識字

文字(書記言語)を読み書きし、理解できること、またその能力
識字率から転送)

識字(しきじ、literacy)とは、文字書記言語)を読み書きし、理解できること、またその能力。

文字に限らずさまざまな情報の読み書き、理解能力に言及する際には、日本語ではリテラシーという表現が利用される。

概説編集

 
1970年から2015年にかけての45年間の全世界の非識字率の推移。この45年間に非識字率は半減した
 
1990年から2015年にかけての25年間における世界各地域の識字率の推移。発展途上国において急速な識字率の上昇が認められる

識字は日本では読み書きとも呼ばれる。読むとは文字に書かれた言語の一字一字を正しく発音して理解できる(読解する)ことを指し、書くとは文字を言語に合わせて正しく記す(筆記する)ことを指す。

何をもって識字とするかには様々な定義が存在するが、ユネスコでは、「日常生活で用いられる簡単で短い文章を理解して読み書きできる」状態のことを識字と定義している[1]

この識字能力は、現代社会では最も基本的な教養のひとつとして、特に先進国においては基本的に初等教育で教えられる。したがって、これらの社会では前提として文字体型を構成要素に組み込まれ、識字能力は必須的に生活の様々な場面で求められる。特に、企業などの組織の業務の為に書類を扱ったり、パソコン等の端末を操作する場合には必須である。それとは対照的に、識字率が低い水準にありつつも伝統的な農村や狩猟を中心として成り立つ社会も存在し、その生活に必ずしも識字能力が必要とは限らない。しかしながら、産業革命以降の工業化や近年のインターネット普及に対応する形で、識字率は時と共に高まる傾向にある。このような背景から、識字率を生活水準と直結し、また国や地域の産業力とも相関する傾向があると考えられることから、人間開発指標など多くの開発指標において識字率は重要な要素の一つとなっている[2]。またこの理解のため、開発経済学などにおいても識字率は重要な指標の一つとして用いられる。

また、この項目を読み、内容が理解でき、何らかの形式にて書き出すことができる者は、少なくとも日本語に対する識字能力を持ち合わせているとみなすことができる。

文字を読み書きできないことを「非識字」(ひしきじ)または「文盲」(もんもう)ないし「明き盲」(あきめくら)といい、そのことが、本人に多くの不利益を与え、国や地域の発展にとっても不利益になることがあるという考えから、識字率の高さは基礎教育の浸透状況を測る指針として、広く使われている(「識字率が低い」場合は「文盲率が高い」とも言い換えられる)。

なお、「文盲」や「明き盲」は視覚障害者に対する差別的ニュアンスを含むことから、現在は公の場で使用することは好ましくないとされている[3]

光学文字認識(OCR)の読み取り精度を指して識字率と呼称するのは全くの誤りである[要出典]

識字状況編集

識字率(推定)
(OECD)
  1970年 2000年
 世界全体   63 %   79 % 
 先進国および新興工業国   95 %   99 % 
 後発開発途上国   47 %   73 % 
 内陸開発途上国   27 %   51 % 

18世紀以降、ヨーロッパや北アメリカにおいては識字率の上昇が続いてきた。これは産業革命の進展と近代国家の成立に伴い、国民の教育程度の向上が必須課題となり、国家によって義務教育が行われるようになったためである。この傾向は20世紀に入り、産業化の遅れたアジアやアフリカ、南アメリカなどの諸国が国民の教育に力を入れるようになったことでさらに加速した。第二次世界大戦後、世界の識字率は順調に向上しており、1970年には全世界の36.6%が非識字者だったものが、2000年には20.3%にまで減少している[4]。しかし、まだ世界の全ての人がこの能力を獲得する教育機会を持っているわけではない。また、男性の非識字率よりも女性の非識字率の方がはるかに高く、2000年には男性の非識字者が14.8%だったのに対し、女性の非識字者は25.8%にのぼっていた[5]。ただしこの男女間格差は縮小傾向にあり、1970年に比べて2000年には5%ほど格差が縮小していた[5]。地域的にみると、識字者の急増は全世界的に共通しており、どの地域においても非識字率は急減する傾向にあるが、なかでも東アジアオセアニアにおいて識字率の向上が著しい。識字率は北アメリカやヨーロッパにおいて最も高いが、東アジア・オセアニア・ラテンアメリカの識字率もそれに次いで高く、この3地域における非識字者は1割強に過ぎない。それに対し、アフリカ中東南アジアの非識字率はいまだに高く、4割程度が文字を利用することができない。最も世界で非識字率が高いのは南アジアであり、2000年のデータでは約45%が非識字者である[6]。アフリカにおいては2001年のデータで非識字率は37%となっている[7]。また、非識字率は急減を続けているものの、非識字者の実数は減少せず、むしろやや増加している地域も存在する[6]

