大阪府立住吉高等学校
大阪府立住吉高等学校(おおさかふりつ すみよし こうとうがっこう、英: Sumiyoshi Senior High School[1])は、大阪府大阪市阿倍野区にある公立の専門高校。国際関係学科を設置する「LETS(レッツ[2])」10校のひとつ[3]。前身は大正末期1921年に新設された府立16番目の中学校(修業5年間の旧制中学校〈男子校〉[4])。
大阪府立住吉高等学校 | |
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過去の名称 |
大阪府立第十五中学校 大阪府立住吉中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
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校訓 | 自主自律 |
設立年月日 | 1922年(大正11年) |
創立記念日 | 11月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
総合科学科 国際文化科 |
学期 | 2学期制 |
高校コード | 27158G |
所在地 | 〒545-0035 |
![]() 北緯34度37分41.5秒 東経135度30分11.6秒 / 北緯34.628194度 東経135.503222度座標: 北緯34度37分41.5秒 東経135度30分11.6秒 / 北緯34.628194度 東経135.503222度 | |
外部リンク | 大阪府立住吉高等学校 |
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概要編集
大正期、中等教育機関の入学難を緩和させるため、大阪府が新設した旧制中学校5校のひとつ。1922年4月、大阪府立第十五中学校として開校した(文部省告示第336号大正11年4月8日付で、設置と4月開校を認可[5])。
帝塚山のはずれの校地は当時東成郡(旧住吉郡)住吉村だったことから、府立の学校の慣例(地名から命名)により“住吉”の名を冠した(文部省告示第60号大正12年2月13日付で、改称を認可[6])。
住居表示は住吉村の大阪市への編入に伴い1925年から住吉区となったが、1943年(昭和18年)の分増区により阿倍野区に変わっている。
太平洋戦争後の学制改革に伴い1948年(昭和23年)に新制の大阪府立住吉高等学校に改編。大阪府立阿部野高等学校(旧制の大阪府立阿部野高等女学校)と生徒を交流(入れ替え)して男女共学となった。
長らく全日制課程の普通科高校だったが、平成期の少子化に伴い、大阪府教育委員会の府立高等学校特色づくり・再編整備計画の対象校となり、2005年に国際教育・科学教育に特化の専門高校へ改編された。
2019年(平成31年)1月、ラグビー部が大阪桐蔭高校との試合で186点を取られ大敗。全国高校ラグビーで大阪桐蔭が初の日本一となった直後で注目される中、会場の得点板も上限159点の想定外で表示できない新記録としてニュースになった[7]。
国際・多文化共生に注力編集
教育課程は、文系「国際文化科」と理系「総合科学科」の2つの学科を持ち、2学期制で1日7時限授業。国際文化科は「観て、聴いて、感じる」教育に重点を置き、2泊3日の英語合宿も行う。総合科学科も、他校の理数科に比べ「実験・実習を通じ、探究心を育成する」実学に重点を置き、やはり2泊3日で実験合宿を行っている。
“国際”を掲げる学校らしく、履修の第二外国語として「韓国・朝鮮語」「中国語」を選べる[8]ほか、短期オーストラリア留学や韓国研修などがあり、韓国の清潭高等学校[9][10]や中華民国(台湾)の台北市立中山女子高級中学と姉妹校提携を結んでおり、修学旅行の際に同校へ、その後に同校の生徒が来日する。
