イエロー・サブマリン (曲)

ビートルズ > ビートルズの曲名一覧 > イエロー・サブマリン (曲)
ビートルズ > ビートルズの作品 > イエロー・サブマリン (曲)

イエロー・サブマリン」 (Yellow Submarine) は、ビートルズの楽曲である。レノン=マッカートニーの作品だが、リード・ボーカルリンゴ・スターで、ビートルズのイギリスでのシングル曲で唯一スターがリード・ボーカルを務めた楽曲である。1966年8月に「エリナー・リグビー」との両A面シングルとして発売され、シングルと同日に発売された7作目のオリジナル・アルバム『リボルバー』にも収録された。シングルは、全英シングルチャートで4週連続1位を獲得し、13週にわたってチャートインした。1966年にシングルA面曲の中で最も高い販売数を記録した楽曲としてアイヴァー・ノヴェロ賞を受賞した。

イエロー・サブマリン
ビートルズシングル
初出アルバム『リボルバー
A面 エリナー・リグビー(両A面)
リリース
規格 7インチシングル
録音
ジャンル
時間
レーベル
作詞・作曲 レノン=マッカートニー
プロデュース ジョージ・マーティン
ゴールドディスク
後述を参照
チャート最高順位
後述を参照
ビートルズ シングル U.K. 年表
ビートルズ シングル U.S. 年表
ビートルズ シングル 日本 年表
リボルバー 収録曲
ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア
(A-5)
イエロー・サブマリン
(A-6)
シー・セッド・シー・セッド
(A-7)
イエロー・サブマリン 収録曲
イエロー・サブマリン
(A-1)
オンリー・ア・ノーザン・ソング
(A-2)
ミュージックビデオ
「Yellow Submarine」 - YouTube
テンプレートを表示

1968年には、本作を題材としたアニメ映画『イエロー・サブマリン』が公開され、翌年に発売された同名のサウンドトラック盤にも収録された。なお、映画のエンディングおよびサウンドトラック盤の最終トラックにはジョージ・マーティンによって編曲されたオーケストラ・バージョン「イエロー・サブマリン・イン・ペパーランド」が収録された。

子供向けのナンセンスな曲として作られたが、発表当時はさまざまな社会的な解釈を受け[5]、一部では「薬物についての曲ではないか?」という憶測まで飛んだ。

背景編集

1966年5月、NME誌の記者からビートルズのアルバムへのシンガーとしての参加について質問をされたスターは、「イエロー・サブマリン」を引っ提げて「ジョンとポールは僕のために書いてくれたようだけど、もし僕がしくじってしまったら、他の人のLPからカントリー・アンド・ウエスタンの曲を探さなくちゃならない」と答えた[6]。1967年3月のインタビューで、ジョン・レノンとポール・マッカートニーは、それぞれが取り組んでいた2つの異なる楽曲を組み合わせて完成させたと語っている[7]

1966年にマッカートニーは、「楽しい歌さ。それがすべて。僕らは子供向けの歌を書こうとしていた。歌詞についてそれ以上の意味なんてない」と語っている[8]。なお、ドノヴァンは"Sky of blue and sea of green"というフレーズを加えたとされており[9]、1980年のPLAYBOY誌のインタビューで、レノンは「『イエロー・サブマリン』は、ポールの子供だよ。僕も手伝ったけど、ドノヴァンも歌詞を手伝ってくれた。みんなでスタジオに集まって作ったんだけど、ほとんどポールの思いつきさ。リンゴのために書いた曲だよ」と語っている[10]

1994年にマッカートニーは、曲の制作過程について「ジェーン・アッシャーの家の屋根裏部屋のベッドで横たわって、うとうとしていたらこの子供向けの曲が思いついた。そこでリンゴが歌ったらいいんじゃないかと考えたから、ボーカルはあまり音程の動きがないものにした。頭の中に旋律を思い浮かべて、年老いた船乗りが若者たちに海での生活を語るというストーリーがひらめいた。ジョンにも手伝ってもらったよ。歌詞はだんだん曖昧なものになっていったけど、コーラスとメロディーは僕が書いた」と語っている[11]

