エルチェCF

スペインのサッカークラブ

エルチェ・クルブ・デ・フトボルElche Club de Fútbol, S.A.D. カタルーニャ語: Elx Club de Futbol, S.A.D.)は、スペインエルチェに本拠地を置くサッカークラブ。2023-24シーズンはリーガ・エスパニョーラセグンダ・ディビシオン(2部)に所属している。1923年創設[1]。33,732人収容のエスタディオ・マヌエル・マルティネス・バレーロをホームスタジアムとしている[2]

エルチェCF
原語表記 Elche Club de Fútbol, S.A.D.
愛称 Los Franjiverdes (The Green-striped ones)
Los Ilicitanos (The Ones from Elche)
クラブカラー        
創設年 1923年
所属リーグ ラ・リーガ
所属ディビジョン 2部(2023-24
ホームタウン エルチェ
ホームスタジアム
マルティネス・バレーロ
収容人数 33,732人
代表者 スペインの旗 フアン・セラーノ
監督 アルゼンチンの旗 セバスティアン・ベカセッセ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

歴史

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クラブ創設と黎明期

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1923年、エルチェ市内に本拠地を置くクラブ全てが合併してエルチェFCが誕生した。同じアリカンテ県のモノバルとの間で行なわれた初の試合には4-0で勝利し、クレビレンテ・デポルティーボとの初の公式戦にも2-0で勝利した。1929年に全国選手権(リーガ・エスパニョーラ)が開始されると、1929-30シーズンに初めて参戦してテルセーラ・ディビシオン(当時3部)に登録され、1933-34シーズン終了後にセグンダ・ディビシオン(2部)に初昇格した。1939-40シーズン終了後にはテルセーラ・ディビシオン降格となったが、1940年にエルチェCFに名称変更すると、すぐにセグンダ・ディビシオンに復帰。1950年代末にはテルセーラ・ディビシオンから2シーズン続けて昇格し、初のプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格を果たした。1958-59シーズン終了後の昇格プレーオフではCDテネリフェに3-0で勝利して昇格を決めている。

プリメーラ参戦(1959年-1978年)

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1959-60シーズンの開幕戦ではビセンテ・パウエットがプリメーラでのクラブ初得点を挙げ、1-1で引き分けて初めての勝ち点を獲得。降格したCAオサスナから勝ち点9差の16クラブ中10位でシーズンを終えた。ホームのエスタディオ・マヌエル・マルティネス・バレーロで行なわれたFCバルセロナ戦では、結果的に優勝したクラブ相手に金星を挙げた(2-1)が、アウェーのエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで行なわれたレアル・マドリード戦では、結果的に2位となったクラブ相手に2-11で大敗した。1960-61シーズンは16クラブ中14位だったが、昇降格プレーオフでCAセウタを2試合合計4-1で破って残留を果たした[3]。1963-64シーズンには過去最高位の5位となった[3]。1968-69シーズンのコパ・デル・ヘネラリシモ(現在のコパ・デル・レイ)ではポンテベドラCFバレンシアCFを破って準決勝に進出。準決勝のレアル・ソシエダ戦は2試合合計4-4となったが、中立地のマドリードで行なわれたプレーオフに2-0で勝利して決勝に進出した。サンティアゴ・ベルナベウで行なわれた決勝ではアスレティック・ビルバオに0-1で敗れた[4]。1970-71シーズンは15位となってプリメーラ・ディビシオンから陥落し、13年ぶりに戦いの舞台をセグンダ・ディビシオンに移した[5]。1971-72シーズンは4位で昇格を逃したが、1972-73シーズンは2位でプリメーラ・ディビシオンに昇格した。今度は5シーズンの間プリメーラ・ディビシオンの地位を維持し、1974-75シーズンにはこの期間中最高の8位となった。1977-78シーズンは18クラブ中17位でセグンダ・ディビシオンに降格した。

深刻な財政危機(1980年代と1990年代)

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1978-79シーズン以降の9シーズン中7シーズンで5位以内に入ったが、プリメーラ・ディビシオン昇格を逃し続けた。このうちの1シーズンは3位のクラブと同勝ち点でシーズンを終えたが、得失点差で下回って昇格を逃している。特に1980-81シーズンに昇格を逃したことはサポーターの心を苦しめた。シーズン最終節を前にして2位に位置し、3位以下のラージョ・バジェカーノラシン・サンタンデールに勝ち点2差を付けていた。最終節はホームのマヌエル・マルティネス・バレーロで行なわれるカディスCF戦であり、引き分けさえすれば他クラブの結果に関わらず昇格が決定するはずだったが、エルチェはこの大一番に敗れた。勝ち点45で5クラブ(CDカステリョン、カディス、ラシン、エルチェ、ラージョ)が並んだが、当該クラブ間の成績によりエルチェは昇格を逃した。

