武田洋平

日本のサッカー選手

武田 洋平(たけだ ようへい、1987年6月30日 - )は、大阪府枚方市出身のプロサッカー選手Jリーグ名古屋グランパス所属。ポジションゴールキーパー(GK)

武田 洋平
名前
愛称 タケ、たけちん
カタカナ タケダ ヨウヘイ
ラテン文字 TAKEDA Yohei
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1987-06-30) 1987年6月30日(36歳)
出身地 大阪府枚方市
身長 189cm
体重 84kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 名古屋グランパス
ポジション GK
背番号 16
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2012 清水エスパルス 4 (0)
2011 アルビレックス新潟 (loan) 4 (0)
2012 ガンバ大阪 (loan) 0 (0)
2013 セレッソ大阪 1 (0)
2014-2015 大分トリニータ 74 (0)
2016- 名古屋グランパス 21 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年11月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴 編集

プロ入り前 編集

地元枚方市のクラブで8歳の頃から本格的にサッカーを始め、中学時代に大阪府から熊本県に転居した。中学卒業後は県立大津高校に進学し、2・3年時にはインターハイ全国高等学校サッカー選手権大会に出場した。

清水エスパルス 編集

2006年清水エスパルスに入団。長らく西部洋平の控えGKという地位であったが、2010年3月31日日本平スタジアムで行われたナビスコカップ1次リーグB組の湘南ベルマーレ戦でプロ入り5年目にして公式戦デビューを果たし、2-0での完封勝利に貢献した[1]。また、5月1日のJ1第9節浦和レッドダイヤモンズ戦では、脳震盪を起こした西部に代わり後半途中から出場しリーグ戦デビュー。J1第10節京都サンガF.C.戦でリーグ戦初スタメン入りを果たすなどこの年は公式戦7試合に出場した。ただ、ポジション奪取には至らなかった。

アルビレックス新潟 編集

西部が湘南ベルマーレに移籍した2011年山本海人碓井健平からポジションを奪えずにいたところ、黒河貴矢東口順昭が相次いで離脱していたアルビレックス新潟からオファーを受け、9月5日に期限付き移籍。選手登録の期限が終了したあとの移籍だったが、GKの負傷による例外として承認された[2]。新潟ではナビスコカップで移籍元の清水と対戦するなど試合出場を重ね、小澤英明とポジションを争いつつ公式戦6試合に出場した。

ガンバ大阪 編集

2012年ガンバ大阪に期限付き移籍[3][4]。シーズン中盤以降木村敦志の負傷離脱によりベンチ入りする機会が多かったが、ミスの目立った藤ヶ谷陽介からはポジションを奪えずリーグ戦では出場無しに終わり、チームも最終節でジュビロ磐田に敗れ史上初のJ2降格が決まった。一方、天皇杯では6試合に出場。決勝戦まで勝ち進んだが、柏レイソルに敗れタイトル獲得は成らなかった。

セレッソ大阪 編集

2013年、ガンバのライバルであるセレッソ大阪に完全移籍[5]。しかし、4月8日の練習中に右膝内側靭帯を損傷し早々に離脱[6]。その後復帰したが、金鎮鉉から正GKの座を奪うことはできず、リーグ戦第15節・横浜FM戦で金の負傷に伴い後半17分から途中出場したのが唯一の出場機会となった。チームは4位に躍進したが、その原動力となることはできなかった。

大分トリニータ 編集

2014年、同ポジションの丹野研太と入れ替わる形でJ2に降格した大分トリニータに完全移籍。年間を通じて正GKとしてキャリアハイの41試合にスタメン出場するも7位に終わり、惜しくもプレーオフ出場は逃した。

2015年も短期間の負傷離脱はあったものの、33試合に出場。しかし、チームはJ2・J3入れ替え戦にてFC町田ゼルビアに敗北。まさかのJ3降格という結果になった[7]。カテゴリーは違うが、自身2度目となる降格となった。

名古屋グランパス 編集

12月28日名古屋グランパスへの完全移籍が発表された。初年度の2016年は正GK楢﨑正剛の負傷を機に先発に定着し、7試合に出場。しかしチームは序盤から低迷しJ2降格。カテゴリーは違えど、自身にとって2年連続の降格となってしまった。 J2で迎えた2017年、楢﨑や横浜FCから移籍してきた渋谷飛翔らとポジションを争いながら、第34節の東京ヴェルディ戦より楢﨑からポジションを奪取。その後は全ての公式戦でスタメンを張った。チームは3位フィニッシュで自動昇格を逃したが、J1昇格プレーオフでは初戦のジェフ千葉戦に勝利し、決勝のアビスパ福岡戦ではスコアレスドローに終わったものの90分間無失点に抑え1年でのJ1復帰に貢献した。[注 1]