レコーディング編集

1966年5月編集

「イエロー・サブマリン」のレコーディングは、アルバム『リボルバー』のレコ―ディン・セッションの開始から8週目に行なわれた[12]。1966年5月26日にEMIスタジオのスタジオ2で本作のセッションが行なわれたが、プロデューサーのジョージ・マーティンは体調不良により欠席していた[13]。同日のセッションの大半はリハーサルに費やされた[14]。リズム・トラックは、スターがドラムス、レノンがアコースティック・ギター、マッカートニーがベースジョージ・ハリスンタンバリンという編成で4テイク録音された[14]。リズム・トラックは完成バージョンよりも速いテンポで録音され、キーはG♭メジャーとなっていた[15]

テイク4のリダクション・ミックスを行なった後、スターのリード・ボーカルを録音し、レノン、マッカートニー、ハリスンの3人でコーラスを歌った[16]。ボーカル・パートは、テープの回転速度を変えて[17]、半音低いキーで録音された[15]。その後、新たにリダクション・ミックスを行ない[13]、効果音のオーバー・ダビング用の空きトラックを作成した[18]

1966年6月編集

6月1日[9]にマーティンは、『ザ・グーン・ショー』などのコメディ・レコードのプロデュースを担当した経験を生かし、航海の雰囲気を醸し出すため効果音を加えた[19]。2回目のセッションでは、スタジオの物置から効果音のために鎖、号鐘、タップダンス用のマット、ホイッスル、汽笛、水の入ったブリキなどが持ち出された。これらの音は、1973年にピンク・フロイドが発表した「マネー」で聴けるそれと同じである[20]。レノンは、ストローで水の入ったブリキに泡を立てた音を提供し、マッカートニーと共にレコーディング・ルームの外から叫ぶ事で船長が命令する声を作り出した。さらにスタジオのスタッフ2名は、水の入ったブリキの中で鎖をかき回した音を提供している[9]

この日のセッションでは、ローリング・ストーンズブライアン・ジョーンズ、ハリスンの当時の妻であるパティ・ボイドマリアンヌ・フェイスフル、ロードマネージャーのマル・エヴァンズニール・アスピノール[21]、バンドの運転手であるアルフ・ビックネル[22]らがスタジオに招かれ[23]、スタジオのスタッフと共に、エンディング部分のコーラスを歌った[18]。このセクションにおいてエヴァンズは、マーチングバスドラムも演奏した[24]

カットされたイントロ編集

当初、本作の冒頭にはスターによるナレーションや、ハリスン、マッカートニー、レノンによる会話が含まれていた。スターによって語られる物語は、レノンによって書かれたもので[25]、レコーディングにはかなりの時間が費やされたが、6月3日のセッションでこの部分はカットされることとなった[9]。この語りを含めたバージョンは[26]、1996年に発売されたシングル『リアル・ラヴ』に収録された[27][28]

リリース編集

ビートルズは従来の方針を破棄し、アルバム収録曲をイギリスでのシングル盤として発売することを決めた[29][30]。シングル『イエロー・サブマリン』は、イギリスでビートルズの13作目のシングルとして発売され、スターがリード・ボーカルを務めた初の作品となった[31]。イギリスでは1966年8月5日に「エリナー・リグビー」との両A面シングルとして、アメリカでは8月8日に発売され[32]、いずれもオリジナル・アルバム『リボルバー』との同時発売となっている[33][34]。シングル盤は、ビートルズが一切楽器演奏に携わらないバラードノベルティ・ソングという組み合わせという、従来のシングルとは内容が大きく異なっていた[35][36]。なお、1965年以降に発売されたシングルでは珍しく、いずれの楽曲もプロモーション・フィルムは制作されていない[37]

7月30日に発行されたメロディー・メイカー英語版誌の報道によると、ビートルズが従来の方針を破棄して『リボルバー』収録曲からシングル・カットした理由は、「エリナー・リグビー」のカバー・バージョンの販売を妨害することが目的だったとのこと[38]。その理由について質問されたハリスンは、「何十人もの他のアーティストがこの曲でヒットを飛ばしているのを見ているのではなく、バンドが『発売する』ことを決めたんだ」と答えている[39]

8月のニュー・ミュージカル・エクスプレス誌のインタビューで、マーティンは「この曲をアルバムとは別に何らかの形で発売したいとは考えていたが、通常ビートルズが同じ曲を2回発売することをあまり快く思っていないことを理解しなければいけなかった。世間を騙しているのではないかと…。しかし、よく考えてみると、ファンが騙されているわけではないことに気がついた。ほとんどのアルバムは12曲しか収録されていないが、ビートルズはいつも14曲収録されているじゃないか!」と語っている[40]

