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デンバー・ブロンコス英語: Denver Broncos、略称: DEN)は、アメリカ合衆国コロラド州デンバーに本拠地をおくNFLチーム。AFC西地区に所属している。

デンバー・ブロンコス
Denver Broncos
1960年創設(59年前)
永久欠番
ホームタウン
デンバー・ブロンコスの位置(アメリカ合衆国内)
デンバー・ブロンコス

コロラド州デンバー(1960-現在)

Invesco Field at Mile High.jpg
エンパワー・フィールド・アット・マイル・ハイ
(ブロンコス・スタジアム・アット・マイル・ハイ)
(スポーツオーソリティ・フィールド・アット・マイル・ハイ)
(インベスコ・フィールド)(2001-現在)
マイル・ハイ・スタジアム
(ベアーズ・スタジアム)(1960-2000)

所属地区
  • NFL(1970-現在)
  • AFC(1970-現在)
西地区(1970-現在)
西地区(1960-1969)
チームデザイン
チームカラー
     オレンジ
     ネイビーブルー
    
チームロゴ
精悍な白馬の横顔(以前はDの中に鼻息の荒い白馬)
獲得タイトル
スーパーボウル・チャンピオン (3回)
カンファレンス・チャンピオン (8回)
AFC
  • 1977
  • 1986
  • 1987
  • 1989
  • 1997
  • 1998
  • 2013
  • 2015
地区優勝 (15回)
旧AFC西地区
  • 1977
  • 1978
  • 1984
  • 1986
  • 1987
  • 1989
  • 1991
  • 1996
  • 1998
AFC西地区
  • 2005
  • 2011
  • 2012
  • 2013
  • 2014
  • 2015
ワイルドカード(7回)
  • 1979
  • 1983
  • 1993
  • 1997
  • 2000
  • 2003
  • 2004
プレーオフ進出(22/54回)
  • 1977
  • 1978
  • 1979
  • 1983
  • 1984
  • 1986
  • 1987
  • 1989
  • 1991
  • 1993
  • 1996
  • 1997
  • 1998
  • 2000
  • 2003
  • 2004
  • 2005
  • 2011
  • 2012
  • 2013
  • 2014
  • 2015
球団組織
オーナー: パット・ボーレン
GM: ジョン・エルウェイ
ヘッドコーチ: ヴィック・ファンジオ

愛称のブロンコスは西部の荒々しいイメージから。AFL時代にはプレーオフ出場経験がないが、1970年のNFLとAFLの統合の後、AFC西地区で優勝10回、スーパーボウルには6度出場しており、ミネソタ・バイキングスバッファロー・ビルズと同様に最初の4回は敗れたが第32回スーパーボウルで初優勝を果たし、翌シーズンの第33回スーパーボウルも優勝している。

歴史編集

1982年まで編集

1959年8月14日、プロ野球・マイナーリーグのオーナーであるボブ・ホーサムによってチームは創設され1960年のAFL開幕から新興リーグの一員として参加した[1]。ホーサムは当初、デンバーにNFLのエクスパンションチームを設立しようとしたが、シカゴ・ベアーズジョージ・ハラスオーナーらNFLのオーナーの承認を得ることができなかった[2][3]。1960年、ファンによる投票でブロンコスという愛称が決定された[4]

 
マイル・ハイ・スタジアム

チームはデンバー・ベアーズの本拠地だったベアーズ・スタジアム(後にマイル・ハイ・スタジアムと改称)を本拠地としてAFLのオリジナルメンバーとなった。ヘッドコーチにはフランク・フィルコック、エースQBにはフランク・トリプカがなった。同年9月9日に行われたボストン・ペイトリオッツ戦で13-10と初勝利をあげた[5]がチームは4勝9敗1分で最初のシーズンを終えた。シーズン終了後ハウサムオーナーはチームをサンアントニオシンジケートに売ろうとしたが1961年5月、ジェラルド・フィップスカル・クンツら投資家グループがチームを購入した[6]

