1961年ドイツグランプリ (1961 German Grand Prix) は、1961年のF1世界選手権第6戦として、1961年8月6日ニュルブルクリンクで開催された。

西ドイツ 1961年ドイツグランプリ
レース詳細
1961年F1世界選手権全8戦の第6戦
ニュルブルクリンク北コース(1927-1967)
ニュルブルクリンク北コース(1927-1967)
日程 1961年8月6日
正式名称 XXIII Grosser Preis von Deutschland
開催地 ニュルブルクリンク
西ドイツの旗 西ドイツ ニュルブルク
コース 恒久的レース施設
コース長 22.810 km (14.173 mi)
レース距離 15周 342.150 km (212.602 mi)
決勝日天候 雨(ウエット)
ポールポジション
ドライバー フェラーリ
タイム 8.55.2
ファステストラップ
ドライバー アメリカ合衆国の旗 フィル・ヒル フェラーリ
タイム 8.57.8 (10周目)
決勝順位
優勝 ロータス-クライマックス
2位 フェラーリ
3位 フェラーリ

23回目のドイツグランプリとなる本レースには、21回目の「ヨーロッパグランプリ」の冠がかけられた[1]1950年から始まったF1世界選手権の通算100戦目のレースでもある。本レースは15周・342kmで行われた。

レース概要 編集

 
ロータス・18/21を駆るスターリング・モスが優勝した。

前年のドイツGPはF2によりニュルブルクリンク南コースで開催されたため、F1世界選手権としての開催は1959年以来2年ぶりで、ニュルブルクリンク北コースでのドイツGP開催は1958年以来3年ぶりである。

本レースはプライベーターのロブ・ウォーカー・レーシングチームからロータス・18/21をドライブしたスターリング・モスが優勝した。モスは2列目からのスタートだったが、全周回でラップリーダーとなった。リアエンジンのマシンがドイツGPで優勝したのは、1936年英語版ベルント・ローゼマイヤー(アウトウニオン・タイプC)以来2回目[2]である。翌1962年の開幕前に行われた非選手権レースのグローヴァー・トロフィー(グッドウッド・サーキット)で瀕死の重傷を負い引退したモスにとってこれが最後の優勝・表彰台・入賞・完走で、フェラーリヴォルフガング・フォン・トリップスフィル・ヒルに次ぐドライバーズランキング3位に浮上した。ドライバーズチャンピオン争いは2戦を残してフォン・トリップスとフィル・ヒルの2人に絞られた。

ジャック・ブラバムクーパーは、コヴェントリー・クライマックスが新たに投入したFWMVエンジン(V型8気筒)が搭載されたT58を使用して予選で2位となり、決勝でも1コーナーでトップに立ったが、1周もしないうちにスロットルが固まり、降り始めた雨に足をすくわれクラッシュしてしまった[3]。5週間後の次戦イタリアGPで亡くなるフォン・トリップスにとっては最後の母国レースとなったが2位でフィニッシュした。フィル・ヒルは予選で初めて9分を切る8分55秒2でポールポジションを獲得し、決勝でも初めて9分を切る8分57秒8でファステストラップを記録したが3位に終わった。4位以下の入賞は全てイギリスのチームで、チーム・ロータスジム・クラーク(ロータス・21)が4位、ヨーマン・クレジット・レーシングジョン・サーティース(クーパー・T53)が5位、クーパー・ワークスブルース・マクラーレン(クーパー・T55)が6位となった。

決勝に出走した26台中17台がフィニッシュしたが、ベルナール・コロンブ(クーパー・T53)は規定周回数の75%を下回ったため、順位が付いたのはコロンブを除く16台である。