2018年7月6日にアニメ映画『イエロー・サブマリン』上映50周年を記念し、7インチ・アナログ盤で限定復刻された[41]

チャート・アクション編集

本作のシングル盤は、世界中のシングルチャートで第1位を獲得した。レコード・リテイラー英語版誌のチャート(後の全英シングルチャート)では、両A面シングルとして13週連続でチャートインし、そのうち4週にわたって第1位を獲得した[42]。本作は、ビートルズにとって12作連続でイギリスのチャートで第1位を獲得したシングルとなった[43]。両A面シングルでありながら、「イエロー・サブマリン」は1966年にシングルA面曲の中で最も高い販売数を記録した楽曲としてアイヴァー・ノヴェロ賞を受賞している[7][注釈 1]

アメリカでの本作のシングル盤の発売は、ビートルズの最終ツアーと重なり、キャピトル・レコードから発売されたアルバム『イエスタデイ・アンド・トゥデイ』に使用された「ブッチャー・カバー」に関する論争に加えて[46][47]モーリーン・クリーブ英語版とのインタビューにおけるレノンの「僕たちはキリストより人気がある」という発言により世間を騒がせていた[48][49]。レノンのキリスト発言はシングルとアルバムの発売に影を落とすかたちとなり[50]、ビートルズのレコードなどを焼き払う運動が行われ[51][52]、多くのラジオ局がビートルズの楽曲を流すことを拒否した[53]。また、ビートルズはベトナム戦争への反対を表明していたが、これはアメリカにおけるバンドのパブリック・イメージをさらに再定義するものとなった[54]。キャピトル・レコードは、これらの論争を考慮して「エリナー・リグビー」の宗教的な表現を警戒し、「イエロー・サブマリン」の単独A面として宣伝した。本作は、Billboard Hot 100スプリームスの「恋はあせらず」に次ぐ第2位[55]キャッシュボックス[56]レコード・ワールド英語版誌のチャート[57]で第1位を獲得した。

本作は、1963年以来チャートインを続けてきたBillboard Hot 100で第1位を獲得できなかった初のシングルであり、ジャナサン・グールドはその原因について「キャピトルが最初に『エリナー・リグビー』を見落としていたことによるもの」としている[58]。ビートルズの広報を担当していたトニー・バーロウは、ワシントン・ポスト紙のリロイ・F・アーロンズ英語版に記事の承認を求められた際に、「バンドのニュー・シングルがチャートで低迷している」という記述を除去するように依頼した[59][注釈 2]。作家のロバート・ロドリゲスは、本作がチャートの上位に入らなかった原因として「ラジオの放送禁止」を挙げている[61]。シングル盤は、発売から4週間で120万枚の売上を記録し[61]、9月12日にはアメリカレコード協会からゴールド認定を受けた[62]

解釈編集

 
ウィスコンシン大学マディソン校で行なわれたベトナム戦争反対デモの様子。本作は、アメリカの学生の抗議運動と共鳴した。

「イエロー・サブマリン」は、1960年代に様々な解釈がなされた。音楽ジャーナリストのピーター・ドゲット英語版は、本作について「文化的に空虚な曲であるにもかかわらず、過激的な精神のロールシャッハ・テストのようなものになった」と述べている[63]。本作のコーラスは、学生やスポーツファン、ストライキ中の労働者によってチャントに流用された。その例としてドゲットは1966年後半にバーグレーで行われた学生の抗議活動を挙げていて、そこではデモ参加者が大学当局にヤジを飛ばし、ベトナム戦争に抗議した後、デモの終わり際に本作のコーラスを用いて継続的な決意を表明し、イデオロギーの分裂を強調していた[64][注釈 3]。社会学者で文化評論家のトッド・ギトリン英語版は、本作がバークレーのカウンターカルチャーや新左翼活動を結びつけるアンセムになったと振り返り、その例としてフリー・スピーチ運動英語版のマイケル・ロスマンが本作を「我々の未来への信頼と、我々全員が生活をするのに適した場所への憧れ」を表す曲として[65]採用したことを挙げている[66]

