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多賀城市(たがじょうし)は、宮城県のほぼ中央に位置する都市である。旧宮城郡。市の名称は陸奥国府多賀城」に因む。

たがじょうし
多賀城市
多賀城跡
Flag of Takajo Miyagi.JPG Tagajo Miyagi chapter.JPG
多賀城市旗 多賀城市章
1969年1月10日制定
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
市町村コード 04209-9
法人番号 6000020042099
面積 19.69km2
総人口 62,435[編集]
推計人口、2019年6月1日)
人口密度 3,171人/km2
隣接自治体 仙台市塩竈市宮城郡利府町七ヶ浜町
市の木 サザンカ
市の花 アヤメ
多賀城市役所
市長 菊地健次郎
所在地 985-8531
宮城県多賀城市中央二丁目1番1号
北緯38度17分37.8秒東経141度0分15.3秒
多賀城市役所
外部リンク 公式ウェブサイト

多賀城市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

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仙台市の北東側に隣接するため、そのベッドタウンとしての性格も持ち合わせている。仙台市への通勤率は43.2%(平成22年国勢調査)。

概要編集

仙台市の北東に位置し、市街地は丘陵地帯上にある。市名の由来は古代国府の多賀城よりとっている。1942年(昭和17年)に海軍工廠が設置されて以降、市南部に工業立地が進んだ。仙台港の開港もこれに拍車をかけている。仙台市中心部より鉄道をはじめアクセスが良好であることから、仙台都市圏の一角をなすベッドタウンとしても位置付けられ、市西部の水田地帯では住宅地の造成が進められている。1980年代にかけては、当時政令指定都市への昇格のための規模拡大を目指していた仙台市からの合併要求もあったもののこれを受け入れずに、市としての“独立”を保った。

町は街道(国道45号)沿いに発展してきたため、商店はロードサイド店が多く、“市の中心部が存在しない”という特徴をもつ。

地理編集

仙台市都心部から見て北東郊外(仙塩地区)、仙台港の近くに位置する。

隣接している自治体・行政区編集

歴史編集

縄文時代から弥生時代まで編集

縄文時代前期には金堀貝塚があり[1]、晩期には松島湾に近い橋本囲貝塚などで盛んに製塩土器を使った塩作りが行なわれた[2]。後の多賀城市域に限らず、松島湾沿岸は貝塚と製塩土器・遺構が集中して分布する地域であった。

弥生時代には、市内の五万崎地区から石包丁が出土している[3]枡型囲貝塚で見つかった籾の痕跡を残した土器は、山内清男の論文「石器時代にも稲あり」を生み、考古学史上著名である[4]。市内の低地で水田稲作が営まれたと考えられるが、住居は見つかっていない。

古墳時代編集

古墳時代から竪穴住居の集落が確認できる。山王遺跡と隣接する新田遺跡は一続きの大きな集落で、他に高崎遺跡があり、後に多賀城廃寺が造られる場所にも小さな集落があった[5]。付近には水田跡も見つかっている[6]。海岸の大代地区には漁業に従事する人々が暮らしていたようである[7]

古墳時代の前期には、五万崎地区に方形周溝墓が営まれた[8]。古墳としては小型の円墳である稲荷殿古墳丸山囲古墳が築かれたが、前者は7世紀後半、後者は年代不明である[9]。稲荷殿古墳が作られた時期には、崖に大代横穴墓群橋本囲横穴墓群田屋場横穴墓群といった横穴墓が盛んに作られた[10]

古代の陸奥国府編集

8世紀に市域北西部の丘陵に多賀城が築かれた。多賀城創建時には陸奥国は分割され、石背国(現在の福島県中通り会津地方)・石城国(現在の福島県浜通り宮城県亘理郡)・陸奥国の三国が鼎立していた。分割された後の陸奥国は、今の宮城県よりやや狭い範囲で、多賀城はそのほぼ中央にある[11]。それまで郡山遺跡にあった陸奥国府は、神亀元年(724年)に造営なった多賀城に移ったと推定されている[注釈 1]。しかし、720年代末期には石背国・石城国・陸奥国は合併され、現在の福島県から宮城県に及ぶ広い陸奥国が復活したが、多賀城はその広い陸奥国の国府であり続けた。

