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ユートピア: Utopia: 烏托邦)とは、日本生まれの元競走馬である。2008年春より種牡馬となっている。半兄に1997年中京記念函館記念を制したアロハドリーム(父クリエイター)がいる。

ユートピア
Utopia(racehouse) 20051229P1.jpg
2005年12月29日、大井競馬場
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 2000年3月11日
死没 2015年7月6日(15歳没)
抹消日 2006年5月13日 (JRA)
フォーティナイナー
ドリームビジョン
母の父 ノーザンテースト
生国 日本の旗 日本北海道早来町
生産 ノーザンファーム
馬主 金子真人
→金子真人ホールディングス(株)
ゴドルフィン
調教師 橋口弘次郎栗東
サイード・ビン・スルール(英・UAE)
競走成績
生涯成績 中央18戦3勝
地方12戦4勝
ドバイ1戦1勝
アメリカ3戦1勝
獲得賞金 4億8077万2000円
69万320ドル
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戦績編集

デビューは2002年秋の京都競馬。初戦は5着と敗れるが、折り返しの新馬戦ダート競走に切り替えると、2着に1.5秒差をつける圧勝を飾る。その勢いで次走のシクラメンステークス(ダートオープン競走)も圧勝。暮れの全日本2歳優駿に駒を進めると、そこでも4馬身差の圧勝で2歳のダート王に輝く。

明けて3歳となり、スシトレインと並んで3月のUAEダービーに招待された[1]。スシトレインが早期に出走辞退したのに対してユートピアは出走予定であったが、UAEへの渡航時期がイラク戦争開戦時期と重なったため直前で出走を辞退[2][3][4][5]し、芝のクラシック路線に転じた[4]。しかし毎日杯で2着、NHKマイルカップで4着に終わると陣営はダート路線へ戻ることを決断し、ユニコーンステークスに出走して後続に5馬身の差をつけ中央競馬の重賞初勝利を飾った。ジャパンダートダービーではビッグウルフにハナ差で敗れるも、ダービーグランプリで今度はビッグウルフを4馬身ちぎって統一GI2勝目を挙げる。しかし秋のGI2走はともに2桁着順に終わった。

4歳になってからはしばらく芝路線を歩むが勝ち切るまでには至らなかった。秋になって統一GIマイルチャンピオンシップ南部杯に出走。同競走ではダート王のアドマイヤドンに土を付け快勝し、統一GI3勝目を飾る[4]。その後のレースでは凡走が続く。未勝利のまま1年が過ぎ、ふたたびマイルチャンピオンシップ南部杯へ出走。史上2頭目の同競走連覇を飾った。 その後はふたたび凡走を繰り返したが、6歳のフェブラリーステークスでは3着に入り、ふたたび復活の兆しを見せた。その後、ドバイミーティングゴドルフィンマイル(ダート1600メートル)で、武豊との久しぶりのコンビで、逃げ切りでの勝利を収め、日本調教馬による初の海外ダート重賞制覇を達成した。

おもだった競走成績はダートに集中しているが、芝のレースでも2003年NHKマイルカップ2004年安田記念でそれぞれ4着に好走したこともある。一方、2004年の北九州記念では1番人気で5着、2005年の安田記念は14番人気で14着と沈んでおり、競走成績を通じて芝の勝ち鞍はなく、ダート戦ほどの成績を残すことはなかった。

2006年5月2日アラブ首長国連邦シェイク・モハメド率いるゴドルフィンへの移籍が決定した。移籍金は400万ドル。日本の現役GI馬が海外に移籍するのは、シーキングザパールに続いて2頭目である。

移籍初戦については、当初は11月のブリーダーズカップ・マイルブリーダーズカップ・クラシックを予定していたが、出走回避。一方で、10月26日ジャパンカップダートの外国招待馬に選出されたことがJRAより発表されたが、11月9日までに招待辞退が発表され、日本での再出走は実現しなかった。結局、2007年5月の米国ベルモントパーク競馬場におけるウェストチェスターハンデキャップ (G3) が移籍初戦となり、1年以上のブランクはあったものの勝利で復帰を飾った。

次走はメトロポリタンハンデキャップに決定し、移籍後初G1出走を期待されたが脚の感染症が発見され回避となり、6月8日にはベルモントステークスのアンダーカードとして行われたバードストーンステークスにも出走を予定していたが、前脚蹄又に異常が見つかったため回避している。ようやく移籍後2戦目として出走したのは10月5日に行われた米国メドウランズ競馬場のG2、メドウランズカップハンデキャップ。しかし、大きく離れた6着に敗れた。続く11月17日のスタイヴァザントハンデキャップ (G3) で2着に入ったのを最後に引退が決定し、アメリカで種牡馬入りすることとなった。