1967年4月15日にサンフランシスコで行われた抗議活動[67]では、黄色い張りぼての潜水艦が群衆の間を通り抜け、タイム誌は「サイケデリック徒の逃避願望の象徴」と解釈した[63]。作家で活動家のリロイ・ジョーンズは、本作をアメリカの白人社会の排他性や現実からの剥離を反映したものと解釈し、「ビートルズが『We all live in a yellow submarine』と歌えるのは、文字どおり彼らやその仲間たち全員が住んでいる場所だからだ」と述べている[63]

ドノヴァンは、「国際的な名声に拘留されたビートルズの苦境を表していて、それに対して彼らは高揚感のある共同体のような歌を歌うことで反抗した」と語っている[68]。1966年11月にアーティストのアラン・オルドリッジ英語版は、ウーマンズ・ミラー誌のビートルズの特集記事に合わせて、「イエロー・サブマリン」と同じく『リボルバー』に収録の3曲のイラストを描いた。オルドリッジが描いたイラストは、潜水艦が大きなブーツのように描かれており、艦長が上から覗き込んでいる。この記事は、年初に行われたモーリーン・クリーヴ英語版によるメンバーへのインタビューをしたもので、表紙にはオルドリッジによる有刺鉄線に捕らえられたビートルズが「HELP!」と叫ぶイラストが使用された[69]

「イエロー・サブマリン」の友情とコミュニティのテーマは、1967年のサマー・オブ・ラブの背景にあるイデオロギーとも共鳴していた[70]。ビートルズの広報を担当していたデレク・テイラー英語版は、本作を「箱舟のようなもの…イエロー・サブマリンは、私たち全員を安全に連れて行ってくれる何らかの船の象徴…善は悪に勝るというメッセージ」と振り返っている[71]

 
ペントバルビタールのカプセル。そのカプセルの色や形から「Yellow submarine」という愛称で呼ばれていた。

本作は、ビートルズの歌詞に意味を見出そうとするファンの間で、ドラッグを表す暗号と見なされていた[72]。「イエロー・サブマリン」は、カウンタカルチャーでバルビツール酸系ネンブタールを宣伝する曲として採用されていて[73]、そのカプセルの色や形から「Yellow submarine」という愛称で呼ばれていた[74]。聴衆の中には、タイトルを「樹脂で汚れたマリファナジョイント」のことを指す言葉であると解釈する者がおり[75][76]、作家のジョージ・ケースは「ドラッグに触発された音楽と歌詞でいっぱいのアルバムの中で『LSDのトリップにおける子供のような共同体的な超現実主義をカプセル化した』曲」と述べている[77]

文化的影響や他のアーティストによるカバー編集

本作は、テレビアニメ『アニメ・ザ・ビートルズ』を手がけたキング・フィーチャーズ・シンジケート英語版が制作し、1968年に公開されたアニメーション映画『イエロー・サブマリン』に影響を与えた[78][79]。本作は映画およびサウンドトラック・アルバムのオープニング・トラックとなっており、エンディングにはマーティンにアレンジを手がけたオーケストラによるリプリーズ[80]「イエロー・サブマリン・イン・ペパーランド」が使用された[81]

 
リバプール・ジョン・レノン空港に設置されたイエロー・サブマリン

1984年にキャメル・レアードの実習生により、「イエロー・サブマリン」と題された長さ51フィート(16m)の金属彫刻が制作され、リバプール国際園芸博覧会で展示された[82]。この彫刻は、博覧会終了後もリヴァプールに設置されていたが、パラダイス・ストリート地区の再開発計画に伴い、2005年にリバプール・ジョン・レノン空港に移転された[83]

2005年のジョージ・W・ブッシュの大統領就任式に対する抗議活動はじめとした、イギリスやアメリカでの政府への抗議活動において、本作が「we all live in a Fascist regime」と歌詞を変えて使用された[84][85][86][87]

本作は、ビートルズ解散後のスターのソロ活動において代表曲の1つとされており[88]、リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドのライブでは定期的に演奏されている。このうち1992年7月13日のモントルー公演でのライブ音源が、翌年に発売されたライブ・アルバム『Ringo Starr and His All Starr Band Volume 2: Live from Montreux』に収録された[83]

