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露口 茂(つゆぐち しげる、1932年(昭和7年)4月8日[1] - )は、東京府東京市生まれ(愛媛県[1]育ち)の俳優[2]

つゆぐち しげる
露口 茂
本名 露口 茂
生年月日 (1932-04-08) 1932年4月8日(86歳)
出生地 日本の旗 日本東京府東京市
身長 175cm
血液型 B型
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1955年 - 1995年
配偶者 あり
主な作品
テレビドラマ
太陽にほえろ!
水戸黄門』第一部
国盗り物語
編笠十兵衛
風と雲と虹と
終着駅シリーズ」「江戸シリーズ」
阿修羅のごとく』PART2
繭子ひとり
映画
赤い殺意
人間蒸発
ええじゃないか
霧の旗
女のみづうみ
耳をすませば

現在は俳優業から引退状態にある[3]

目次

来歴編集

生い立ち編集

身長175cm、血液型B型[4]。愛称は露さん[注 1][5]、露口ちゃん[6]

現在の東京都で生まれるが、太平洋戦争の影響で両親の故郷である愛媛県松山市に疎開し、同所で育つ[4]愛媛県立松山東高等学校卒業[2]。一学年下には俳優・映画監督の伊丹十三や作家の大江健三郎がいる。高校時代は陸上やラグビーもやり、バスケットボール部で国体代表候補になるほどの腕前であった[7]愛媛大学文理学部人文学科甲(文学課程英語・英文学専攻)に通いながら[4]、NHK松山放送劇団の劇団員として主にラジオドラマ(オーディオドラマ)などで活動した[8][2]

俳優座研究所時代編集

先輩に誘われて愛媛大学を2年で中退[注 2][9]1955年劇団俳優座演劇研究所付属俳優養成所に第7期生[1]として入所[10][2]井川比佐志田中邦衛藤岡重慶山本學らと同期となった[11]。同期の田中邦衛とポスター張りなどのアルバイトをする[12]。田中邦衛は『週刊文春』2001年5月31日号の阿川佐和子との対談の中で露口について、「露さんは俳優座養成所の女子生徒みんなに『露口さん、おリンゴ食べる?』なんて言われて、俺たちは『なぁ〜にが、おリンゴだよ』なんて言って(笑)」とエピソードを語っている。1957年にNHKのテレビドラマでデビュー、1958年俳優座養成所を卒業、「劇団新人会[1]に入団[2]

初期 (個性派の性格俳優としての活躍)編集

1959年:映画『逃亡者』、『女子大学生 私は勝負する』で映画デビューを果たしたが、劇中の水着のシーンに問題があるとして、たった一日で上映が打ち切られた[13]。その後、劇団新人会を退団して1960年小沢昭一らと共に「劇団俳優小劇場[1][注 3]を旗揚げに参加[10]、1962年には今村昌平作、演出、脚本の舞台「パラジ-神々と豚々」に北村和夫らと共に出演した[14]1971年に劇団俳優小劇場は解散。後に田村企画所属(共に劇団俳優小劇場に在籍して、『木曽街道いそぎ旅』で共演の山口崇、『太陽にほえろ!』でボンを演じた宮内淳と同事務[15]))[4][16]となり、その後、露口茂事務所[1][17]を創立したが閉鎖[3]

舞台を中心に活動する一方、山田洋次監督の『霧の旗』、今村昌平監督作品、日活映画などやテレビドラマで、悪役、犯人役、好青年まで幅広く演じる、個性派の性格俳優として売れっ子になった[2][注 4]

1964年:今村昌平監督『赤い殺意』に出演、主演の春川ますみ演じる人妻を強姦し、やがて心臓病で死ぬアクの強い役を好演、一躍注目された[2]

1966年:吉田喜重監督の『女のみづうみ』と成沢昌茂監督の『四畳半物語 娼婦しの』の演技により、第12回ホワイト・ブロンズ賞助演男優賞を受賞した[2]

1967年:今村昌平監督ドキュメンタリー映画『人間蒸発』に事件を追うレポーター役で出演。蒸発した男の行方を追う内容であり、蒸発した男の妻で出演者である一般人の女性と男の行方を追ったが、その女性が次第に露口に思いを寄せるようになるというハプニングが起こった[注 5][18][19]。また今村から蒸発した大島を演じろと言われた露口は困惑して、しまいには精神的に疲れ果て俳優ではなく素人のようになってしまった、と今村が後に語っている[20]