1961年シーズンを3勝11敗で終えるとチームはフィルコックスに代えてジャック・フォークナーを新ヘッドコーチとした。1962年シーズンはAFL時代を通して最高成績である7勝7敗で終えたがその後5シーズンチームは10敗以上を喫した。その間チームは4人のヘッドコーチ、6人の先発QBを起用する迷走ぶりであった[7]

1964年シーズン5試合を経過したところでフォークナーからマック・スピーディにヘッドコーチが交代しチームは2勝11敗1分に終わった。1965年シーズンは4勝10敗[8]、1966年シーズン、ヒューストン・オイラーズとの開幕戦に7-45と大敗、この試合でチームはファーストダウン更新わずか1回、パスで-7ヤード、トータルで26ヤードしかゲインすることができずに7-45で敗れた[9] 。2試合が経過したところでスピーディヘッドコーチは辞任、レイ・マラヴェシが残りゲームの指揮を執りチームは4勝10敗でシーズンを終えた[10]

1965年にオーナーの一部にチームをアトランタに移転させようとする動きがあったがアラン・フィップス、ジェラルド・フィップスが彼らの経営権、ベアーズ・スタジアムを買取りチームはデンバーに留まることになった。

1967年8月5日に行われたデトロイト・ライオンズとのプレシーズンゲームで13-7とAFLに所属するチームとして最初にNFLのチーム相手に勝利をあげた.[11]。AFLでの10年間の成績は39勝97敗4分とリーグ最低でありAFLのオリジナルチーム中、唯一タイトルマッチに出場を果たせなかった[12]。アメリカのプロフットボールチームとして最初にアフリカ系アメリカ人プレースキッカーであるジーン・ミンゴを起用した[12]WRライオネル・テイラーはシーズン100キャッチを記録した。またアフリカ系アメリカ人QBのマーリン・ブリスコウが入団した。チームの移転騒動があった翌シーズンのシーズンチケットはおよそ3倍の売り上げを記録した[13]

チームの最初のスーパースターは1967年に加入したフロイド・リトルである。

チーム創設後13年目の1973年に初めて勝ち越しでシーズンを終えた。AFLに所属したチームの中でブロンコスだけがプレーオフ出場を果たしていなかった[14]。1965年にはフランチャイズを失うおそれもあったが地元のオーナーグループによってチームの再建が図られた[15]

レッド・ミラーがヘッドコーチに就任した1977年オレンジ・クラッシュ・ディフェンス、その年加入したベテランQBクレイグ・モートンとオレンジクラッシュディフェンスと呼ばれた守備の活躍で、プレーオフに初出場を果たし、第12回スーパーボウルまで勝ち上がったがダラス・カウボーイズに10-27で敗れた[16]

1979年9月23日のシアトル・シーホークス戦では10-34とリードされたところから、ノリス・ウィーズをリリーフしたクレイグ・モートンがハーベン・モーゼスリックアップチャーチにTDパスを通し、最後はロブ・ライトルが1ヤードのTDランをあげるなど、27点を連取して37-34で勝利した。この試合が、現在までのところ、ブロンコスの最多得点差からの逆転勝利となっている[17]

1981年エドガー・カイザー・ジュニアがジェラルド・フィップスから3000万ドルでチームを買収した[18]

エルウェイ時代編集

1983年のNFLドラフトで全体1位でボルチモア・コルツに指名されたジョン・エルウェイがコルツに入団を拒否、ブロンコスはQBのマーク・ヘルマン、オフェンスラインのクリス・ヒントン、翌1984年のドラフト1巡目指名権と引き換えにエルウェイを獲得した[19]。チームはそれまでの23年間で24人ものQBを起用するなど安定したQBを得ることができないでいた[20]

1984年にカイザーオーナーからパット・ボウレンにチームの所有権の60.8%を売却した。後にカイザーはボウレンに対して法廷闘争を行ったが敗訴している[18]

