メインメニューを開く

高橋 源一郎(たかはし げんいちろう、1951年1月1日 - )は、日本小説家文学者文芸評論家明治学院大学教授

高橋 源一郎
(たかはし げんいちろう)
誕生 (1951-01-01) 1951年1月1日(67歳)
日本の旗 日本広島県尾道市
職業 小説家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴

横浜国立大学経済学部除籍[1]

[注 1]
活動期間 1982年 -
ジャンル 小説翻訳文芸評論
文学活動 ポストモダン文学
代表作さようなら、ギャングたち』(1981年)
優雅で感傷的な日本野球』(1988年)
日本文学盛衰史』(2001年)
ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』(2005年)
『さよならクリストファー・ロビン』(2012年)
主な受賞歴 群像新人長編小説賞優秀作(1981年)
三島由紀夫賞(1988年)
伊藤整文学賞(2002年)
谷崎潤一郎賞(2012年)
デビュー作 『さようなら、ギャングたち』(1981年)
配偶者 あり
三人目谷川直子(離婚)
四人目室井佑月(離婚)、他3名の計5人
子供 橋本麻里(長女)
男児4人
Portal.svg ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

散文詩的な文体で言語を異化し、教養的なハイカルチャーからマンガテレビといった大衆文化までを幅広く引用した、パロディパスティーシュを駆使する前衛的な作風。日本のポストモダン文学を代表する作家の一人である。

目次

経歴編集

生い立ち、大学紛争編集

広島県尾道市の母の実家に生まれる。1歳まで大阪の帝塚山の父の実家にておもに祖母の手で育てられた[2]尾道市立土堂小学校在学時に自転車屋が廃業。また父の経営していた鉄工所が倒産。

1959年、東京の大泉学園に移り住む。練馬区立大泉東小学校に入学するも、尾道に戻り土堂小学校に転校し直す[3]

1960年、東京の千歳船橋に移り住む。世田谷区立船橋小学校に転校。

1963年4月、麻布中学校に入学。

1964年1月、灘中学校に転入。このころ鮎川信夫谷川雁鈴木志郎康等の現代詩を読み、感銘を受ける。同級生の竹信悦夫から多大な影響を受けた[注 2]

1966年4月、灘高校に入学。高校時代より無党派のデモに参加[注 3]

1969年、東京大学を受験する予定だったが、東大入試の中止により京都大学を受験して失敗、二期校である横浜国立大学経済学部に入学した。しかし大学紛争中のストライキでほとんど授業が行われず、活動家として街頭デモなどに参加する日々を送る[6]。同年11月、学生運動に加わって凶器準備集合罪で逮捕される。

1970年2月、起訴され8月まで東京拘置所で過ごす[3][7]。その体験が原因で一種の失語症となり、書くことや読むことが思うようにいかなくなる[8]

1972年夏、土木作業のアルバイトを始め、鉄工所や化学工場、土建会社などの肉体労働に10年ほど従事する日々を送る。

1977年3月、大学を除籍になる。除籍になった頃にハイセイコー弥生賞を偶然テレビで見たことで競馬にハマる[1][9]

小説家に編集

1979年1月8日放送の「松山千春オールナイトニッポン」(ゲスト:中島みゆきさだまさし)に触発され、文章を書くことを再開する[注 4]

1980年、『すばらしい日本の戦争』を第24回群像新人文学賞に応募し翌1981年、最終候補作3編のうちの1作に選ばれるが落選。『群像』6月号に掲載された選評では、瀬戸内寂聴を除く全選考委員から酷評される。このときに担当した編集者に勧められて長編小説の執筆を開始し、『さようなら、ギャングたち』を第4回群像新人長編小説賞へ応募。この年、本賞受賞作はなく、優秀作に選ばれて1981年12月号に掲載され、『海燕』1982年3月号において吉本隆明から高評価を受け、1982年10月に講談社より刊行された。

1984年8月、『虹の彼方に(オーヴァー・ザ・レインボウ)』を中央公論社より刊行。

1985年1月、『すばらしい日本の戦争』に手を加えた『ジョン・レノン対火星人』を角川書店より刊行し、『さようなら、ギャングたち』と合わせて初期三部作とする。

1986年、山川直人監督の映画『ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け』の原案を担当。

1987年、ジェイ・マキナニーの『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』を翻訳、ベストセラーとなった。

1988年、『優雅で感傷的な日本野球』により第1回三島由紀夫賞を受賞[注 5]