1969年:TBS時代劇『水戸黄門』第一部に出演。東野英治郎演じる水戸黄門の命を狙う刺客、古川兵庫を演じた[注 6]。また同年、五社英雄の『ジキルとハイド』に出演したが、難解な内容と暴力シーンの多さからスポンサーが付かず、一端お蔵入りとなった[注 7][21]

その他『あゝ君が愛』(1967年、松竹、監督:野村芳太郎) 台本5ページ、出演者欄に露口の名前の記載があるが、出演が予定されていたが出演しなかったのか、実際に出演しているのか、確認出来ない。

『太陽にほえろ!』出演開始から卒業まで編集

1972年7月から1986年4月までの14年間、691話にわたって、刑事ドラマ『太陽にほえろ!』で露口の代表作ともなった山村精一警部補(落としの山さん)を演じた。以降しばらく『太陽にほえろ!』のスケジュールのため約10年間映画から遠ざかり、テレビのみの活躍となった[2]

1973年:大河ドラマ国盗り物語』に出演。同ドラマの原作の一つとして取り入れられた、『梟の城』の主人公であり織田信長の命を狙う忍者・葛籠重蔵を演じた[注 8]。この年『木曽街道いそぎ旅』にも山口崇とのダブル主演で出演、露口は、「三枚目で売り出したいと、事務所と話し合っていたときにこの役が来た。」と語り、演じる以上は最高に無口な、ニヒルな男を目指したという[22]

1974年:必殺シリーズ暗闇仕留人』の石屋の大吉役のオファーを承諾したが、最終的には断った[注 9][23]。当時多くの新聞、雑誌などには露口で決定とあり、露口版の設定は妻がいる設定であった[24][23]。同年『編笠十兵衛』に小林平八役で出演。単なる悪役に収まらない、魅力的なキャラクターを演じた[25]。1975年には『影同心』への出演も予定されていたようで、昭和49年12月28日のスポーツニッポン等には、渡瀬恒彦、金子信雄、旧知の仲の山口崇と並んで露口の名前がある。

1976年:大河ドラマ『風と雲と虹と』では、主役の加藤剛演じる平将門に好感を持つ一方で、彼の政治力への懸念と、坂東の大地を将門と朝廷との争いで荒廃させたくないとの判断から、最終回で涙を呑んで将門を弓矢で射殺す重要な役である、関東の豪族・田原(俵)藤太を演じた[26][注 10][注 11]。なお、2016年の大河ドラマ『真田丸』で話題になった「黙れ小童!」というセリフは、『風と雲と虹と』と露口の大ファンであった脚本家の三谷幸喜がセリフを転用したもので、露口へのリスペクトを込めたものであった[27]

1980年:今村昌平監督『ええじゃないか[28] で約10年ぶりとなる映画出演を果たし、キネマ旬報助演男優賞の候補者の一人にもなる[29]向田邦子原作のNHKドラマ『阿修羅のごとくパート2』で緒形拳の演じた里見鷹男の役を引き継いだ[30]

1981年:TBSドラマ『父母の誤算』では自身初の連続ドラマでの主役を務めた[注 12]

1983年:TBSドラマ『誰かが私を愛してる』に出演。『週刊テレビ番組』昭和58年1月21日号のインタビューで「ヤマさんとは違う初のシティロマンドラマに大変気持ちが乗っている」こと、最初に話が来たのが前年の夏であったが、その後話が無く、企画が没になったかと思っていた頃、正式なオファーが来たことなどを語った[31]

1984年:五社英雄監督『北の螢』出演に際し役作りのため、『太陽にほえろ!』の劇中でも少し長髪になっている[注 13]

1986年4月:放映開始から14年間出演した『太陽にほえろ!』を、第691話(スペシャル放送)「さらば! 山村刑事」の回を持って殉職という形でついに降板した。同年4月10日放送のワイドショー番組『ルックルックこんにちは』のインタビューに答え、山さんが好きであったこと、山さんを降りる寂しさ、そして山さんが重荷であったことを語った[32]。最後のシーンの撮影には降板した渡辺徹地井武男も花を持って駆け付けた[32]