エルウェイはチームを5回スーパーボウルに出場(プレーヤーとしては最多記録)させたが、最初の3回は全て敗れてチームはミネソタ・バイキングスに続いてスーパーボウルで4連敗した史上2チーム目となった。エースQBのエルウェイとダン・リーブスヘッドコーチの不仲も深刻になっており、1994年シーズン終了と共にチームはエルウェイを選びリーブスはチームを去ることとなった。

1986年、チームは11勝5敗でAFC西地区優勝を果たし、プレーオフではニューイングランド・ペイトリオッツを22-17、クリーブランド・ブラウンズをオーバータイムの末、23-20で破り9年ぶりのスーパーボウル出場を果たした。ブラウンズとの試合では残り5分32秒、自陣2ヤードからの攻撃でザ・ドライブとして知られる98ヤードの同点ドライブでオーバータイムに持ち込んだ。ニューヨーク・ジャイアンツとの第21回スーパーボウルでは20-39で敗れた。

ストライキで短縮された1987年シーズン、AFCトップの10勝4敗1分でホームフィールドアドバンテージを獲得、プレーオフではヒューストン・オイラーズを34-10で破り、クリーブランド・ブラウンズとのAFCチャンピオンシップゲームでは前半21-3とリードしたが、反撃を許し31-31と同点にされ、勝ち越しTDで38-31とリードした。第4Q終盤に同点TDを狙ったアーネスト・バイナーに自陣2ヤード地点でファンブルを誘発し、38-33で逃げ切った。第22回スーパーボウルでは第1Qに10-0とリードしたが、第2Qに35失点(1クォーターでのスーパーボウル記録)するなど、10-42でワシントン・レッドスキンズに敗れた。

1988年は8勝8敗に終わりプレーオフを逃したが、1989年、開幕から12試合で10勝をあげ、11勝5敗をあげた。この年新人RBのボビー・ハンフリーが1,151ヤード、8TDをあげた。また新人キッカーのデビッド・トレドウェルはFGを81.8%成功、AFC3位の120得点をあげてプロボウルに選ばれた。プレーオフではピッツバーグ・スティーラーズを24-23、クリーブランド・ブラウンズを37-21で破った。第24回スーパーボウルではジョー・モンタナスーパーボウル記録となる5TDパス[21]、合計8TDを許し、10-55で敗れた。55失点、45点差での負けはそれぞれスーパーボウルワースト記録となった。

1991年シーズン、ヒューストン・オイラーズとのプレーオフでは第4Q、23-24と1点ビハインドで迎えた自陣2ヤードからのドライブで2回、第4ダウンに追い込まれたものの、残り16秒での逆転FGにより26-24で勝利、AFCチャンピオンシップゲームで、ハイパーオフェンスのバッファロー・ビルズと対戦した。この試合でディフェンスはビルズオフェンスにTDを許さなかったが、自陣深くからエルウェイの投げたスクリーンパスをカールトン・ベイリーにインターセプトされ、11ヤードのリターンTDを許し、7-10で敗れた。

1992年シーズン終了後、4年間で3度のスーパーボウル出場を果たしたダン・リーブスは解任され、ウェイド・フィリップスが後任となった。1994年シーズン終了後、フィリップスは解任され、1995年からマイク・シャナハンがヘッドコーチに就任した。

RBテレル・デービスがチームに加入した後、チームは1996年には13勝3敗の成績をあげてAFC第1シードとなり、ホームアドバンテージを獲得したがプレーオフ初戦でチーム創設2年目のジャクソンビル・ジャガーズに苦杯をなめさせられた[22][23]

