尼僧物語
『尼僧物語』(にそうものがたり、The Nun's Story)は、1959年のアメリカ映画。
尼僧物語 | |
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The Nun's Story | |
監督 | フレッド・ジンネマン |
脚本 | ロバート・アンダーソン |
原作 | キャスリン・ヒュウム |
製作 | ヘンリー・ブランク |
出演者 |
オードリー・ヘプバーン ピーター・フィンチ |
音楽 | フランツ・ワックスマン |
撮影 | フランツ・プラナー |
編集 | ウォルター・トンプソン |
配給 | ワーナー・ブラザース |
公開 |
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上映時間 | 151分 |
製作国 |
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言語 | 英語 |
キャスリン・ヒュウム(Kathryn Hulme)による小説(原題:The Nun's Story)の映画化作品である。父の死後、僧職を捨ててナチに対抗することを決意した当時のベルギー及びベルギー領コンゴで看護師をつとめる尼僧の葛藤を、オードリー・ヘプバーンの主演で描く。実在のマリー=ルイーズ・アベ(シスター・ルーク)の半生が描かれている。
あらすじ編集
ベルギーに住む有名な医者バン・デル・マル博士の娘であるガブリエルは尼僧になる決意をし、家を出た。恋人への思いも断ち切り、修道院入りする。
修道院で志願者となったガブリエルは修道女の戒律を学び、五日後には修道志願女となり数ヶ月に及ぶ厳しい戒律生活に身を投じる。戒律と懺悔の日々。あまりの厳しさに脱落していく志願女がいる中、ガブリエルは見習い尼になる。その前夜、髪を短く刈られ、またそれまで自分と俗世との唯一のつながりであった、恋人から贈られた金飾りのついたペンを投げ捨てた。俗世との完全な別離の瞬間であった。ガブリエルはシスター・ルークという名を与えられ、正式の尼僧になるべく修行を続ける。
医学の訓練中、素晴らしい成績だったにもかかわらず、修道院へ入る以前から熱望していたベルギー領コンゴ(当時)への派遣は叶わず、ベルギーの精神病院に派遣される。が、そこでも惜しみなく努力を続け、ついに念願のベルギー領コンゴへの派遣が決まる。 ベルギー領コンゴで彼女に与えられた仕事は、外科医フォルテュナティの助手であった。彼は医者としての腕は天才的だが、大変世俗的な無神論者で、神に仕える身のシスター・ルークを常にからかった。だが、医者である父親の元で医療技術を学んだシスター・ルークの的確な仕事振りには信頼を置いており、また彼女もフォルテュナティの手腕は買っていた。
ある日シスター・ルークは自分が結核に冒されている事に気付く。彼女から相談を受けたフォルテュナティは自分が面倒を見、必ず治癒出来ると約束する。そして彼女に対し「君はいくら努力しても尼僧になり切れる人ではない。君は世俗的だ。世間の人間や患者達にとっては理想的だが、修道院が期待している様な尼僧にはなれない。」と印象的な言葉を告げる。
フォルテュナティや人々の愛情のおかげで病状は回復するが、シスター・ルークは再びベルギーに呼び戻される。次はオランダとの国境に近い病院に派遣されるが、戦争が始まり中立国のベルギーに対してドイツ軍は砲撃を加える。しかし常に尼僧は全てに対して慈悲の心を持たなければならず、ベルギー降伏後も、尼僧は地下運動に参加してはならぬ、と厳重にいましめられる。同胞を敵の手から守りたい思いに駆られ、シスター・ルークは苦しんだ。
そんな最中、彼女の父が機関銃の噴射で殺されたとの一報を受け取り、思いは一気に加速、葛藤の末、遂に決断する。 敵への憎しみを抑える事が出来ない。憎しみに満ちた胸に十字架をかけ続ける事は出来ない。彼女はマザー・エマニュエルに全てを語り、自分の還俗を申し出る。
尼僧の衣を脱ぎ、平服に着替えて、修道院に別れを告げて、ガブリエルは祖国・ベルギーと同胞への思いを胸に、俗世間に帰っていくのだった。
キャスト編集
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役名 | 俳優 | 日本語吹き替え | |
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NETテレビ版 | NHK版 | ||
ガブリエル・バン・デル・マル (シスター・ルーク) |
オードリー・ヘプバーン | 池田昌子 | 二階堂有希子 |
フォルテュナティ博士 | ピーター・フィンチ | 羽佐間道夫 | 宮部昭夫 |
マザー・エマニュエル | イーディス・エヴァンス | 鈴木光枝 | 北原文枝 |