『太陽にほえろ!』 卒業後編集

太陽にほえろ!』以降はかなりの2時間ドラマの主演やスペシャルドラマなどに出演した。

1989年:フジテレビで放送された大地真央主演『女ねずみ小僧』に出演、現在までに、連続ドラマへの出演は最後ということになる。また番宣のため、フジテレビの『なるほど!ザ・ワールド』に大地らと出演した。

1994年:『土曜ワイド劇場』「森村誠一の終着駅シリーズ」第4作となる「蒼の十字架」に主演、現在までに俳優として、最後の主演作で出演作である。

1995年:スタジオジブリの映画『耳をすませば』公開。バロンの声の吹き替えを務めた。これが俳優/声優として、現在まで最後の仕事である。

1990年代中期以降は終着駅シリーズを降板したり、2001年の今村昌平監督の映画『赤い橋の下のぬるい水』で北村和夫の演じた役などのオファーを受けたが断るなど表舞台からは遠ざかる[3]

1996年:『太陽にほえろ!』での露口の主演作からセレクトされたレーザーディスク・プロデューサーセレクション「山村刑事BOX」が販売された。

2001年:『週刊文春』2001年5月3・10日GW特大号の企画「あの人は同級生」で『太陽にほえろ!』についてインタビューに応じており、石原裕次郎成城の自宅やハワイの別荘に誘われたが、一度も行かなかったことを後悔していること、一度だけ飲みに行ったこと、石原のレコードをもらったことなどを語った。

2009年:『週刊文春』8月13・20日夏の特大号のインタビューでは、元気であることや、良いオファーがあればまた出演を考える旨などを述べ、俳優復帰を期待させた。

2013年:『週刊女性』2013年5月14・21日合併号の企画「GW総力取材 '80年代に輝いていたあの芸能人の今でしょ!!」のインタビューでは、以前と変わらず、元気で普通の生活を送っているが、「役者として復帰は特に考えていません」と述べ、事実上俳優業から引退ととれる発言をした。また露口家に近い者の話として、オファーは多数あったが、復帰をしてまで演じたい役がなかったこと、今の時代に自分が演じたい役はないだろうと語っていた、とも記されている[3]

声優として編集

  • COMIC BOX』1995年9月号のインタビューでは露口自身が「宮崎さんから依頼されたんですが、何しろアニメで、しかもネコの声をやるだけなんて初めてですし、こういうのはむしろ専門の方がいらっしゃるでしょうと、まずはお断りしたんですよ、宮崎さんと話しているうちにその魅力に引かれ、やはりこの宮崎さんとの貴重な出会いを大切にしたいなと思い、引き受けることにしました。」「なかなか自分で納得がいかないものですから、何度も自分からお願いして取り直させてもらったんです。何しろ猫である上に、全体のドラマの中でも核というか重要な役ですからね。台詞はほんの何行かですけどすごく重い、しかし重さを感じさせてはいけない。最後にようやく、まあこれならいいかと思える出来になりました。」と語っている[34]。露口のアフレコは他出演者の約2倍の時間をかけて行われ、本名陽子はその俳優としてのこだわりに驚いたと語っていた[35]
  • 耳をすませばの劇場パンフレットでは、常にロマンや人の暖かさ、ぬくもり、優しさといったものをメッセージとして折り込み、かつ斬新さを感じさせる宮崎さんの作品には是非出演したいという気持ちがありましたが、アニメーションの声をこれまでに演ったことがなかったものですから、お引き受けして本当にうまく出来るだろうかという気持ちで躊躇してしまいました。しかし宮崎さんとお会いし、「バロンの声は露口さんしか考えられないんです。」と熱心におっしゃってくださったこと、宮崎さんの魅力的な人柄に触れたことで、自分の中ですんなりと、この仕事をお引き受けしたい気持ちが決まってしまいました。精一杯やらせていただいたわけですが、バロンの声にそんな私の思いが出ていれば、と心から願っております。とコメントを残している[36]

