1967年ドイツグランプリ (1967 German Grand Prix) は、1967年のF1世界選手権第7戦として、1967年8月6日ニュルブルクリンクで開催された。

西ドイツ 1967年ドイツグランプリ
レース詳細
1967年F1世界選手権全11戦の第7戦
ニュルブルクリンク北コース (1967–1972)
ニュルブルクリンク北コース (1967–1972)
日程 1967年8月6日
正式名称 XXIX Großer Preis von Deutschland
開催地 ニュルブルクリンク
西ドイツの旗 西ドイツ ニュルブルク
コース 恒久的レース施設
コース長 22.835 km (14.189 mi)
レース距離 15周 342.525 km (212.835 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)
ポールポジション
ドライバー ロータス-フォード
タイム 8:04.1
ファステストラップ
ドライバー アメリカ合衆国の旗 ダン・ガーニー イーグル-ウェスレイク
タイム 8:15.1 (6周目)
決勝順位
優勝 ブラバム-レプコ
2位 ブラバム-レプコ
3位 フェラーリ

F2マシンとの混走が実施された[注 1]レースは15周で行われ、ブラバムデニス・ハルムが2番手グリッドから優勝、チームメイトのジャック・ブラバムが2位、フェラーリクリス・エイモンが3位となった。

ピットレーンへの進入速度を抑制するため、ホーエンラインシケインがスタート&フィニッシュラインの前に追加され、コースの全長が25m伸びた。しかし、マシンは1年以上かけてかなり熟成されたのは明らかだったので、コースレイアウトの変更はラップタイムにほとんど影響を与えなかった[1]

レース概要 編集

 
BRMのテクニカルディレクターを務めるトニー・ラッド英語版。パドックにて

エントリー 編集

本レースには16台のF1マシンの他、前年に引き続き10台のF2マシンが参加した。F2部門で参加するのは9台(ピンク地で表記)で、マトラを使用するジャッキー・イクスジョー・シュレッサーロータスを使用するジャッキー・オリバー[注 2]ブラバムを使用するアラン・リーズ[注 3]ゲルハルト・ミッター、木製合板モノコックがユニークなプロトス英語版を使用するブライアン・ハート[注 4]クルト・アーレンスJr.英語版ローラを使用するデヴィッド・ホッブスブライアン・レッドマンで、ホッブズのみBMW直列4気筒、他のドライバーはフォード・コスワース・FVAエンジン(直列4気筒)を使用する。ヒューベルト・ハーネもF2用のローラ・T100にBMWの2リッター直列4気筒エンジンを搭載したが、F1部門で参加した[2][1]。エントリーの詳細については、後述の#エントリーリストを参照されたい。

予選 編集

ジム・クラークフォード・コスワース・DFVエンジンを搭載したロータス・49ポールポジションを獲得した。平均速度は169.812 km/h (105.516 mph)であった。クラークは2番手のデニス・ハルムブラバム・BT24-レプコ)に10秒近い差を付けた。3番手のイクスはF2のマトラで記録したため、F1部門の17台より後方のグリッドでレースをスタートしなければならなかった。したがって、4-3-4グリッドのフロントローはクラークとハルムの他、ジャッキー・スチュワートBRM・P115)とダン・ガーニーイーグル・T1G-ウェスレイク英語版)が占め、2列目はブルース・マクラーレン(前戦に引き続き2台目のイーグル・T1Gを借用[3])、ジョン・サーティースホンダ・RA273)、ジャック・ブラバム(ブラバム・BT24)が占めた[1]

決勝 編集

本レースはF1の歴史上初めて、ドイツのカラーテレビで中継された。

ポールポジションのクラークが首位をキープしたが、チームメイトのグラハム・ヒルは13番グリッドから芝生の上へ押し出され、F2勢の後方でコースに復帰した。クラークは3周目までハルムとガーニーをリードしていたが、4周目に突然失速してサスペンションが曲がってしまいリタイアした。ヒルは10位まで順位を戻すが、マシントラブルによりリタイアした[1]

