大阪府立春日丘高等学校

日本の大阪府茨木市にある公立高等学校

大阪府立春日丘高等学校(おおさかふりつ かすがおか こうとうがっこう、: Osaka Kasugaoka High School)は、大阪府茨木市春日にある公立高等学校。前身は大正中期1921年に設置された府立10番目の高等女学校だが、源流は明治末期、春日村などによる高等小学校に付設された裁縫専修科。略称は「かすこう(春高)」で、全日制課程と定時制課程を設置している。

大阪府立春日丘高等学校
大阪府立春日丘高等学校
2009年平成21年〉12月撮影)
過去の名称 学校組合立養精高等小学校裁縫専修科
養精裁縫学校
大阪府三島郡茨木町外8ケ村学校組合立三島女子技芸学校
大阪府三島郡茨木町外8ケ村学校組合立三島実科高等女学校
大阪府三島郡立三島実科高等女学校
大阪府三島郡立三島高等女学校
大阪府三島高等女学校
大阪府立三島高等女学校
大阪府立茨木高等女学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大阪府の旗 大阪府
併合学校 学校組合立茨木女子農業学校
設立年月日 1913年大正2年)5月1日[1]
5月1日
創立者 三島郡9町村(茨木町春日村など)
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 学年制(全日制)
単位制(定時制)
設置学科 普通科
(全日制・定時制とも)
高校コード 27115C
所在地 567-0031
大阪府茨木市春日二丁目1番2号

北緯34度49分06.9秒 東経135度33分37.8秒 / 北緯34.818583度 東経135.560500度 / 34.818583; 135.560500座標: 北緯34度49分06.9秒 東経135度33分37.8秒 / 北緯34.818583度 東経135.560500度 / 34.818583; 135.560500
外部リンク 公式サイト
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概要編集

1898年明治31)年8月、府北東部三島郡の農村による学校組合立養精高等小学校(現・茨木市立養精中学校)に、「裁縫専修科」設置を認可された。同科は第3次小学校令公布に伴い廃止となり、1901年、養精高等小に各種学校「養精裁縫学校」が付設された。

ただ、裁縫学校も初年度54人が全て中退(卒業生0人)、加えて1907年に高等小の修業年限(4年)短縮に伴い、1911年徒弟学校実業学校の一種)の「大阪府三島郡茨木町外8ケ村学校組合立三島女子技芸学校」が設置された[2]茨木町三島村安威村福井村溝咋村宮島村春日村三宅村玉櫛村の9ヵ町村による学校組合が設置した学校だったが、郡で唯一の女子実業学校のため、三島郡の名前を校名に付けられている。

だが、授業6割が裁縫など実習科であり、人気の都心部(大阪市)の高等女学校に生徒が流出したため、校長自ら「今時こんな裁縫や染色養蚕などを課する女学校では、女子教育の意味をなさぬ」として高女への昇格と、廃校を進めた[2]

結果、1913年大正2年)3月末で廃校となり(文部省告示第104号で、廃校を認可[1])、新たに養精高等小に併設して[3]実業学校の「大阪府三島郡茨木町外8ケ村学校組合立三島実科高等女学校」が5月1日に開校した(修業4年間。文部省 告示 第103号で開校を認可[1])。

実科高女での授業は、家政に関する学科目に限定されており[4]、週34~36時間の半分を裁縫が占めたため、高女への昇格を視野に、開校の翌1914年、郡への移管について各村で議論を始めた。ただ、村の費用負担を巡り反対意見が続出。3年後の1917年ようやく郡に移管され郡立に改編された(文部省 告示 第78号で群立に変更と改称を認可[5])。

郡立となった結果、授業料は安くなり生徒も増え、大阪市から通う生徒も出たほどで、独立した校舎も整備。翌1918年、悲願の高等女学校に昇格し「大阪府三島郡立三島高等女学校」となった。ただし、同年8月23日に茨木川決壊し浸水したため、翌1919年12月に春日村に校地を買収、茨木町から移転した(現在地。文部省告示第265号12月17日付で、位置変更を認可[6])。

高女に昇格3年後の1921年4月、今度は郡制が廃止されたため大阪府に移管され、「大阪府立三島高等女学校」に改称された(文部省 告示第282号大正10年4月5日付で、設置者の変更と改称を認可[7])。