『太陽にほえろ!』のエピソード編集

  • 番組のプロデューサー・岡田晋吉は、露口が『文五捕物絵図』で演じた「あえて正義のために、愛のために、強力な相手に立ち向かっていく、男の怒りを表現した芝居」に感動し、『太陽にほえろ!』の企画に際して、真っ先に露口と出演交渉をし、人物設定を決めたと語っている[37]。露口の起用は、テレビ視聴者として重要な三十代、四十代の女性をテレビの前に釘付けにするための役割としてであった[38]
  • 当初山村刑事は髪型も短髪でアウトローの正義感が強く情熱的な刑事であったが、露口が「刑事コロンボとは役柄が違うから意識はしていないが、演技のヒントは得た。」[39]と語っていたように、次第に推理力と洞察力を駆使した「落としの山さん」というキャラクターとして成長していった[38][40]。露口は1984年のインタでビューで、山村という男を「超真面目な人間である。」と分析している[10]
  • 「山さん」の役柄の設定については、露口と岡田、脚本家で実在の人物のように思われるほど激しい議論を重ねた。ドラマの中の人物を厳しく吟味して作り出したことは、プロデューサーの岡田にとってもかつてない経験であった[41]
  • 西村晃演じる犯人と取り調べ室で丁々発止を繰り広げ、本編のほとんどを2人だけで演じた第163話「逆転」をはじめとして、数々の犯人と1対1の対決をし、完全犯罪のごとき事件を解決していく「山さん」主演の「対決シリーズ」における露口の名演技によって、若い人の嗜好に合わせがちな『太陽にほえろ!』に大人の鑑賞に耐えうる内容が注入された。その結果、番組の視聴者の幅は大きく広がり、高視聴率を獲得する大きな要因となった[42]。岡田晋吉は、「太陽にほえろ!」が批評家や知識人からも肯定的な評価を得たのは露口の計算され尽くした演技による「山さん」の力に負うところ大と述べている[38]
  • 人質にとられた病弱の妻の命を守るために、犯人のいいなりに泥だらけのリンゴを口にして、妻に対する深い愛情を表現するなど、劇中で妻が亡くなるシーンにいたるまで、いくつもの素晴らしい夫婦愛の物語を演じた「山さん」は主婦から理想の男性像として受け入れられた[41]。この夫婦愛の物語の成功によって『太陽にほえろ!』は刑事の私生活を描くことに成功した[42]。特に第23話「愛ある限り」と第206話「刑事の妻が死んだ日」は不朽の名作と高く評価され、「山さん愛妻編」としてビデオ化された[43]
  • 少年少女の自殺が社会問題になっていた時期、露口の演技力に頼り、「山さん」主演でメイン視聴者である少年少女に向かって、「自殺をしてはいけない」と訴える話(第301話「銀河鉄道」)を作ったら、視聴者から「自殺を思いとどまった。」という手紙が寄せられたという[38]
  • 『太陽にほえろ!』で露口の主演もしくは主演と同等の扱いなのは87話分あり、竜雷太に次いで多く[44]、『太陽にほえろ!』出演者の中で唯一2話分のスペシャル版で主演を務めた[45]
  • 自身初の写真集である『露口茂in太陽にほえろ!』の出版にあたっても、露口が完全主義者であり、相当のこだわりを見せた[46]
  • 『太陽にほえろ!』出演時、露口に来るファンレターの数は、新人刑事に次ぐ[47]、あるいはそれをしのぐほど多いこともあり、中年層のみならず、若い女性からのファンレターも非常に多かった[10]。いつも冷静でボスを助け、派手な動きはないが、行動を起こせば決断が速く、的確で、ほかの刑事たちの中心となる。その考える顔つきは刑事というより、大学教授みたいな大人のムードがあるのが、中年婦人にもてる理由と言われた[47]
  • 1984年には番組を楽しみながらマイペースでやっているが、同時に番組に対しても、俳優としてもさまざまな葛藤があることも語り[10]、1985年渡辺徹が演じるラガー刑事が降板の際、渡辺に、そろそろ自分も降板したいと語っていた[48]
  • 自身最後の出演となった「さらば! 山村刑事」の回では、『太陽にほえろ!』の最後のカットは通常ボス(石原裕次郎)のカットで番組が終わるが、自身の番組からの卒業でもあるので、どうしても自分のカットで終わって欲しいと、同エピソードの監督を務めることが決まっていた高瀬昌弘、プロデューサーの梅浦洋一らに何度も求めたが、ルールは変えられないと却下された[49]。撮影の際ロケバスに乗り込んできた高瀬に露口が右手を差し出し握手を求めたので、高瀬が「あの件ならダメですよ。」と言うと、露口は「もう諦めました、予定通りボスのカットで終わってください。」と答え2人は握手をした。しかし後日高瀬の判断により、ビルからボスが見下ろした山村刑事のカットが差し込まれ、最後のシーンとなった[49]。またこの殉職シーンのロケ中、高瀬が露口のスタンドインで立つていると露口がバスから降りて高瀬のもとへやって来たので「ライティングに時間が掛かるので、ロケバスの中で待っていてください。」と露口に言うと、「太陽最後の日であると考えると、震えてしまうので、スタンドインは自らやりたいと。」と自らライティングに参加したというエピソードも、高瀬が明かしている[49]。高瀬はかたくなに自身の全ての演技にこだわる露口の姿が心地よく、強く心を引かれ、好きであったと、自身の著書に記した[49]