1997年チームはワイルドカードでプレーオフに出場、ジャクソンビル・ジャガーズを42-17、カンザスシティ・チーフスを14-10、ピッツバーグ・スティーラーズを24-21で破り、史上5チーム目のワイルドカードからのスーパーボウル出場チームとなり、第32回スーパーボウルで前年優勝のグリーンベイ・パッカーズと対戦した。下馬評はブロンコス不利だったものの31-24でパッカーズを破り初優勝を果たした[24]。この試合エルウェイはパス22回中12本の成功、0TD、1INTと不調であった(ただしTDランを決めている)がテレル・デービスが157ヤードを走り、スーパーボウル記録の3TDをあげてMVPに選ばれた。

1998年もプレーオフでマイアミ・ドルフィンズを38-3、ニューヨーク・ジェッツを23-10で破り、2年連続スーパーボウル出場を果たし、長年ブロンコスのヘッドコーチをつとめエルウェイを指導していたダン・リーブス率いるアトランタ・ファルコンズとの対戦した。第33回スーパーボウルでは34-19で勝利し、スーパーボウル連覇を達成した。38歳のエルウェイはこの試合でパスで336ヤードを獲得、ロッド・スミスへの80ヤードPのTDパス、TDランも決めてMVPに選ばれた。エルウェイはこのシーズンで現役を引退した。

1999年から2009年編集

エルウェイの引退後の1999年から2002年まではマイアミ・ドルフィンズの元QB、ボブ・グリーシーの息子であるブライアン・グリーシーが先発QBとなり34勝30敗の成績をあげた。

2003年にチームはアリゾナ・カージナルスの先発QBだったジェイク・プラマーがグリーシーの代わりに先発QBとなった。チームはシーズン序盤は好成績をあげるが終盤失速するといった傾向があり2003年、2004年は5勝1敗と好スタートをきりながらいずれも10勝6敗で終えた。この年プラマーは自己ベストの4,089ヤード、27TDをあげた[25]2005年には13勝3敗でプレーオフ第2シードを獲得しスーパーボウル3連覇を目指すニューイングランド・ペイトリオッツを27-13と破りペイトリオッツのプレーオフ連勝記録を10で止めたがホームで行なわれたピッツバーグ・スティーラーズとのAFCチャンピオンシップゲームでプラマーが2インターセプトを喫するなど17-34で敗れて、スーパーボウル出場は果たせなかった[25]

スーパーボウルまであと一歩のところまでいったものの、2006年のドラフト1巡目でチームがQBのジェイ・カトラーを指名したことは周囲を驚かせた。2006年には守備陣が相手のオフェンスに開幕から5試合でわずか1TDしか許さず、7勝2敗と好成績をあげた。その後連敗するとシャナハンは先発QBをジェイク・プラマーからジェイ・カトラーに変え[25]その後2勝3敗、シーズンを9勝7敗で終えた。2007年1月1日にはCBダレント・ウィリアムスが射殺されて亡くなった[26]

2007年シーズンはロッド・スミスやトム・ネイレンベン・ハミルトンなど故障者が続出し7勝9敗に終わった。

2008年シーズンはシーズン最終節のサンディエゴ・チャージャーズとの地区優勝をかけた試合に敗れこれがシャナハンヘッドコーチの最後の試合となった[27]

2009年1月11日、ニューイングランド・ペイトリオッツのオフェンスコーディネーター、ジョシュ・マクダニエルズが新ヘッドコーチに就任した。2009年シーズン開幕前一時トレード要員となったジェイ・カトラーとチームの関係が悪化[28]、トレードでシカゴ・ベアーズに放出しカイル・オートンやドラフト指名権とトレードした[29]。この年チームは開幕から6連勝したが最後は8勝8敗で終わりプレーオフを逃した[30][31]

2010年以降編集

2010年には前年からチームに不満を持ったプロボウラーのブランドン・マーシャルマイアミ・ドルフィンズにトレード、ドラフトでは大方の予想を裏切りティム・ティーボウを1巡目で指名した[32]。3勝9敗となったところでマクダニエルズヘッドコーチは解任されて[31]エリック・スタデスビルRBコーチが暫定ヘッドコーチとなった[33]。その後2011年1月、前年までカロライナ・パンサーズでヘッドコーチを務めたジョン・フォックスがヘッドコーチに就任することとなった[34][35]