多賀城には9世紀初めまで鎮守府も置かれ、出羽国まで含めた東北地方の政治・軍事の中心都市であった。日本全体の中でも、西の大宰府に対応する東の政治都市として重要な位置にあった。城郭の南には町が広がり、当時七北田川が合流して流量が多かった砂押川に橋がかけられ、舟による運送があった。奈良時代から平安時代はじめまで断続的に続いた蝦夷との戦いの中で、宝亀11年(780年)には伊治呰麻呂の反乱で攻め寄せてきた軍勢により略奪放火されたが、すぐに再建された[13]

中世編集

多賀城は平安時代の10世紀半ばまで機能したが、発掘調査ではその後国府にあたるような規模の痕跡が見つかっていない。にもかかわらず多賀国府は南北朝時代まで依然として史料に現われるので、国府は多賀城のそばで中世都市の遺跡がある仙台市宮城野区岩切あたりに移動したと考えられている。

文治5年(1189年)、源頼朝奥州藤原氏を滅ぼすと、頼朝は側近の伊沢家景葛西清重奥州惣奉行に任命した。伊沢家景は陸奥留守職となり、多賀国府の留守所長官として現在の利府町に定住した。その子孫は留守氏と呼ばれ、現在の多賀城市を含む近隣を支配した。市域の南部には、在庁官人系の陸奥介氏(後に八幡氏)が所領を持った。

留守氏、八幡氏など国府付近の武士は、規模としては小さく、南北朝時代戦国時代の争乱の中で自ら奥州の覇を争うことはできなかった。八幡氏は戦国時代に留守氏の家臣になり、留守氏は伊達氏に服属した。

近世編集

戦国時代戦国大名伊達政宗東北地方奥羽)の南半分を征服して“奥羽の覇者”となったが、天正18年(1590年)、政宗は豊臣秀吉に服属し、秀吉は日本統一を達成した。秀吉は政宗が扇動した葛西大崎一揆を経て、政宗の領土を現在の山形県南部・宮城県南部・福島県から宮城県岩手県南部へと、北へ追いやった。天正19年(1591年)、政宗は岩出山城を居城として伊達領を形成した。こうして現在の多賀城市域を含む宮城郡は、伊達領の一部となった。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いを経て、慶長5年12月24日1601年1月28日)より伊達政宗は仙台城を居城として仙台藩62万石を築いた。これ以降明治4年(1871年)の廃藩置県まで、現在の多賀城市域を含む宮城郡は仙台藩の一部となる。尚、現在の多賀城市八幡地区に当たる八幡村には伊達家の準一家である天童氏が居館を置き、一帯を治めた。

近現代編集

歴代首長編集

氏名 就任日 退任日 備考
多賀城町長
大場源七 1959年5月1日 1971年10月31日
多賀城市長
大場源七[15] (1959年5月1日) 1975年4月30日 1971年11月1日、市制施行に伴い市長となる。
2-6 伊藤喜一郎 1975年5月1日 1994年7月12日
7-9 鈴木和夫 1994年8月28日 2006年8月27日
10-13 菊地健次郎 2006年8月28日 現職

行政編集

市長編集

  • 菊地健次郎(4期目)
  • 任期:2022年8月27日

市議会編集

  • 定数:18人
  • 任期:2015年9月10日

消防編集

警察編集

  • 塩釜警察署(塩竈市)
    • 多賀城交番
    • 南宮交番
    • 大代駐在所

県関連施設編集

  • 中南部下水道事務所
  • 仙台東土木事務所

国の機関編集

友好・姉妹都市編集

地域編集

人口編集

 
多賀城市と全国の年齢別人口分布(2005年) 多賀城市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 多賀城市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
 

