金沢孝史

日本の将棋棋士

金沢 孝史(かねざわ たかし、1973年5月13日 - )は、将棋棋士。棋士番号232。北海道札幌市出身。勝浦修九段門下。

 金沢孝史 六段
名前 金沢孝史
生年月日 (1973-05-13) 1973年5月13日(50歳)
プロ入り年月日 1999年4月1日(25歳)
引退年月日 2021年5月17日
棋士番号 232
出身地 北海道札幌市
所属 日本将棋連盟(関東)
師匠 勝浦修九段
段位 六段
棋士DB 金沢孝史
戦績
通算成績 203勝276敗(.4237)[1]
竜王戦最高クラス 6組
順位戦最高クラス C級2組(6期)
2023年4月1日現在
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棋歴 編集

1985年奨励会入会。同期に木村一基野月浩貴(同じ勝浦門下)、屋敷伸之(2歳年上)がいる。野月と屋敷とは同郷で小学生の頃から札幌で指していた。[2]15歳で初段、17歳で三段と昇段が速かったが、三段リーグに17期(8年半)在籍ともたつき、年齢制限間近で四段昇段を果たす。当時、『将棋世界』誌に載った四段昇段の所感の記事には、「自分より弱い」人達が、先に次々と昇段した悔しさが書き綴られていた。

第42期(2001年度)王位戦でリーグ入りする活躍を見せたが、5戦全敗に終わった。最終戦の屋敷伸之との対局では41手目の一手に4時間46分の大長考をした[注釈 1]

第43期(2002年度)王位戦では、2年連続のリーグ入り。順位戦A級及びタイトル戦番勝負経験者の淡路仁茂南芳一から勝ち星を挙げるが、他の3名に敗れリーグ残留はならなかった。

順位戦では、第58期(1999年度)より出場、C級2組に留まったまま迎えた第61期(2002年度)及び第62期(2003年度)において降級点を2期連続で喫し、翌第63期は3勝6敗で迎えた最終戦で佐藤和俊に勝ちフリークラスへの降級(C級2組における降級点3点累積)を回避したものの、2005年4月1日付けで在位6期[注釈 2]、31歳の若さ[注釈 3]フリークラス宣言をした。

出場停止処分(後述)からの復帰直後の2006年度から2007年度にかけては本戦進出こそなかったものの非常に優秀な成績を修め、8連勝を2回記録した[注釈 4]。その間、連続する対局の良いところ取りで20勝7敗という、仮に降級したフリークラス棋士ならば、規定[注釈 5]により順位戦に復帰できる好成績を修めた。

2018年9月27日、第60期王位戦予選2回戦で当時叡王のタイトルを保持していた高見泰地に勝利。順位戦で昇級歴が無いままフリークラス宣言した棋士が、タイトルホルダーに勝利したのは、2005年銀河戦決勝トーナメントで櫛田陽一が佐藤康光(当時は棋聖を保持)に勝利して以来13年ぶり。高見には2019年9月5日・第13回朝日杯一次予選3回戦でも勝利し、以降対局が組まれなかったため、高見戦の最終成績は2勝0敗・勝率100%の記録を残す形となった。

2021年3月末にてフリークラス在籍期限を満了。同年5月17日、第34期竜王戦6組昇級者決定戦・所司和晴戦の敗北を以て、同日付で現役を引退[3]した。

棋風 編集

  • 矢倉囲いの採用率が高い居飛車党であるが、大駒の捌きよりも小駒を効率的に使った攻め(棒銀など)を活かして勝利することが多い。終盤の受けに大駒の性質を活用するのも特長である。その一方で、攻め難い局面に持ち込まれると序中盤の段階で早々と投了することも多い。
  • 将棋の奇襲戦法のひとつである「金沢流」の考案者として知られる[4]
  • 定跡に拘らない傾向もあり、現役最後の対局でも、居玉のまま闘う趣向を示していた。

人物 編集

  • 身長は186cm[5]。将棋界きっての長身棋士である。

逸話 編集

  • NHK杯戦では、プロデビュー翌年の第50回(2000年度)より第56回の出場停止処分を挟んで現役最終年の第71回(2021年度)まで21回すべてで予選敗退し、NHK杯戦の本戦出場を経験しないまま現役を引退した。NHK杯戦の予選制導入以降にプロデビューをした棋士が本戦出場を経験しないまま現役を引退したケースは、植山悦行野田敬三[注釈 7]に続き、史上3人目であった。

不祥事 編集

  • 2001年から2005年にかけて、対局の遅刻・不戦敗を常習的にしていた。特に2003年は1年間で3回の不戦敗。2005年8月15日第54期王座戦対局(対高田尚平戦)で通算5回目の不戦敗をしたため、同年9月7日の日本将棋連盟理事会が「半年間(2005年9月1日から2006年2月28日迄)の公式戦出場停止」及び「次期(第55期)王座戦の出場停止」の処分を決定[6]。これにより、同日時点でエントリーされていた第47期王位戦予選1回戦(対伊藤果戦)及び予選を勝ち抜いていた第14回銀河戦1回戦(対大野八一雄戦)が不戦敗となり、処分期間中に開幕された以下の4棋戦にはエントリーされなかった。(一方で当該4棋戦とは別に処分の対象となっていた第55期王座戦[6]は出場し、1次予選3回戦まで勝ち上がった[7]。)
出場停止処分に伴う欠場棋戦
  • 2017年2月8日の第67期王将戦一次予選(対佐藤紳哉戦)では、昼食休憩の際に食事のため外出し、対局中の外出を禁止する対局規定[注釈 8]に違反したとして、厳重注意と対局料50%相当の罰金処分を言い渡された。同様の行為により、村田顕弘も処分を受けた[8]