ガーニーはハルムを抜いて首位に立ち、マクラーレンがオイルパイプの破損によりリタイアすると、ブラバムが3位に浮上した[1]。イクスは決勝でもF1勢を脅かす走りを見せ[4]、スチュワートの後方で5位を走行していた。スチュワートがトランスミッションのトラブルでリタイアすると、イクスは4位まで順位を上げた。その後間もなくクリス・エイモンフェラーリ)に抜かれ、12周目にフロントサスペンションが壊れてリタイアした。次の周に首位ガーニーがドライブシャフトユニバーサルジョイントが折れてリタイアするとブラバム勢の1-2体制となり、ハルムはチームメイトのブラバムと、同じニュージーランド人のエイモンを従えて優勝した[1]。エイモンは前戦イギリスGP同様ブラバムの後を追ったが、追い抜くまでには至らず3位に甘んじた[5]オセアニア出身のドライバーが表彰台を独占したのはF1世界選手権で初めて(かつ唯一)で、イギリス人ドライバーが1人も表彰台に立てなかったのは1962年モナコGP以来5年ぶりである。イギリス人ドライバーで最上位となったのはサーティースの4位で[6]、重量過多と整備性の問題でRA273に見切りを付け、ローラの協力を得た新車RA300の制作に着手していたホンダにとって[7]、これがRA273の最終レースとなった[6]。F2勢最上位はオリバーの6位だが、入賞圏内であってもポイントの対象とはならないため無得点であり[2]、総合8位だがF1勢で6位だったギ・リジェ[注 5]がF1キャリアで唯一のポイントを獲得した[8]

エントリーリスト 編集

チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
  ブラバム・レーシング・オーガニゼーション 1   ジャック・ブラバム ブラバム BT24 レプコ 740 3.0L V8 G
2   デニス・ハルム
  チーム・ロータス 3   ジム・クラーク ロータス 49 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
4   グラハム・ヒル
24   ジャッキー・オリバー 48 フォードコスワース FVA 1.6L L4
  クーパー・カー・カンパニー 5   ヨッヘン・リント クーパー T86 マセラティ 10/F1 3.0L V12 F
6   ペドロ・ロドリゲス T81
  ホンダ・レーシング 7   ジョン・サーティース ホンダ RA273 ホンダ RA273E 3.0L V12 F
  スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 8   クリス・エイモン フェラーリ 312/67 フェラーリ 242 3.0L V12 F
  アングロ・アメリカン・レーサーズ 9   ダン・ガーニー イーグル T1G ウェスレイク 58 3.0L V12 G
10   ブルース・マクラーレン
  オーウェン・レーシング・オーガニゼーション 11   ジャッキー・スチュワート BRM P115 BRM P75 3.0L H16 G
12   マイク・スペンス P83
  ロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシングチーム 14   ジョー・シフェール クーパー T81 マセラティ 9/F1 3.0L V12 F
  ギ・リジェ 15   ギ・リジェ ブラバム BT20 レプコ 620 3.0L V8 F
  ヨアキム・ボニエ・レーシングチーム 16   ヨアキム・ボニエ クーパー T81 マセラティ 9/F1 3.0L V12 F
  バイエリッシュ・モトーレン・ヴェルケ AG 17   フーベルト・ハーネ ローラ T100 BMW M10 2.0L L4 D
  レグ・パーネル・レーシング 18   クリス・アーウィン BRM P83 BRM P75 3.0L H16 F
  ゲルハルト・ミッター 20   ゲルハルト・ミッター ブラバム BT23 フォードコスワース FVA 1.6L L4 D
  ロイ・ウィンケルマン・レーシング 22   アラン・リース ブラバム BT23 フォードコスワース FVA 1.6L L4 ?
  エキュリー・フォード・フランス 23   ジョー・シュレッサー マトラ MS5 フォードコスワース FVA 1.6L L4 D
  ロン・ハリス・レーシングチーム 25   ブライアン・ハート プロトス F2 フォードコスワース FVA 1.6L L4 F
26   クルト・アーレンス
  ローラ・カーズ 27   デビッド・ホッブズ ローラ T100 BMW M10 2.0L L4 F
28   ブライアン・レッドマン フォードコスワース FVA 1.6L L4
  ティレル・レーシング・オーガニゼーション 29   ジャッキー・イクス マトラ MS7 フォードコスワース FVA 1.6L L4 D
ソース:[9]
追記
  • ピンク地F2参加者