1990年の『惑星P-13の秘密』以降は1997年の『ゴーストバスターズ』まで小説の発表がなく、エッセイ、時評などを中心に執筆した。

1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人中上健次津島佑子田中康夫らと共に『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表した。

1997年より『群像』に『日本文学盛衰史』の連載を開始し、2001年5月に刊行。翌年伊藤整文学賞小説部門を受賞した(同年の評論部門は三浦雅士が『青春の終焉』(2001年9月)にて受賞している)[注 6]

2001年12月、『批評空間』第3期第2号にすが秀実『「帝国」の文学―戦争と「大逆」の間』(以文叢書、2001年7月)の書評「『大逆』と明治」を発表。翌2002年1月に『批評空間』のWebサイト『Web CRITIQUE』上で高橋の書評に対するすがの批判、高橋の応答、すがの再応答が掲載されることとなった[12]

『日本文学盛衰史』以降は朝日新聞の夕刊に連載していた『官能小説家』(朝日新聞社、2002年1月)、『すばる』にて連載していた「ミヤザワケンジ全集」をまとめた『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』(集英社、2005年4月)など文学者を題材にした小説を多く発表している

2005年には親交のある批評家加藤典洋から「言語表現法」講義の担当を受け渡される形で、明治学院大学国際学部教授に就任した。

2008年、小林多喜二の『蟹工船』が再脚光を浴びたのは、同年1月9日に毎日新聞東京本社版の朝刊文化面に掲載された、高橋と雨宮処凛との対談がきっかけになったといわれる[13][14]

2011年4月から2016年3月まで、朝日新聞論説面に『論壇時評』を月一回、月末に連載。

2012年、『さよならクリストファー・ロビン』(新潮社、2012年4月)により第48回谷崎潤一郎賞を受賞。

2018年7月現在、すばる文学賞群像新人文学賞野間文芸賞中原中也賞萩原朔太郎賞選考委員。また日本テレビ放送番組審議会委員も務める。

競馬評論家として編集

競馬好きとしても知られる。競馬を始めたきっかけは「大学を除籍になった頃にハイセイコー弥生賞を偶然テレビで見たこと」という[1]

1988年には、前述の通り三島賞の賞金を全額日本ダービーに出走するメジロアルダンの馬券に突っ込んで使い果たすが、それが契機となり、同年11月にサンケイスポーツ東京本社版の競馬面で予想コラム「こんなにはずれちゃダメかしら」を連載開始[1]。2016年現在も連載継続中で、実に25年以上に渡る長期連載となっている。同紙が母体の競馬雑誌『週刊Gallop』にも、日本ダービーなどの大レースを中心に時折観戦記を寄せているほか[15][16]、『週刊Gallop』が主催する「Gallopエッセー大賞」でも審査員を務める[17]

1990年代よりテレビの競馬関連の番組にも進出。『スポーツうるぐす』(日本テレビ)では、司会の江川卓と予想対決を繰り広げたほか、『ドリーム競馬 KOKURA』(テレビ西日本制作分)ではゲストとして度々出演。盟友だった佐藤征一アナウンサーが定年の関係もあって番組の表から遠ざかった後は、コメンテーター的司会として毎回出演するようになったが、2007年2月11日の放送を最後に藤城真木子ともども降板した。

ただ、現在では「ファンは柵の向こう側に行ってはだめだ」として、本業の作家業を優先しており、競馬場に行くのは「ダービーと有馬記念の時ぐらい」にまで減っているという[1]

結婚歴編集

4度の離婚歴と5度の結婚歴がある。子どもは5人。1人目の妻との間に儲けた長女はフリーライターの橋本麻里(1972年誕生)。2人目の妻との間に長男(1973年誕生)がいる。3人目の妻 (1985-1999) は谷川直子。しかし女性作家の室井佑月と不倫関係になって谷川とは離婚。その直後に再婚して4人目の妻(1999~2001)となった室井佑月との間には男児(2000年誕生)をもうけたが、高橋の不倫を機に離婚。2015年現在、5人目の妻 (2003- ) との間には男児2人(2004年、2006年誕生)がいる。

エピソード編集

  • 選択的夫婦別姓制度を支持する。妻は高橋を「タカハシさん」と呼ぶ[18]

著書編集

小説編集

随筆・評論など編集

  • 『ぼくがしまうま語をしゃべった頃』(1985年、宝島社)のち新潮文庫
  • 『ジェイムス・ジョイスを読んだ猫』(1987年、講談社)のち文庫
  • 『文学がこんなにわかっていいかしら』(1989年、福武書店)のち文庫
  • 『追憶の一九八九年』(1990年、スイッチ書籍出版部)のち角川文庫
  • 『競馬探偵の憂鬱な月曜日』(1991年、ミデアム出版社)
  • 『文学じゃないかもしれない症候群』(1992年 朝日新聞社)のち文庫
  • 『競馬探偵のいちばん熱い日』(1993年、ミデアム出版社)
  • 『文学王』(1993年、ブロンズ新社)のち角川文庫
  • 『平凡王』(1993年、ブロンズ新社)のち角川文庫
  • 『正義の見方 世の中がこんなにわかっていいかしら』(1994年、徳間書店)
  • 『競馬探偵の逆襲』(1995年、ミデアム出版社)
  • 『これで日本は大丈夫 正義の見方2』(1995年、徳間書店)
  • 『競馬漂流記』(1996年、ミデアム出版社)
  • 『こんな日本でよかったら』(1996年、朝日新聞社)
  • 『タカハシさんの生活と意見』(1996年、東京書籍)
  • 『いざとなりゃ本ぐらい読むわよ』(1997年、朝日新聞社)
  • 『文学なんかこわくない』(1998年、朝日新聞社)のち文庫
  • 『即効ケイバ源一郎の法則 勝者のセオリー・敗者のジンクス』(1998年、青春出版社)
  • 『競馬探偵T氏の事件簿』(1998年、読売新聞社)
  • 『退屈な読書』(1999年、朝日新聞社)
  • 『もっとも危険な読書』(2001年、朝日新聞社)
  • 『一億三千万人のための小説教室』(2002年、岩波新書
  • 『人に言えない習慣、罪深い愉しみ - 読書中毒者の懺悔』(2003年、朝日文庫)
  • 『私生活』(2004年、集英社インターナショナル)
  • 『読むそばから忘れていっても 1983-2004マンガ、ゲーム、ときどき小説』(2005年、平凡社)
  • 『ニッポンの小説 - 百年の孤独』(2007年、文藝春秋)のちちくま文庫
  • 『おじさんは白馬に乗って』(2008年、講談社)
  • 『大人にはわからない日本文学史』(ことばのために)(2009年、岩波書店)
  • 『13日間で「名文」を書けるようになる方法』(2009年、朝日新聞出版)のち文庫 
  • 『さよなら、ニッポン ニッポンの小説2』(2011年、文藝春秋)
  • 『「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について』(2012年、河出書房新社)ISBN 4309020925
  • 『非常時のことば 震災の後で』(2012年、朝日新聞出版)
  • 『国民のコトバ』(2013年、毎日新聞社)
  • 『ぼくらの文章教室』(2013年、朝日新聞出版)
  • 『101年目の孤独――希望の場所を求めて』(2013年、岩波書店)
  • 『還暦からの電脳事始(デジタルことはじめ)』(2014年、毎日新聞社)
  • 『「あの戦争」から「この戦争」へ ニッポンの小説3』(2014年、文藝春秋)
  • 『デビュー作を書くための超「小説」教室』(2015年、河出書房新社)
  • 『ぼくらの民主主義なんだぜ』(2015年、朝日新書 朝日新聞連載「論壇時評」の担当開始から2015年3月分までをまとめたもの)
  • 『丘の上のバカ―ぼくらの民主主義なんだぜ2』(2016年、朝日新書 「論壇時評」の2015年4月分から2016年3月の完結分までをまとめ、更に表題作他を追加したもの)

共編著編集

詩など編集

  • 『泳ぐ人』(操上和美写真、1984年、冬樹社)
  • 『朝、起きて、君には言うことが何もないなら Tokio feminites』(英隆写真、1986年、講談社)
  • 網浜直子写真集 ラヴレター(山岸伸撮影、1994年、風雅書房)

翻訳編集

  • ジェイ・マキナニー『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』(1987年、新潮社)のち文庫
  • 『ロンメル進軍 - リチャード・ブローティガン詩集』1991年、思潮社)
  • マーカス・フィスター『こっちをむいてよ、ピート!』(1995年、講談社「世界の絵本」)
  • ジョン・ロウ『あかちゃんカラスはうたったよ』(1996年、講談社「世界の絵本」)
  • マーカス・フィスター『ピートとうさんとティムぼうや』(1996年、講談社「世界の絵本」)
  • ラドヤード・キプリング文、ジョン・ロウ絵『アルマジロがアルマジロになったわけ』(1998年、講談社「世界の絵本」)
  • ジョン・ロウ『まっくろスマッジ』(2000年、講談社「世界の絵本」)

