(ちん)は、漢姓の一つ。中国台湾韓国ベトナムマレーシアシンガポール日本などのアジア全域に分布する。

ベトナムの姓の割合
  Trần(11%)
中国語
中国語 チェン
繁体字
簡体字
発音記号
標準中国語
漢語拼音Chén
国語ローマ字Chen
注音符号ㄔㄣˊ
呉語
上海語ローマ字Zen1
粤語
粤拼Can4
閩南語
閩南語白話字Tân
朝鮮語
ハングル
漢字
英語Jin, Chin, Jean, Gin, Zhin, Chen
発音記号
RR式Jin
ベトナム語
ベトナム語チャン
クオック・グーTrần
チュノム

中華圏

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(チェン、タン)は、中華圏の姓の一つ。2020年の第7回中華人民共和国全国人口調査中国語版国勢調査)に基づく姓氏統計によると中国の5番目に多い姓であり、6370.58万人がいる[1][2]。他の姓との混同を避けるために、「耳に東の陳」と呼ぶことが多い。河南省周辺を発祥とする。

ただし、現代では福建省広東省などの華南の沿海部及び台湾島に多く、北方では相対的に少ない[3]。特に台湾では人口の11%(2018年統計では第1位、2,627,995人)、香港でも人口の1割以上、シンガポールでは華人の10%近くを占める大きな姓である[4][5][6]

起源

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  • 嬀姓陳氏
    • 司馬遷の『史記』などの史書は、西周時代の侯国の公族の本姓は嬀(女偏に爲)で、の後裔から出たものであると記録している。陳の発祥は、紀元前1127年、西周の武王の末裔であった陶器匠・嬀を冊立して(胡公)、陳(現在の淮陽)の土地を与えたことから始まる。陳は周の王室が任命した諸侯国ではあったが、周りの強国に圧迫されたため、領土と勢力は建国初期から滅亡時期まで成長することが出来なかった。紀元前478年に陳が滅亡すると、その末裔たちは強国によって四分五裂され、改姓して数多の家門を建てて分家した。その中には陳の公子陳完の末裔が称し、田斉を建国した田氏も出た。同時に嬀姓を中心の家門が成立したのはこの時のことである。そんな中で、亡国になった母国の名を姓とした人たちがあり、その末裔たちが現在の陳氏である。現在、陳国の正統家流として公認されている家門は、舜以後の系譜が確実に残っている潁川陳氏中国語版一族だけである。

著名な氏族

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アルファベット表記

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中国系の姓を持つ者がパスポートを取得したり、英語圏などのアルファベット使用国に住む際には、必ずしも普通話の発音ではなく、本人(またはその祖先)の出身地における方言に基づいたアルファベット表記が用いられる。陳氏の場合、例えば北京語を話す地域の出身者は「Chen」、福建語を話す地域の出身者は「Tan」と表記される。

著名な人物

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台湾の人物
香港の人物
その他
架空の人物
  • 陳希真 - 『蕩寇志』の主人公。
  • 陳希義 - 『蕩寇志』の人物、陳希真の弟。
  • 陳麗卿 - 『蕩寇志』の人物、陳希真の娘。

朝鮮

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(チン、朝鮮語: )は、朝鮮の姓の一つ。2015年の韓国の調査によると、157,599人がいる[7]

著名な人物

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氏族

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驪陽陳氏北宋右尹を歴任し、の侵略から逃れるため高麗に帰化した陳琇(陳莠)を祖とし、その曾孫の陳寵厚は、仁宗の外戚李資謙の叛乱を討伐した功で現在の洪城である驪陽の地、驪陽君の爵位を受けて、大将軍を歴任した。

広東陳氏本貫たる広東は現在の広州であり、万暦朝鮮戦争の時水軍の主将として参戦した陳璘を始祖としている。明の滅亡以後、明の再興運動に参加した長男が、運動が失敗した直後朝鮮に帰化して定着したのが広東陳氏の発祥とされている。

百済の有力貴族にも陳氏がいた。百済の陳氏は、後漢末期の混乱期に中国から百済に移住した中国系の一族であった。唐の時代に百済が滅亡すると、末裔の陳法子は再び唐の洛陽に移住した[8][9][10][11][12][13]