人物編集

  • 自身のプライベートを極度に大切にしているため、親しい間柄の人間にもプライベートなことは決して語らず、『太陽にほえろ!』のスタッフや関係者でも、既婚であると知る者は少なかった[4]
  • 仕事に対しては準備稿の段階から台本を受け取り役に臨んだり[4]、監督とディスカッションするなど、妥協を許さず、ストィックだが、普段はひょうきんで、冗談を言ったり、鼻歌を歌うこともある、また演技に行きづまる若手にはさりげなくアドバイスをすることもあった[50][4]
  • 勝野洋はインタビューで露口の芝居の間の取り方が上手いので、間の取り方を真似ていたと語っている[51]。またいつも露口の芝居を注意深く観察していたと話し、芝居が細かく、声もそれほど出さないが、それでいて存在感があったと話していた[52]。ストイックに役に臨む露口を見て、俳優とはこういうものなのか、と思ったとも語っている。また木之元亮も同様に、「撮影がはじまると余計なことは一切言わず、自分の役に持っていこうとする」露口の態度を見て、役者のあり方についてこういうものかと語っている[53]。ゴルフを一緒に楽しんだ小野寺昭も、「仕事にかける意欲、仕事を見つめる目など、とにかくひとつひとつ真面目に取り組んでいた。」と述べている[54]
  • 宮内淳は、「芝居はふつう目でやると言われているが、口もとでやるもの。」という露口の言葉と、後輩に対してもいい加減な態度は許さず、セリフだけでなく撮影所での態度や礼儀作法などすべてに細かく注意して役を考え抜いた露口の態度に影響を受けた[54]
  • ボスを演じた石原裕次郎は、露口を「”太陽”になくてはならない男」と評している[54]
  • たくさんのCMのオファーがあったが、シャイであることを理由に固辞し続けていた[55]。また、マスコミがあまり好きではなく、写真も嫌いで、インタビューをあまり受けなかった[4]
  • 極度の高所恐怖症で、飛行機が苦手[4]。そのため、地方など遠方へのロケの場合、他の出演者が飛行機で移動する一方で露口だけは列車で移動するという手段をとるかそのまま東京に残るというケースが多かった[4]。また『太陽にほえろ!』の海外ロケにも、こういった理由で不参加となっている[56]
  • ファンに対しても実に誠実で、『太陽にほえろ!』浜松ロケの際は風邪気味で体調不良にも関わらず夜中にどうしても露口に会いたいと訪ねて来たファンにも面会をした[15]。また三田村邦彦は、撮影所に渡辺徹のファンが押しかけて撮影に支障が出た時に、露口が「渡辺のところに来たファンなのだから、他の人が言うのではなく、渡辺自身の言葉で誠心誠意、「いま撮影中なので協力お願いします。」と言う必要があると語り、ファンに対しても実にきちっとした対応が印象に残ったと証言している[54]
  • NHKの連続テレビ小説おはなはん』『繭子ひとり』や『太陽にほえろ!』などで特に主婦層に多大な人気を得ていた[9]。『繭子ひとり』で露口演じる北川編集長は職場で倒れ死ぬ役柄であったが、男の優しさと悲しさを併せ持った魅力的な男性像が絶大な人気を博し、主婦層ばかりか同年配の男性支持が非常に高かった。視聴者からの延命嘆願がNHKに多数寄せられたばかりか[57][4]、助命嘆願の男性ファンがNHKに直接押しかけてスタッフを驚かせた[58]。昭和54年10月25日の雑誌「クロワッサン」の読者が選ぶ美しい40代男性版ベスト30人の3位選ばれ[59]、婦人週刊誌やTV情報誌などでは、よくナイスミドルと評された[31]。当時の芸能界にもファンが多く、女優の太地喜和子は露口の名前を理想の男性として挙げていた[4]
  • 文五捕物絵図』の放送時、婦人会のイベントに連れていかれ、そこで婦人方から黄色い声援が飛んできたが、「主演の杉と間違えているんではないのかと思い、そして自分にこんなにたくさんの婦人層のファンが居たことに驚いた。」と話した[9]。明るさとねじ曲がった暗い影、小心さとふてぶてしさが同居する両極端の個性を演じられ、いつもどこかが醒めている不器用さ、静かさと男の強さと優しさを感じさせる演技と雰囲気が女性に人気だと評されていた[58]
  • 1975年より1986年まで毎年日本テレビから販売された『太陽にほえろ!』公式カレンダーには、出演者のサインがプリントされていたが、露口のサインだけは毎年少しずつだが形が異なっていた[60][61]
  • 趣味はクラシック音楽鑑賞、ゴルフ(シングル)[62]、好物はうなぎ[15]。『太陽にほえろ!』共演の小野寺昭、プロデューサーの岡田晋吉、江戸シリーズで共演の小林桂樹近藤洋介などとは共にゴルフをプレイした[63]