メディア出演編集

映画編集

テレビ編集

ラジオ編集

CM編集

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 「ぼくらの民主主義なんだぜ」では“中退”と変更して出版
  2. ^ 内田樹との対談で高橋は次のように語る。「中高6年間で、年間100本単位で映画を観ていたけど、ベストムーヴィーは『アラビアのロレンス』と『気狂いピエロ』。そこは竹信も僕も同じだったかもしれない。(中略) 僕が唯一、竹信が泣いているのをみたのは、『気狂いピエロ』の初映の1回目で隣に座って観たときですね」[4]
  3. ^ 1968年9月2日、大阪府立市岡高校で日本で最初の高校生による学校占拠が行われた。灘高校の生徒も多数参加したが、その中に高橋も含まれていた[5]
  4. ^ 半年かけて書いたその小説は600枚におよび、『夏の最後の砦』というタイトルで群像新人長編小説賞に応募するも落選した。「書きたいことを書いても駄目だ」ということに気づき、同性愛者を登場人物とした小説を書いてすばる文学賞に応募するもこれも落選する[10][11]
  5. ^ 高橋、小林恭二佐伯一麦島田雅彦松浦理英子山田詠美吉本ばなな井口時男中沢新一朝吹亮二岩森道子高瀬千図という候補総勢12人、小説・評論・詩歌の三方にわたる大混戦となったなか、選考委員の大江健三郎江藤淳の2票を獲得して受賞した。この時の賞金100万円は全額、日本ダービーにつぎ込み、一瞬にして使い果たした(高橋が買っていたメジロアルダンは、ゴール直前にいったん先頭に立つも一度競り勝ったはずのサクラチヨノオーの粘り腰に再度逆転を許し、2着に終わっている)。
  6. ^ 近代文学が成立していく過程での明治期の文学者たちの苦悩を、テレフォンクラブやアダルトビデオといった現代風俗のなかに再現した本作は賛否がかまびすしく、同賞の受賞は津島佑子の強い推薦によるものである。

出典編集

  1. ^ a b c d e 競馬人間交差点・第8回 古井由吉&高橋源一郎 - JRA
  2. ^ 高橋源一郎 『さようなら、ギャングたち』 講談社文芸文庫、1997年、363頁(自筆年譜)。
  3. ^ a b 現代詩手帖特集版 高橋源一郎』思潮社、2003年10月25日、高橋源一郎年譜。
  4. ^ 竹信悦夫 『ワンコイン悦楽堂』情報センター出版局、2005年12月、巻末対談、422頁。
  5. ^ 竹信悦夫 『ワンコイン悦楽堂』前掲書、406頁。
  6. ^ 高橋源一郎 『さようなら、ギャングたち』 講談社文芸文庫、1997年、365頁(自筆年譜)
  7. ^ 論壇時評2014年7月31日付、『ぼくらの民主主義なんだぜ』207ページ「現実はもっと複雑で豊かだ」
  8. ^ 高橋『ぼくがしまうま語をしゃべった頃』 宝島社、1985年、32-36頁
  9. ^ 高橋『ぼくらの民主主義なんだぜ』奥付では中退に経歴を書き換え
  10. ^ 高橋源一郎×東京ファイティングキッズ×「果たして文学は何処へ行くのか」(全巻セット) | ラジオデイズ
  11. ^ 『ラジオの街で逢いましょう』 第23回「人気作家のユニークな遍歴」(2007年9月5日放送)
  12. ^ スガ秀実. “高橋源一郎〈「大逆」と明治〉へ/スガ秀実”. www.kojinkaratani.com. 2018年7月8日閲覧。
  13. ^ プロレタリア文学:名作『蟹工船』異例の売れ行き 毎日新聞2008年12月1日
  14. ^ 週刊現代2008年6月7日号 48頁-49頁
  15. ^ 2大特集「ダービー超ワイド速報&安田記念展望」 - サンケイスポーツ・2015年5月31日
  16. ^ 「ダービー超ワイド速報&安田記念展望」2大特集 - サンケイスポーツ・2014年6月3日
  17. ^ 「第12回Gallopエッセー大賞」募集中! - サンケイスポーツ・2016年1月4日
  18. ^ 結婚後、夫の姓が我慢できず=回答者・高橋源一郎、毎日新聞、2017年10月16日。

外部リンク編集