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ニジェール

アフリカ西部に位置する国家
ニジェール共和国
République du Niger
ニジェールの国旗 ニジェールの国章
国旗 (国章)
国の標語:Fraternité, Travail, Progrès
(フランス語: 友愛、労働、進歩)
国歌ニジェールの歌
ニジェールの位置
公用語 フランス語[1]
首都 ニアメ
最大の都市 ニアメ
政府
大統領 マハマドゥ・イスフ
首相 ブリジ・ラフィニ英語版
面積
総計 1,267,000km221位
水面積率 極僅か
人口
総計(2013年 16,899,327人(63位
人口密度 13.3人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 2兆3,976億[2]CFAフラン
GDP (MER)
合計(2008年 53億[2]ドル(137位
GDP (PPP)
合計(2008年101億[2]ドル(132位
1人あたり 738[2]ドル
独立
 - 日付
フランスより
1960年8月3日
通貨 CFAフラン (XOF)
時間帯 UTC (+1)(DST:なし)
ISO 3166-1 NE / NER
ccTLD .ne
国際電話番号 227

ニジェール共和国(ニジェールきょうわこく、フランス語: République du Niger)、通称ニジェールは、西アフリカサハラ砂漠南縁のサヘル地帯に位置する共和制国家首都ニアメ内陸国であり、アルジェリアマリブルキナファソベナンナイジェリアチャドリビアと隣接する。

目次

国名編集

正式名称はフランス語で、République du Niger(レピュブリク・デュ・ニジェール)。通称、Niger。公式の英語表記は、Republic of Niger(リパブリク・オヴ・ナイジャもしくはニージェア)。通称、Niger。日本語の表記は、ニジェール共和国。通称、ニジェール

国名の由来は、国内を流れるニジェール川より。ニジェール川の語源は、遊牧民トゥアレグ族により、この川がニエジーレン(n'egiren)「川」、またはエジーレン(egiren)「川」と呼ばれていたことによる。これがフランス人に伝えられ、ラテン語で「黒」を意味するニジェール(niger)と転訛した。

ニジェール (Niger) とナイジェリア(Nigeria) は本来は同じ地域を指しているが、旧宗主国を異にする両地域が別々に独立した際に、現在のように別の国を指すこととなった。

歴史編集

 
フランス要塞から写した旧首都ザンデール1906年

植民地化以前編集

9世紀頃、ニジェール川流域に現在のマリ東部のガオを首都とするソンガイ帝国が興り、ニジェール川流域地方を支配した。ソンガイは早くから北アフリカとの交易があり、イスラム化が進んでいた。東部のチャド湖周辺はカネム王国が支配していた。ソンガイ帝国は14世紀にはマリ帝国の属国となったものの14世紀後半には再独立し、15世紀には最盛期を迎えた。このころにはソンガイの勢力圏は中部にまで及んでいたが、16世紀末には帝国がモロッコのサアド朝に敗れたためこの支配は崩壊した。東部はカネム王国が南遷したボルヌ帝国の支配下にあった。19世紀にはダマガラム(現ザンデール)に小王朝があり、その他いくつかの小勢力が割拠していたが、ニジェール全体を支配する勢力は存在しなかった。

フランス植民地時代編集

19世紀末には、イギリスとフランスが進出し、1898年両国の協定によってフランス20世紀までに全土を領有(フランス領西アフリカ)。フランスはジェルマ人英語版を優遇し、最大民族のハウサ人などを支配させる政策を採った。1900年にはen:Sultanate of Agadez1449年-1900年)も併合された。1916年トゥアレグ族の貴族Kaocen Ag Mohammedアガデスで蜂起した(en:Kaocen Revolt)。翌年、反乱はフランス軍に鎮圧された。1922年フランス領西アフリカの一部に再編された。1926年、ハウサ人が多数派のザンデールからジェルマ人が多いニアメに行政機能が移され、遷都した。

独立・ディオリ政権編集

1958年に自治国となり、自治政府首相にはニジェール進歩党党首のアマニ・ディオリが就任した。ディオリは1959年に政敵であるサワバ党のジボ・バカリを追放し、サワバ党の活動を禁止した。1960年8月3日共和国として独立し、初代大統領にはディオリが就いた。ディオリは建国後すぐに他党を禁止し一党制を敷くとともに、親仏的立場を取りながらアフリカの有力政治家として外交で活躍したものの内政は停滞を続け、1970年代の大干ばつによって国内情勢は不安定化した[3]

