ニジェール

アフリカ西部に位置する国家
ニジェール共和国
République du Niger
ニジェールの国旗 ニジェールの国章
国旗 (国章)
国の標語:Fraternité, Travail, Progrès
(フランス語: 友愛、労働、進歩)
国歌ニジェールの歌
ニジェールの位置
公用語 フランス語[1]
首都 ニアメ
最大の都市 ニアメ
政府
大統領 マハマドゥ・イスフ
首相 ブリジ・ラフィニ英語版
面積
総計 1,267,000km221位
水面積率 極僅か
人口
総計(2013年 16,899,327人(63位
人口密度 13.3人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 2兆3,976億[2]CFAフラン
GDP (MER)
合計(2008年 53億[2]ドル(137位
GDP (PPP)
合計(2008年 101億[2]ドル(132位
1人あたり 738[2]ドル
独立
 - 日付
フランスより
1960年8月3日
通貨 CFAフラン (XOF)
時間帯 UTC (+1)(DST:なし)
ISO 3166-1 NE / NER
ccTLD .ne
国際電話番号 227

ニジェール共和国(ニジェールきょうわこく、フランス語: République du Niger)、通称ニジェールは、西アフリカサハラ砂漠南縁のサヘル地帯に位置する共和制国家首都ニアメ内陸国であり、アルジェリアマリブルキナファソベナンナイジェリアチャドリビアと隣接する。

目次

国名編集

正式名称はフランス語で、République du Niger(レピュブリク・デュ・ニジェール)。通称、Niger。公式の英語表記は、Republic of Niger(リパブリク・オヴ・ナイジャもしくはニージェア)。通称、Niger。日本語の表記は、ニジェール共和国。通称、ニジェール

国名の由来は、国内を流れるニジェール川より。ニジェール川の語源は、遊牧民トゥアレグ族により、この川がニエジーレン(n'egiren)「川」、またはエジーレン(egiren)「川」と呼ばれていたことによる。これがフランス人に伝えられ、ラテン語で「黒」を意味するニジェール(niger)と転訛した。

ニジェール (Niger) とナイジェリア(Nigeria) は本来は同じ地域を指しているが、旧宗主国を異にする両地域が別々に独立した際に、現在のように別の国を指すこととなった。

歴史編集

 
フランス要塞から写した旧首都ザンデール1906年

ソンガイ帝国編集

9世紀頃、ニジェール川流域にソンガイ帝国が興った。早くから北アフリカとの交易があり、イスラム化が進んでいた。13世紀にハウサ人ハウサ諸王国が都市国家群を建設した。14世紀にはマリ帝国の地方領となった。 16世紀前半にはソンガイ帝国に支配されたが、世紀末には帝国がモロッコに敗れ、崩壊した。

フランス植民地時代編集

19世紀末には、イギリスとフランスが進出し、1898年両国の協定によってフランス20世紀までに全土を領有(フランス領西アフリカ)。フランスはジェルマ人英語版を優遇し、最大民族のハウサ人などを支配させる政策を採った。1900年にはen:Sultanate of Agadez1449年-1900年)も併合された。1916年トゥアレグ族の貴族Kaocen Ag Mohammedアガデスで蜂起した(en:Kaocen Revolt)。翌年、反乱はフランス軍に鎮圧された。1922年フランス領西アフリカの一部に再編された。1926年、ハウサ人が多数派のザンデールからジェルマ人が多いニアメに行政機能が移され、遷都した。

独立・ディオリ政権編集

1958年自治国となり、1960年8月3日共和国として独立し、初代大統領にはアマニ・ディオリが就任した。 独立によってトゥアレグ族居住地は、マリ共和国アルジェリア・ニジェールに分割されて抗議の声が高まり、さらに冷戦下で重要性の高まっていたアガデス州アーリットアクータ鉱山から産出するウランの軍事的重要性などの複合的な要因から、トゥアレグ抵抗運動 (1962年-1964年)英語版 が勃発した。産出するウランの一部は、フランスに輸出され、そこで濃縮されたものが日本に持ち込まれている。

軍政期(最高軍事評議会)編集

1974年4月、陸軍セイニ・クンチェ参謀長がクーデターで軍事政権「最高軍事評議会」を樹立し、同評議会の議長に就任。憲法は停止され、議会政党活動も中止。1987年11月にはクンチェが死亡し、アリー・セブが後継者となった。

セブ政権編集

1989年9月の国民投票で新憲法が承認され、12月の選挙でアリー・セブ大統領が選出され、形式的に民政移管。1990年、中央政府の資源独占に不満を持つトゥアレグ族トゥーブゥー族英語版の反政府勢力との間でトゥアレグ抵抗運動 (1990年-1995年)英語版 が勃発。