多賀城市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、1.53%減の62,096人であり、増減率は県下35市町村中12位。40行政区域中17位。

教育編集

大学
中等教育学校
高等学校
中学校
※塩竈三中は塩竈市立でありながら所在地は多賀城市である。但し学区に多賀城市内は含まれていない。
小学校
図書館

電話番号編集

多賀城市で利用されている市内局番は次のとおり。

  • 塩釜収容局…361-1,3~9、362~367、762
  • 多賀城収容局…309、368、389
  • ひかり電話…仙台市と同一

多賀城市域では、塩釜収容局の局番と多賀城収容局の局番が混在している。

郵便編集

市内に集配拠点はなし。市内全域の集配業務は、塩竈市にある塩釜郵便局が担当している。

郵便局

  • 大代郵便局
  • 下馬郵便局
  • 多賀城郵便局
  • 多賀城高橋郵便局
  • 多賀城明月郵便局

簡易郵便局

  • 高崎簡易郵便局
  • 南宮簡易郵便局
  • 笠神簡易郵便局

ゆうちょ銀行

  • 直営店なし。

かんぽ生命保険

  • 直営店なし。


金融機関編集

住宅団地編集

  • 多賀城ニュータウン
  • 高橋コンフォートタウン
  • 志引ニュータウン

名産編集

  • 多賀城バナナ

交通編集

鉄道編集

  • 中心となる駅:多賀城駅

バス編集

「ユーアイバス」多賀城東部線
多賀城西部線
以前は全ての路線が宮城交通によって運行されていたが、多賀城東部線(ユーアイバス)を皮切りに宮交バスシステム(現:ミヤコーバス)への移管を進め、2008年8月に全ての路線がミヤコーバスでの運行となった。宮城交通が運行するのはイベント時の多賀城駅 - 夢メッセみやぎ間の臨時バスのみである。
  • 荒井多賀城線:荒井駅 - アウトレット仙台港 - 仙台港フェリーターミナル入口 - 町前 - 末の松山 - 多賀城駅
  • 汐見台団地線:多賀城駅前 - 県営アパート前 - 貝場 - 大代 - 松ヶ浜入口 - 汐見台中央 - 菖蒲田
  • 「ユーアイバス」多賀城東部線:国府多賀城駅 - 文化センター前 - 多賀城駅前 - 笠神新橋 - 要害入口 - 汐見台中央
  • 多賀城西部線(仙塩交通受託運行)
  • (市民プール前 - )多賀城駅前 - 高崎中学校前 - 高橋四丁目 - 山王地区公民館 - 岩切駅前 - 北安楽寺 - 高橋一丁目 - 高橋四丁目 - 高崎中学校前 - 多賀城駅前( - 市民プール前)
    • 2006年5月 - 「ユーアイバス」多賀城西部線(宮交バスシステム(当時)に運行委託)廃止。
    • 2007年12月20日 - 「多賀城おでかけバス 万葉号」として運行を再開(同時に岩切駅前への乗り入れを開始)。多賀城北日本自動車学院の送迎車を活用し、無料運行していたが、2011年3月東日本大震災により多賀城北日本自動車学院が甚大な被害を受けたため、以降の運行を休止していた[18]
    • 2011年12月1日 - この日より2014年3月31日までの予定で「多賀城西部線」が試験運行の形で運行を再開(運行は仙塩交通に委託)。2012年3月31日までは運賃無料(以降は中学生以上1回100円)[19]
    • 2013年7月29日 - この日より運行ルート・時刻を改正[20]。運賃は一乗車200円となる。
    • 2014年3月31日 - この日より運行順・一部路線を変更[21]
    • 2016年5月1日 - この日より日曜・祝日にも運行を開始。
※2013年度の平日一日あたりの平均利用者数は65人であった[21]
  • 七ヶ浜町民バス「ぐるりんこ」(ジャパン交通受託運行)
  • 仙台市営バス:高砂団地線の一部区間が多賀城市域(高橋地区)を経由する。