在日韓国・朝鮮人の子弟も多く(2008年で5パーセント[11])、「外国語(韓国・朝鮮語)指導員(NKT)」を長吉高校、阪南高校とともに配置[12][13][14]。在日の生徒が通名や結婚差別など「思いを語る」学校行事がある[15]。部活動でも「KCS(韓国文化研究会、"Korean Culture Studies"の略 )」というクラブがあり、KCS部が在日本大韓民国民団の韓国語コンテストで最優秀の駐大阪韓国総領事賞に選ばれる[16]など、人権教育や多文化教育に注力。在日外国人と子弟向けに「多文化進路ガイダンス」も行っている。
1990年(平成2年)の卒業式では、アンミカ(安美佳[17]、のちのモデル)が朝鮮民族衣装のチョゴリを着て出席している[18]。
これら多文化共生への理解を評価され、2018年韓国・北朝鮮の首脳会談にあわせてコリアNGOセンターが開いたシンポジウムに、建国高校・金剛学園高校・大阪朝鮮高級学校の民族系3校とともに、在日の生徒が招かれ参加している[19]。
沿革編集
大阪府立第十五中学校は1922年(大正11年[5])、大阪府立北野中学校内に仮校舎(事務)を設置する形で発足した。翌1923年、東成郡住吉村に校舎が完成して移転(現在地)、校名も大阪府立住吉中学校に改められた[6]。
太平洋戦争後の学制改革により、1948年(昭和23年)新制の高等学校「大阪府立住吉高等学校」(普通科)として出発した。このとき、大阪府立阿部野高等学校[20](旧制の大阪府立阿部野高等女学校)と生徒を交流(入れ替え)して男女共学となったほか、修業5年間(旧制の中学)から修業3年間(新制の高校)に変わるため、1947年過渡的に新制の中学校を併設し、旧制2-3年生を移している。
大昔は「阪大の予備校」編集
生徒の多くが、近隣の大阪高等学校(旧制「大高」)(のちの大阪大学一般教養部南校)[21]へ進んだ。一時転入したノーベル化学賞受賞の下村脩によると、住吉中学のレベルが高くて自分は最下位の成績となり「ショックだった」[22]。元アジア・太平洋人権情報センター(ヒューライツ大阪)所長で大阪大学名誉教授の川島慶雄[23]によると、戦後も1953年頃は「(住吉高校は)阪大の予備校みたいなもので100人ぐらい」が進学。天王寺高校の3分の1程度だが京都大学にも1965年に36人が、翌1966年も31人が進学していた[24][25]。その後、学区制の変更などで進学率が低下。1990年(平成2年)国際教養科が併置され、英語のみ使用の授業や英字新聞を作るなどの“改革”を推進。英語や国際交流に注力する高校と認識され、女子生徒が急増し文系の学校になったため、理系にも強い学校を目指した[22]。
1999年に大阪府教育委員会が「教育改革プログラム」でまとめた府立高等学校特色づくり・再編整備計画で再編の対象となったが、同じ学区(第6学区、当時)の今宮高校がすでに総合学科高校へ移行していたことから、2005年国際教育・科学教育に特化する専門高校(国際・科学高校)へ改編。多くの在日韓国・朝鮮人が暮らす生野区を学区に含むことから、韓国との交流や異文化理解に注力する方針とした[26]。
年表編集
- 1922年(大正11年) - 4月「大阪府立第十五中学校」開校[5](大阪府立北野中学校内に仮校舎)
- 1923年 - 東成郡住吉村に移転・開校(現在地)。「大阪府立住吉中学校」と改称[6]
- 1948年(昭和23年) - 学制改革に伴い、新制の高校の「大阪府立住吉高等学校」に改編。大阪府立阿部野高等学校(旧・府立阿部野高等女学校)から生徒・教職員を交流して、男女共学を開始
- 1969年 - 学生運動が高揚
- 1970年 - 卒業式で生徒がビラ撒き、ヘルメットデモ[27]。約1年間の討議の末、制服を自由化
- 1973年 - 卒業式で生徒がやじを飛ばし、祝いの花束を放棄。夜に校舎の窓ガラス破壊[27]
- 1990年(平成2年) - 国際教養科を併置