氏族(本貫) 始祖 人数(2015年)[7] 備考
監陂陳氏 9
江南陳氏 8
江陵陳氏 91 강능진씨
江東陳氏 32
江陵陳氏 1,937 강릉진씨
江寧陳氏 7
康津陳氏 6
開城陳氏 15
結城陳氏 32
慶州陳氏 5,149
高霊陳氏 16
固城陳氏 8
高陽陳氏 5
高敞陳氏 21
光陵陳氏 7 광능진씨
広東陳氏 陳璘 2,397
光陵陳氏 12 광릉진씨
光山陳氏 27
光陽陳氏 13
広州陳氏 52
亀城陳氏 6
岐陽陳氏 22
吉川陳氏 23
金海陳氏 119
羅州陳氏 4,167 나주진씨
洛陽陳氏 28
南陽陳氏 66
南原陳氏 442
南平陳氏 15
南海陳氏 81
盧陽陳氏 10
緑楊陳氏 29
綾城陳氏 7
綾州陳氏 23
多陽陳氏 12
丹城陳氏 10
丹陽陳氏 9
達城陳氏 32
潭陽陳氏 26
大邱陳氏 49
大田陳氏 7
東萊陳氏 6
羅州陳氏 20 라주진씨
礪山陳氏 6 려산진씨
驪陽陳氏 陳寵厚 662 려양진씨
驪州陳氏 11 려주진씨
驪興陳氏 6 려흥진씨
礼陽陳氏 17 례양진씨
梨陽陳氏 8 리양진씨
臨陂陳氏 10 림피진씨
麻陽陳氏 19
密陽陳氏 217
博川陳氏 6
培陽陳氏 54
福州陳氏 16
扶余陳氏 56
富川陳氏 8
朔寧陳氏 56
三宝陳氏 59
三涉陳氏 489
三陟陳氏 10,252
三清陳氏 8
三和陳氏 6
上陽陳氏 17
瑞興陳氏 5
宣寧陳氏 5
善山陳氏 28
宣陽陳氏 13
城南陳氏 11
星州陳氏 75
昭陽陳氏 6
水原陳氏 9
順興陳氏 57
承光陳氏 19
昇陽陳氏 13
神光陳氏 1,071
新昌陳氏 8
安東陳氏 12
安山陳氏 11
安城陳氏 13
安養陳氏 7
冶城陳氏 15
冶陽陳氏 15
陽女陳氏 17 양녀진씨
陽徳陳氏 8
梁山陳氏 陳普才 1,042
陽善陳氏 7
襄陽陳氏 586
陽女陳氏 11 양여진씨
楊州陳氏 27
漁陽陳氏 16
彦陽陳氏 221
驪得陳氏 15
驪梁陳氏 33
礪山陳氏 353 여산진씨
驪安陳氏 8
驪陽陳氏 陳寵厚 110,403 여양진씨
驪州陳氏 1,626 여주진씨
驪津陳氏 51
麗川陳氏 42
驪興陳氏 876 여흥진씨
駅陽陳氏 14
連山陳氏 41
延安陳氏 109
延陽陳氏 102
延日陳氏 65
延豊陳氏 22
永寧陳氏 18
影島陳氏 11
霊山陳氏 26
永安陳氏 11
霊岩陳氏 66
英陽陳氏 2,769
寧越陳氏 15
迎日陳氏 18
永春陳氏 10
寧海陳氏 30
永興陳氏 86
礼山陳氏 15
礼安陳氏 253
礼陽陳氏 1,075 예양진시
礼場陳氏 14
醴泉陳氏 66
五橋陳氏 7
烏川陳氏 5
温陽陳氏 12
遼陽陳氏 17
龍宮陳氏 6
蔚山陳氏 15
元山陳氏 9
原州陳氏 8
月城陳氏 152
渭陽陳氏 46
恩陽陳氏 20
宜寧陳氏 98
義城陳氏 23
義安陳氏 12
宜陽陳氏 174
義興陳氏 6
耳東陳氏 6
梨陽陳氏 19 이양진씨
益陽陳氏 6
仁陽陳氏 25
仁川陳氏 24
仁陂陳氏 9
任実陳氏 56
臨坡陳氏 132
臨陂陳氏 141 임피진씨
長谷陳氏 6
長水陳氏 8
長興陳氏 5
全州陳氏 76
済州陳氏 20
竹山陳氏 34
竹淵陳氏 18
枝陽陳氏 21
珍山陳氏 1,096
晋陽陳氏 38
晋州陳氏 695
鎮川陳氏 20
鎮海陳氏 81
昌原陳氏 18
天安陳氏 18
青山陳氏 18
青松陳氏 62
清州陳氏 141
清津陳氏 7
清風陳氏 20
草渓陳氏 100
春川陳氏 29
忠州陳氏 126
治炉陳氏 8 치노진씨
治炉陳氏 17 치로진씨
治城陳氏 19
漆原陳氏 9
耽津陳氏 6
土城陳氏 97
平康陳氏 48
平山陳氏 29
平壌陳氏 6
平昌陳氏 10
平沢陳氏 20
平海陳氏 6
豊基陳氏 197
豊徳陳氏 28
豊壌陳氏 33
豊州陳氏 7
豊川陳氏 12
河東陳氏 9
漢陽陳氏 137
咸安陳氏 17
海南陳氏 36
海州陳氏 56
幸州陳氏 12
洪城陳氏 29
洪州陳氏 2,310
洪川陳氏 282
横城陳氏 9
興徳陳氏 515
興陽陳氏 64
興州陳氏 22
興海陳氏 27