2011年、開幕から1勝4敗となったところでチームはカイル・オートンからティム・ティーボウに先発QBを交代[36]、シーズン途中にオートンは放出された。ティーボウが先発してからチームは続く8試合で7勝1敗の成績をあげ[37]、最後の3試合は連敗したものの、8勝8敗で地区優勝を果たした[38]。ワイルドカードプレーオフでピッツバーグ・スティーラーズをオーバータイムの末、29-23で破ったが[39]、ディビジョナルプレーオフでニューイングランド・ペイトリオッツに10-45で敗れた[40]

2012年、コルツから解雇されたペイトン・マニングを獲得し昨年の先発QBティム・ティーボウをドラフト7巡指名権と共にニューヨーク・ジェッツのドラフト4巡、6巡と交換でトレードした。マニングは、この年カムバック賞に選ばれる活躍を見せた。

2015年からはキュービアックがHCとなり、 第50回スーパーボウルを制覇。この試合でQBを務めたマニングは、翌月に引退を発表した。2016年は地区3位に終わってプレーオフを逃し、シーズン終了後キュービアックは引退を発表した。後任には元マイアミ・ドルフィンズのディフェンシブ・コーディネーターであるバンス・ジョセフが就任した。2017年2018年も連続してプレーオフを逃し、2018年シーズン終了後HCのバンス・ジョセフは解雇された。後任はシカゴ・ベアーズのDCヴィック・ファンジオとなった。シーズン終了後、ボルティモア・レイブンズよりQBジョー・フラッコをトレードで獲得した。

2019年シーズンの対戦相手

2019年シーズンのブロンコスの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位 チーフス テキサンズ レイブンズ ペイトリオッツ ラムズ セインツ ベアーズ カウボーイズ
2位 チャージャーズ コルツ スティーラーズ ドルフィンズ シーホークス ファルコンズ バイキングス イーグルス
3位 ブロンコス タイタンズ ブラウンズ ビルズ 49ERS パンサーズ パッカーズ レッドスキンズ
4位 レイダーズ ジャガーズ ベンガルズ ジェッツ カージナルス バッカニアーズ ライオンズ ジャイアンツ

    :1度対戦     :2度対戦

成績編集

AFC西地区(4地区制)編集

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2019
2018 KC(1c) 12 4 0 LAC(5d) 12 4 0 DEN 6 10 0 OAK 4 12 0
2017 KC(4w) 10 6 0 LAC 9 7 0 OAK 6 10 0 DEN 5 11 0
2016 KC(2d) 12 4 0 OAK(5w) 12 4 0 DEN 9 7 0 SD 5 11 0
2015 DEN(1v) 12 4 0 KC(5d) 11 5 0 OAK 7 9 0 SD 4 12 0
2014 DEN(2d) 12 4 0 KC 9 7 0 SD 9 7 0 OAK 3 13 0
2013 DEN(1s) 13 3 0 KC(5w) 11 5 0 SD(6d) 9 7 0 OAK 4 12 0
2012 DEN(1d) 13 3 0 SD 7 9 0 OAK 4 12 0 KC 2 14 0
2011 DEN(4d) 8 8 0 SD 8 8 0 OAK 8 8 0 KC 7 9 0
2010 KC(4w) 10 6 0 SD 9 7 0 OAK 8 8 0 DEN 4 12 0
2009 SD(2d) 13 3 0 DEN 8 8 0 OAK 5 11 0 KC 4 12 0
2008 SD(4d) 8 8 0 DEN 8 8 0 OAK 5 11 0 KC 2 14 0
2007 SD(3c) 11 5 0 DEN 7 9 0 KC 4 12 0 OAK 4 12 0
2006 SD(1d) 14 2 0 KC(6w) 9 7 0 DEN 9 7 0 OAK 2 14 0
2005 DEN(2c) 13 3 0 KC 10 6 0 SD 9 7 0 OAK 4 12 0
2004 SD(4w) 12 4 0 DEN(6w) 10 6 0 KC 7 9 0 OAK 5 11 0
2003 KC(2d) 13 3 0 DEN(6w) 10 6 0 OAK 4 12 0 SD 4 12 0
2002 OAK(1s) 11 5 0 DEN 9 7 0 SD 8 8 0 KC 8 8 0