- 1991年 - 国際教養科の第2学年に、英語に次ぐ第2外国語(5ヶ国:フランス語、スペイン語、中国語、韓国・朝鮮語)開講
- 1999年 - 韓国の清潭(チョンダム)高等学校と姉妹校となる
- 2003年 - 文部科学省の国語教育推進校(国語力向上モデル事業)に指定(2006年度まで)
- 2005年 - 大阪府教育委員会の国際・科学高校に改編。総合科学科・国際文化科を設置(普通科と国際教養科の生徒募集を停止)
- 2007年 - 文科省のスーパーサイエンスハイスクール事業校に指定(2011年度まで)
- 2008年 - ユネスコ・スクールに加盟
- 2009年 - 中華民国(台湾)の台北市立中山女子高級中学と姉妹校となる
- 2011年 - 府教委「使える英語プロジェクト事業」のイングリッシュフロンティアハイスクールズに指定(G3グレード、2013年度まで[28])
- 2018年 - スーパーサイエンスハイスクール事業校に指定(2022年〈令和4年〉度まで)[29]
基礎データ編集
交通アクセス編集
- 鉄道
- バス
象徴編集
- 校歌
旧制中学時代にはあったが、現在校歌は無い。式典など校歌を使う場面では代わりに“生徒歌”を使用する(自治会の選んだ作詞、寺本節生による作曲)を使う。また“住高四季”と呼ばれる歌も存在する(眉村卓による作詞、小谷智勢子による作曲)。
- 制服
学生運動の影響で1970年に制服が無くなり、代わりに「標準服」制度がある。なお「入学式・卒業式等の式典や、海外交流等の際は標準服を着用」と定められている[30]。
学校行事編集
- 新入生歓迎会 - 体育館に新入生が集められ、先輩から歓迎。自治会が主導で開催し、教師の干渉は一切ない。実態はクラブ活動の勧誘、及び存在を認識してもらう場。ファッション部、ダンス部などはもちろん、体操部、ラグビー部などの運動部も壇上で何らかの芸を披露する。
- 体育祭 - 毎年5月、4団に別れ、各団3年生を中心として取り組む。種目の1つに応援合戦があり、一般生徒は当日まで応援団とともに練習や、各グループに分かれ団の看板制作や団旗をデザイン。応援団に所属生徒は早朝、昼休み、団Tシャツ等を作成する。
- 学園祭 - 9月の金曜、土曜の2日間。金曜は在学生のみで行われ、土曜は一般開放(要招待券)、クラス単位で舞台演劇や飲食、展示などを行う。文化部は独自に参加してもよいが、運動部は禁止されている。
- プレゼン大会 - 全1年生がプレゼンテーションを行う。テーマは自分で決定し、関する論文も仕上げなくてはならない。優秀者は別の日に100人ほどの前で発表する。
- 海外研修
春季、夏季の長期休業期に実施。
- アメリカ語学研修(シアトル) - 2012年度より毎年7月、夏休み開始直後に7泊10日(機内で2泊)。現地の大学(主にワシントン大学)で現地チューターと共に過ごし、月曜から金曜まで大学内で特別授業を受けながら寮生活。土曜はマウントレーニアでハイキング。日曜日はシアトル市内を散策し、平日で学んだ英語を活かす。
なお、これら2つの研修に同時申し込みはできない。
英語圏でないため、シアトル・オーストリア研修どちらかと同時申し込みも可能。
- ニューヨーク研修 - 毎年3月下旬。生徒の参加は僅かに2人で、住吉高校からの付き添い教員もいない。現地の日本人に案内してもらい、大学に通う。
- カリフォルニア研修 - 高校ではなく、後援会の主催のため、成績優秀者の選抜形式となる。
- アジアフィールドスタディ - 偶数年に行われる。2014年はカンボジアで、2017年はカンボジア、ベトナムで行われた。
これらの研修には所属部活を問わず参加できる。
- ケンブリッジ研修 - 毎年3月下旬から4月。成績優秀者3名を2年生から選抜、OB会からの支援金により無料。ホームステイをして、語学学校に通う。
学校施設編集