ウスマン政権編集

11月複数政党制を導入。12月に新憲法を国民投票で承認。1993年2月の議会選で6党の連合体「変革勢力同盟」が、軍事政権時代の与党社会発展国民運動(MNSD)に大差で勝利。3月の大統領選では民主社会会議(CDS)のマハマヌ・ウスマン党首が当選。4月にマハマドゥ・イスフが首相に就任。

1995年1月の総選挙では MNSD などの野党連合が勝利し、2月にハマ・アマドゥ英語版MNSD書記長が首相就任。4月、自治を求めるトゥアレグ族およびトゥーブゥー族英語版反政府勢力と和平合意。

軍政期(救国委員会)編集

1996年1月、軍のクーデターでイブライム・バレ・マイナサラ陸軍参謀長を議長とする「救国委員会」が軍事政権を樹立。

マイナサラ政権編集

7月の大統領選でマイナサラ議長がウスマン前大統領をやぶり当選。12月マイナサラ大統領は救国委員会を解散、アマドゥ・シセ英語版前経済相を首相に任命したが、1997年11月には野党との対立やストライキ問題を解決できないとして解任、イブライム・ハッサン・マヤキ英語版外相を新首相に。

軍政期(国家和解評議会)編集

1999年4月、再び軍がクーデターを起こし、大統領警護隊がニアメの空港でマイナサラ大統領を銃殺した。そして警護隊隊長のダオダ・マラム・ワンケ少佐を議長とする軍事政権「国家和解評議会」が実権を掌握。議会を解散し、憲法を停止した。軍事政権による憲法草案の是非を問う国民投票が7月行われ、約90%の支持で承認された。新憲法は大統領と首相の権力分担を規定。

ママドゥ政権編集

10月の大統領選で軍の元幹部で MNSD党員のタンジャ・ママドゥが当選した。ママドゥ大統領は12月、MNSD書記長のハマ・アマドゥ英語版元首相を首相に任命した。

2000年3月、マハマドゥ・イスフ元首相が率いるニジェール民主社会主義党(PNDS)を中心とした野党勢力が「民主勢力連合」(CFD) を結成。6月 MNSD など大統領支持勢力が議会多数派の「民主勢力同盟」(AFD) を結成した。2001年2月、大学への政府補助金50%以上削減に抗議した学生が各地でデモ、警官隊と衝突。政府はアブドゥ・ムムニ大学英語版(旧ニアメ大学)を閉鎖。4月マイナサラ大統領銃殺事件の捜査を求める支持者ら数千人が首都でデモ。2002年7月、賃金や待遇に抗議した軍兵士が南東部のディファで反乱を起こし、ラジオ局を占拠。政府は同月のうちに、ディファに非常事態宣言を発令した。反乱は8月にはニアメにも拡大したが、政府軍が鎮圧。200人以上の兵士が逮捕された。

ニジェール川レテ島英語版の帰属問題をめぐり、ベナン国境紛争を抱える。2000年5月、島に建設中のベナン政府施設をニジェール軍が破壊。6月に双方が会談したが決裂し、アフリカ統一機構(OAU、現アフリカ連合)などに仲裁を要請し2001年6月、両国は結論を国際司法裁判所(ICJ)の判断にゆだねることで合意した。

2004年末の大雨でサバクトビバッタが発生した結果(「サバクトビバッタの大量発生英語版2003年 - 2005年)」、「2003-2005年の蝗害」)、マラディタウアティラベリザンデールで「ニジェール食料危機 (2005年-2006年)英語版」が起こった(サヘル旱魃英語版を参照)。2007年にはトゥアレグ抵抗運動 (2007年-2009年)英語版 が勃発した。

ママドゥ大統領は2009年8月4日に新憲法制定に関する国民投票を行うと表明した。憲法裁判所は違法な決定と判断したが、ママドゥは憲法裁判所を解散させ、投票を強行する構えを見せた[:en]。この国民投票は予定通り実施され、新憲法は採択された。これにより、2012年の新憲法施行までの3年間、ママドゥが現行憲法のもとで引き続き政権を率いることになり、更に現行憲法に存在した3選禁止規定が新憲法では削除されたことで、2012年以降もママドゥが大統領職に留まり続ける可能性が出てきた。