マザー・マチルド | ペギー・アシュクロフト | 瀬能礼子 | |
バン・デル・マル博士 | ディーン・ジャガー | 宮川洋一 | 高橋正夫 |
シスター・マルガリータ | ミルドレッド・ダノック | 稲葉まつ子 | |
シスター・ウィリアム | パトリシア・コリング | ||
シモーヌ | パトリシア・ボスワース | ||
シスター・ポーリン | マーガレット・フィリップス | ||
大天使ガブリエル | コリーン・デューハースト | ||
マザー・マルセラ | ルース・ホワイト | ||
マザー・クリストフ | ビアトリス・ストレイト | 北浜晴子 | |
シスター・オーガスティン | モリイ・アークハート | ||
シスター・オーレリー | ドロシイ・アリソン | ||
アンドレ神父 | フランシス・デイミア | ||
イルンガ | エロール・ジョン | ||
リサ | ダイアナ・ランバート |
スタッフ編集
- 監督:フレッド・ジンネマン
- 製作:ヘンリー・ブランク
- 原作:キャスリン・ヒュウム
- 脚本:ロバート・アンダーソン
- 撮影:フランツ・プラナー
- 美術:アレクサンドル・トローネル
- 編集:ウォルター・トンプソン
- 音楽:フランツ・ワックスマン
- 衣装:マジョリー・ベスト
- 第二班監督:サム・ゼバー
- ヘアスタイリスト:グラツィア・デ・ロッシ
- メイク:アルベルト・デ・ロッシ
製作編集
- 原作者キャスリン・ヒュウムは1945年、UNRRAの看護師としてシェルブール近郊で敗戦国ドイツの強制収容所に住む難民を援助する仕事にたずさわっていた[2][3]。そこでマリー=ルイーズ・アベと知り合い、ドイツの収容所に移ってからは一緒に仕事をするようになった[2]。ヒュウムは、他の看護師たちが休暇を取っている時でも、アベは心血を注いで人の二倍働いているのを見た。ある日ヒュウムは「あなたは聖者だわ、マリー=ルー」と言うと、アベはひどく狼狽して「そんな呼び方をするなんて見当違いだ」と述べ[2]、「私はかつて尼僧でした。でも誓いを破った尼僧よ」と打ち明けた[2][3]。ヒュウムはもっと詳しく話してくれるように頼んだ[2]。やがて二人は親密な友人同士になり、ヒュウムは『尼僧物語』を書くことになった[2]。原作は映画製作が始まった時点で300万部売れ、12ヶ国語に翻訳されていた[3]。日本語にも翻訳されている[4]。
- 公開時の宣伝資料ではヘプバーンは撮影前にマリー=ルイーズ・アベとキャスリン・ヒュウムに会っているが、一言も発せなかったとなっている[2][5]。が、実際は親しく語り合い、尼僧としての習慣、尼僧服の着方や十字架への正しいキスの仕方、路面電車の乗り降りの仕方など細部のありとあらゆることを学んだ、と映画会社の資料に残っている[2][3]。
- オードリー・ヘプバーン、イーディス・エヴァンス、ペギー・アシュクロフトの各女優は、この映画で尼僧役を演じるためにそれぞれ別々の修道院で数日間の修行を行った[6]。1月半ばのパリで冬の寒さが厳しく、暖房の無い修道院で朝の5時半の祈祷から始まって1日のすべての儀式に参加して、監督が修道院に行ってみると寒さで震えていたが、自分たちが参加したものに魅せられて、キャラクターの準備をするための方法に感動していた[6]。
- 多人数が参加する儀式では、本物の尼僧が使えないのでローマ・オペラのバレエ団から20名のダンサーを借り、列を作り、膝まづき、頭を下げ、ひれ伏す動作を合図に従って一斉に行った[7]。アップで写る尼僧の顔はエキストラとして多数の王女や伯爵夫人らが参加している[7]。
エピソード編集
- 脚本には、3人の男がどしゃ降りの雨の中で川にはまり込み、川は激しく流れ急速に水量が増してきており、川の縁に並んだ人々がどうすることもできないうちに3人はゆっくりと砂と泥の中に消えていく、というシーンがあった[8](原作にもあり[4])。4万ドルをかけ、川にリフトを作りウィンドマシンを設置し、撮影前日にリハーサルを行っていたが、翌日には川の水位が急激に下がり、金網とセメントが見えてしまっていた[8]。結局そのシーンは撮影されなかった[8]。前日のリハーサルの様子は、レーザーディスクの2つ折りジャケットの内側に宣伝写真として掲載されている[9]。
- 1959年に映画が公開されると、ワーナー映画としては史上空前の大ヒットになった[3][5][10]。
- フレッド・ジンネマン監督は、その自伝で「私はオードリー以上に鍛錬され優雅で自分の仕事に献身的な人に会ったことがない」と語っている[11]。
- ベルギー領コンゴ(当時)へのロケ撮影には地元の修道会の尼僧や宣教師から多大な支援を受けた。だがその翌年にコンゴで独立革命があり、その混乱の中でこれらの方々の多数が殺害される悲劇が生まれた[12]。
