長州藩の家臣団
(寄組から転送)
支藩
編集一門八家
編集一門六家と永代家老家にあたる。
一族
編集寄組
編集重臣の家柄で大組頭や手廻頭などに任命され、加判、当職(国相)当役(行相)などの家老職に抜擢されることもあった。時代により異なるが約60家があった。大身の者が多く、一門六家、永代家老とともに自身の家臣団(陪臣)を抱えていた。
- 堅田氏 - 堅田元慶の子孫、給領地(知行地)は周防国都濃郡湯野戸田(湯野温泉周辺)6、126石
- 国司氏 - 明治維新後男爵。国司元相の子孫、給領地は舟木万倉5、600石
- 粟屋氏 - 毛利家譜代、給領地は熊毛郡大河内呼坂小周防4、915石
- 山内氏(重臣)山内隆通の子孫、給領地は厚狭郡吉田埴生4、905石
- 益田氏 - 益田元祥二男景祥の子孫、給領地は周防国吉敷郡問田深野4、096石
- 佐世氏 – 元尼子氏重臣、佐々木氏庶流、給領地は上関田布施麻郷3、997石
- 清水氏(長州藩内熊毛立野3、710石・重臣) - 維新後男爵
- 梨羽氏 – 梨羽宣平の子孫、小早川氏庶流、給領地は周防国吉敷郡小鯖3,218石
- 児玉氏 – 児玉就忠の子孫、給領地は吉敷郡小郡台道内3,084石
- 志道氏 - 志道元保の子孫、毛利家庶流、給領地は長門国吉田於福3,000石
- 柳沢氏 - 柳沢元政(元足利義昭家臣)の子孫、給領地は上関田布施麻郷2,803石
- 浦氏 - 乃美宗勝の子孫、小早川氏庶流、給領地は上関伊保庄戸津2,721石
- 桂氏 - 桂元澄の子孫、毛利氏庶流、給領地は舟木如意寺下小野2,584石
- 児玉氏 - 児玉貞行の子孫、給領地は奥阿武惣郷2,243石
- 榎本氏 - 上杉重房子孫、元大内家家臣、給領地は吉田津布田2,234石
- 国司氏 – 国司氏別家、国司広通の子孫、給領地は周防国山口仁保2,115石
- 井原氏 - 井原元以子孫、安芸国人、給領地は熊毛三輪2,102石
- 宍道氏 - 京極氏(尼子氏)庶流、給領地は周防国山口朝倉1,976石
- 根来氏 – 根来寺岩室坊院主の根来勢祐の子孫、給領地は奥阿武宇生賀1、591石
- 内藤氏 - 元大内家重臣、長門国守護代、毛利隆元正室実家、給領地は奥阿武地福1,477石
- 内藤氏 – 内藤元栄の子孫 、給領地は小郡柏崎1,332石
- 桂氏 – 桂広澄二男元忠の子孫、給領地は都濃長穂1,229石
- 赤川氏 – 赤川元保の子孫、小早川氏庶流、給領地は小郡陶鋳銭司名田島1,228石
- 乃美氏 – 乃美宗勝の子孫、小早川氏庶流、給領地は先大津久富1,155石
- 渡辺氏 - 渡辺勝の子孫、給領地は小郡油良1,154石
- 宍戸氏 – 宍戸元続二男就俊の子孫、給領地は舟木有帆1,096石
- 繁沢氏 - 吉川元春二男繁沢元氏の二男元貞の子孫、給領地は奥阿武小川内友信1,094石
- 益田氏 – 益田元祥四男就之の子孫、給領地は奥阿武木与1,086石
- 益田氏 – 益田元祥五男就景の子孫、給領地は小郡陶1,067石
- 福原氏 – 福原広俊二男元房の子孫、給領地は美祢嘉万岩永1,065石
- 宍戸氏 – 一門八家宍戸氏分家、給領地は熊毛安田清尾小周防八代1,063石
- 高洲氏 - 備後国人杉原氏庶流*佐々木氏、給領地は小郡鋳銭司1,019石
- 口羽氏 – 口羽通良の子孫、毛利氏庶流、給領地は舟木上小野1,018石
- 椙杜氏 – 椙杜隆康の子孫、給領地は前大津深川内江良石1,013石
- 山内氏 – 山内広通三男就時の子孫、給領地は厚狭郡吉田1,004石
- 佐々木氏 – 尼子義久の孫就易が佐々木氏に改姓、 給領地は1,003石