道路編集

 
国道45号

名所・旧跡編集

奈良・平安時代に陸奥国府・多賀城がおかれていたため、多くの文化財や名所が残る。


観光スポット・祭事・催事編集

祭り編集

出身の有名人編集

脚注編集

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注釈

  1. ^ 神亀元年は多賀城碑の碑文にある。造営がそれに少し先行することは、出土木簡の検討による[12]

出典

  1. ^ 『多賀城市史』第1巻103頁。
  2. ^ 『多賀城市史』第1巻126頁。
  3. ^ 『多賀城市史』第1巻159頁。
  4. ^ 山内清男「石器時代にも稲あり」、『人類学雑誌』第40巻5号、1925年。
  5. ^ 『多賀城市史』第1巻186-193頁、205頁。
  6. ^ 『多賀城市史』第1巻194頁。
  7. ^ 『多賀城市史』第1巻196-197頁、205-206頁。
  8. ^ 『多賀城市史』第1巻180頁。
  9. ^ 『多賀城市史』第1巻181-182頁。
  10. ^ 『多賀城市史』第1巻182頁。
  11. ^ 『続日本紀』巻第8、養老2年(718年)5月乙未(2日)条。新日本古典文学大系『続日本紀』二の44-45頁。高倉敏明『多賀城跡』31-32頁。『多賀城市史』第1巻218-219頁。
  12. ^ 『多賀城市史』第1巻225-233頁。鈴木拓也『蝦夷と東北戦争』57-59頁。
  13. ^ 『続日本紀』宝亀11年3月丁亥(22日)条。新日本古典文学大系『続日本紀』五の138-141頁。鈴木拓也『蝦夷と東北戦争』118-120頁。高倉敏明『多賀城跡』47-49頁に政庁、56-59頁に門、64-66頁と68頁にその他官衙の焼失と再建の説明がある。
  14. ^ 図典 日本の市町村章 p35
  15. ^ 平成22年第1回多賀城市議会定例会会議録(2010年3月2日)
  16. ^ 宮城県多賀城市、CCCとの連携で2015年夏に新・市立図書館オープンへ
  17. ^ “<ツタヤ図書館>書店とカフェ併設 オープン”. 河北新報. (2016年3月22日). オリジナルの2016年4月25日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160425215358/http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201603/20160322_15008.html 2016年3月27日閲覧。 
  18. ^ 多賀城市 市内を走るバス おでかけバス「万葉号」
  19. ^ 多賀城市 市内を走るバス 多賀城市西部を走るバス「多賀城西部線」
  20. ^ 多賀城市西部を走るバス「多賀城西部線」(平成25年7月28日改定)(多賀城市ホームページ)
  21. ^ a b 広報多賀城4月号折り込みチラシ(西部線) (PDF)

参考文献編集

  • 青木和夫稲岡耕二笹山晴生白藤禮幸校注『続日本紀』二(新日本古典文学大系13)、岩波書店、1990年。
  • 青木和夫・稲岡耕二・笹山晴生・白藤禮幸校注『続日本紀』五(新日本古典文学大系16)、岩波書店、1998年。
  • 鈴木拓也『蝦夷と東北戦争』、吉川弘文館、2008年。
  • 高倉敏明『多賀城跡 古代国家の東北支配の要衝』(日本の遺跡30)、同成社、2008年。
  • 多賀城市史編纂委員会『多賀城市史』第1巻(原始・古代・中世)、多賀城市、1997年。
  • 山内清男石器時代にも稲あり」、『人類学雑誌』第40巻5号、1925年。

関連項目編集

外部リンク編集