発展途上国における識字運動編集

発展途上国、特に第二次世界大戦後に独立したアジアやアフリカの新独立国においては識字率が非常に低いところが多かったが、識字および教育は国力に直結するとの認識はすでに確立されていたため、これらの発展途上国の多くは初等教育に力を入れ、識字率の向上に努めた。途上国政府のみならず、先進各国の政府も識字能力の向上のため多額の援助を行い、多数のNGOも積極的な支援を行った。これらの努力により前述のように途上国の識字率は急上昇をつづけているが、教員や予算の不足によって国内のすみずみまで充実した公教育を提供することのできない政府も多く、アフリカの一部においてはいまだ識字率が50%を切っている国家も存在する。

第二次世界大戦後に設立されたユネスコは識字率の向上を重要課題の一つと位置付けており、様々な識字計画を推進している。その一環として1966年には毎年9月8日国際識字デーと定められ[8]1990年は国際識字年として様々な取組が行われた。そして識字への取り組みをより強化するために、2003年には「国連識字の10年」が開始され、2012年まで10年にわたって行われた[9]

機能的非識字編集

文字を読み書きできない非識字(illiteracy)と読み書きを流暢にできる段階(full fluency)の間には、初歩的な読み書きを行えても、社会参加のための読み書きを満足に使いこなせない段階が存在する。これが機能的非識字(functional illiteracy)である。1956年にウィリアム・グレイ(William S. Gray)は識字教育に関する調査研究報告書の中で、「機能的識字(functional literacy)」の概念を明確にして、識字教育の目標を機能的識字能力を獲得することに設定すべきと提言した。

国別の識字率編集

一般に、識字率の調査は、角(2012)の研究で詳述されているように、実施方法・費用調達の点において、設計と実施が極めて困難であり、流布されている数値の信頼性はかなり低いと考えなければならない。この識字率の信頼性の低さは先進国・途上国を問わない。途上国の多くにおいては国勢調査時の回答または初等教育の就学率がそのまま識字率として流用されるケースが多く、一方先進国においてはほとんどすべての人が識字能力を持っていると推定され、非識字者があまりにも少なく必要性が疑わしいため調査を行わず、「ほぼ全員が識字能力を持つ」という意味で識字率99%と回答することが多いためである[10]。日本においても識字率調査は第二次世界大戦後にGHQの要請で行われた1948年(昭和23年)の調査を最後に行われていない[11]。このため、アメリカ日本といった多くの先進国の識字率は99%以上と推定されてはいるものの、国連開発計画の調査データにおいては調査が行われていないためにデータは空欄となっている[12]

2015年時点で最も識字率の低い国家はアフリカ大陸ニジェールであり、識字率は19.1%にとどまっている。以下、識字率が低い順にギニアブルキナファソ中央アフリカアフガニスタンベナンマリチャドコートジボワールリベリアの順となっており、これらの国家の識字率はいずれも50%を割っている[13]

アジア編集

 
2013年の識字率一覧

アフリカ編集

北アメリカ編集

南アメリカ編集

ヨーロッパ編集

歴史編集

総論編集

その歴史において文字を持たなかった文明においては識字という概念が存在しないのは当然であるが、文字を発明または導入した文明においても古代から中世における識字率はどこも非常に低いものだった。文字を記し保存する媒体、およびそれを複製する手段に制限があったため、文字自体の重要性が低く、社会の指導層を除いて識字能力を獲得する必要性が少なかったためである。こうした状況は、の発明によって媒体の制限がやや緩んだものの、どの社会においても中世にいたるまでほとんど変わらなかった。

こうした状況は、ヨハネス・グーテンベルクによる活版印刷の発明によって大きく変化した。活版印刷によってが大量に供給されるようになり、それまで非常に高価だった書籍が庶民でも手に入るようになったため、識字の必要性が急激に高まったのである。また印刷によって書籍に整った文字が並ぶようになったことは、それまでの手書き本に比べて読解を容易なものとし、識字の有用性をより高めることとなった。こうした書籍の氾濫は、貴重な本を一人の人間が読み上げそれを周囲の大勢の人間が拝聴するという形で行われていた知識の伝達システムを変化させ、聴覚に代わり視覚が優位に立つ新しい方法が主流となった[30]ため、識字能力の重要性はさらに増大した。