- 熊谷氏 – 熊谷元直の子孫、吉川元春正室実家、給領地は吉田鴨庄1、000石
- 和智氏 - 備後国人、給領地は小郡江崎岐波845石
- 山田氏、給領地は山口小鯖829石
- 井原氏 – 井原元尚弟元歳の子孫、給領地は山口小鯖786石
- 口羽氏 – 口羽通良の子孫、毛利氏庶流、給領地は吉田伊佐山中720石
- 粟屋氏 – 粟屋元好三男元重の子孫、給領地は美祢青景691石
- 児玉氏 – 児玉就忠の兄就兼の子孫、給領地は美祢綾木683石
- 宍戸氏 – 一門八家宍戸氏分家、給領地は先大津井上日置680石
- 土屋氏 – 甲斐武田氏の一族、給領地は当島紫福663石
- 志道氏 – 毛利氏庶流志道氏分家、給領地は吉田大嶺内白岩660石
- 宍戸氏 – 一門八家宍戸氏分家、給領地は山口矢田627石
- 日野氏、給領地は吉田於福621石
- 乃美氏 – 乃美氏分家、給領地は山口中尾590石
- 粟屋氏 – 粟屋氏分家、給領地は美祢秋吉546石
- 篠川氏 – 篠川就芳の子孫、給領地は山口小鯖矢田御堀518石
- 李家氏 - 李家元宥の子孫、朝鮮王家流裔、禄高は浮米500石
- 口羽氏 – 口羽氏分家、禄高は浮米500石
- 阿曽沼氏 - 安芸国人、給領地は小郡名田島475石
- 椋梨氏 - 椋梨弘平の子孫、小早川家庶流、禄高は浮米448石
- 渡辺氏 – 渡辺長の四男四兵衛の子孫、給領地は浮米 徳地八坂383石
- 村上氏 – 村上元武二男就義の子孫、給領地は前大津三隅内生島久原327石
- 毛利氏 - 天野元政四男元雅の子孫、禄高は浮米300石
- 草苅氏 – 草苅重継の子孫、給領地は前大津三隅内椴木269石
- 飯田氏 - 毛利家譜代、禄高は浮米250石
- 村上氏 - 船手組頭三田尻村上家、村上武吉の子孫、給領地は大島屋代伊保田油宇、上関岩見島牛島2,393石
- 村上氏 – 船手組頭三田尻村上家、村上武吉二男景親の子孫、給領地は大島屋代和田小泊等、上関岩見島牛島1,655石
大組
編集藩主毛利氏の直属の家臣で藩内門閥士族。馬上を許された広義の上級家臣で中士上等。8組あり、2組が交代で江戸藩邸を、その他の6組は萩城の警護を担当。別名は馬廻組、八組。
また享保3年(1718年)に明倫館創建時に儒者や軍法、新陰流剣術、筆道、槍術、礼法師範で遠近附や寺社組から昇格した家が13家ある。
遠近附
編集中士下等。別名を馬廻通ともいう。享保3年(1718年)に馬術、大筒師範家であるために無給通から遠近附に昇格した家が8家ある。
- 椋梨氏(49石)
- 椋梨藤太
船手組
編集- 毛利水軍の後進。船手組頭が統括。
寺社組
編集下士上等。儒者、医師、絵師、茶道、能狂言師など芸で仕えた。
- 久坂氏(25石)
無給通
編集下士上等。無給通総頭が統率。給地を支給されない。
徒士
編集- 徒士総頭が統括。
三十人通
編集- 御目見え以下。この家格までが士分であった。
その他家格
編集- 士雇
- 足軽・中間の功労者が昇進の一代限りの身分で、準士の扱い。
- 足軽・中間(軽卒)
- 武士階級に属するが、士分ではなく武家奉公人と呼ばれ、士分との間に厳格な壁があった。また、一門六家、永代家老、寄組の家臣である陪臣も士分(家士)と卒の区分があり、藩内における身分はその家の中で士分に準じる者は藩士の次に位置し、卒に準じる者は藩卒の次であった。
参考文献
編集- 『三百藩家臣人名事典 6』(新人物往来社、1990年10月5日)
- 『萩市史 第一巻』 萩市史編纂委員会
- 森本繁『戦国最強の海上軍団・毛利水軍』(新人物往来社、1991年) ISBN 978-4404018342
- 『近世防長諸家系図綜覧』(マツノ書店)
- 『防長回天史』