昇段履歴 編集

  • 1985年00月00日 : 6級 = 奨励会入会
  • 1987年00月00日 : 初段
  • 1990年07月00日 : 三段(0第8回三段リーグから参加0
  • 1999年04月01日 : 四段(第24回三段リーグ成績2位) = プロ入り
  • 2006年07月10日 : 五段(勝数規定、通算100勝)
  • 2021年05月17日 : 引退[3]
  • 2023年04月01日 : 六段(引退棋士規定)

主な成績 編集

  • 通算成績 479局 203勝276敗(.4238)
順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
順位戦 竜王戦
名人 A級 B級 C級 F 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組
1組 2組 1組 2組
1999 58 C245 13 6組
2000 59 C232 14 6組
2001 60 C214 15 6組
2002 61 C232 16 6組
2003 62 C234 17 6組
2004 63 C241 18 6組
2005 64 F宣 19 6組
2006 65 F宣 20 6組
2007 66 F宣 21 6組
2008 67 F宣 22 6組
2009 68 F宣 23 6組
2010 69 F宣 24 6組
2011 70 F宣 25 6組
2012 71 F宣 26 6組
2013 72 F宣 27 6組
2014 73 F宣 28 6組
2015 74 F宣 29 6組
2016 75 F宣 30 6組
2017 76 F宣 31 6組
2018 77 F宣 32 6組
2019 78 F宣 33 6組
2020 79 F宣 34 6組
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F」はフリークラス (F編:フリークラス編入 / F宣:宣言による転出)
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

脚注 編集

  1. ^ 通算成績”. 日本将棋連盟. 2021年6月20日閲覧。
  2. ^ 渉, 小島. “藤井聡太七段と4日差 屋敷伸之九段が振り返る“17歳の挑戦”「キツかった和服と高校生活」 | 観る将棋、読む将棋”. 文春オンライン. 2020年7月15日閲覧。
  3. ^ a b 東和男八段、金沢孝史五段が引退”. 日本将棋連盟. 2021年5月18日閲覧。
  4. ^ 「将棋戦法事典100+王道 流行 珍戦法 完全網羅!、 マイナビムック 将棋世界Special」将棋世界編集部/編・発行、マイナビ出版/販売。2019年9月、ISBN:978-4-8399-7090-1
  5. ^ 将棋世界」2000年1月号付録
  6. ^ a b 金沢孝史四段の出場停止について(2005年09月の2)”. 日本将棋連盟(www.shogi.or.jp). 2005年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2005年11月3日閲覧。
  7. ^ 2006年9月28日 第55期王座戦一次予選ハ組 伊奈祐介対金沢孝史戦
  8. ^ 棋士2人を罰金処分 将棋連盟、対局中に外出 2017年2月10日 日本経済新聞

注釈 編集

  1. ^ 当時、王位戦挑戦者決定リーグの持ち時間は5時間だったため、持ち時間の95%を41手目に費やしたことになる。
  2. ^ 宣言によるフリークラスでは史上最短。降級も含むと熊坂学の3期(制度上最短)に次ぎ2番目となる。
  3. ^ 宣言によるフリークラスでは櫛田陽一の30歳に次ぎ2番目の若さ。降級も含むと、熊坂の27歳、櫛田及び藤倉勇樹の30歳に次ぎ3番目となる。
  4. ^ 1回目は2006年7月10日・第48期王位戦予選1回戦・桜井昇戦から同年10月12日・同予選3回戦・松尾歩戦まで。2回目は2007年5月14日・第79期棋聖戦一次予選1回戦・田丸昇戦から同年7月30日・第1回朝日杯将棋オープン戦一次予選1回戦・中井広恵戦まで。
  5. ^ 仮に前後3局を全敗したとしても、「良いところ取りで、連続30局以上の勝率が6割5分以上(年度をまたいでも有効)」の規定が満たされていた。
  6. ^ これは「二手指し」の特殊な例と見なされ、過去には瀬戸博晴(1995年1月24日・王将戦一次予選・対安恵照剛戦)、木下浩一(2008年1月10日・王将戦一次予選・対広瀬章人戦)、関根紀代子(2007年4月24日・倉敷藤花戦予選・対甲斐智美戦)、有吉道夫(2007年7月17日・第67期C級2組順位戦2回戦・対東和男戦)など数名も同様の反則負けを経験した。また、金沢以降も千田翔太(2022年12月22日・第82期B級1組順位戦10回戦・対近藤誠也戦)が同様の経緯で反則負けを喫したことが報じられた。
  7. ^ 植山は第32回(1982年度)から第63回(2013年度)まで32回連続、野田は第39回(1989年度)から第63回まで25回連続でNHK杯戦の予選を敗退した。
  8. ^ 2016年10月に発生した将棋ソフト不正使用冤罪問題を受けて、日本将棋連盟の公式戦対局規定に同年12月より新たに設けられた。

関連項目 編集

外部リンク 編集