校舎は、昭和30年代から50年代にかけ半世紀前の建設で、旧耐震基準の既存不適格のままであり震度6強の揺れで倒壊の恐れがある。このため2008年(平成20年)度から改修を行った[31]。
なお、戦後にアメリカなど占領軍GHQなどの義務教育の校舎確保を優先する方針により、教室の一部を新制の大阪市立阿倍野第四中学校(現・大阪市立松虫中学校)に貸し出した。同様に新制の中学校の校舎として転用される阿部野高校が、住吉高校内に移転。一時期、2校で同居していた[32]。
2010年には80周年事業として、創立以来なかった同窓会館が建設され、「北畠会館」と名付けられた[33]。
グラウンドのフェンス沿いの道路に、古今和歌集にうたわれた“住吉の岸の姫松”が4本、自生している。
不祥事編集
入試で間違った成績を開示編集
2020年(令和2年)度の入学者選抜(入学試験)結果について、間違った成績(中学校からの調査書〈内申書〉の評定〈点数〉)を受験者に開示していたことが発覚した。資料データを作成した際、複数での確認を怠っていた[34]。
備品iPadを教諭が私物化編集
教科指導のため公費で購入したiPad(10万円相当)を、教諭が2017年(平成29年)4月から3ケ月間、無断で校外に持ち出し、自宅で使用した。教諭は翌2018年8月31日付で懲戒免職となった[35][36]。
人体の本物の骨格標本編集
理科の備品の骨格標本があったが、1体は本物の人骨の全身だったことが2019年2月に発覚した。大正時代に購入した記録があったという[37]。
高校関係者と組織編集
関連団体編集
- 大阪府立 住吉高等学校同窓会 - 同窓会。固有の団体名は無し。
高校関係者一覧編集
- 政治・行政
- 経済
- 学者
- 生田幸士 - 東京大学名誉教授、名古屋大学名誉教授、大阪大学栄誉教授、紫綬褒章受章
- 磯村哲 - 法学者。元日本法社会学会理事
- 金坂清則 - 京都大学名誉教授
- 川本皓嗣 - 元大手前大学学長、東京大学名誉教授、日本学士院会員
- 酒井泰弘 - 経済学者。筑波大学名誉教授、元日本地域学会会長、元生活経済学会会長
- サキ・ドクリル - 元ロンドン大学キングス・カレッジ教授
- 佐瀬昌盛 - 国際政治学者。防衛大学校名誉教授。奈良県から越境通学
- 豊島久真男 - 医学者。東京大学名誉教授、大阪大学名誉教授、文化勲章受章
- 向井正 - 元神戸大学大学院理学研究科教授
- 村井眞二 - 大阪大学名誉教授、元日本化学会会長
- 山形政昭 - 建築史家、大阪芸術大学教授
- 古川麒一郎 - 天文学者
- 文学・芸術
- 芸能
- スポーツ
- そのほか関係者
- 下村脩 - ボストン大学名誉教授、ノーベル化学賞受賞者。一時期(旧制)住吉中学へ転入(長崎県立諫早中学校〈旧制〉卒業)
- 伊東静雄 - 詩人。下村脩を教えた住吉中学(旧制)の国語教諭(学制改革により大阪府立阿倍野高等学校に転任)
関連項目編集
- 清潭高等学校 - 韓国の姉妹校
- 台北市立中山女子高級中学 - 中華民国(台湾)の姉妹校
- 大阪府立阿倍野高等学校 - 前身は府立11番目の高等女学校
- 大阪府立天王寺高等学校 - 前身は府立5番目の旧制中学校(阿倍野区)
- 大阪府立今宮高等学校 - 前身は府立11番目の中学校(浪速区)
- 旧制中等教育学校の一覧 (大阪府)
- 大阪府高等学校一覧
脚注編集
- ^ “General Information about Sumiyoshi High School”. 2020年12月31日閲覧。
- ^ “大阪府/報道発表資料/国際関係学科を設置する府立高等学校10校の愛称が決定しました!” (日本語). 大阪府庁. 2020年12月31日閲覧。
- ^ 国際関係学科を設置する「LETS」は、住吉高校をはじめ旭高校、枚方高校、花園高校、長野高校、佐野高校、千里高校、泉北高校、箕面高校、和泉高校の10校
- ^ 府立第九、第十六の2中学校があった大阪府立池田高等学校の項目を参照