  昇格・優勝
  昇格
1980-81 セグンダ・ディビシオン最終成績(7位まで記載)
順位 クラブ 勝ち点 勝利 引分 敗北 点差
1 CDカステリョン 45 15 15 8 +12
2 カディスCF 45 19 7 12 +18
3 ラシン・サンタンデール 45 18 9 1 +8
4 エルチェCF 45 17 11 10 +11
5 ラージョ・バジェカーノ 45 15 15 8 +14
6 CDマラガ 42 14 14 10 +2
7 CEサバデイ 42 16 10 12 +1

1983-84シーズンは5位に終わったが、1位はレアル・マドリード・カスティージャ(レアル・マドリードのリザーブチーム)、2位はビルバオ・アスレティック(アスレティック・ビルバオのリザーブチーム)であり、リザーブチームはプリメーラ・ディビシオンに昇格できないという規定が適用されたため、エルチェが昇格の権利を得た。しかし、1960年代や1970年代のような成功をプリメーラでおさめることはできず、わずか1シーズンでセグンダ・ディビシオン降格となった。1985-86シーズンもイライラさせられるシーズンが続き、勝ち点1差で昇格を逃した。1988年には再びプリメーラ・ディビシオンに昇格したが、1988-89シーズンはずっと最下位に低迷し、16位で残留を決めたCDマラガから勝ち点18も離された20位(最下位)でセグンダ・ディビシオンに降格した。最終節はレアル・サラゴサに1-3で敗れたが、この試合でクラブ唯一の得点を挙げたのはアルフォンソ・フェルナンデスである。1989-90シーズンから2012-13シーズンまでは常にセグンダ・ディビシオン以下のカテゴリーで戦った。

1960年代や1970年代のような成功を目指して大規模な投資を続けたため、1989年のセグンダ・ディビシオン降格後には財政問題に悩まされ始めた。1989-90シーズンは順位表の中位をさまよい、1990-91シーズンは17位でセグンダ・ディビシオンB(現3部、1977年創設)降格となった。3部リーグにまで落ち込むのは1957-58シーズン以来だった。セグンダ・ディビシオンBでは毎シーズンのように昇格プレーオフに出場し、その度にプレーオフで敗退した。1996-97シーズン終了後にセグンダ・ディビシオン復帰を決め、1997-98シーズンは19位で再びセグンダ・ディビシオンB降格となったが、1シーズンでセグンダ・ディビシオンに返り咲くと、その後は14シーズンの間セグンダ・ディビシオンの地位を保ち続けた。

2000年代以後

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ゆっくりとクラブの名声を回復し、2000年代には何度かプリメーラ・ディビシオン昇格争いに加わった。もっとも昇格に近づいたのは2010-11シーズンであり、昇格プレーオフ1回戦ではレアル・バリャドリードを退けたが、2回戦ではグラナダCFにアウェーゴール差で敗れた。2012年夏にはフラン・エスクリバ監督を招聘。2012-13シーズン前半戦だけで勝ち点48(セグンダ・ディビシオンのリーグ記録)を挙げ、4試合を残した39節試合開始前にプリメーラ・ディビシオン昇格を確定させた[6]。第1節終了後から一度も首位を明け渡さずに昇格を決めたのは史上初の快挙だった[6]

2014-15シーズンは13位となり1部残留だったが、エルチェの税金未払いや経営透明性の問題があるとしてスペインプロサッカー機構がエルチェの2部降格を命じて、エルチェの2部降格が決まり、18位のSDエイバルのリーガ残留が決まった[7]

2016-17シーズンに最終節を残して3部降格が決定した。

2017-18シーズンは3部で3位に入り、昇格プレーオフを勝ち抜き2部に復帰。2019-20シーズンは6位で終えた後、昇格プレーオフでレアル・サラゴサジローナFCを破り、リーガ復帰を果たした。