AFC西地区(3地区制)編集

地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
2001 OAK(3d) 10 6 0 SEA 9 7 0 DEN 8 8 0 KC 6 10 0 SD 5 11 0
2000 OAK(2c) 12 4 0 DEN(5w) 11 5 0 KC 7 9 0 SEA 6 10 0 SD 1 15 0
1999 SEA(3w) 9 7 0 KC 9 7 0 SD 8 8 0 DEN 8 8 0 OAK 6 10 0
1998 DEN(1v) 14 2 0 OAK 8 8 0 SEA 8 8 0 KC 7 9 0 SD 5 11 0
1997 KC(1d) 13 3 0 DEN(4v) 12 4 0 SEA 8 8 0 OAK 4 12 0 SD 4 12 0
1996 DEN(1d) 13 3 0 KC 9 7 0 SD 8 8 0 OAK 7 9 0 SEA 7 9 0
1995 KC(1d) 13 3 0 SD(4w) 9 7 0 SEA 8 8 0 DEN 8 8 0 OAK 8 8 0
1994 SD(2s) 11 5 0 KC(6w) 9 7 0 RAI 9 7 0 DEN 7 9 0 SEA 6 10 0
1993 KC(3c) 11 5 0 RAI(4d) 10 6 0 DEN(5w) 9 7 0 SD 8 8 0 SEA 6 10 0
1992 SD(3d) 11 5 0 KC(6w) 10 6 0 DEN 8 8 0 RAI 7 9 0 SEA 2 14 0
1991 DEN(2c) 12 4 0 KC(4d) 10 6 0 RAI(5w) 9 7 0 SEA 7 9 0 SD 4 12 0
1990 RAI(2c) 12 4 0 KC(5w) 11 5 0 SEA 9 7 0 SD 6 10 0 DEN 5 11 0
1989 DEN(1s) 11 5 0 KC 8 7 1 RAI 8 8 0 SEA 7 9 0 SD 6 10 0
1988 SEA(3d) 9 7 0 DEN 8 8 0 RAI 7 9 0 SD 6 10 0 KC 4 11 1
1987 DEN(1s) 10 4 1 SEA(5w) 9 6 0 SD 8 7 0 RAI 5 10 0 KC 4 11 0
1986 DEN(2s) 11 5 0 KC(5w) 10 6 0 SEA 10 6 0 RAI 8 8 0 SD 4 12 0
1985 RAI(1d) 12 4 0 DEN 11 5 0 SEA 8 8 0 SD 8 8 0 KC 6 10 0
1984 DEN(2d) 13 3 0 SEA(4d) 12 4 0 RAI(5w) 11 5 0 KC 8 8 0 SD 7 9 0
1983 RAI(1v) 12 4 0 SEA(4c) 9 7 0 DEN(5w) 9 7 0 SD 6 10 0 KC 6 10 0
1982 RAI(1d) 8 1 0 SD(5d) 6 3 0 SEA 4 5 0 KC 3 6 0 DEN 2 7 0
1981 SD(3c) 10 6 0 DEN 10 6 0 KC 9 7 0 OAK 7 9 0 SEA 6 10 0
1980 SD(1c) 11 5 0 OAK(4v) 11 5 0 KC 8 8 0 DEN 8 8 0 SEA 4 12 0
1979 SD(1d) 12 4 0 DEN(5w) 10 6 0 SEA 9 7 0 OAK 9 7 0 KC 7 9 0
1978 DEN(3d) 10 6 0 OAK 9 7 0 SEA 9 7 0 SD 9 7 0 KC 4 12 0
1977 DEN(1s) 12 2 0 OAK(4c) 11 3 0 SD 7 7 0 SEA 5 9 0 KC 2 12 0
1976 OAK(1v) 13 1 0 DEN 9 5 0 SD 6 8 0 KC 5 9 0 TB 0 14 0
1975 OAK(2c) 11 3 0 DEN 6 8 0 KC 5 9 0 SD 2 12 0
1974 OAK(c) 12 2 0 DEN 7 6 1 KC 5 9 0 SD 5 9 0
1973 OAK(c) 9 4 1 KC 7 5 2 DEN 7 5 2 SD 2 11 1
1972 OAK(d) 10 3 0 KC 8 6 0 DEN 5 9 0 SD 4 9 1
1971 KC(d) 10 3 1 OAK 8 4 2 SD 6 8 0 DEN 4 9 1
1970 OAK(c) 8 4 2 KC 7 5 2 SD 5 6 3 DEN 5 8 1

