作られた舟とも明らかに異なっているわけである。「丸木舟」はそういった明らかに違うタイプの舟と対比された概念・分類名・カテゴリ名なのである。 - ^ Roger Bridgman(2014), 1000 Inventions and Discoveries. DK. ISBN 978-1409350705
- ^ 名古屋大学年代測定総合研究センター 加速器質量分析計業績報告書 1993年「諸桑の古船」小考
- ^ 国内最古の丸木舟か 7500年前、千葉・市川で出土2014.2.1 - MSN産経ニュース
- ^ 最古の丸木舟を発見 縄文人の計り知れない航海力 日本経済新聞
- ^ 広報そうか2006年11月20日号 道ロマン(88)縄文時代の丸木舟
参考文献編集
- 『丸木舟の時代 びわ湖と古代人』滋賀県文化財保護協会編 滋賀県文化財保護協会 2007年 ISBN 978-4-88325-323-4
- 『最後の丸木舟 海の文化史』鳥越皓之 御茶の水書房 1981年08月 ISBN 4275000145
- 『日本丸木舟の研究』 川崎晃稔 法政大学出版局 1991年02月 ISBN 4588321110
関連項目編集
外部リンク編集
- 日本人はるかな旅 浦入遺跡の丸木舟-縄文時代の外洋舟- - ウェイバックマシン(2015年4月1日アーカイブ分) - 国立科学博物館