結果 編集

予選 編集

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 3   ジム・クラーク ロータス-フォード 8:04.1 - 1
2 2   デニス・ハルム ブラバム-レプコ 8:13.5 +9.4 2
3 29   ジャッキー・イクス マトラ-フォード 8:14.0 +9.9 18
4 11   ジャッキー・スチュワート BRM 8:15.2 +11.1 3
5 9   ダン・ガーニー イーグル-ウェスレイク 8:17.7 +13.6 4
6 10   ブルース・マクラーレン イーグル-ウェスレイク 8:17.7 +13.6 5
7 7   ジョン・サーティース ホンダ 8:18.2 +14.1 6
8 1   ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 8:18.9 +14.8 7
9 8   クリス・エイモン フェラーリ 8:20.4 +16.3 8
10 5   ヨッヘン・リント クーパー-マセラティ 8:20.9 +16.8 9
11 6   ペドロ・ロドリゲス クーパー-マセラティ 8:22.2 +18.1 10
12 12   マイク・スペンス BRM 8:26.5 +22.4 11
13 14   ジョー・シフェール クーパー-マセラティ 8:31.4 +27.3 12
14 4   グラハム・ヒル ロータス-フォード 8:31.7 +27.6 13
15 17   フーベルト・ハーネ ローラ-BMW 8:32.8 +28.7 14
16 24   ジャッキー・オリバー ロータス-フォード 8:37.9 +33.8 19
17 22   アラン・リース ブラバム-フォード 8:39.8 +35.7 20
18 23   ジョー・シュレッサー マトラ-フォード 8:40.6 +36.5 21
19 18   クリス・アーウィン BRM 8:41.6 +37.5 15
20 27   デビッド・ホッブズ ローラ-BMW 8:46.2 +42.1 22
21 16   ヨアキム・ボニエ クーパー-マセラティ 8:47.8 +43.7 16
22 26   クルト・アーレンス プロトス-フォード 8:47.8 +43.7 23
23 15   ギ・リジェ ブラバム-レプコ 8:47.8 +43.7 17
24 20   ゲルハルト・ミッター ブラバム-フォード 8:52.6 +48.5 24
25 25   ブライアン・ハート プロトス-フォード 8:59.7 +55.6 25
26 28   ブライアン・レッドマン ローラ-フォード No Time - 26
ソース:[10][11]
追記
  • ピンク地F2参加者
  • F2参加者は、F1マシンより後方のグリッド(18番グリッド以下)で決勝をスタートする