授業内容の充実と授業料の値上げなど、他の高女の水準に追いつき足並みを揃えられるようになったものの、廃校や移転、移管と流転が続いた上、当時の三島郡では「女学校へ入学させても生意気になるだけで、何の役にも立たない」と父兄が考えていたが、本来三島郡の裕福な子女の教育機関であり、昭和にはいると大阪市内からの進学者が増え、1934(昭和 9)年度卒業生は, 「大阪府下有数の学校だという誇りを生徒はみな抱いておりました」と述べている [8]

1928年昭和3年)「大阪府立茨木高等女学校」に改称した。

太平洋戦争後の1947年3月の教育基本法学校教育法の公布、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)指示で、普通科と職業科を併せ持つ総合制高等学校化が全国で進められた。

それに合わせ翌1948年学制改革による新制の高等学校男女共学)への改編で「大阪府立春日丘高等学校」となった際、家政科や定時制課程も併設し、5分校も設置し、いわゆる高校三原則に基づく総合制高校となった[9]

なお、「春日丘」の校名は、大阪府立茨木高等学校(旧制の府立茨木中学)と重複を回避するためで、所在地の『春日』から取られた。

JR茨木駅から約300mの便利な場所にあり、茨木市の指定避難所となっている[10]ため、2018年平成30年)6月18日の朝、震度6弱で茨木市でも被害の出た大阪北部地震では避難所となり、市民が避難している[11]

教育方針編集

1.一般的な教養を高め、専門的な学芸の基礎を築くため、学習活動を大切にする。
2.豊かな人間性とのびやかな個性を育むため、特別活動を充実させる。
3.すべての教育活動を通して、自ら学ぶ意欲とともに、考え表現する力と豊かな創造性をもつ人間の育成を図る。
4.学校生活のあらゆる場面において、人権尊重の精神に基づく価値判断と行動ができる力を養う。

[12]

教育目標編集

1.人間を尊重し、個性を育てる。
2.自由と平和をめざし、自らの責任を果たす人間を育てる。
3.大らかな学風のもとで、自主・自律の精神に富んだ人間を育てる。
4.地域社会と国際社会の双方に開かれた学校をつくり、地球的視野から、主体的に行動できる人間を育てる。

沿革編集

創立の年「不明」編集

裁縫専修科の設置は1898年(明治22年)だが、実科高等女学校の開校1913年大正2年)5月1日を創立記念日と定めている[13]