エントリーリスト 編集

チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン
  クーパー・カー・カンパニー 1   ジャック・ブラバム クーパー T58
T55 1
クライマックス FWMV 1.5L V8
クライマックス FPF 1.5L L4 1
2   ブルース・マクラーレン T55 クライマックス FPF 1.5L L4
  スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 3   ヴォルフガング・フォン・トリップス フェラーリ 156 フェラーリ Tipo178 1.5L V6
4   フィル・ヒル
5   リッチー・ギンサー
6   ウィリー・メレス
  R.R.C. ウォーカー・レーシングチーム 7   スターリング・モス ロータス 18/21 クライマックス FPF 1.5L L4
  ポルシェ・システム・エンジニアリング 8   ヨアキム・ボニエ ポルシェ 718 ポルシェ 547/3 1.5L F4
9   ダン・ガーニー
11   ハンス・ヘルマン
  ポルシェ KG 10   エドガー・バース 2 ポルシェ 787 ポルシェ 547/3 1.5L F4
  カモラーディ・インターナショナル 12   マステン・グレゴリー 3 クーパー T53 クライマックス FPF 1.5L L4
30   イアン・バージェス
  チーム・ロータス 14   ジム・クラーク ロータス 21 クライマックス FPF 1.5L L4
15   イネス・アイルランド
  オーウェン・レーシング・オーガニゼーション 16   トニー・ブルックス BRM P48/57 クライマックス FPF 1.5L L4
17   グラハム・ヒル
  ヨーマン・クレジット・レーシングチーム 18   ジョン・サーティース クーパー T53 クライマックス FPF 1.5L L4
19   ロイ・サルヴァドーリ
  スクーデリア・セレニッシマ 20   モーリス・トランティニアン クーパー T51 マセラティ 6-1500 1.5L L4
21   ジョルジオ・スカルラッティ 3 デ・トマソ F1 アルファロメオ ジュリエッタ 1.5L L4
  スクーデリア・コロニア 25   ミハエル・マイ ロータス 18 クライマックス FPF 1.5L L4
26   ヴォルフガング・ザイデル
  ジェリー・アシュモア 27   ジェリー・アシュモア ロータス 18 クライマックス FPF 1.5L L4
  H&L モータース 28   ジャッキー・ルイス クーパー T53 クライマックス FPF 1.5L L4
  ペーター・モンテヴェルディ 29   ペーター・モンテヴェルディ[4] 3 MBM FJ ポルシェ 547/3 1.5L F4
  エキュリー・マールスベルゲン 31   カレル・ゴダン・ド・ボーフォール ポルシェ 718 ポルシェ 547/3 1.5L F4
  スクーデリア・セントロ・スッド 32   ロレンツォ・バンディーニ クーパー T53 マセラティ 6-1500 1.5L L4
  ルィーズ・ブライデン=ブラウン 33   トニー・マグス ロータス 18 クライマックス FPF 1.5L L4
  ペスカーラ・レーシングチーム 34   レナート・ピロッキ 3 クーパー T45 マセラティ 6-1500 1.5L L4
  フレッド・トラック・カーズ 35   ジェフ・デューク 3 クーパー T45 クライマックス FPF 1.5L L4
  トニー・マーシュ 37   トニー・マーシュ ロータス 18 クライマックス FPF 1.5L L4
  ベルナール・コロンブ 38   ベルナール・コロンブ クーパー T53 クライマックス FPF 1.5L L4
  ジョン・キャンベル=ジョーンズ 39   ジョン・キャンベル=ジョーンズ 3 クーパー T51 クライマックス FPF 1.5L L4
ソース:[5]
追記
  • タイヤは全車ダンロップ
  • ^1 - T58とT55の2台をエントリーしたが、T58のみ使用した。
  • ^2 - ポルシェはバースのみ787でエントリーしたが、遅すぎたため出場しなかった。
  • ^3 - エントリーしたが出場せず。

結果 編集

予選 編集

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 4   フィル・ヒル フェラーリ 08:55.2 1
2 1   ジャック・ブラバム クーパー-クライマックス 09:01.4 + 6.2 2
3 7   スターリング・モス ロータス-クライマックス 09:01.7 + 6.5 3
4 8   ヨアキム・ボニエ ポルシェ 09:04.8 + 9.6 4
5 3   ヴォルフガング・フォン・トリップス フェラーリ 09:05.5 + 10.3 5
6 17   グラハム・ヒル BRM-クライマックス 09:06.4 + 11.2 6
7 9   ダン・ガーニー ポルシェ 09:06.6 + 11.4 7
8 14   ジム・クラーク ロータス-クライマックス 09:08.1 + 12.9 8
9 16   トニー・ブルックス BRM-クライマックス 09:09.3 + 14.1 9
10 18   ジョン・サーティース クーパー-クライマックス 09:11.2 + 16.0 10
11 11   ハンス・ヘルマン ポルシェ 09:12.7 + 17.5 11
12 2   ブルース・マクラーレン クーパー-クライマックス 09:13.0 + 17.8 12
13 6   ウィリー・メレス フェラーリ 09:15.9 + 20.7 13
14 5   リッチー・ギンサー フェラーリ 09:16.6 + 21.4 14
15 19   ロイ・サルヴァドーリ クーパー-クライマックス 09:22.0 + 26.8 15
16 15   イネス・アイルランド ロータス-クライマックス 09:22.9 + 27.7 16
17 31   カレル・ゴダン・ド・ボーフォール ポルシェ 09:28.4 + 33.2 17
18 28   ジャッキー・ルイス クーパー-クライマックス 09:31.4 + 36.2 18
19 32   ロレンツォ・バンディーニ クーパー-マセラティ 09:35.4 + 40.2 19
20 37   トニー・マーシュ ロータス-クライマックス 09:37.7 + 42.5 20
21 20   モーリス・トランティニアン クーパー-マセラティ 09:38.5 + 43.3 21
22 33   トニー・マグス ロータス-クライマックス 09:45.5 + 50.3 22
23 26   ヴォルフガング・ザイデル ロータス-クライマックス 09:59.9 + 1:04.7 23
24 30   イアン・バージェス クーパー-クライマックス 10:01.4 + 1:06.2 24
25 27   ジェリー・アシュモア ロータス-クライマックス 10:06.0 + 1:10.8 25
26 38   ベルナール・コロンブ クーパー-クライマックス 10:23.0 + 1:27.8 26
27 25   ミハエル・マイ ロータス-クライマックス 10:37.5 + 1:42.3 DNS 1
ソース:[6]
追記
  • ^1 - マイはアクシデントで負傷したため決勝に出走せず