2018年は前年の活躍もあり、正GKとして期待されていたが、1月14日リーガ・エスパニョーラレバンテUDよりミッチェル・ランゲラックが加入。ランゲラックがJ1リーグ全試合スタメンを張ったことで、常にサブメンバーには登録されていたもののリーグ戦での出場はなかった。

2019年はランゲラックの試合中の怪我が多く、自身は先発出場1試合と途中出場2試合の合計3試合に出場した。

2020年から新加入のマテウスに自身の背番号である16を譲り、自身は21に変更した。この年はランゲラックが怪我なく1年試合に出続けたため、自身の出場は無かった。

人物・エピソード 編集

所属クラブ 編集

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2006 清水 30 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2007 0 0 0 0 0 0 0 0
2008 0 0 0 0 0 0 0 0
2009 31 0 0 0 0 0 0 0 0
2010 4 0 2 0 1 0 7 0
2011 21 0 0 0 0 - 0 0
新潟 39 4 0 2 0 0 0 6 0
2012 G大阪 22 0 0 1 0 6 0 7 0
2013 C大阪 1 1 0 0 0 1 0 2 0
2014 大分 J2 41 0 - 0 0 41 0
2015 33 0 - 0 0 33 0
2016 名古屋 16 J1 7 0 2 0 0 0 9 0
2017 J2 9 0 - 1 0 10 0
2018 J1 0 0 5 0 0 0 5 0
2019 3 0 8 0 1 0 12 0
2020 21 0 0 0 0 - 0 0
2021 0 0 0 0 0 0 0 0
2022 2 0 3 0 2 0 7 0
2023 16 0 0 4 0 1 0 5 0
通算 日本 J1 21 0 27 0 12 0 60 0
日本 J2 83 0 - 1 0 84 0
総通算 104 0 27 0 13 0 144 0
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2012 G大阪 22 0 0
2021 名古屋 21 1 0
通算 AFC 1 0
その他の公式戦出場
出場歴

代表歴 編集

タイトル 編集

クラブ 編集

名古屋グランパス

脚注 編集

  1. ^ “清水快勝!5年目武田が完封/ナビスコ杯”. 日刊スポーツ. (2010年4月1日). https://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp0-20100401-612868.html 
  2. ^ 武田 洋平選手 登録ウインドーの例外の適用に関するお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2011年9月9日http://www.albirex.co.jp/tools/page_store/news_4045.html2014年10月23日閲覧 
  3. ^ 武田洋平選手(アルビレックス新潟) ガンバ大阪へ 期限付き移籍決定のお知らせ』(プレスリリース)清水エスパルス、2012年1月6日http://www.s-pulse.co.jp/news/detail/15787/2014年10月23日閲覧 
  4. ^ GK 武田洋平選手 ガンバ大阪へ期限付き移籍加入のお知らせ - ウェイバックマシン(2012年11月25日アーカイブ分)ガンバ大阪、2012年1月6日
  5. ^ 清水エスパルス 武田洋平選手完全移籍加入のお知らせ 』(プレスリリース)セレッソ大阪、2013年1月11日http://www.cerezo.co.jp/news_detail.asp?c_idx=10009450&contents_code=1001001002013年1月23日閲覧 
  6. ^ 武田洋平選手の負傷についてのお知らせ』(プレスリリース)セレッソ大阪、2013年4月9日https://www.cerezo.jp/news/2013-04-09-6/2013年4月19日閲覧 
  7. ^ PKで明暗、大分が3年でJ1からJ3へ転落…町田は4年ぶりの昇格』(プレスリリース)サッカーキング、2015年12月6日https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20151206/377275.html2015年12月19日閲覧 
  8. ^ 2012年 J1選手名鑑 ガンバ大阪 武田 洋平”. スポーツニッポン. 2014年10月23日閲覧。
  9. ^ a b 武田 洋平 - ウェイバックマシン(2011年12月16日アーカイブ分)アルビレックス新潟

注釈 編集

  1. ^ 90分間で同点の場合、シーズンで順位が上のチームが勝ち抜けとなる(この年は名古屋が3位で福岡が4位であったため、上位の名古屋が昇格を果たした)。

関連項目 編集

外部リンク 編集