一方、周年行事を開く際に起点の年を前倒しして、技芸学校の設置1911年を創立の年としている(100周年の場合、2011年に周年行事)。

年表編集

  • 1898年明治31年)8月、「学校組合立養精高等小学校」(現・茨木市立養精中学校)に「裁縫専修科」を設置
  • 1900年 - 裁縫専修科が廃止
  • 1901年 - 養精高等小学校に各種学校「養精裁縫学校」を付設
  • 1911年 - 1月24日、徒弟学校「大阪府三島郡三島郡茨木町外8ケ村学校組合立三島女子技芸学校」を設置
  • 1913年大正2年) - 3月31日、三島女子技芸学校が廃校[1]。4月11日、新たに実業学校大阪府三島郡茨木町外8ケ村学校組合立三島実科高等女学校」認可[1]。5月1日、開校
  • 1917年 - 4月9日、三島郡に移管され、郡立の「大阪府三島郡立三島実科高等女学校」に改称[5]
  • 1918年 - 4月23日、高等女学校に昇格し、「大阪府三島郡立三島高等女学校」に改称
  • 1919年 - 12月、校地を移転(現在地[6]
  • 1920年 - 1月1日、郡立のまま、「大阪府三島高等女学校」に改称
  • 1921年 - 4月5日、大阪府に移管され、「大阪府立三島高等女学校」に改称[7]
  • 1928年昭和3年) - 4月1日、「大阪府立茨木高等女学校」に改称
  • 1948年 - 4月1日、太平洋戦争後の学制改革により新制の高等学校となり、「大阪府立春日丘高等学校」に改称。大阪府立茨木高等学校旧制の大阪府立茨木中学校)との間で教員・生徒の交流が行われる(男女共学に)。9月1日、「組合立茨木女子農業学校」を併合、農業科に。定時制課程も付設、中心校(普通科・商業科・農業科)及び5分校体制の総合制高等学校となる。10月12日、「大阪府立春日丘高等学校豊川分校」(女子:定時制課程〈昼間〉家庭科)授業開始。10月14日、「大阪府立春日丘高等学校清渓分校」(女子:定時制課程〈昼間〉家庭科)授業開始。10月15日、「大阪府立春日丘高等学校吹田分校」(共学:定時制課程〈夜間〉普通科)が授業開始。11月24日、「大阪府立春日丘高等学校忍頂寺分校」(女子:定時制課程〈昼間〉家庭科)授業開始[14]
  • 1949年 - 4月1日、「大阪府立春日丘高等学校山田分校」(女子:定時制課程〈昼間〉家庭科)を設置。23日、授業開始
  • 1952年 - 4月1日、吹田分校が、大阪府立吹田高等学校に定時制課程として移管
  • 1959年 - 3月31日、山田分校を廃止(第8期生まで輩出)
  • 1965年 - 3月1日、清渓・忍頂寺両分校を茨木市泉原に移転統合し、「大阪府立春日丘高等学校泉原分校」(全日制課程普通科)とする。4月1日、中心校に家政科を設置
  • 1967年 - 中心校の農業科を廃止
  • 1968年 - 3月31日、豊川分校を廃止(第17期生まで輩出)
  • 1983年 - 中心校の家政科を廃止
  • 1994年 - 3月31日、泉原分校を廃止
  • 1998年平成10年) - 12月1日、新本館が竣工。新校舎への移行が開始される
  • 2002年 - 全日制課程が、大阪府教育委員会よりエル・ハイスクール事業に指定(2003年-2007年
  • 2011年 - 11月12日、創立100周年記念式典
  • 2012年 - 2月22日、創立100周年記念会館(ウイステリアホール)竣工式
  • 2014年 - 全日制課程が、大阪府「骨太の英語力養成事業」実践校に指定(2018年度まで)

(年表の主な出典は公式サイト〈全日制〉沿革のページ[15]

基礎データ編集

交通アクセス編集

鉄道

象徴編集

校歌

校歌は、細川真による作詞、山田耕筰による作曲。また、卒業生による作詞・作曲の創立70周年記念賛歌「藤蔭青春を」(とういんはるを)があり、校歌と茨木高等女学校時代の校歌と合わせたレコードとして関係者に配布された[16]。現在も音楽会や体育祭などの学校行事で歌い継がれている。

校章

校章は、漢字の「春」をデザインし、中央に「高」の字。茨木高女時代は菱形の中に撫子の花、そのなかに「茨」と書かれたデザインだった。

制服

制服は、1970年代の自治会活動(学生運動)が盛んな時期に制服廃止運動が起こったため、1974年から私服での通学が認められている。

授業編集

全日制課程が2014年(平成28年)から5年間、大阪府教育委員会の「骨太の英語力養成事業」の実践校に指定されていた。普通科の高校では、本校と寝屋川高校のみ指定されていた。

諸活動編集

部活動編集

クラブ活動では、全日制課程の硬式野球部が1982年(昭和57年)の第64回全国高等学校野球選手権大会に大阪府代表として出場した。大阪府の公立高校23年ぶり夏の甲子園に出場となり[17]、神前俊彦監督は「やればできるぞ 甲子園」という著書を出した(徳間書店1983年)。1992年(平成4年)の第74回の地方大会(大阪大会)でも決勝まで勝ち進んだが、10年前と同じ対戦相手の近大付に敗れ甲子園出場は成らなかった。

2003年、音楽部が「(長年)ミュージカルオペラに挑戦し、市民に愛される活動を続けている」として、長井賞を受賞した。

定時制課程も21のクラブがあり[18]2017年平成29年)には科学部が、平成基礎科学財団(理事長はノーベル物理学賞受賞の小柴昌俊東京大学特別栄誉教授)から「小柴昌俊科学教育賞」優秀賞に選ばれている[19]