種牡馬時代編集

2008年から、アメリカニューヨーク州サラトガ・スプリングズにあるマクマホン・オブ・サラトガ・サラブレッズで繋養されているが、2010年から2011年にかけて、一時・アメリカテキサス州のMcdermott Ranch Texas(マクドネル・モット・ランチ・テキサス)にて繋養生活を送った事もある、種牡馬入り初年度の種付料は7500ドル(約84万円)であった。

2014年~2015年の種牡馬シーズンの途中の6月に、トルコのエージェント・Serder Kemer Ozcolac氏に売却され、9月上旬には、マクマホン・サラトガ・サラブレッズを馬運車で出発、ケンタッキー州・レキシントンのエルメンドルフファームにて30日間の出国検疫検査を受けた後、9月中旬には、2007年以来、長く住んだアメリカを飛行機で後にした。 トルコの、カラジャベイ・ナショナルスタッド・ファームにて、新生活を送っていたが、2015年7月6日、けい養されていたトルコのカラジャベイ・ナショナルスタッドで心臓発作により死亡[6]

年度別競走成績編集

  • 2002年(4戦3勝)
    • 全日本2歳優駿 (GI)
  • 2003年(7戦2勝)
    • ダービーグランプリ (GI) 、ユニコーンステークス (GIII) 、2着 - ジャパンダートダービー (GI) 、毎日杯 (GIII)
  • 2004年(9戦1勝)
    • マイルチャンピオンシップ南部杯 (GI) 、2着 - 東京大賞典 (GI)
  • 2005年(10戦1勝)
  • 2006年(2戦1勝)
    • ゴドルフィンマイル (G2)
  • 2007年(3戦1勝)
    • ウェストチェスターハンデキャップ (G3)

血統表編集

ユートピア血統ミスタープロスペクター系/Native Dancer4×5=9.38%、Lady Angela4×5=9.38%(母内)、Nasrullah5×5×5=9.38% (血統表の出典)[§ 1]
父系 ミスタープロスペクター系
[§ 2]

*フォーティナイナー
Forty Niner 1985
栗毛 アメリカ
父の父
Mr.Prospector 1970
鹿毛 アメリカ
Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gold Digger Nashua
Sequence
父の母
File 1976
栗毛 アメリカ
Tom Rolfe Ribot
Pocahontas
Continue Double Jay
Courtesy

ドリームビジョン 1986
栗毛 北海道早来町
*ノーザンテースト
Northern Taste 1971
栗毛 カナダ
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Lady Victoria Victoria Park
Lady Angela
母の母
*ハニードリーマー
Honey Dreamer 1973
鹿毛 アメリカ
Dewan Bold Ruler
Sunshine Nell
*ハニーサツクルヴアイン
Honeysuckle Vine
Tom Fool
Sweet Clementine
母系(F-No.) 23号族(FN:23-b) [§ 3]
5代内の近親交配 Native Dancer4×5、Lady Angela4×5、Nasrullah5×5×5 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ ユートピア 5代血統表2017年9月5日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com ユートピア 5代血統表2017年9月5日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ ユートピア 5代血統表2017年9月5日閲覧。
  4. ^ JBISサーチ ユートピア 5代血統表2017年9月5日閲覧。

出典編集

  1. ^ 「ドバイWCの日本選出馬」競馬ブックコーナー、競馬道OnLine、2003年2月3日、2018年1月2日閲覧。
  2. ^ 「海外競馬情報~ユートピアが出走辞退」(アーカイブサイト)、ラジオたんぱ競馬実況ホームページ、2003年3月18日、2018年1月2日閲覧。
  3. ^ 「ユートピア『ドバイ』断念」(アーカイブサイト)、スポニチAnnex、2003年3月19日、2018年1月2日閲覧。
  4. ^ a b c 「マイルCS南部杯、ユートピア逃げ切り」、netkeiba.com、2004年10月11日、2018年1月2日閲覧。
  5. ^ 井内利彰、「『海外遠征には変化に戸惑わない度胸』ハーツクライ橋口師の証言/ドバイ挑戦記」、netkeiba.com、2013年03月15日、2018年1月2日閲覧。
  6. ^ 交流G1レース4勝のユートピア死す!15歳で心臓発作”. スポーツ報知. 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年7月9日閲覧。

外部リンク編集