- オードリー・ヘプバーンは『許されざる者』(1960年) 撮影中に落馬し骨折したが、その際にヘプバーンの専任介護に当たったのが他ならぬマリー=ルイーズ・アベだった[2][3][13]。
賞歴編集
アカデミー賞編集
- ノミネート
- 作品賞:ヘンリー・ブランク
- 監督賞:フレッド・ジンネマン
- 主演女優賞:オードリー・ヘプバーン
- 脚色賞:ロバート・アンダーソン
- 音楽賞:フランツ・ワックスマン
- 撮影賞:フランツ・プラナー
- 音響賞:ジョージ・グローヴス
- 編集賞:ウォルター・トンプソン
ゴールデングローブ賞編集
- 受賞
- 優秀賞
- ノミネート
- 作品賞(ドラマ部門)
- 監督賞:フレッド・ジンネマン
- 主演女優賞(ドラマ部門):オードリー・ヘプバーン
- 助演女優賞:イーディス・エヴァンス
- Best Film Promoting International Understanding
英国アカデミー賞編集
- 受賞
- 主演女優賞:オードリー・ヘプバーン
- ノミネート
- 作品賞:フレッド・ジンネマン
- 英国男優賞:ピーター・フィンチ
- 英国女優賞:ペギー・アシュクロフト
- 国連賞:フレッド・ジンネマン
ニューヨーク批評家協会賞編集
- 受賞
- 監督賞:フレッド・ジンネマン
- 主演女優賞:オードリー・ヘプバーン
サン・セバスティアン国際映画祭編集
- 受賞
- 最優秀作品賞(ゴールデン・シーシェル):フレッド・ジンネマン
- 主演女優賞:オードリー・ヘプバーン
ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞編集
- 受賞
- 主演女優賞:オードリー・ヘプバーン
ローレル賞編集
- ノミネート
- 作品賞(ドラマ部門)
- 監督賞:フレッド・ジンネマン
- 主演女優賞(ドラマ部門):オードリー・ヘプバーン
- 音楽賞:フランツ・ワックスマン
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞編集
- 受賞
- 作品賞
- 監督賞:フレッド・ジンネマン
- 助演女優賞:イーディス・エヴァンス
- トップ10フィルム
- ノミネート
- 作品賞:フレッド・ジンネマン
- 英国男優賞:ピーター・フィンチ
全米監督協会賞編集
- ノミネート
- 長編映画監督賞:フレッド・ジンネマン
全米脚本家組合賞編集
- ノミネート
- 作品賞(ドラマ部門):ロバート・アンダーソン
グラミー賞編集
- ノミネート
- 映画音楽賞:フランツ・ワックスマン
フィルム・デイリー紙(The Film Daily)編集
- 受賞[5]
- 最優秀主演女優賞:オードリー・ヘプバーン
脚注編集
- ^ 南俊子.『シネアルバム5 オードリー・ヘプバーン』 (1971年12月20日初版発行).芳賀書店.
- ^ a b c d e f g h i チャールズ・ハイアム (1986年3月15日初版発行). 『オードリー・ヘプバーン 映画に燃えた華麗な人生』. 近代映画社
- ^ a b c d e f バリー・パリス (1998年5月4日初版発行). 『オードリー・ヘプバーン』上巻. 集英社
- ^ a b 著:キャスリン・ヒュウム、翻訳:和田矩衛 (1959年1月10日初版発行). 『尼僧物語』. 清和書院
- ^ a b c イアン・ウッドワード (1993年12月25日初版発行). 『オードリーの愛と真実』. 日本文芸社
- ^ a b フレッド・ジンネマン著「フレッド・ジンネマン自伝」 246~247P 北島明弘訳 キネマ旬報社 1993年10月発行
- ^ a b フレッド・ジンネマン著「フレッド・ジンネマン自伝」 252P 北島明弘訳 キネマ旬報社 1993年10月発行
- ^ a b c フレッド・ジンネマン (1993年10月23日). 『フレッド・ジンネマン自伝』. キネマ旬報社
- ^ (1988年発売)『尼僧物語』レーザーディスク.ワーナー・ブラザース映画会社.NJL-11171.
- ^ エレン・アーウィン&ジェシカ・Z・ダイヤモンド (2006年9月25日). 『the audrey hepburn treasures』. 講談社
- ^ フレッド・ジンネマン著「フレッド・ジンネマン自伝」 256P 北島明弘訳 キネマ旬報社 1993年10月発行
- ^ フレッド・ジンネマン著「フレッド・ジンネマン自伝」 264P 北島明弘訳 キネマ旬報社 1993年10月発行
- ^ アレグザンダー・ウォーカー (2003年1月20日). 『オードリー リアル・ストーリー』. 株式会社アルファベータ
外部リンク編集
- 尼僧物語 - allcinema
- 尼僧物語 - KINENOTE
- The Nun's Story - オールムービー(英語)
- The Nun's Story - インターネット・ムービー・データベース(英語)