ヌレイエフ

アメリカ合衆国の競走馬

ヌレイエフ (Nureyev) は、サラブレッド競走馬半妹にナンバー(父Nijinsky II日本種牡馬として活躍したジェイドロバリーの母)、フェアリーブリッジ(父Bold Reason。ヨーロッパの大種牡馬サドラーズウェルズフェアリーキングの母)がいる。名前の由来は父母の名前からの連想で、バレエダンサーのルドルフ・ヌレエフから(由来を尊重するためにヌレエフの表記も少なからず見られる)。

ヌレイエフ
ニアルコス・ファミリーの勝負服
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1977年5月2日
死没 2001年10月29日
Northern Dancer
Special
母の父 Forli
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 クレイボーンファーム
馬主 Stavros Spyros Niarchos
調教師 Francois Boutin(フランス
競走成績
生涯成績 3戦2勝
獲得賞金 18万フラン
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競走成績 編集

1978年のキーンランド2歳市場で2億7000万円でギリシャスタブロス・ニアルコスによって買われた。2歳時は1戦1勝。それも重賞レースでの勝利(トーマスブライアン賞)。続く3歳初戦のジェベル賞も勝ち、3戦目は2000ギニー。ここでも1位で入線したが、競走後半における3位入線馬ポッセ (Posse)に対する進路妨害のため失格。その後感染症の病気にかかり引退した。

引退後はフランスで1年間種牡馬生活を送り、その後は32億円のシンジケートを組みアメリカへ。2001年に死亡するまで欧米で数多くの名馬を輩出した。

種牡馬実績 編集

1987年1997年フランスリーディングサイアー

なお、ヌレイエフは種牡馬時代に大事故を起こしたことがある。1987年5月、放牧先で牧柵を蹴ってしまい右後肢を粉砕骨折する大事故を起こした。普通なら安楽死処分になりかねない重大なケガであったが、当時の最先端医療を駆使して奇跡的に回復し、手術から7か月後には牧場に戻って翌年から種牡馬復帰を果たした。

主な産駒 編集

母父としての主な産駒 編集

太字はGI/JpnI級競走

血統表 編集

ヌレイエフ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ノーザンダンサー系
[§ 2]

Northern Dancer
1961
鹿毛
カナダ
父の父
Nearctic
1954
黒鹿毛
カナダ
Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
父の母
Natalma
1957
鹿毛
アメリカ
Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbirator

Special
1969
鹿毛
アメリカ
Forli
1963
栗毛
アルゼンチン
Aristophanes Hyperion
Commotion
Trevisa Advocate
Veneta
母の母
Thong
1964
鹿毛
アメリカ
Nantallah Nasrullah
Shimmer
Rough Shod Gold Bridge
Dalmary
母系(F-No.) Rough Shod系(FN:5-h) [§ 3]
5代内の近親交配 Nearco 3×5=15.62%、Hyperion 4×4=12.50% [§ 4]
出典
  1. ^ [1]
  2. ^ [2]
  3. ^ [3]
  4. ^ [1][2]


出典・脚注 編集

出典 編集

  1. ^ a b 血統情報:5代血統表|Nureyev(USA)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2016年12月27日閲覧。
  2. ^ a b Nureyevの血統表 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 2016年12月27日閲覧。
  3. ^ 平出貴昭『日本の牝系』競馬通信社、2001年、256頁。ISBN 4434013882 

外部リンク 編集