成沢昌茂

日本の脚本家、映画監督 (1925-2021)
成澤昌茂から転送)

成沢 昌茂(なるさわ まさしげ、1925年大正14年)1月29日 - 2021年令和3年)2月13日)は、日本の脚本家映画監督

なるさわ まさしげ
成沢昌茂
成沢昌茂
キネマ旬報社『キネマ旬報』第292号(1961年)より
生年月日 (1925-01-29) 1925年1月29日
没年月日 (2021-02-13) 2021年2月13日(96歳没)
出生地 日本の旗 日本長野県上田市原町
死没地 日本の旗 日本東京都渋谷区
職業 脚本家映画監督
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来歴・人物

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長野県上田市原町出身[1]。上田市長をつとめた成沢伍一郎の二男[2]。旧制上田中学(長野県上田高等学校)卒業後、1941年松竹京都に入社、溝口健二に師事する[1]1944年日本大学芸術学部卒業。

学徒出陣し捕虜生活を経て1945年に復員[1]1946年、松竹を退社。1952年に溝口にならって大映と契約、溝口の『噂の女』『新・平家物語』『赤線地帯』など、次々と巨匠と組んで名脚本を書き続けた[1]1962年、『裸体』で監督に転身、5作品を残す[1]1970年以降は映画から離れ、1975年から1977年にかけてNHK連続人形劇『真田十勇士』(柴田錬三郎原作)を担当。戯曲に『浪花の恋の物語』などがある。

1951年1959年にシナリオ賞、1960年にシルバースター国民映画脚本賞、京都市民映画祭脚本賞を受賞。

2021年2月13日、老衰のため東京都渋谷区の自宅で死去[3][4]。96歳没。

映画

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脚本

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監督

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テレビドラマ

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脚注

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  1. ^ a b c d e 追悼特集 成澤昌茂 映画渡世”. シネマヴェーラ渋谷. 2022年2月27日閲覧。
  2. ^ 『人事興信録 第13版 下』ナ171頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月17日閲覧。
  3. ^ "脚本家の成沢昌茂氏死去". 時事ドットコム. 時事通信社. 16 February 2021. 2021年2月16日閲覧
  4. ^ 脚本家・成沢昌茂氏が死去 「赤線地帯」など手掛ける」『サンスポ』2021年2月16日。2021年6月9日閲覧。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。

外部リンク

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