日本では1982年にこの曲を基にした「イエロー・サブマリン音頭」が発売された。大滝詠一プロデュースのもと萩原哲晶が編曲を手掛け[89]、歌詞はマッカートニーによる英語の詞を松本隆が日本語に訳しつつ一部で原曲を利用し、女性民謡歌手の金沢明子が歌った[90]。また、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)のチームの中には、同曲のメロディが替え歌チャントとして使われる例が、北海道コンサドーレ札幌ザスパクサツ群馬名古屋グランパス京都サンガFCガンバ大阪ヴィッセル神戸など多く存在する。また、サッカー日本代表選手の中山雅史ジュビロ磐田-札幌ーアスルクラロ沼津)の応援歌としても、クラブと代表の双方で使用されている。

演奏編集

※出典[91][15](特記を除く)

ビートルズ
外部ミュージシャン

チャート成績編集

認定編集

国/地域 認定 認定/売上枚数
アメリカ合衆国 (RIAA)[110] Gold 1,000,000^

*認定のみに基づく売上枚数
^認定のみに基づく出荷枚数

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ 当時のアイヴァー・ノヴェロ賞は、イギリスの音楽業界への貢献のみを対象としていた[44]オフィシャル・チャート・カンパニー英語版は、トム・ジョーンズの『思い出のグリーン・グラス英語版』を1966年にイギリスで最も売れたシングルとして認定している[45]
  2. ^ スティーヴ・ターナー英語版は、「アーロンズが言及したのは、8月中旬にはチャートの下降が当然のようになっていた『ペイパーバック・ライター』か、下降していなかったが、上昇してもいなかった『イエロー・サブマリン』のことだったのではないか」と述べている[60]
  3. ^ 本作が過激派に採用された例として、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの学生による「We all live in a red LSE」、イギリスのストライキ中の労働者による「We all live on bread and margarine」などが挙げられ、Sing Out!誌がベトナム戦争の反対を表明した際には、本作のコーラスをアレンジして「We're all dropping jellied gasoline.」と記していた[63]