- ^ a b c 官報大正11年(1922年)4月8日第2902号
- ^ a b c 官報大正12年(1923年)2月13日第3159号
- ^ 得点板159までなのに…大阪桐蔭新チーム爆勝発進 - 日刊スポーツ2019年(平成31年)1月27日
- ^ 特色のある授業
- ^ 高校からのお知らせ - 大阪府立住吉高等学校同窓会
- ^ 2013年8月 - 住吉高校 学校ブログ
- ^ 朝日新聞大阪版 2008年2月14日付[リンク切れ]
- ^ 同胞保護者連絡会 民族教育をすすめる連絡会 文書回答 - 大阪府
- ^ 大阪府/多民族・多文化社会を求める実行委員会 文書回答 - 大阪府
- ^ Untitled - 公益財団法人国際文化フォーラム
- ^ 住吉高校ニュース
- ^ 民団大阪|民団ニュース2013年12月17日 第7回 韓国語をたのしもう高校生大会
- ^ アン ミカさん 母がくれた“四つの魔法”は私の宝 | 大手小町 読売新聞2019年2月7日
- ^ 毎日新聞2018年4月24日 わたしの母校 住吉高校4 モデル・アンミカさん 訴え実りチョゴリで卒業
- ^ 毎日新聞2018年4月20日 南北首脳会談 在日コリアン高校生「統一こそ未来」
- ^ 現在の大阪府立阿倍野高等学校。新制高校発足当初は「阿部野」の字を用いていた。
- ^ 跡地は現在の阪南団地
- ^ a b 岡本尚友, 「住吉高校SSHの事例」『電子情報通信学会 通信ソサイエティマガジン』 7巻 4号 2013-2014年 p.276-282, doi:10.1587/bplus.7.276。
- ^ 財団法人 大阪府人権協会
- ^ 川島慶雄名誉教授に聞く: 大阪大学の思い出
- ^ 中野新之祐「高度経済成長期における都市部伝統産業地域の子どもたちの職業選択と学校--京都西陣の場合」『東京経済大学人文自然科学論集』第126号、東京経済大学、2008年11月、 57-98頁、 ISSN 04958012、 NAID 110007041563。
- ^ 産経新聞2004年10月8日 刊 教育最前線 再編が進む府立高校 大阪府教委
- ^ a b “大阪の戦後学生運動史2”. Assert Web. (2017年11月3日) 2020年12月31日閲覧。
- ^ (PDF) 平成23年度「使える英語プロジェクト事業」English Frontier High Schools 実施要項, 大阪府 2020年12月31日閲覧。
- ^ スーパーサイエンスハイスクール - 大阪府教育センター
- ^ 大阪府立住吉高等学校 - 大阪府教育センター
- ^ “棟別耐震性能一覧表【府立学校】” (日本語). 大阪府庁. 2020年12月31日閲覧。
- ^ その後、新制中学校が独立校舎を確保したため、阿部野高校は1951年までに元の敷地に復帰している。
- ^ 北畠会館(同窓会館)完成 - 大阪府立住吉高等学校同窓会
- ^ “大阪府/報道発表資料/令和2年度入学者選抜における学力検査の成績等の開示資料の誤りについて” (日本語). 大阪府庁 (2020年5月18日). 2020年12月31日閲覧。
- ^ “高校教諭が公費で購入のiPadを私物化「自宅PCの調子悪く」”. 毎日放送. (2018年8月31日) 2020年12月27日閲覧。
- ^ “「大阪府教育庁によると、府立住吉高校の男性教諭(64)は去年4月ごろから今年6月にかけ、教科指導のために公費で購入された10万円相当のiPadを無断で校外に持ち出し自宅で使用していた。男性教諭は31日付で懲戒免職処分」MBS⇒学校のiPadを家で使ったらクビか。” (2018年8月31日). 2020年12月31日閲覧。
- ^ “大阪府立校の人体標本26点、本物の可能性 骨格や内臓” (日本語). 朝日新聞. (2019年2月26日) 2020年12月31日閲覧。