2020年代

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プリメーラに復帰した2020-21シーズン、南米での指導歴豊富なホルヘ・アルミロンを新監督に据えた[8]。開幕節のレアル・ソシエダ戦では3-0と完敗するも、直後の4試合で3勝1分という結果を残し、一時はリーグ11位になった。しかし、その後は年が開けた2月12日までの16試合連続未勝利と苦しい時期が続き、順位も自動降格圏の19位にまで転落した。2月24日、アルミロン監督を成績不振によって解任し、後任には2012年から2015年にもエルチェの監督を務めたフラン・エスクリバを招集[9]。初戦のエイバル戦で勝利すると、ラスト2節のカディス戦とアスレティック・ビルバオ戦に勝利してなんとかプリメーラ残留を決めた。

文化

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最大のライバルは近隣のアリカンテに本拠地を置くエルクレスCFである。アリカンテ県と接するムルシア州最大のクラブであるレアル・ムルシアにもわずかにライバル意識を抱いている。

1932年には現在リザーブチームとなっているCDイリシターノが設立され、1968-69シーズンと1969-70シーズンの2シーズンをセグンダ・ディビシオンで戦った。1992年にはエルチェCF B、2006年にはエルチェCF・イリシターノ(Elche CF Ilicitano)と名を変えて現在に至っている。イリシターノは主にセグンダ・ディビシオンB(現3部相当)やテルセーラ・ディビシオン(現4部相当)で戦っている。

トロフェオ・フェスタ・デルチュ(Trofeo Festa d'Elx)という名称のカップ戦を主催している。

胸部分に緑色の横線が入った白色のシャツ、白色のパンツ、白色のソックスを着用する。この緑色の横線に由来するフランヒベルデス(緑色の帯)というニックネームがある。エルチェ市のエンブレムにも似通ったクラブのエンブレムは、黎明期からほとんど変更されることなく現在にいたっている。

タイトル

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国内タイトル

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1958-59, 2012-13
1968-69

国際タイトル

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  • なし

成績

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近年の成績

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シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ 備考
2013-14 プリメーラ 16位 38 9 13 16 30 50 40 ベスト32
2014-15 プリメーラ 13位 38 11 8 19 35 62 41 ベスト16 財政難のため降格
2015-16 セグンダ 11位 42 13 18 11 40 46 57 2回戦敗退
2016-17 セグンダ 21位 42 11 10 21 49 63 43 3回戦敗退 降格
2017-18 セグンダB 3位 38 16 15 7 56 32 63 ベスト32 昇格
2018-19 セグンダ 11位 42 13 16 13 49 52 55 3回戦敗退
2019-20 セグンダ 6位 42 16 13 13 52 44 61 ベスト32 昇格
2020-21 プリメーラ 17位 38 8 12 18 34 55 36 ベスト32
2021-22 プリメーラ 13位 38 11 9 18 40 52 42 ベスト16
2022-23 プリメーラ 20位 38 5 10 23 30 67 25 ベスト32 降格
2023-24 セグンダ 42

過去の成績

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エルチェFC時代

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シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1929-30 3 テルセーラ 2位
1931-32 3 テルセーラ 5位
1932-33 3 テルセーラ 2位
1933-34 3 テルセーラ 2位
1934-35 2 セグンダ 4位 6回戦敗退
1935-36 2 セグンダ 8位 5回戦敗退
1939-40 2 セグンダ 7位