全ての文化で文字があるわけではなく、いわゆる無文字社会も多かったが、19世紀以降こうした民族においてもラテン文字による正書法を定めることが多くなった。これは、ヨーロッパから送り込まれたカトリックプロテスタント宣教師が布教のために現地諸言語のラテン文字化を推進したためである[31]

メソポタミア編集

世界最古の文明のひとつであるメソポタミアではすでに文字が発明されており、各都市では学校が設立され書記が養成されて行政文書の作成にあたっていた。またシュメール文学も隔離していた。しかし文字の読み書きは特殊技能であり、書記以外のほとんどの人は文字の読み書きができず、識字率は非常に低かったと考えられている。各都市のでさえ識字能力は求められず、まれに識字能力を持つ王が現れた場合、記録にはそのことが高らかにうたわれていることがある[32]。は

古代エジプト編集

古代エジプトの教育制度については不明な点が多いが、裕福な農民の子供たちを含む、裕福な家庭の子供は14歳になるまでの間、公的な教育が施されており、医学・数学・建築などの発展に寄与した[33]。また古代エジプト文学も確立しており、一定数の識字率があったと推測されている。

ヨーロッパ編集

中世も後期に入ると知識階級の間ではローマ教会の公用語であったラテン語の読み書きが広まり、ヨーロッパ内で知識人たちは自由にやり取りをすることが可能となっていったが、一般民衆には全く縁のないものであった。教育、特に高等教育はすべてラテン語で行われ、書物もラテン語で書かれ、聖書もラテン語で書かれるものであり、一般民衆がこれらを読むことは困難だった。これはすなわち、各地方の言語で行われる一般市民による音声言語の文化と、知識人たちによる文章言語の文化が断絶していたことを示している[34]

この状況が変化するのは、マルティン・ルターによって宗教改革が開始されてからである。プロテスタント諸派は聖書を信仰の中心に据えたため、一般市民も聖書を読むことができるよう聖書の各国語への翻訳と民衆への教育を積極的に行い始めた[35]。同様の理由でこの時期プロテスタント圏においては義務教育が提唱されるようになり、17世紀前半にはワイマール公国ゴータ公国マサチューセッツ植民地などで義務教育が導入されるようになった。その後もプロテスタント圏における義務教育推進や母国語識字教育は続き、18世紀には周辺地域に比べ新教地域の識字率は高かったとされている[36]。こうした教育の普及努力により、17世紀以降西ヨーロッパ諸国において識字率は徐々に上昇を始めた。しかしこの時期においても知識階級の文章言語はラテン語のままであった。

17世紀と18世紀を通じ上昇を続けた識字率は、19世紀に入るとより一層上昇するようになった。これは産業革命の開始によって識字能力が業務上多くの職種において必須となり、国力を増進させたい国家と生活水準を上昇させたい市民がともに識字能力を強く求めるようになったからである。ほとんどの国で義務教育が導入されるようになり、またラテン語にかわって各国語において高度な知識が記述され出版されるようになり、知識階級と一般市民の文章言語の断絶が解消したのもこの時期のことである。19世紀末には、イギリスやフランスなど当時の最先進国においては識字率が9割を越え、ほとんどの人々が文字を読み書きすることが可能となっていた[37]

日本編集

近世以前編集

日本での文字の普及は比較的遅く、6世紀頃からである[38]。近世以前には公家や僧侶など知識階級は、中国からもたらされた漢籍や仏典を通して漢字や漢文の読み書きを修得していた。一方で、1232年に制定された御成敗式目の意義について、北条泰時が弟の北条重時に宛てた書状(泰時消息文)において、「武士の多くは仮名は読めるが難解な漢文を読めないため、律令について知らないことから、武士にも理解出来るような文にした」と記しおり、初期の武士は仮名しか読めなかったと考えられている。このため公式な文章を作成する際には右筆に代筆させ自身は署名・花押を押すという習慣が広まった。

1443年朝鮮通信使一行に参加して日本に来た申叔舟は、「日本人は男女身分に関わらず全員が字を読み書きする」と記録し、また幕末期に来日したヴァシーリー・ゴロヴニーンは「日本には読み書き出来ない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もゐない」[39]と述べている。ここでは漢字と仮名の違いについて言及されていない。

近世の識字率の具体的な数字について明治以前の調査は存在が確認されていないが、江戸末期についてもある程度の推定が可能な明治初期の文部省年報によると、1877年滋賀県で実施された一番古い調査で「6歳以上で自己の姓名を記し得る者」の比率は男子89%、女子39%、全体64%であり、群馬県岡山県でも男女の自署率が50%以上を示していたが、青森県鹿児島県の男女の自署率は20%未満とかなり低く、地域格差が認められる[40]

また、1881年長野県北安曇郡常盤村(現・大町市)で15歳以上の男子882人を対象により詳細な自署率の調査が実施されたが、自署し得ない者35.4%、自署し得る者64.6%との結果が得られており(岡山県の男子の自署率とほぼ同じ)、さらに自署し得る者の内訳は、自己の氏名・村名のみを記し得る者63.7%、日常出納の帳簿を記し得る者22.5%、普通の書簡や証書を白書し得る者6.8%、普通の公用文に差し支えなき者3.0%、公布達を読みうる者1.4%、公布達に加え新聞論説を解読できる者2.6%(当時の新聞論説は片仮名交じり漢文調で、非常に難しかった)となる。したがってこの調査では、自署できる男子のうち、多少なりとも実用的な読み書きが可能であったのは4割程度である[41]

明治期の各県の調査初年次の自署率
(文部省年報による)[40]
府県 調査初年次 調査対象 男子 女子 全体
 滋賀県 1877年 満6歳以上 89.23 39.31 64.13
 群馬県 1880年 79.13 23.41 52.00
 青森県 1881年 全住民 37.39 2.71 19.94
 鹿児島県 1884年 満6歳以上 33.43 4.00 18.33
 岡山県 1887年 65.64 42.05 54.38

ただし、近世の正規文書は話し言葉と全く異なる特殊文体と複雑な書式(書札礼)の知識が必要であり、公家や僧侶など幼少から学習を続けた者か右筆のような専門職が行う仕事であった。近世期「筆を使えない者」を意味する「無筆者」とは文書の作成に必要な漢字や文体(漢文)を知らない者を意味しており[注釈 1]、庶民のみならず右筆に頼る武士の多く[注釈 2]も「無筆者」であった。なお基本的な仮名は庶民の間でも常識に属し、大衆を読者に想定したおびただしい平仮名主体の仮名草子が発行されていた。

義務教育開始以前の庶民の文字教育を担ったのは寺子屋であり、仮名と簡単な漢字の学習、および初歩の算数を加えた「読み書き算盤」は主要科目であった。寺子屋の入門率から識字率は推定が可能であるが、確実な記録の残る近江国神埼郡北庄村(現・滋賀県東近江市)にあった寺子屋の例では、入門者の名簿と人口の比率から、幕末期に村民の91%が寺子屋に入門したと推定される[40]。江戸期には武士の子息は7〜8歳になると藩校に入り、四書五経をテキストに素読と習字を学んでいた。

近代以後編集

明治時代に義務教育が開始され、徐々にその普及が進んでいくにしたがって識字率は上昇していった。しかし明治政府が印章文化の偏重を悪習と考え、欧米諸国にならって署名の制度を導入しようと試みたが[42][43]、事務の繁雑さと共に識字率の低さを理由に反対意見が相次いだため断念している[44]など、明治初期には公共サービスに支障があるレベルだったことが窺える。この時期の識字率調査としては1899年(明治32年)より第二次世界大戦直前まで、徴兵検査と同時に新成人男子に対し行われた「壮丁教育程度調査」があるが、これによれば調査開始の1899年においては成年男子の23.4%は文字を読むことができず、20歳識字率は76.6%にとどまっていたが、その後識字率は急速に上昇し、1925年(大正14年)には20歳非識字率はわずか0.9%、機能的非識字者を合わせても1.7%にまで減少して、このころまでに新規の非識字者の出現はほぼ消滅したと考えられていた。女性においても1935年(昭和10年)ごろには新規非識字者の出現はほぼなくなったと考えられており、この時点で非識字者は、すでに成人したもののみに限られるという見解が一般的であった[45]

第二次大戦終結後、1948年(昭和23年)に「日本語は漢字が多いために覚えるのが難しく、識字率が上がりにくいために民主化を遅らせている」という偏見から、GHQジョン・ペルゼル[46]による発案で、日本語をローマ字表記にしようとする計画が起こされた。そして正確な識字率調査のため民間情報教育局は国字ローマ字論者の言語学者である柴田武に全国的な調査を指示した(統計処理は林知己夫が担当)。1948年8月、文部省教育研修所(現・国立教育政策研究所)により、15歳から64歳までの約1万7千人の老若男女を対象とした日本初の全国調査「日本人の読み書き能力調査」が実施されたが、その結果は漢字の読み書きができない者は2.1%にとどまり、日本人の識字率が非常に高いことが証明された。柴田はテスト後にペルゼルに呼び出され、「識字率が低い結果でないと困る」と遠回しに言われたが、柴田は「結果は曲げられない」と突っぱね[47]、日本語のローマ字化は撤回された(漢字廃止論も参照)[48]。この調査方法には設問や地域による影響も指摘されている[49][50]

戦後の日本では初等教育で日本語の読み書きを学習するため成人の非識字者はいないという建前上、積極的な調査研究はほとんど無く[45]、1955年に行われた日本語の読み書きに関する調査でも「日本に読み書きできない人はほとんどいない」という見解に基づき、調査は関東と東北に居住する15~24歳の1460人を対象とした 「国民の読み書き能力調査」のみで終了した[49][51]。1948年の大規模調査から時間が経過し、義務教育を受けられなかった者の存在や、在留外国人が母国から呼び寄せた子息の増加など社会構造の変化を捉えていないとされる。NHKが独自に行った2017年の調査では、義務教育を受けられないため基本的な日本語の読み書きが出来ない成人や、成人後に夜間中学校で習得した事例[52]も確認されており、正確な識字率は不明である[51]。また第二次世界大戦後の混乱により樺太に取り残され、後に日本に帰国した樺太残留邦人の中にも日本語の読み書きが出来ない者がいる[53]

  • 1868年(明治元年)9月付の飛騨国高山県知事から弁事宛の文書には「当国の儀は・・・且国民は皆々頑愚文字少も不開、名主組頭と雖ども名義を弁ぜざるは勿論、先触廻状も読み得ざる程の事にて所謂猪猿同様の者に御坐候」[54]とある。
  • 1871年(明治4)7月付の江刺県から弁官宛の文書には「当県の儀は…海岸並山中の郷村に至ては貧困を極候は十中八九に候。総体民風懶惰諸働き関東西の一人に対し三分一位と相見、且一丁字も之無く平常の道理を弁じ兼る底の者多分之有り、尤僻邑に至候ては間に蝦夷の風を存し或は只旧領主を知るのみ恐多くも王政御一新(※明治維新)の何事たると驚惑仕候者も之有る程に御坐候」[55]とある。
  • 1876年(明治9)の太政官布告第97号[56]には「読書算術の出来得る者は検査格例に照し抜擢して教導団に入れ卒業の上下士に任ず」とあり、「読書」能力を持つ者は貴重な存在だったことが分かる。
  • 1883年(明治16)「甲部地方巡察使復命書」の「愛知県ノ部政社」の項には「当県下の政党は愛国交親社三陽自由党尾張立憲改進党愛知改進党の四種あり。愛国交親者は社長愛知県名古屋士族庄林一正雖も其他重立たる者は自由主義を取ると社員は賎民車夫等にして一丁字を解せざるもの多し」[57]とある。
  • 1884年(明治17)11月19日付青森県令から陸軍卿宛の文書には「抽籤総代人之義は籤丁中より之を撰挙すべきは勿論に候処、従来の経験に依れば一郡内の籤丁無学文盲にして兵種番号等も読み得ざること之あり」[58]とある。
  • 1886年(明治19)4月26日付の福岡県から大蔵省宛の文書には「仕払切符を振出すには順序第五条に拠り正当受取人に対し各自に交付して其領収証を徴すべきは勿論に候処、窮氏恤救の如きは廃疾疾病老幼者等自活は勿論他に依るべきの救護者も之無く、遂に凍餒に迫るの窮極に際し救助を哀願するものにして、其境遇を問へば真に乞食に類似し、眼中曽て一丁字を弁ずる者之無く、且数十百人の多き一々各自に対し切符を交付し其領収証を徴するは実際困難にして、他人へ代書を依頼し多少の筆紙墨料を出費せしめざれば之を徴すること能はず」[59]とあり、字が書けず代筆してもらう者が多かったことが分かる。
  • 1889年(明治22)7月5日付の海軍大臣から内閣総理大臣宛て文書には「明治十九年七月裁可公布相成候海軍武官官等表の艦内教授なるものは軍艦又は屯営内にて卒に読書算術を教授するものなり。之を要せしは文盲なる卒あるに依れり。今は辺陬と雖も教育普及せるを以て卒に徴せらるゝ年齢の者にて目に一丁字なき者あらず下士を教育する練習艦に於て数学の教師を要することあるも海軍部内にて七八名に過ぎず一時の雇教員をして教授せしめて足れり」[60]とある。
  • 1891年(明治24)1月14日付の北海道庁から逓信省宛ての文書には「一丁字を解せざるの徒は若干の金員を以て請求書及領収証書等を代書し貰ひ」[61]とある
  • 1892年(明治25)の福井県福井市の市会議員投票条例には「第四条 選挙人にして文字を書すること能はざるときは掛長は吏員をして代書せしめ之を本人に読み聞かせ選挙掛は其由を選挙録中に記載す可し」[62]とある。
  • 1892年(明治25)の富山県高岡市の市会議員選挙投票条例には「第二条 選挙人にして投票の文字を書すること能はざるものは選挙掛の代書を求むることを得。選挙人相互に代書するを許さず」[63]とある。
  • 1899年(明治32)10月18日付の内閣閣議決定文書には「雇傭したる人夫の賃銀を仕払ふには一名毎に領収書を徴収するを要すと雖眼中一丁字なき輩には至難の事に属し往々は総代を選び之に委任状を付して受取らしむるも之が為めに騙取せられて賃銀の不渡りを生ずる場合少からざる」[64]とある。
  • 1901年(明治34)5月14日付の佐世保海兵団長名の文書「五等機関兵練習に就ての意見」には「本期卒業の五等機関兵は明治三十三年十二月一日入団の徴募兵にして大阪和歌山兵庫の一府二県のもの其多数を占め居れり。…而して本期兵中和歌山兵庫の徴募に係るものゝ多数は眼中一丁字なき漁夫にして教育の困難を感ぜしより…別科時間に於ては片仮名より漸次小学読本及簡易の算法往復文の書方等を教え種々奨励法を設けたるに」[65]とある。
  • 1903年(明治36)愛知県幡豆郡農会編「愛知県幡豆郡西野町村々是」の「村民の教育程度其概況」には「本村民の教育は往昔甚だ等閑に付せられ只寺小屋的の習字学と稀には読書算術等を教授するものありと雖ども其の子弟は概ね僧侶豪農なるより其数多からず 故に老年者にありては算筆に自由を欠き況んや下級のものにありては自己の住所氏名だも書すること能はざるもの往々あり[66]とある。
  • 1906年(明治39)海軍次官が第1~12師団の参謀長に出した通牒「海軍兵選兵の件」には「明治三十八年十二月佐世保海兵団に入団したる看護中尋常小学校一学年修業にして纔(わずか)に片仮名を解し得るに止まる者ありし趣を以て」[67]とある。
  • 1907年(明治40)6月22日付の福岡県知事から陸軍次官宛て文書には「陸軍下士兵卒にして現役より予備役若は後備役に入る者は…指定の期日内に連隊区司令官に届出べき儀に候得共右届出方に就ては市町村長より本人へ注意の上漸く届出るもの尠からず、就中目に一丁字なき者に対しては市町村長より届書作成の上手続相立候事有之候処」[68]とある。
  • 1913年大阪朝日新聞記事「紡績女 (一〜八)」には「会社から折角工女の音信の不便を思うて代書人を寄宿舎に雇って置いてあるも、今では手紙の代筆を頼むというような工女は新入者の外には殆ど無いようになったと」[69]とあり、以前の工女は字が書けなかったことが分かる。
  • 1917年大阪毎日新聞記事「職工の寄宿舎生活 (一〜五)」には「彼等は多く農家に生れ(農業六割強、漁業一割五分強、商業五分強、其他一割強)放縦に育てられ殊に教育程度頗る低く(最近某工場に於て調査したる処に依れば、全然無学一割八分、尋常四年修了以下六割、尋常卒業以下二割、其他二分なりし)」[70]とある。
  • 1918年大阪朝日新聞記事「島根県水産の将来 (一〜三)西村県知事談」には「漁業者の子弟にして義務教育程度の修養を受けたる者は百分の七十二、無教育者は百分の二十八なり約三十パーセントは無教育にして所謂無学文盲の漁業者なり[71]とある。
  • 1919年横浜貿易新報記事「職工教育程度 女工の保護救済最も急」には「(神奈川県内の)工場職工数五万八千百五十三人にして…女工にありては義務教育さえ修得せざる者大部分を占むる有様なるが不就学者に至っては二千九百五十三人の内自己の姓名出生をさえ記し得ざる無筆者千八百二十五人に達し殊に其の多くが女工なる」と[72]ある。
  • 1919年大阪時事新報記事「幼少年労働問題 (一~十二)ドクトル 三田谷啓」には「宇野氏は某工場の社宅に於ける戸主の教育程度の調査を行いしに男戸主二百三人の中無教育者二十八人(一三、七パーセント)女戸主十七人中無教育者十三人(七六、五パーセント)で是等は己が姓名さえ書き得ざる不幸の人々である。稍文字を知るものは男子の百十五人、女子の三人で、普通教育を終えたるものは男五十九人、女一人である。」「大正五年五月に倉敷紡績工場にて調査せられたる結果によると男工では無教育のもの一〇、五五パーセント女工では二〇、七四パーセントとなって居るこれは前の成績より大に進歩して居るが、而も尚お女工の如きは百人中の二十人余は無教育者である。」[73]とある。
  • 1920年大阪時事新報記事「新時代と教育的覚醒 (上・下)文学博士 小西重直」には「我が労働界に於ても工場職工百三十五万余の中、約十二万人に近きものは不就学の人にして而も此中に自己の姓名を記し得ざるものが四万八千人もあるという当局の調査を見るに至りては教育普及の未だ甚だ不十分なりしに驚かざるを得ないのである。」[74]とある。
  • 1920年林茂淳「国勢調査について: 国民必読」には「六月八日の国民新聞に拠りますと、東京市内の職工で「いろは」の「い」の字も知らぬ者が二万三千人もあると云ふことであります。」[75]とある。
  • 1928年愛知県社会課編「調査資料 第11編 農村社会事業調査 第2輯」は「海部郡永和村」を調査対象としている[76]が、「年齢十五歳以上にして教育上の履歴が判明して居るもの一、六〇七人…大体に於て無学者は一、六〇七人中一割八分七厘に当って居る」[77]とある。
  • 1928年愛知県社会課編「調査資料 第12編 乳児死亡調査」には「母の教育程度に就いて 義務教育を全く受ない婦人が、千人の中に一三〇人もあるのは、この調査に表れた母が明治二十年代の末、三十年代に就学期にあった為でもあらふが、この義務教育の全然受けてゐない、人々の中には相当の貧困者があることゝ思ふ。」とある。[78]
  • 1935年大阪毎日新聞記事「選挙うら表 赤心一票 岡田啓介書」には「某候補者になると選挙間際に町内村内の文盲の有権者を集めて毎日毎日『候補者名』の書き方を練習させて日当をあたえる。」[79]とある。

その他編集

イングランドにおいて機能的識字が社会的に浸透したのは、11 - 13世紀とされる[80]

15世紀ハングルを創製して表音文字を導入した朝鮮では、ハングルのみを知っている人間は庶民にも少なからずいたが、漢字に関しては初歩的な字以上の知識を持つ者は非常に少なく、知識階級や富裕な商人に限られていた。

ベトナムでは表音文字を自力で開発しなかったため、複雑なチュノムと漢字を知ることができる層と、それ以外とに分かれ、庶民は文字を知っていても、少数の漢字とチュノムを書けるだけという例が多かった。

中国では1950年代から、識字率を引き上げる目的で簡体字を採用し、多くの漢字を9画以内に収めた。

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 2014年現在でも、出入国管理及び難民認定法施行規則第55条において、「無筆、身体の故障その他申請書を作成することができない特別の事情がある者」の口頭申請を認める規定があり、法令用語として「無筆」が使用されている。
  2. ^ 伊達政宗の教育係となった虎哉宗乙のように、裕福な武士は子息のために僧侶を招聘していたが、大多数は仮名と基本的な漢字のみしか読めなかった。

出典編集

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  3. ^ 公職選挙法48条で「文盲」が使われていたが、平成25年法律第21号で表現が「心身の故障その他の事由」に改められた。
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関連項目編集

外部リンク編集