学校行事編集

  • 9月、藤蔭祭(体育祭の部、文化祭の部)
  • 1月、音楽会(芸術の授業で音楽を選択者)、美書展(美術・書道を選択者)[20]

また、「カスピカ」と称して週1~2回、朝の清掃活動を行っている。2016年平成28年)に始まった活動[21]で、生徒会を中心に部活動クラブ単位で、有志が校門前の歩道などを清掃している[22]

学校施設編集

1938年(昭和13年)に建てられた旧本館校舎は、時計塔のブロンズの鐘や、玄関ホールの撫子の花の形の丸窓などの意匠で親しまれた。なお、旧本館は太平洋戦争中、硫黄島から飛来した米軍機P-51により機銃掃射を受け、弾痕が幾つも残っていた。銃弾を浴び土煙を上げる校舎の姿が米軍機のガンカメラで撮影され、映像も残されており、NHKの番組などで放映されたこともある。

施設の年表
  • 1934年 - 9月21日、室戸台風の風害で校舎本館など倒壊、生徒4名が死亡。教師1名と給仕1名も殉職
  • 1937年 - 12月3日、鉄筋コンクリート3階建の校舎(旧本館)竣工
  • (日時不明)太平洋戦争末期、旧本館が米軍機による機銃掃射の攻撃を受ける
  • 1998年(平成10年) - 新本館の完成
  • 2003年 - 1月31日、旧本館や旧体育館を撤去(取り壊し)
  • 2006年 - 4月1日、ハンドボールコート下に大阪府営地下駐車場完成(名称:オークピット)。同時期に部室棟が完成

高校関係者と組織編集

高校関係者組織編集

  • 大阪府立春日丘高等学校同窓会「藤蔭会」 - 同窓会。読み方は「とういんかい」

高校関係者一覧編集

政治・行政
学者
芸術
芸能
スポーツ
そのほか関係者

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e 官報大正2年(1913年)4月11日 第207号
  2. ^ a b [日本農業史学会「農業史研究」2015年第49号 都市近郊農村における女子初等後教育の展開 大阪府郡部の高等小学校付設裁縫専修科に着目して]
  3. ^ 沿革概要 - 茨木市立養精中学校
  4. ^ 二 高等女学校令の制定:文部科学省
  5. ^ a b 官報 大正6年(1917年)4月9日 第1403号
  6. ^ a b 官報 大正8年(1919年)12月17日 第2212号
  7. ^ a b 官報 大正10年(1921年)4月5日 第2600号
  8. ^ 前掲 日本農業史学会「農業史研究」2015年第49号 都市近郊農村における女子初等後教育の展開 大阪府郡部の高等小学校付設裁縫専修科に着目して p77
  9. ^ 沿革 - 大阪府立春日丘高等学校
  10. ^ 指定避難所一覧/茨木市
  11. ^ 大阪府立春日丘高等学校,春日丘高等学校学校長ブログ
  12. ^ 教育方針 - 大阪府立春日丘高等学校
  13. ^ 沿革 - 大阪府立春日丘高等学校
  14. ^ 創立70周年記念誌 平成21年~平成30年の記録 大阪府立春日丘高等学校定時制課程
  15. ^ 沿革 - 大阪府立春日丘高等学校” (日本語). 2021年3月17日閲覧。
  16. ^ 音楽部の合唱で、製造は東芝EMI
  17. ^ 1959年昭和34年)の大阪府立八尾高等学校以来の大阪府代表
  18. ^ 大阪府立春日丘高等学校 定時制の課程
  19. ^ 産経新聞2017年平成29年)3月21日朝刊 最後の小柴氏教育賞、大阪府立高に優秀賞 今月末で財団解散
  20. ^ 学校行事 - 大阪府立春日丘高等学校
  21. ^ 12月20日 春日丘高校で朝の清掃活動|茨木市
  22. ^ 春日丘高等学校学校長ブログ: 2020年1月30日アーカイブ
  23. ^ 音楽部OB会HP・第37回定期演奏会
  24. ^ 春日丘高校音楽部OB会.com
  25. ^ 春日丘高校音楽部OB会.com

参考文献編集

  • 大阪府立春日丘高等学校創立100周年記念事業実行委員会『藤蔭百年』、2011年。

関連項目編集

外部リンク編集