決勝 編集

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 7   スターリング・モス ロータス-クライマックス 15 2:18:12.4 3 9
2 3   ヴォルフガング・フォン・トリップス フェラーリ 15 + 21.4 5 6
3 4   フィル・ヒル フェラーリ 15 + 22.5 1 4
4 14   ジム・クラーク ロータス-クライマックス 15 + 1:17.1 8 3
5 18   ジョン・サーティース クーパー-クライマックス 15 + 1:53.1 10 2
6 2   ブルース・マクラーレン クーパー-クライマックス 15 + 2:41.4 12 1
7 9   ダン・ガーニー ポルシェ 15 + 3:23.1 7
8 5   リッチー・ギンサー フェラーリ 15 + 5:23.1 14
9 28   ジャッキー・ルイス クーパー-クライマックス 15 + 5:23.7 18
10 19   ロイ・サルヴァドーリ クーパー-クライマックス 15 + 12:11.5 15
11 33   トニー・マグス ロータス-クライマックス 14 + 1 Lap 22
12 30   イアン・バージェス クーパー-クライマックス 14 + 1 Lap 24
13 11   ハンス・ヘルマン ポルシェ 14 +1 Lap 11
14 31   カレル・ゴダン・ド・ボーフォール ポルシェ 14 + 1 Lap 17
15 37   トニー・マーシュ ロータス-クライマックス 13 + 2 Laps 20
16 27   ジェリー・アシュモア ロータス-クライマックス 13 + 2 Laps 25
Ret 6   ウィリー・メレス フェラーリ 13 アクシデント 13
Ret 20   モーリス・トランティニアン クーパー-マセラティ 12 エンジン 21
NC 38   ベルナール・コロンブ クーパー-クライマックス 11 周回数不足 26
Ret 32   ロレンツォ・バンディーニ クーパー-マセラティ 10 エンジン 19
Ret 16   トニー・ブルックス BRM-クライマックス 6 エンジン 9
Ret 8   ヨアキム・ボニエ ポルシェ 5 エンジン 4
Ret 26   ヴォルフガング・ザイデル ロータス-クライマックス 3 ハンドリング 23
Ret 17   グラハム・ヒル BRM-クライマックス 1 アクシデント 6
Ret 15   イネス・アイルランド ロータス-クライマックス 1 出火 16
Ret 1   ジャック・ブラバム クーパー-クライマックス 0 アクシデント 2
DNS 25   ミハエル・マイ ロータス-クライマックス 予選でアクシデント
ソース:[7]
ラップリーダー

第6戦終了時点のランキング 編集

  • : トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。

脚注 編集

  1. ^ 当時は毎年各国の持ち回りにより、その年の最も権威のあるレースに対して「ヨーロッパGP」の冠がかけられていた。
  2. ^ F2で開催された前年(1960年)のドイツGPで優勝したヨアキム・ボニエ(ポルシェ・718)を含めると3回目。
  3. ^ (林信次 1997, p. 22)
  4. ^ 1967年に設立された高級車メーカーのモンテヴェルディの創業者で、1990年にはF1で資金難に喘いでいたオニクス・グランプリを買収してオーナーに就任し、チーム名を「モンテヴェルディ・オニクス」と変更したが、同年途中で撤退した。
  5. ^ Germany 1961 - Race entrants”. statsf1.com. 2018年4月8日閲覧。
  6. ^ Germany 1961 - Qualifications”. statsf1.com. 2018年4月8日閲覧。
  7. ^ 1961 German Grand Prix”. formula1.com. 2014年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月20日閲覧。

参照文献 編集

  • 林信次『F1全史 1961-1965』ニューズ出版、1997年。ISBN 4-938495-09-0 

外部リンク 編集

前戦
1961年イギリスグランプリ
FIA F1世界選手権
1961年シーズン
次戦
1961年イタリアグランプリ
前回開催
1959年ドイツグランプリ
  ドイツグランプリ 次回開催
1962年ドイツグランプリ
前回開催
1960年イタリアグランプリ
  ヨーロッパグランプリ
(冠大会時代)
次回開催
1962年オランダグランプリ