出典編集

  1. ^ The Beatles Album Review”. Pitchfork. Condé Nast (2009年9月9日). 2018年10月23日閲覧。
  2. ^ Cohen 2005, p. 335.
  3. ^ The Beatles Revolver Review”. BBC (2007年). 2018年10月23日閲覧。
  4. ^ Case 2010, p. 230: "the jaunty psychedelia of 'Yellow Submarine'".
  5. ^ Doggett 2009, p. 107-108.
  6. ^ Turner 2016, p. 185.
  7. ^ a b Winn 2009, p. 93.
  8. ^ Gilliland, 1969 & show 39, track 2.
  9. ^ a b c d Fontenot, Robert (1999年8月20日). “Yellow Submarine”. About.com. 2018年10月23日閲覧。
  10. ^ Sheff 1981, p. 152.
  11. ^ Evans 2014, p. 238.
  12. ^ Rodriguez 2012, p. 138.
  13. ^ a b Winn 2009, p. 22.
  14. ^ a b Lewisohn 2005, p. 80.
  15. ^ a b c Everett 1999, p. 56-57.
  16. ^ Lewisohn 1999, p. 56.
  17. ^ Reising & LeBlanc 2009, p. 96.
  18. ^ a b Everett 1999, p. 57.
  19. ^ 74 - Yellow Submarine”. 100 Greatest Beatles Songs. Rolling Stone. 2019年4月20日閲覧。
  20. ^ Spitz 2005, p. 612.
  21. ^ a b Lewisohn 2005, p. 81.
  22. ^ a b c Rodriguez 2012, p. 140.
  23. ^ Turner 2016, p. 188.
  24. ^ Winn 2009, p. 22-23.
  25. ^ Rodriguez 2012, p. 141-142.
  26. ^ MacDonald 2005, p. 379-380, 491.
  27. ^ Rodriguez 2012, p. 142.
  28. ^ Everett 1999, p. 57, 327.
  29. ^ Rodriguez 2012, p. 167.
  30. ^ Petridis, Alex (2019年9月26日). “The Beatles' Singles – Ranked!”. The Guardian. https://www.theguardian.com/music/2019/sep/26/the-beatles-singles-ranked 2021年8月22日閲覧。 
  31. ^ Lewisohn 2005, p. 85, 200.
  32. ^ Castleman & Podrazik 1976, p. 55-56.
  33. ^ Spitz 2005, p. 629.
  34. ^ Miles 2001, p. 237, 240.
  35. ^ Schaffner 1978, p. 62.
  36. ^ Unterberger, Richie. Eleanor Rigby - The Beatles | Song Info - オールミュージック. 2021年8月22日閲覧。
  37. ^ Unterberger 2006, p. 318.
  38. ^ Everett 1999, pp. 68, 328.
  39. ^ Rodriguez 2012, p. 168.
  40. ^ Smith, Alan (19 August 1966). “George Martin: Make Them Top Here!”. NME. https://www.rocksbackpages.com/Library/Article/george-martin-make-them-top-here. 
  41. ^ ザ・ビートルズ(The Beatles)、「イエロー・サブマリン」7インチ・アナログ盤限定復刻”. TOWER RECORDS ONLINE (2018年5月30日). 2018年8月12日閲覧。
  42. ^ a b "Official Singles Chart Top 100". UK Singles Chart. 2020年8月8日閲覧。
  43. ^ Womack 2014, p. 1025.
  44. ^ Miles 2001, p. 175.
  45. ^ Myers, Justin (2016年1月9日). “The Biggest Song of Every Year Revealed" > "Slide 51/65”. Official Charts Company. 2021年8月22日閲覧。
  46. ^ Everett 1999, p. 69-70.
  47. ^ Leonard 2014, p. 114-115.
  48. ^ Spitz 2005, p. 627.
  49. ^ Doggett 2007, p. 83.
  50. ^ Norman 2008, p. 450.
  51. ^ Savage 2015, p. 324.
  52. ^ Frontani 2007, p. 101.
  53. ^ Miles 2001, p. 240.
  54. ^ Philo 2015, p. 108-109.
  55. ^ a b The Hot 100 Chart”. Billboard (1966年9月17日). 2020年8月8日閲覧。
  56. ^ a b “Cash Box Top 100 – Week of September 10, 1966”. Cash Box: 4. (10 September 1966). 
  57. ^ “Record World 100 Top Pops – Week of September 10, 1966”. Record World: 15. (10 September 1966). 
  58. ^ Gould 2007, p. 356-357.
  59. ^ Turner 2016, p. 292-293.
  60. ^ Turner 2016, p. 293.
  61. ^ a b Rodriguez 2012, p. 172.
  62. ^ Castleman & Podrazik 1976, p. 331.
  63. ^ a b c d Doggett 2007, p. 82.
  64. ^ Doggett 2007, p. 81-82.
  65. ^ Stark 2005, p. 188-189.
  66. ^ Frontani 2007, p. 123-124.
  67. ^ Goldsmith, Julie (2017年4月14日). “Arrival of the Mobe”. UC Berkeley Library Update. The University of California. 2021年8月21日閲覧。
  68. ^ Turner 2016, p. 295.
  69. ^ Turner 2016, p. 356-358.
  70. ^ Reising & LeBlanc 2009, p. 106-107.
  71. ^ Stark 2005, p. 189.
  72. ^ Perone 2012, p. 85-86.
  73. ^ Rodriguez 2012, p. 65-66.
  74. ^ Glynn 2013, p. 136.
  75. ^ Philo 2015, p. 110.
  76. ^ Gould 2007, p. 357.
  77. ^ Case 2010, p. 28.