軍政期(最高軍事評議会)編集

1974年4月、陸軍セイニ・クンチェ参謀長がクーデターで軍事政権「最高軍事評議会」を樹立し、同評議会の議長に就任。憲法は停止され、議会政党活動も中止された。クンチェ政権のもとでは北部のアーリットでウランの生産が開始され、また旱魃が収まったため1980年ごろまで経済は成長を続けたが、その後はまた旱魃が起き、ウラン価格の低迷もあって経済はふたたび停滞した。1987年11月にはクンチェが死亡し、アリー・セブが後継者となった。

セブ政権編集

セブは1989年社会発展国民運動を結成して民政移管を目指し、同年9月の国民投票で新憲法が承認され、12月の選挙でアリー・セブ大統領が選出されて形式的に民政移管したものの、非民主的な体制はそのままだった。1990年、中央政府の資源独占に不満を持つトゥアレグ族トゥーブゥー族英語版の反政府勢力との間でトゥアレグ抵抗運動 (1990年-1995年)英語版 が勃発。

ウスマン政権編集

1991年になると民主化運動が激しくなり、セブ政権は民主化にとりかかった。1992年12月に新憲法が国民投票で承認されて複数政党制が認められ、1993年2月の議会選で6党の連合体「変革勢力同盟」が、軍事政権時代の与党社会発展国民運動(MNSD)に勝利した[4]。3月の大統領選では民主社会会議(CDS)のマハマヌ・ウスマン党首が当選。4月にマハマドゥ・イスフが首相に就任した。

1995年1月の総選挙では MNSD などの野党連合が勝利し、2月にハマ・アマドゥ英語版MNSD書記長が首相就任。4月、自治を求めるトゥアレグ族およびトゥーブゥー族英語版反政府勢力と和平合意。

軍政期(救国委員会)編集

1996年1月、軍のクーデターでイブライム・バレ・マイナサラ陸軍参謀長を議長とする「救国委員会」が軍事政権を樹立。

マイナサラ政権編集

7月の大統領選でマイナサラ議長がウスマン前大統領をやぶり当選。12月マイナサラ大統領は救国委員会を解散、アマドゥ・シセ英語版前経済相を首相に任命したが、1997年11月には野党との対立やストライキ問題を解決できないとして解任、イブライム・ハッサン・マヤキ英語版外相を新首相に。

軍政期(国家和解評議会)編集

1999年4月、再び軍がクーデターを起こし、大統領警護隊がニアメの空港でマイナサラ大統領を銃殺した。そして警護隊隊長のダオダ・マラム・ワンケ少佐を議長とする軍事政権「国家和解評議会」が実権を掌握。議会を解散し、憲法を停止した。軍事政権による憲法草案の是非を問う国民投票が7月行われ、約90%の支持で承認された。新憲法は大統領と首相の権力分担を規定。

ママドゥ政権編集

10月の大統領選で軍の元幹部で MNSD党員のタンジャ・ママドゥが当選した。ママドゥ大統領は12月、MNSD書記長のハマ・アマドゥ英語版元首相を首相に任命した。

2000年3月、マハマドゥ・イスフ元首相が率いるニジェール民主社会主義党(PNDS)を中心とした野党勢力が「民主勢力連合」(CFD) を結成。6月 MNSD など大統領支持勢力が議会多数派の「民主勢力同盟」(AFD) を結成した。2001年2月、大学への政府補助金50%以上削減に抗議した学生が各地でデモ、警官隊と衝突。政府はアブドゥ・ムムニ大学英語版(旧ニアメ大学)を閉鎖。4月マイナサラ大統領銃殺事件の捜査を求める支持者ら数千人が首都でデモ。2002年7月、賃金や待遇に抗議した軍兵士が南東部のディファで反乱を起こし、ラジオ局を占拠。政府は同月のうちに、ディファに非常事態宣言を発令した。反乱は8月にはニアメにも拡大したが、政府軍が鎮圧。200人以上の兵士が逮捕された。

ニジェール川レテ島英語版の帰属問題をめぐり、ベナン国境紛争を抱える。2000年5月、島に建設中のベナン政府施設をニジェール軍が破壊。6月に双方が会談したが決裂し、アフリカ統一機構(OAU、現アフリカ連合)などに仲裁を要請し2001年6月、両国は結論を国際司法裁判所(ICJ)の判断にゆだねることで合意した。

2004年末の大雨でサバクトビバッタが発生した結果(「サバクトビバッタの大量発生英語版2003年 - 2005年)」、「2003-2005年の蝗害」)、マラディタウアティラベリザンデールで「ニジェール食料危機 (2005年-2006年)英語版」が起こった(サヘル旱魃英語版を参照)。2007年にはトゥアレグ抵抗運動 (2007年-2009年)英語版 が勃発した。

ママドゥ大統領は2009年8月4日に新憲法制定に関する国民投票を行うと表明した。憲法裁判所は違法な決定と判断したが、ママドゥは憲法裁判所を解散させ、投票を強行する構えを見せた[:en]。この国民投票は予定通り実施され、新憲法は採択された。これにより、2012年の新憲法施行までの3年間、ママドゥが現行憲法のもとで引き続き政権を率いることになり、更に現行憲法に存在した3選禁止規定が新憲法では削除されたことで、2012年以降もママドゥが大統領職に留まり続ける可能性が出てきた。

軍政期(民主主義復興最高評議会)編集

2010年2月、ママドゥ大統領が3期目を目指し任期延長を強行しようとしたことから、国内の緊張が悪化。2月18日、再び軍がクーデターを起こし、軍が大統領と閣僚を拘束。国軍高官が憲法の停止を宣言し、「民主主義復興最高評議会(Supreme Council for the Restoration of Democracy、CSRD)」による軍事政権の樹立を宣言し、憲法の停止と政府の解散の宣言、国境の閉鎖、夜間外出の禁止を発令した[5]。このクーデターに対し国際社会は批判を強めているが、一方で数千人の市民が軍の兵舎の周囲に集まり「軍万歳」などと叫びながら軍事政権への支持を示すなど国民はクーデターを歓迎しているという[6]サル・ジボが暫定国家元首に就任した。

イスフ政権編集

2011年4月7日、選挙による新大統領にニジェール民主社会主義党のマハマドゥ・イスフが選ばれた。イスフ大統領は2016年の選挙で再選された[7]

政治編集

ニジェールは共和制半大統領制をとる立憲国家で、現行憲法1999年7月18日に制定されたもの。2009年8月4日に新憲法に関する国民投票が実施され、賛成多数で承認されたことにより2012年に半大統領制から完全な大統領制へと移行することが決まっていたが、2010年クーデターにより今後の展望は不透明である。

元首編集

国家元首である大統領国民の直接選挙により選出され、任期は5年。3選禁止の規定があったが、2009年の新憲法承認により再選制限は撤廃された。

行政編集

首相および閣僚は大統領により任命される。

立法編集

立法府は一院制で、正式名称は「国民議会」。定数は113議席で、議員は国民の直接選挙により選出される。113議席のうち105議席は民族や地域に関係なく政党名簿比例代表制度により、残り8議席は小選挙区制により少数民族から選出される。議員の任期は5年である。5%以上の投票が得られない政党には議席は配分されない。

ニジェールは複数政党制であり、2011年以降の与党は左派ニジェール民主社会主義党である。他に野党として中道右派社会発展国民運動(MNSD)や中道民主社会会議(CDS)などがある。

司法編集

軍事編集

選抜徴兵制。兵役は2年。陸軍5,200人、空軍100人、憲兵隊1,400人、共和国警備隊2,500人、国家警察隊1,500人。2002年の国防予算は3,300万ドル。

地方行政区分編集

 
ニジェールの地方行政区分

ニジェールは7つの州 (région) と1つの首都特別区 (capital district) から構成されている。

主要都市編集

最大都市は国土の南西部、ニジェール川沿いに位置する首都のニアメである。人口は国土の南部に偏在しており、マラディザンデールといった都市が点在するが、国土の中部・北部は砂漠地帯であり、オアシス都市で古くからのサハラ交易の要衝であるアガデスと、ウラン鉱開発の拠点として急速に都市化したアーリットを除き都市らしい都市は存在しない。

地理編集

 
地形図
 
ニジェールのケッペン気候区分。赤が砂漠気候、オレンジがステップ気候であり、全域が乾燥帯に属する

ニジェールの気候は北部に行くほど乾燥しており、北部・中部を中心に国土の5分の4をサハラ砂漠が占めている。南部は全域がサヘル地帯に属しており、ステップ気候 (BS) を示す。サヘル北部は降水量が150mから300㎜ほどであり、農耕は不可能だがわずかに育つ草を利用して遊牧が行われている。サヘル中部は降水量が300mから600㎜ほどとなり、天水農業が主力となり、牧畜も行われている。この気候帯は全国土の10%ほどを占め、首都ニアメやザンデールなどの主要都市が点在し、ニジェールの人口の多くがこの地域に居住する。南下するほど降水量は増加していき、ベナン国境に近い国土の最南部は全国土の1%ほどにすぎないが、降水量が600mから750㎜ほどとなって最も農業に適している[8]。雨季は南に行くほど長くなるが、おおよそ6月~9月が雨季に当たり多湿となる。2月にはサハラ砂漠から非常に乾燥した季節風ハルマッタンが吹き込むため気温が下がり、また砂塵がひどくなる[9]

地形は基本的に南に向かうほど標高が低くなるが、国土中央のアイル山地および北端のリビア国境の山地を除いてはおおむね平坦な地形である。最高地点はアイル山地のイドゥカル・ン・タジェ山 (別称バグザン山、標高2022m) で[10]、最低地点はニジェール川の標高200mである。

ニジェールは乾燥地帯に位置し、年間を通じて流水があるのは国土南西部を流れるニジェール川のみである。また、南東端はチャド湖に面している。このほか、雨季になると各所に湖沼や季節河川が出現し、貴重な水資源となっている[11]

経済編集

農業畜産業鉱業が主産業。国民総所得は77億ドル[12]、(1人当たり370ドル[13]、2016年)で、世界最貧国の1つでもある。周辺の8か国とともに西アフリカ諸国中央銀行中央銀行としており、通貨CFAフランである。

農牧業編集

第1次産業人口は56.9%(2005年)を占める[14]が、農業は自給農業が中心で、南部に限られる。降雨量は少ないが灌漑も発達しておらず、水源も乏しいため、ほとんどは天水農業である。そのため降雨量に収量は大きく左右されるが、サヘル地域は雨量が不安定であり降水量の年較差が激しいため、しばしば旱魃が起こる。

おもな作物は、雨量の多いサヘル南部ではモロコシ、サヘル中部ではトウジンビエが栽培される[15]。輸出用作物としては植民地時代に落花生の栽培が奨励され、1960年代初期には総輸出額の80%が落花生およびピーナッツオイルによって占められていた[16]が、1970年代にはすでに割合はかなり小さくなっており、それ以降は輸出額はごくわずかなものにとどまっている[17]。農作物のなかで輸出額が多いのはタマネギササゲであるが、いずれも輸出額に占める割合は非常に少ない[18]

牧畜は農業よりは盛んであり、ウシヒツジヤギラクダが主に飼育される。南部のフラニ人はウシを主に飼育し、北部のトゥアレグ人はラクダやヤギを中心に飼育を行っている[19]ほか、各地の農耕民も牧畜を行っている。家畜輸出は農業輸出よりも大きく、ウシ・ヒツジ・ヤギが主に輸出される[20]

鉱業編集

 
アーリット・ウラン鉱山

独立時は上記のわずかな農牧業に頼っていたが、1971年に北部のアーリットでウラン鉱の生産が開始され[21]、以後ウランの輸出が経済の柱となった。ウランは確認できるだけで世界第3位の埋蔵量を誇っている。ニジェールのウラン鉱山はアーリット鉱山とアクータ鉱山の2つの鉱山からなり、アーリット鉱山はフランス原子力庁(のちにアレヴァ社)とニジェール政府が、アクータ鉱山はニジェール政府・フランス原子力庁(のちにアレヴァ社)・日本の海外ウラン資源開発社・スペインの資本がそれぞれ出資している[22]

ウラン関連産業は全雇用の約20%を占める。2014年にはウランが総輸出額の45.6%を占め、ニジェール最大の輸出品となっている[23]が、あまりにウランの経済に占める割合が高いため、ウランの市場価格の上下がそのまま経済に直撃する構造となっており、経済成長率はウラン価格の動静に左右されている。

また東部で油田が発見され、2014年には石油製品が総輸出額の25.9%を占めて第2位の輸出品となった[24]

その他編集

1997年の旱魃で国民の4分の1が飢餓の危機に陥った。さらにウラン価格の低下、度重なる政情不安による海外援助の途絶により、1999年末には国家経済が事実上の破産状態に陥った。しかし、2000年12月に国際通貨基金 (IMF) などは貧困削減対策として、ニジェール政府が背負う8億9,000万ドル債務免除を発表し、7,600万ドルの融資を決定するなど明るい兆しも見えてきている。

交通編集

ニジェールの交通の主力は道路交通であるが、それほど整備が進んでいるわけではない。最も重要な道路は首都ニアメから国土の南端ガヤへ向かう道路で、ここからベナンに入りベナン中部のパラクーから鉄道でコトヌー港へと向かうのがニジェールの主な輸出ルートである。また、マリ国境のからニアメ、ドッソ、マラディ、ザンデール、ディファといった主要都市を通ってチャド湖沿岸のンギグミまで、ニジェールの人口稠密地帯を結ぶ全線舗装の[25]幹線道路が走っている[26]。このほか、ザンデールからアガデス・アーリットを通ってアルジェリア国境のアッサマッカへと向かうサハラ縦断道路が存在するが、舗装はザンデールからアーリット間のみにとどまっている[27]

ニジェール国内に鉄道は存在しない。植民地時代にはコートジボワールアビジャンからオートボルタの首都ワガドゥグーを通ってニアメまでの鉄道が計画されていたものの、1954年にワガドゥグーに到達したところで工事は中断し、やがて独立とともに計画は立ち消えとなって、アビジャン・ニジェール鉄道の名にその痕跡を残すのみとなっている。これに代わってダオメー(現ベナン)経由の鉄道計画が浮上し、1959年にはベナン・ニジェール鉄道輸送共同体が設立されてダオメー国内の鉄道にニジェールが参画することとなった[28]。1970年代にはパラクーからニアメへの鉄道延伸が決定されたが、資金不足で工事は中止された[29]

国民編集

 
ニジェールの子供たち

民族編集

ニジェールの最大民族はハウサ族であり、2001年には人口の55.4%を占めていた[30]。ハウサ人は主に南部のナイジェリア国境沿いに居住し、ザンデールやマラディなどが居住域の主な都市である。次の大きな民族グループは南西部に居住するジェルマ英語版-ソンガイ族であり、人口の21%(2001年)を占めている[31]。ジェルマ・ソンガイは首都ニアメの多数派民族であり、ニジェール川沿いを主な居住域としている。これに次ぐのは北部の砂漠地方を中心に居住する遊牧民トゥアレグ族であり、全人口の9.3%(2001年)を占める[32]。第4位の民族はフラニ族であり、人口の8.5%(2001年)を占める[33]。フラニ人も遊牧民であるが、北部に多いトゥアレグ人とは異なり、北端を除き全国にまんべんなく分布する。このほか、東部に多いカヌリ族英語版や、トゥーブゥー族英語版ディファ・アラブ族英語版グルマ族英語版などの民族が居住する。

言語編集

フランス語公用語だが、ハウサ語ジェルマ語フラニ語などの各民族語が主流。

宗教編集

イスラームが90%を占め、中でもスンニ派が全人口の85%を占めている(2005年)[34]。他にアニミズムキリスト教も。

教育編集

教育制度は、小学校6年・中学校4年・高校3年・大学3年であり、小学校と中学校の10年間が義務教育となっている[35]。ただし飛び級制度および落第制度があり[36]、またそれ以外でも学校教育からドロップアウトする者も多い[37]ため、入学者に比べ卒業者は少なくなっている。識字率は19.1%(2015年)にすぎない[38]

文化編集

世界遺産編集

ニジェールには、文化遺産が1件(アガデス歴史地区)及び自然遺産が2件(アイル・テネレ自然保護区W国立公園)の、3つの世界遺産が存在する。アガデスはサハラ交易で栄えたオアシス都市であり、その古い町並みが世界遺産に指定された。アイル・テネレ自然保護区は国土中央部の山地及び砂漠地帯である。W国立公園は国土の南端に位置し、ニジェール、ブルキナファソ、ベナンにまたがるニジェール川の流域で、自然がよく残され多くの動物が生息している。

祝祭日編集

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 Jour de l'An
4月24日 コンコードの日
5月1日 メーデー
8月3日 独立記念日 Fête de l'Indépendance
12月18日 共和国の日 Jour de la République
12月25日 クリスマス Noël

参考文献編集

  • 牧英夫『世界地名ルーツ辞典』1989/12

脚注編集

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  1. ^ Constitution de la VIIe République. (25 novembre 2010) / ニジェール共和国憲法(2010年改正版)”. 2017年9月5日閲覧。
  2. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  3. ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p448、朝倉書店 ISBN 4254166621
  4. ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p450、朝倉書店 ISBN 4254166621
  5. ^ ニジェールでクーデター、「民主主義の回復を」 AFPBB News 2010年2月19日閲覧。
  6. ^ ニジェールのクーデターに国際社会の非難強まる、国民はクーデターを歓迎AFPBB News 2010年2月20日
  7. ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/niger/data.html 「ニジェール基礎データ」日本国外務省 平成30年2月5日 2018年11月14日閲覧
  8. ^ 「ニジェール 独立50年の全体像」p18 小倉信雄・久保環著 東京図書出版 2013年5月23日初版発行
  9. ^ 「ニジェール 独立50年の全体像」p17 小倉信雄・久保環著 東京図書出版 2013年5月23日初版発行
  10. ^ 「ニジェール 独立50年の全体像」p16 小倉信雄・久保環著 東京図書出版 2013年5月23日初版発行
  11. ^ 「ニジェール 独立50年の全体像」p16 小倉信雄・久保環著 東京図書出版 2013年5月23日初版発行
  12. ^ http://databank.worldbank.org/data/download/GNI.pdf
  13. ^ http://databank.worldbank.org/data/download/GNIPC.pdf
  14. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p299 二宮書店 平成28年1月10日発行
  15. ^ 「西アフリカ・サヘル地域における農耕民の暮らしと砂漠化問題」p221-222 大山修一(「朝倉世界地理講座 アフリカⅠ」初版所収)、2007年4月10日 朝倉書店
  16. ^ 「各国別 世界の現勢Ⅰ」(岩波講座 現代 別巻Ⅰ)p344 1964年9月14日第1刷 岩波書店
  17. ^ 「ニジェール 独立50年の全体像」p184 小倉信雄・久保環著 東京図書出版 2013年5月23日初版発行
  18. ^ 「ニジェール 独立50年の全体像」p184 小倉信雄・久保環著 東京図書出版 2013年5月23日初版発行
  19. ^ 「西アフリカ・サヘル地域における農耕民の暮らしと砂漠化問題」p221-222 大山修一(「朝倉世界地理講座 アフリカⅠ」初版所収)、2007年4月10日 朝倉書店
  20. ^ 「ニジェール 独立50年の全体像」p184 小倉信雄・久保環著 東京図書出版 2013年5月23日初版発行
  21. ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p452、朝倉書店 ISBN 4254166621
  22. ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p452、朝倉書店 ISBN 4254166621
  23. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p300 二宮書店 平成28年1月10日発行
  24. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p300 二宮書店 平成28年1月10日発行
  25. ^ 「ニジェール 独立50年の全体像」p143 小倉信雄・久保環著 東京図書出版 2013年5月23日初版発行
  26. ^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p446、朝倉書店 ISBN 4254166621
  27. ^ 「ニジェール 独立50年の全体像」p143 小倉信雄・久保環著 東京図書出版 2013年5月23日初版発行
  28. ^ 「世界の鉄道」p337 一般社団法人海外鉄道技術協力協会著 ダイヤモンド・ビッグ社 2015年10月2日初版発行
  29. ^ 「世界の鉄道」p337 一般社団法人海外鉄道技術協力協会著 ダイヤモンド・ビッグ社 2015年10月2日初版発行
  30. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p299 二宮書店 平成28年1月10日発行
  31. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p299 二宮書店 平成28年1月10日発行
  32. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p299 二宮書店 平成28年1月10日発行
  33. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p299 二宮書店 平成28年1月10日発行
  34. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p299 二宮書店 平成28年1月10日発行
  35. ^ 「諸外国・地域の学校情報 ニジェール共和国」日本国外務省 平成29年12月 2018年12月3日閲覧
  36. ^ 「諸外国・地域の学校情報 ニジェール共和国」日本国外務省 平成29年12月 2018年12月3日閲覧
  37. ^ 「ニジェール 独立50年の全体像」p159 小倉信雄・久保環著 東京図書出版 2013年5月23日初版発行
  38. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p299 二宮書店 平成28年1月10日発行

関連項目編集

外部リンク編集