AFL西地区編集

地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
1969 OAK(a) 12 1 1 KC(V) 11 3 0 SD 8 6 0 DEN 5 8 1 CIN 4 9 1
1968 OAK(a) 12 2 0 KC 12 2 0 SD 9 5 0 DEN 5 9 0 CIN 3 11 0
1967 OAK(s) 13 3 0 KC 9 5 0 SD 8 5 1 DEN 3 11 0
1966 KC(s) 11 2 0 OAK 8 5 1 SD 7 6 1 DEN 4 10 0
スーパーボウル開始
1965 SD(a) 9 2 3 OAK 8 5 1 KC 7 5 2 DEN 4 10 0
1964 SD(a) 8 5 1 KC 7 7 0 OAK 5 7 2 DEN 2 11 1
1963 SD(v) 11 3 0 OAK 10 4 0 KC 5 7 2 DEN 2 11 1
1962 DAL(v) 11 3 0 DEN 7 7 0 SD 4 10 0 OAK 1 13 0
1961 SD(a) 12 2 0 DAL 6 8 0 DEN 3 11 0 OAK 2 12 0
1960 LA(a) 10 4 0 DAL 8 6 0 OAK 6 8 0 DEN 4 9 1

主な選手編集

永久欠番編集

デンバー・ブロンコス 永久欠番一覧
背番号 選手 ポジション 在籍期間
7 ジョン・エルウェイ John Elway QB 1983–1998
18 フランク・トリプカ
ペイトン・マニング*
Frank Tripucka
Peyton Manning
QB 1960–1963
2012–2015
44 フロイド・リトル Floyd Little RB 1967–1975

* 2012年、マニングが加入した際、チームおよびトリプカが快諾し、旧所属のインディアナポリス・コルツで長らく使用してきた18番を継続して使用することになった[41]。2015年で引退した後、敬意を表してマニングの名前が永久欠番に追加された。

殿堂入り選手編集

スーパーボウルMVP編集

歴代ヘッドコーチ編集

ホームスタジアムでの応援編集

1970年のAFLとNFLの合併以来チケットの完売が続いている。チケットが売れ残ったのは1987年シーズンのストライキの際に代替選手によって行なわれた2試合のみである(ストライキ前にはいったん完売していた。)。ブロンコスのホームフィールドアドバンテージはNFL随一で1974年から2006年までの32年間ほどで191勝65敗1分である。以前のマイル・ハイ・スタジアムのクラウドノイズはNFLのスタジアムの中でも最も騒がしい本拠地の1つとしてブロンコスを後押しした。2001年からインヴェスコ・フィールド・アット・マイルハイを本拠地としている。

チアリーダー編集

2007年に堀池薫子が日本人として初めてブロンコスのチアリーダーに合格し2008年にも再度オーディションを突破して合格を果たした[42]。2012年には西村樹里がブロンコスのチアリーダーに合格している[43]