ベトナム

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(チャン、ベトナム語: Trần)は、ベトナムの姓の一つ。ベトナム語のラテン文字表記(クオック・グー)にそのまま従う形で「トラン」と転記されたり、読まれたりすることがある。

13世紀初頭、陳嗣慶陳守度ら陳氏(福建もしくは桂林からの移民)の一族は李朝で実権を握り、陳太宗陳朝を開いた。

著名な人物

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脚注

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  1. ^ 中国信息报 2022年11月11日 2版 - “百家姓”规模及其占全国总人数比重” (中国語). 中国信息报 (2022年11月11日). 2023年2月11日閲覧。
  2. ^ “百家姓”人口占全国人口比重达84.55%” (中国語). 中国信息报 (2022年11月11日). 2023年2月11日閲覧。
  3. ^ 呂利丹、段成栄. “大姓区域分布研究”. 全国公民身分証号碼査詢服務中心. 2022年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月18日閲覧。
  4. ^ 全國姓名統計分析”. 中華民国内政部. p. 280 (2018年10月). 2023年1月18日閲覧。
  5. ^ 香港姓氏排名前100位 香港十大姓氏都是什麼 香港姓氏長期以來都缺少具_2022TOP10排行榜網”. top10bikeguide.com.tw. 2022年7月6日閲覧。
  6. ^ 新加坡十大姓氏排名 新加坡姓氏排名前100位” (中国語). www.shicheng.news (2019年6月17日). 2022年7月6日閲覧。
  7. ^ a b KOSIS”. kosis.kr. 2022年11月26日閲覧。
  8. ^ 정동준. “진법자 묘지명 (陳法子 墓誌銘)”. 国史編纂委員会. オリジナルの2022年11月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20221123085400/https://db.history.go.kr/id/gskh_008_0010_0080_0030 
  9. ^ 조범환 (2015年4月). “중국인 유이민의 백제 귀화와 정착 과정에 대한 검토-「陳法子墓誌銘」을 중심으로-”. 한국고대사탐구 vol., no.19 (한국고대사탐구학회). doi:10.35160/sjekh.2015.04.19.7 
  10. ^ 정재윤『중국계 백제관료에 대한 고찰』高麗大学歴史研究所〈史叢 77〉、2012年9月、22頁。doi:10.16957/sa..77.201209.1 
  11. ^ 전덕재 (2017年7月). “한국 고대사회 外來人의 존재양태와 사회적 역할” (PDF). 東洋學 第68輯 (檀國大學東洋學硏究院): p. 110. オリジナルの2022年4月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220423195439/https://cms.dankook.ac.kr/web/-oriental/-23?p_p_id=Bbs_WAR_bbsportlet&p_p_lifecycle=2&p_p_state=normal&p_p_mode=view&p_p_cacheability=cacheLevelPage&p_p_col_id=column-2&p_p_col_count=1&_Bbs_WAR_bbsportlet_extFileId=99960 
  12. ^ 노중국 (2005年). “5世紀의 韓日關係史 : 《宋書》 倭國傳의 檢討” (PDF). 한일역사 공동연구보고서 (한일역사공동연구위원회): p. 228. オリジナルの2021年11月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211127012931/https://www.jkcf.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2019/11/1-04k.pdf 
  13. ^ 이성제. “5호16국·남북조 상쟁기 이주민과 고구려·백제”. 国史編纂委員会. オリジナルの2022年11月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20221123050319/http://contents.nahf.or.kr/id/NAHF.edeah.d_0002_0010_0040 

関連項目

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