軍政期(民主主義復興最高評議会)編集

2010年2月、ママドゥ大統領が3期目を目指し任期延長を強行しようとしたことから、国内の緊張が悪化。2月18日、再び軍がクーデターを起こし、軍が大統領と閣僚を拘束。国軍高官が憲法の停止を宣言し、「民主主義復興最高評議会(Supreme Council for the Restoration of Democracy、CSRD)」による軍事政権の樹立を宣言し、憲法の停止と政府の解散の宣言、国境の閉鎖、夜間外出の禁止を発令した[3]。このクーデターに対し国際社会は批判を強めているが、一方で数千人の市民が軍の兵舎の周囲に集まり「軍万歳」などと叫びながら軍事政権への支持を示すなど国民はクーデターを歓迎しているという[4]サル・ジボが暫定国家元首に就任した。

イスフ政権編集

2011年4月7日、選挙による新大統領にマハマドゥ・イスフが選ばれた。

政治編集

ニジェールは共和制半大統領制をとる立憲国家で、現行憲法1999年7月18日に制定されたもの。2009年8月4日に新憲法に関する国民投票が実施され、賛成多数で承認されたことにより2012年に半大統領制から完全な大統領制へと移行することが決まっていたが、2010年クーデターにより今後の展望は不透明である。

元首編集

国家元首である大統領国民の直接選挙により選出され、任期は5年。3選禁止の規定があったが、2009年の新憲法承認により再選制限は撤廃された。

行政編集

首相および閣僚は大統領により任命される。

立法編集

立法府は一院制で、正式名称は「国民議会」。定数は113議席で、議員は国民の直接選挙により選出される。113議席のうち105議席は民族や地域に関係なく政党名簿比例代表制度により、残り8議席は小選挙区制により少数民族から選出される。議員の任期は5年である。5%以上の投票が得られない政党には議席は配分されない。

ニジェールは複数政党制が機能しており、中でも中道右派社会発展国民運動(MNSD)、左派ニジェール民主社会主義党、そして中道民主社会会議(CDS)の3党が有力である。

司法編集

軍事編集

選抜徴兵制。兵役は2年。陸軍5,200人、空軍100人、憲兵隊1,400人、共和国警備隊2,500人、国家警察隊1,500人。2002年の国防予算は3,300万ドル。

地方行政区分編集

 
ニジェールの地方行政区分

ニジェールは7つの州 (région) と1つの首都特別区 (capital district) から構成されている。

主要都市編集

主要な都市はニアメ(首都)、ザンデールマラディがある。

地理編集

 
地形図

国土の3分の2を砂漠が占め、北部は乾燥している。南部はステップ気候 (BS) に属し、6月~10月が雨季に当たり多湿。農耕は南部に限られるものの、南部全域がサヘル地帯に属しており、近年砂漠化が激しい。最高地点は中央部のイドゥカル・ン・タジェ山 (別称バグザン山、標高2022m) で、最低地点はニジェール川の標高200mである。

経済編集

 
首都ニアメ

農業畜産業鉱業が主産業。世界最貧国の1つでもある。

農業は自給農業が中心で、南部に限られる。降雨量は少なく灌漑も発達しておらず、水源も乏しいため、ほとんどは天水農業である。そのため降雨量に収量は大きく左右され、しばしば旱魃が起こる。

鉱業の主力であるウランは確認できるだけで世界第3位の埋蔵量を誇っている。アクータ鉱山など、日本にもゆかりのある鉱山があり、ウラン関連産業が全雇用の約20%を占める。

1997年の旱魃で国民の4分の1が飢餓の危機に陥った。さらにウラン価格の低下、度重なる政情不安による海外援助の途絶により、1999年末には国家経済が事実上の破産状態に陥った。しかし、2000年12月に国際通貨基金 (IMF) などは貧困削減対策として、ニジェール政府が背負う8億9,000万ドル債務免除を発表し、7,600万ドルの融資を決定するなど明るい兆しも見えてきている。

国民総所得:77億ドル[5](1人当たり370ドル[6]、2016年)

通貨CFAフラン

国民編集

 
ニジェールの子供たち

民族編集

ハウサ族55 - 60%、ジェルマ英語版-ソンガイ族20 - 24%、カヌリ族英語版フラニ族約10%、トゥアレグ族8 - 10%、トゥーブゥー族英語版ディファ・アラブ族英語版グルマ族英語版などの黒人

言語編集

フランス語公用語だが、ハウサ語ジェルマ語フラニ語などの各民族語が主流。

宗教編集

イスラームが80%。他にアニミズムキリスト教も。

教育編集

文化編集

世界遺産編集

祝祭日編集

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 Jour de l'An
4月24日 コンコードの日
5月1日 メーデー
8月3日 独立記念日 Fête de l'Indépendance
12月18日 共和国の日 Jour de la République
12月25日 クリスマス Noël

参考文献編集

  • 牧英夫『世界地名ルーツ辞典』1989/12

脚注編集

関連項目編集

外部リンク編集