決勝 編集

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 2   デニス・ハルム ブラバム-レプコ 15 2:05:55.7 2 9
2 1   ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 15 +38.5 7 6
3 8   クリス・エイモン フェラーリ 15 +39.0 8 4
4 7   ジョン・サーティース ホンダ 15 +2:25.7 6 3
5 24   ジャッキー・オリバー ロータス-フォード 15 +5:30.7 19 0 1
6 16   ヨアキム・ボニエ クーパー-マセラティ 15 +8:42.1 16 2
7 22   アラン・リース ブラバム-フォード 15 +8:47.9 20
8 15   ギ・リジェ ブラバム-レプコ 14 +1 Lap 17 1 2
9 18   クリス・アーウィン BRM 13 +2 Laps 15
10 27   デビッド・ホッブズ ローラ-BMW 13 +2 Laps 22
11 6   ペドロ・ロドリゲス クーパー-マセラティ 13 +2 Laps 10
Ret 9   ダン・ガーニー イーグル-ウェスレイク 12 ハーフシャフト 4
Ret 29   ジャッキー・イクス マトラ-フォード 12 サスペンション 18
NC 25   ブライアン・ハート プロトス-フォード 12 規定周回数不足 25
Ret 14   ジョー・シフェール クーパー-マセラティ 12 燃料ポンプ 12
Ret 4   グラハム・ヒル ロータス-フォード 8 サスペンション 13
Ret 17   フーベルト・ハーネ ローラ-BMW 6 サスペンション 14
Ret 11   ジャッキー・スチュワート BRM 5 ディファレンシャル 3
Ret 3   ジム・クラーク ロータス-フォード 4 サスペンション 1
Ret 5   ヨッヘン・リント クーパー-マセラティ 4 ラジエーター 9
Ret 26   クルト・アーレンス プロトス-フォード 4 ラジエーター 23
Ret 10   ブルース・マクラーレン イーグル-ウェスレイク 3 オイル漏れ 5
Ret 12   マイク・スペンス BRM 3 ディファレンシャル 11
Ret 23   ジョー・シュレッサー マトラ-フォード 2 エンジン 21
Ret 20   ゲルハルト・ミッター ブラバム-フォード 0 エンジン 24
DNS 28   ブライアン・レッドマン ローラ-フォード ホッブズにマシンを譲る 26
ソース:[12][13][14]
ファステストラップ[15]
ラップリーダー[16]
追記
  • ピンク地F2参加者
  • ^1 - オリバーは5位でフィニッシュしたが、F2部門で参加したため得点対象外[2]
  • ^2 - リジェは8位でフィニッシュしたが、F1部門で6位だったため1点が与えられた[2]

第7戦終了時点のランキング 編集

  • : トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半5戦のうちベスト4戦がカウントされる。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ ドイツGPでは1969年までしばしばF2との混走が行われた。
  2. ^ 後のアロウズの共同創設者の一人。ドライバーとしてル・マン24時間レースを制し、Can-Amで王者となった。
  3. ^ 後のマーチの共同創設者で、オリバー同様シャドウを離れてアロウズを創設した。
  4. ^ 後にF1及びF2用エンジンのチューニングや製造を行うブライアン・ハート社を設立した。
  5. ^ 後にリジェの創設者となる。

出典 編集

  1. ^ a b c d e f Grand Prix results: German GP, 1967”. grandprix.com. 2015年9月26日閲覧。
  2. ^ a b c d (林信次 1995, p. 51)
  3. ^ (林信次 1995, p. 50-51)
  4. ^ (林信次 1995, p. 43)
  5. ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 229)
  6. ^ a b (中村良夫 1998, p. 218)
  7. ^ (中村良夫 1998, p. 216-217)
  8. ^ ギ・リジェが85歳で死去(1930-2015)”. CLASSIC & SPORTS CAR (2015年9月2日). 2019年6月17日閲覧。
  9. ^ Germany 1967 - Race entrants”. STATS F1. 2019年6月18日閲覧。
  10. ^ Germany 1967 - Qualifications”. STATS F1. 2019年6月17日閲覧。
  11. ^ Germany 1967 - Starting grid”. STATS F1. 2019年6月17日閲覧。
  12. ^ 1967 German Grand Prix”. Formula1.com. 2014年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月26日閲覧。
  13. ^ Formula One, German 1967 Race Results”. crash.net. 2015年9月26日閲覧。
  14. ^ Results 1967 Formula 1 Grand Prix of Germany”. F1 Fansite. 2015年9月26日閲覧。
  15. ^ Germany 1967 - Best laps”. STATS F1. 2019年6月17日閲覧。
  16. ^ Germany 1967 - Laps led”. STATS F1. 2019年6月17日閲覧。
  17. ^ a b Germany 1967 - Championship”. STATS F1. 2019年3月18日閲覧。

参照文献 編集

  • en:1967 German Grand Prix(2019年3月18日 12:43:06(UTC))より翻訳
  • 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6 
  • アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2 
  • 中村良夫『F-1グランプリ ホンダF-1と共に 1963-1968 (愛蔵版)』三樹書房、1998年。ISBN 4-89522-233-0 

外部リンク 編集

前戦
1967年イギリスグランプリ
FIA F1世界選手権
1967年シーズン
次戦
1967年カナダグランプリ
前回開催
1966年ドイツグランプリ
  ドイツグランプリ 次回開催
1968年ドイツグランプリ