エルチェCF時代

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シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1940-41 3 テルセーラ 1位 2回戦敗退
1941-42 2 セグンダ 6位 1回戦敗退
1942-43 2 セグンダ 6位
1943-44 3 テルセーラ 1位
1944-45 3 テルセーラ 1位
1945-46 3 テルセーラ 2位
1946-47 3 テルセーラ 2位
1947-48 3 テルセーラ 1位 3回戦敗退
1948-49 3 テルセーラ 2位 2回戦敗退
1949-50 2 セグンダ 14位 1回戦敗退
1950-51 3 テルセーラ 6位
1951-52 3 テルセーラ 13位
1952-53 3 テルセーラ 16位
1953-54 3 テルセーラ 3位
1954-55 3 テルセーラ 1位
1955-56 3 テルセーラ 3位
1956-57 3 テルセーラ 1位
1957-58 3 テルセーラ 1位
1958-59 2 セグンダ 1位 ベスト32
1959-60 1 プリメーラ 10位 ベスト4
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1960-61 1 プリメーラ 14位 ベスト32
1961-62 1 プリメーラ 8位 ベスト16
1962-63 1 プリメーラ 8位 ベスト16
1963-64 1 プリメーラ 5位 ベスト32
1964-65 1 プリメーラ 8位 ベスト32
1965-66 1 プリメーラ 6位 ベスト8
1966-67 1 プリメーラ 9位 ベスト4
1967-68 1 プリメーラ 11位 ベスト8
1968-69 1 プリメーラ 9位 準優勝
1969-70 1 プリメーラ 11位 ベスト32
1970-71 1 プリメーラ 15位 ベスト16
1971-72 2 セグンダ 4位 4回戦敗退
1972-73 2 セグンダ 2位 4回戦敗退
1973-74 1 プリメーラ 14位 ベスト32
1974-75 1 プリメーラ 8位 4回戦敗退
1975-76 1 プリメーラ 15位 ベスト32
1976-77 1 プリメーラ 11位 ベスト16
1977-78 1 プリメーラ 17位 3回戦敗退
1978-79 2 セグンダ 5位 ベスト16
1979-80 2 セグンダ 4位 5回戦敗退
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1980-81 2 セグンダ 4位 3回戦敗退
1981-82 2 セグンダ 4位 ベスト16
1982-83 2 セグンダ 7位 3回戦敗退
1983-84 2 セグンダ 5位 2回戦敗退
1984-85 1 プリメーラ 17位 2回戦敗退
1985-86 2 セグンダ 4位 2回戦敗退
1986-87 2 セグンダ 4位 1回戦敗退
1987-88 2 セグンダ 2位 ベスト32
1988-89 1 プリメーラ 20位 ベスト32
1989-90 2 セグンダ 14位 2回戦敗退
1990-91 2 セグンダ 17位 ベスト16
1991-92 3 セグンダB 4位 2回戦敗退
1992-93 3 セグンダB 3位 2回戦敗退
1993-94 3 セグンダB 12位 4回戦敗退
1994-95 3 セグンダB 6位 1回戦敗退
1995-96 3 セグンダB 3位 1回戦敗退
1996-97 3 セグンダB 2位 1回戦敗退
1997-98 2 セグンダ 19位 2回戦敗退
1998-99 3 セグンダB 3位 2回戦敗退
1999-00 2 セグンダ 15位 予選敗退
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
2000-01 2 セグンダ 18位 ベスト64
2001-02 2 セグンダ 5位 ベスト64
2002-03 2 セグンダ 16位 ベスト64
2003-04 2 セグンダ 14位 ベスト64
2004-05 2 セグンダ 10位 ベスト16
2005-06 2 セグンダ 14位 1回戦敗退
2006-07 2 セグンダ 10位 3回戦敗退
2007-08 2 セグンダ 10位 ベスト32
2008-09 2 セグンダ 12位 ベスト32
2009-10 2 セグンダ 6位 2回戦敗退
2010-11 2 セグンダ 4位 3回戦敗退
2011-12 2 セグンダ 11位 3回戦敗退
2012-13 2 セグンダ 1位 2回戦敗退
2013-14 1 プリメーラ 16位 ベスト32
2014-15 1 プリメーラ 13位 ベスト16
2015-16 2 セグンダ 11位 2回戦敗退
2016-17 2 セグンダ 21位 3回戦敗退
2017-18 3 セグンダB 3位 ベスト32
2018-19 2 セグンダ 11位 3回戦敗退
2019-20 2 セグンダ 6位 ベスト32
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
2020-21 1 プリメーラ 17位 ベスト32
2021-22 1 プリメーラ 13位 ベスト16
2022-23 1 プリメーラ 20位 ベスト32
2023-24 2 セグンダ

現所属メンバー

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2024年2月1日現在[10]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK   ミゲル・サン・ロマン
2 DF   マリオ・ガスパール
3 MF   ジェヘクソン・メンデス
4 DF   ディエゴ・ゴンサレス
5 MF   ジョン・ヌワンコ
6 DF   ペドロ・ビガス
7 MF   オスカル・プラーノ
8 MF   アルナウ・ピグマル
9 MF   セルヒオ・ベルメホ
10 FW   マヌ・ニエト
11 MF   テテ・モレンテ
12 DF   ホセ・サリナス
13 GK   マティアス・ディトゥーロ
No. Pos. 選手名
14 MF   アレックス・フェバス
17 MF   ホサン
18 FW   ボルハ・ガルセス
19 FW   ムラド・エル・ゲズアニ
20 MF   クリスティアン・サルバドール
21 MF   ニコラス・カストロ
22 DF   ニコラス・フェルナンデス
23 DF   カルロス・クレルク
24 DF   セルヒオ・カレイラ
28 GK   ヘスス・ロペス
30 MF   ロドリ・メンドーサ
35 MF   ダビド・ロペス

歴代監督

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歴代所属選手

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脚注

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外部リンク

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