出演作品(俳優)編集

映画編集

テレビドラマ編集


出演作品(声優)編集

ラジオドラマ編集

  • 放送劇 沖縄(1958年、文化放送
  • ながす(1959年、文化放送)
  • コイの子テンチの旅(1960年、NHKラジオ第1放送
  • 紙屑は屑籠に(1960年、TBSラジオ
  • 一人だけの出来事(1962年、ニッポン放送
  • フランケンシュタインの怪物1(1962年、ニッポン放送)
  • フランケンシュタインの怪物2(1962年、ニッポン放送)
  • パンタグラフは知っている(1962年、NHKラジオ第1)
  • 青年の日記(1962年、NHKラジオ第1)
  • 一人だけの出来事(1962年、ニッポン放送)
  • はらいそう(1962年、NHKラジオ第1) - 天草四郎
  • 地中海(1963年、NHKラジオ第1)
  • おばたちの大時計(1963年、NHKラジオ第1)
  • ガラスの靴/パルタイ地中海(1963年、NHKラジオ第1)
  • 草の情(1963年、ニッポン放送)
  • 過去からの客(1963年、NHKラジオ第1)
  • 島〜ラジオのための作品(1964年、NHKラジオ第1)
  • 壁をへだてた目撃者(1964年、NHKラジオ第1)
  • 長崎の人[1] - [4](1964年、NHKラジオ第1)
  • 輝け地球よ(1965年、NHKラジオ第1)
  • 三千世界の…(1965年、NHKラジオ第1)
  • ゼロ・アワー(1965年、NHKラジオ第1)
  • 登れ!マッターホルン(全24回)(1965年、NHKラジオ第1)
  • 春の雪(1965年、NHKラジオ第1)
  • ひるがえる旗の意味(1965年、NHKラジオ第1)
  • 黄色い風船(1965年、NHKラジオ第1)
  • 跫音(1965年、NHKラジオ第1)
  • 御先祖様万歳(1965年、NHKラジオ第1)
  • 陶酔への御招待(1965年、ニッポン放送)
  • 一つの部屋千の部屋(1965年、TBSラジオ)
  • 馬橇(1965年、NHKラジオ第1)
  • 武蔵野夫人(1965年、TBSラジオ)
  • フェデリコの死(1966年、NHKラジオ第1)
  • 黒潮幻想(1966年、NHKラジオ第1)
  • 空港にて(1966年、NHKラジオ第1)
  • 他人の死(1966年、TBSラジオ)
  • レベル・オフ〜ある航空管制官の記録 ドキュメンタリー(1966年、NHKラジオ第1)
  • 泣くのはいやだから(1966年、NHKラジオ第1)
  • 野に下る右近(1966年、NHK-FM放送) - 高山右近
  • 雲とへだつ(1967年、NHKラジオ第1)
  • ジャズ・カントリー(1967年、NHKラジオ第1)
  • ヨネカワの人(1967年、NHKラジオ第1)
  • アダコの唄(1967年、NHKラジオ第1)
  • 足音(1967年、NHKラジオ第1)
  • 東京のザシキワラシ(1968年、NHKラジオ第1)
  • ア・ハード・デーズ・ナイト[つらい日の夜](1968年、NHKラジオ第1)
  • 巡礼(1968年、NHKラジオ第1)
  • 遺愛の歌(1968年、日本放送[要曖昧さ回避]
  • 釣巡礼(1969年、NHKラジオ第1)
  • 夏(1972年、NHKラジオ第1)

