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地理編集

薩摩川内市の西端、川内川河口部に位置している[3]。字域の北方には港町湯島町、南方には寄田町、東方には高江町がそれぞれ接しており、西方には東シナ海が広がっている。

字域の北部には薩摩川内市立滄浪小学校が所在していたが、2012年3月25日に閉校式が行われ[4]、2012年度より薩摩川内市立水引小学校に統合された[5]。また、滄浪小跡地付近には川内港がある。

また、川内川には港町と当町を結ぶ川内河口大橋が通っている。南部には九州電力としては玄海原子力発電所についで2箇所目の原子力発電所である川内原子力発電所が所在しており、2010年現在、1号機及び2号機があり、3号機増設に向けて手続きが行われている。また、付近には原子力発電所展示館が所在している。

湖沼編集

  • みやま池

歴史編集

久見崎の成立と中世編集

久見崎という地名は室町期より見え、薩摩国のうちであった。文禄4年の所領替えの際に久見崎は祁答院地方に入部した北郷氏の所領となったが、慶長6年頃には北郷氏が都城城に復帰したため、久見崎は島津氏の直轄領となった。

その後久見崎は島津氏の軍港的性格を持つようになった[6]

近世の久見崎編集

江戸期には薩摩国薩摩郡高江郷(外城)のうちであった。村高は「御秘文雑集」及び「天保郷帳」では240石余、「旧高旧領」では343石余であった。

寛永年間に水引にあった船手が当地に移され、薩摩藩より船奉行及び久見崎奉行が置かれていた。当地には造船工場があり、幕末には軍艦春日丸が建造されたとされている[6]

町村制施行以降編集

1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い高江郷の区域より高江村が成立し、江戸期の藩政村である久見崎村は高江村の大字「久見崎」となった。1956年(昭和31年)には高江村が川内市に編入され、川内市の大字「久見崎町」となった[6]

2004年(平成16年)に川内市等が新設合併し薩摩川内市の大字となった。

施設編集

 
薩摩川内市立滄浪小学校跡
 
久見崎簡易郵便局
公共
  • 滄浪地区コミュニティセンター
  • 久見崎駐在所
  • 原子力発電所展示館
発電
教育
  • 薩摩川内市立滄浪小学校(2011年度閉校)
郵便局
  • 久見崎簡易郵便局

小・中学校の学区編集

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[7]

大字 番地 小学校 中学校
久見崎町 全域 薩摩川内市立水引小学校[8] 薩摩川内市立水引中学校

交通編集

脚注編集

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  1. ^ 川薩地区合併協議会 町・字の取り扱いについて
  2. ^ 統計データ(町別住民基本台帳人口) - 薩摩川内市公式ウェブサイト 2011年4月25日閲覧。
  3. ^ 角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.263
  4. ^ 薩摩川内市立滄浪小:閉校式 郵便局会社社長・古川さんも旧交温める - 毎日jp 2012年4月12日閲覧。
  5. ^ 「薩摩川内市立小・中学校の再編等に関する基本方針」について - 薩摩川内市公式ウェブサイト 2011年7月20日閲覧。
  6. ^ a b c 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.264
  7. ^ 薩摩川内市 義務教育”. 薩摩川内市役所. 2012年5月26日閲覧。
  8. ^ 2011年度までは薩摩川内市立滄浪小学校の校区であった。

関連項目編集