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肥後 克広(ひご かつひろ、1963年3月15日戸籍上) - )は、日本お笑いタレントであり、ダチョウ倶楽部のリーダー。 太田プロダクション所属。愛称は「肥後ちゃん」、「ヒゴンヌ」(土田晃之らが主に使用)。志村けんからは「克っちゃん」とも呼ばれる。身長179cm、体重72kg。沖縄県那覇市出身。沖縄県立那覇工業高等学校卒業。

肥後 克広
本名 肥後 克広
ニックネーム リーダー、肥後ちゃん、ヒゴンヌ、克っちゃん、搾りカス
生年月日 (1962-08-15) 1962年8月15日(56歳)
出身地 日本の旗 日本沖縄県那覇市
血液型 AB型
身長 179 cm
言語 日本語
方言 共通語沖縄弁
最終学歴 沖縄県立那覇工業高等学校
師匠 杉兵助
出身 渋谷道頓堀劇場
トリオ名 ダチョウ倶楽部
相方 寺門ジモン上島竜兵
芸風 コントものまね など
立ち位置 中央
事務所 太田プロダクション
活動時期 1985年 -
同期 ウッチャンナンチャン
中山秀征 など
現在の代表番組 徳光&史朗の暴走おやじアナ
過去の代表番組 志村けんのだいじょうぶだぁII(深夜シリーズ)
志村劇場
志村座
朝はビタミン! など
配偶者 既婚
親族 肥後DNA(長男)
肥後千暁(長女)

長男は元ドレミ倶楽部の肥後DNA、長女は元歌手の肥後千暁で、この2人も太田プロダクション所属している(千暁は2017年に引退)。2人の妹に当たる一般人の次女がいる。また、孫もいる。

目次

来歴編集

那覇市に3人兄弟の末子(上は姉2人)として出生した。肥後自身は「お笑いタレント」としての立場上多くは語らないが、生家は経済的に苦しかった上、実父が病気で早世するなど、少年時代は母と2人の姉ともども苦労が多かった。母親は奄美大島出身。

生年月日は1963年3月15日としているが、実際に産まれたのはその7か月前の1962年8月15日である[1]

商業デザイナーに就職するも、浅草演芸界に転じ、杉兵助に師事した。ダチョウ倶楽部結成以前からコント赤信号の活動に参加したり、映画にチョイ役で出演していた。なお、南部虎弾の脱退で(戸籍上は)メンバー最年少にもかかわらずリーダーとなったが、ネタやものまねを最終的にまとめるのは彼の役目であり、彼らのギャグのように「背の高さだけでリーダーをやっている」わけではない。

中村正人に容姿が似ており、肥後と中村はお互いこれをネタにしている。映画『アマレット』では肥後が「ドリカムの中村正人」を演じているが、これは中村の希望によるものだった。

私生活では元女優だった妻とブレイク前に結婚、上島竜兵の婚約直前に妻と1男1女があることを発表し、話題となった。その後もう1人女児が生まれ、現在は3児の父である。また、沖縄在住の実母(一般人)もたびたびバラエティー番組に登場したが、2010年3月に死去した。長女の千暁は、2010年1月5日放送の『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』に当時は素人として登場し、中島美嘉の歌マネを披露、同年3月30日では肥後のいるダチョウ倶楽部と対戦した。ここで千暁は太田プロに入ったことを発表する。

コントネタの際に見られる姿は主にツッコミだが、それ以外ではボケに回ることが多い。トリオとして揃ってものまねネタを行う際には大オチとして寺門・上島から同時にツッコミを受けるパターンがお約束となり、2004年10月から開始された『志村通』のコーナードラマ『志村運送物語』ではメインの志村けんを困らせるお向かいの幼なじみ役を演じ、以後も志村の番組では上島に次いで重用されている。

有吉弘行に付けられたあだ名は「絞りカス」。

ものまねレパートリー編集

出演編集

過去編集

映画編集

ウェブドラマ編集

  • 日本をゆっくり走ってみたよ 〜あの娘のために日本一周〜(2017年 - 2018年、Amazonプライム・ビデオ) - バーテン 役

書籍編集

  • 「なんくるないサー!オッカーと僕とアメリカだった沖縄と」(晋遊舎発行)

脚注編集

  1. ^ 単行本『竜兵会―僕たちいわばサラリーマンです。出世術のすべてがここに』内のプロフィールでは1962年8月15日となっている。
  2. ^ 映画「アマレット」- Introduction http://www.dctgarden.com/amoretto/

関連項目編集

外部リンク編集