吹き替え編集

劇画・アニメ編集

教育・教養編集

舞台編集

劇団俳優座演劇研究所付属俳優養成所時代
  • アルトナの監禁された人たち
  • 野に下る右近
  • カーヴ
  • 真夏の夜の夢
劇団俳優小劇場時代
  • パラジ-神々と豚々 1962年12月 - 清三 役
  • 剣ヶ崎(立原正秋 原作、脚本) 第21回文部省芸術祭参加 1966年10月

その他『太陽にほえろ!』降板後も舞台出演がある。

写真集、レコードなど編集

  • 露口茂in太陽にほえろ!(写真集)
  • 太陽にほえろ!小説24巻(単独表紙)
  • 太陽にほえろ!山村刑事プロデューサー・セレクションLDBOX
  • 木曽街道いそぎ旅ジミー時田キャニオンレコード/1973年4月発売)B面「裏街道のバラード」(挿入歌)…露口がB面の台詞を担当している。(レコードのジャケットの写真は露口と山口崇)

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 石原裕次郎等、最も多い。
  2. ^ 最終学歴は国立の総合大学となっている[1]
  3. ^ 新人会劇団新人会…1954年に結成された劇団。劇団仲間、劇団青年座、劇団三期会(現・東京演劇アンサンブル)と並ぶ俳優座スタジオ劇団の一つ。1954年に劇団俳優座演劇研究所付属俳優養成所二期生・三期生の卒業生が結成。1960年に小沢昭一劇団俳優小劇場に分裂。再建するが、1969年6月下旬に看板女優団員の渡辺美佐子をはじめ中堅・若手団員10人が突如一斉に退団した為、翌7月上旬に劇団新人会は解散。翌1970年3月に長山藍子山本學前田昌明ら“第二次「劇団新人会」”を結成。1994年に「劇団朋友」に変更。
  4. ^ しかし初期は死ぬ役や、暗い役が多く、一般受けしない役が多かった[11]
  5. ^ 本編でも露口が女性に、どうして自分を好きになったのか聞いている。
  6. ^ 第1話 - 第8話、第10話 - 第13話。
  7. ^ 1973年の深夜に放送された。
  8. ^ 総集編の他、露口出演の第38話が現存している。
  9. ^ 近藤洋介が演じた。
  10. ^ 1話以降は27話まで出演はなく、28話、37、38、40-42、43、46、48-52話に出演。
  11. ^ 1、27、28話、37、38話では露口の名前が出演者のトメの位置である。
  12. ^ 事実上は『木曽街道いそぎ旅』、『江戸の激斗』も主演である。
  13. ^ もともと天然パーマであるが、ストレートパーマをかけた。
  14. ^ 実際には小池朝雄が担当。
  15. ^ 番組冒頭の主演者紹介により、第1話は主演扱いではない。
  16. ^ 西部劇。56話製作された作品だが、他の回でも声の出演をしているかは不明。

出典編集

  1. ^ a b c d e f g 日本タレント名鑑'82』 VIPタイムズ社、1981年、134頁。全国書誌番号:83045303
  2. ^ a b c d e f g h i 『日本映画人名事典』男優篇 下巻、キネマ旬報社1996年、190-191頁。ISBN 4-87376-189-1
  3. ^ a b c d 「GW総力取材 '80年代に輝いていたあの芸能人の今でしょ!!」、『週刊女性』2013年5月14・21日合併号、主婦と生活社、 47頁。
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参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集