  78. ^ Glynn 2013, pp. 131-132.
  79. ^ Sounes 2010, p. 178.
  80. ^ Miles 2001, p. 330.
  81. ^ Womack 2014, p. 1030.
  82. ^ “Yellow Submarine Moves to Airport”. BBC News (BBC). (2005年7月9日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/merseyside/4667125.stm 2020年11月30日閲覧。 
  83. ^ a b Womack 2014, p. 1028.
  84. ^ Booth, Robert (2011年4月29日). “Royal wedding: police criticised for pre-emptive strikes against protesters”. The Guardian. https://www.theguardian.com/uk/2011/apr/29/royal-wedding-police-criticised-protesters 2019年4月20日閲覧。 
  85. ^ O'Brien, Carl (2005年7月7日). “Three Irish mammies in vanguard of demonstration”. The Irish Times. http://www.irishtimes.com/news/three-irish-mammies-in-vanguard-of-demonstration-1.465105 2019年4月20日閲覧。 
  86. ^ Philip Marsh (2015年5月15日). “No One Would Riot for Less: the UK General Election, "Shy Tories" and the Eating of Lord Ashdown's Hat”. The Weeklings. 2019年4月20日閲覧。
  87. ^ Rachel Campbell (2005年1月21日). “Feeling blue about the inauguration”. The Journal Times. http://journaltimes.com/rachel_show/feeling-blue-about-the-inauguration/article_3c7ce09a-6b30-51a6-b4a3-f43c571b76b9.html 2019年4月20日閲覧。 
  88. ^ Case 2010, p. 230.
  89. ^ 大瀧詠一 (1995年). "〈曲目解説〉(年代順)", pp. 19-20 [Booklet]. V.A. 『EIICHI OHTAKI SONGBOOK 2 大瀧詠一作品集 VOL.2 (1971-1988)』のアルバム・ノーツ ビクターエンタテインメント (VICL-2154).
  90. ^ 【スピリチュアル・ビートルズ】竹内まりやに拒否された? 「イエロー・サブマリン音頭」秘話”. OVO. 共同通信社 (2019年5月25日). 2020年11月30日閲覧。
  91. ^ MacDonald 2005, p. 206.
  92. ^ Womack 2014, p. 1027.
  93. ^ Yellow submarine in Australian Chart”. Poparchives.com.au. 2019年10月16日閲覧。
  94. ^ "Austriancharts.at – The Beatles – Yellow Submarine" (in German). Ö3 Austria Top 40. 2020年10月12日閲覧。
  95. ^ "Ultratop.be – The Beatles – Yellow Submarine" (in French). Ultratop 50. 2020年10月12日閲覧。
  96. ^ "Ultratop.be – The Beatles – Yellow Submarine" (in Dutch). Ultratop 50. 2020年10月12日閲覧。
  97. ^ Yellow submarine in Canadian Top Singles Chart”. RPM. Library and Archives Canada. 2020年10月12日閲覧。[リンク切れ]
  98. ^ "Nederlandse Top 40 – The Beatles" (in Dutch). Dutch Top 40. 2020年10月12日閲覧。
  99. ^ "Dutchcharts.nl – The Beatles – Yellow Submarine / Eleanor Rigby" (in Dutch). Single Top 100. 2020年10月12日閲覧。
  100. ^ Yellow submarine in Irish Chart”. IRMA. 2019年10月16日閲覧。 Only one result when searching "Yellow submarine"
  101. ^ flavour of new zealand - Home (23 September 1966)”. www.flavourofnz.co.nz. 2019年10月16日閲覧。
  102. ^ "Norwegiancharts.com – The Beatles – Yellow Submarine". VG-lista. 2020年10月12日閲覧。
  103. ^ Salaverri, Fernando (September 2005). Sólo éxitos: año a año, 1959-2002 (1st ed.). Spain: Fundación Autor-SGAE. ISBN 84-8048-639-2 
  104. ^ Swedish Charts 1966–1969/Kvällstoppen – Listresultaten vecka för vecka > Augusti 1966” (Swedish). hitsallertijden.nl. 2019年10月16日閲覧。
  105. ^ Offiziellecharts.de - The Beatles - Yellow Submarine”. GfK Entertainment charts. 2019年10月16日閲覧。
  106. ^ "Official Singles Chart Top 100". UK Singles Chart. 2020年9月5日閲覧。
  107. ^ 50 Back Catalogue Singles – 27 November 2010”. Ultratop 50. Hung Medien (2010年11月27日). 2019年10月16日閲覧。
  108. ^ "Offiziellecharts.de – The Beatles – Yellow Submarine". GfK Entertainment Charts. 2019年10月16日閲覧。
  109. ^ イエロー・サブマリン(完全生産限定盤) | ザ・ビートルズ”. ORICON NEWS. オリコン. 2020年8月8日閲覧。
  110. ^ "American single certifications – The Beatles – Yellow Submarine". Recording Industry Association of America. 2020年9月5日閲覧 If necessary, click Advanced, then click Format, then select Single, then click SEARCH

参考文献編集

外部リンク編集

先代:
  • ザ・トロッグス
  • 「僕はあなたに首ったけ」
全英シングルチャート 第1位
1966年8月18日 - 9月8日(4週)
次代: