神波史男
来歴・人物編集
東京市出身。永田町小学校(現麹町小学校)を卒業後[2]、1952年に東京都立日比谷高等学校、1956年に東京大学仏文科卒業。
1958年、東映へ入社[3]。『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』で脚本家デビュー。以降、数々の映画脚本を執筆してきた。
空手道場「誠真会館」の名誉顧問も勤めていた[1]。
作品編集
映画編集
※は合作
- 風来坊探偵 赤い谷の惨劇 (1961年)
- 真田風雲録(1963年)※
- 北海の暴れ竜(1966年)※
- 博徒解散式 (1968年)
- やくざ刑事シリーズ (東映) ※
- やくざ刑事 (1970年)
- やくざ刑事 マリファナ密売組織 (1970年)
- やくざ刑事 恐怖の毒ガス (1971年)
- やくざ刑事 俺たちに墓はない (1971年)
- 狼やくざ 殺しは俺がやる (1971年)
- 博徒外人部隊 (1971年)
- 女囚701号/さそり (1972年)
- 人斬り与太・狂犬三兄弟 (1972年)
- 実録 私設銀座警察 (1973年)※
- 新仁義なき戦い (1974年)
- あばよダチ公 (1974年)
- 0課の女 赤い手錠 (1974年)
- ウルフガイ 燃えろ狼男 (1975年)
- 暴力教室 (1976年)
- 暴走パニック 大激突 (1976年)※
- 沖縄やくざ戦争 (1976年)
- 日本の仁義 (1977年)
- 高校大パニック (1978年)
- 総長の首 (1979年)
- その後の仁義なき戦い (1979年)
- 白昼の死角(1979年)
- 濡れた週末 (1979年)
- 狂った果実 (1981年)
- 野獣刑事 (1982年)
- 逆噴射家族 (1984年) ※
- 火宅の人 (1986年)
- 華の乱 (1988年)
ドラマ編集
- 大江戸捜査網 (1970年 - )
- 火曜日の女シリーズ (1970 - 71年)
- 土曜日の女シリーズ (1973年)
- ワイルド7 (1972年)
- 白い牙 (1974年)
- 大都会 PARTII (1977年)
- 必殺からくり人・富嶽百景殺し旅(1978年)
- 特命刑事 (1980年)
- 警視庁殺人課(1981年)
受賞編集
脚注編集
- ^ a b “誠真会館 指導部”. 誠真会館 (2009年7月15日). 2009年7月20日閲覧。
- ^ キネマ旬報 第 768~771 号 キネマ旬報社 黒甕社 1979 p139
- ^ 訃報:神波史男さん78歳=脚本家 - 毎日jp 2012年3月8日
- ^ 神波史男氏死去(脚本家) 時事通信 2012年3月8日閲覧。
関連項目編集
外部リンク編集
- 神波史男 - allcinema
- 神波史男 - KINENOTE
- 神波史男 - 日本映画データベース
- Fumio Kônami - インターネット・ムービー・データベース(英語)