脚注編集

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  1. ^ http://www.profootballhof.com/history/team.jsp?franchise_id=10
  2. ^ アーカイブされたコピー”. 2008年6月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年3月26日閲覧。
  3. ^ アーカイブされたコピー”. 2007年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年6月1日閲覧。
  4. ^ http://www.profootballhof.com/history/nicknames.jsp
  5. ^ http://www.pro-football-reference.com/boxscores/196009090nwe.htm
  6. ^ Kansas City Chiefs - Dressing up the old AFL
  7. ^ http://www.pro-football-reference.com/teams/den/
  8. ^ http://www.pro-football-reference.com/teams/den/1965.htm
  9. ^ http://www.pro-football-reference.com/boxscores/196609030oti.htm
  10. ^ http://www.pro-football-reference.com/teams/den/1966.htm
  11. ^ Team - Pro Football Hall of Fame”. Profootballhof.com. 2009年1月12日閲覧。
  12. ^ a b Denver Broncos: American Football League Charter Members”. Conigliofamily.com. 2009年1月12日閲覧。
  13. ^ http://www.nflteamhistory.com/nfl_teams/denver_broncos/team_history.html
  14. ^ Denver Broncos Team Encyclopedia”. Pro-football-reference.com. 2009年1月12日閲覧。
  15. ^ Denver Broncos Team History”. Nflteamhistory.com. 2009年1月12日閲覧。
  16. ^ 1977 Denver Broncos Statistics”. Pro-football-reference.com. 2009年1月12日閲覧。
  17. ^ Dan Van Wie (2011年11月18日). “The Biggest Comeback in the History of Each NFL Franchise”. bleacherreport.com. 2013年5月22日閲覧。
  18. ^ a b Weston Gentry (2012年1月14日). “Former Denver Broncos owner Edgar Kaiser Jr. dies at 69”. デンバー・ポスト. 2012年1月21日閲覧。
  19. ^ John Elway Timeline”. Sportingnews.com. 2008年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年1月12日閲覧。
  20. ^ Denver Broncos”. Football.com. 2008年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年1月12日閲覧。
  21. ^ 第29回スーパーボウルスティーブ・ヤングが6TDパスを投げて記録を更新している。
  22. ^ 世紀の番狂わせTOP10 第6位:1996シーズンプレイオフ NFL JAPAN
  23. ^ Brian Ditullio (2010年12月2日). “Ambush At Mile High”. bleacherreport.com. 2013年8月4日閲覧。
  24. ^ 世紀の番狂わせTOP10 第5位:第32回スーパーボウル NFL JAPAN
  25. ^ a b c プラマーが現役引退を発表”. AFP (2007年3月4日). 2012年1月26日閲覧。
  26. ^ ブロンコスのダレント・ウィリアムズが射殺される”. AFP国際ニュース (2007年01月01日 23:52). 2009年1月12日閲覧。
  27. ^ チャージャース、ブロンコス圧倒して大逆転の地区3連覇!”. NFL JAPAN (2008年12月29日). 2011年4月10日閲覧。
  28. ^ マクダニエルスHC、「カトラーはブロンコスのQB」と残留に前向き発言”. NFL JAPAN (2009年3月24日). 2011年4月10日閲覧。
  29. ^ きっかけは新任HC、QBカトラーがベアーズへ移籍”. NFL JAPAN (2011年4月2日). 2011年4月10日閲覧。
  30. ^ 【第17週】チーフスが大勝、同地区ブロンコスに引導渡す”. NFL JAPAN (2010年1月4日). 2011年4月10日閲覧。
  31. ^ a b 低迷ブロンコス、マクダニエルスHCを解任”. NFL JAPAN (2010年12月7日). 2011年4月10日閲覧。
  32. ^ 近藤祐司 (2012年1月13日). “ティーボウの活躍を切に願うのはペイトリオッツの新コーチ?【前編】”. NFL JAPAN. 2012年1月21日閲覧。
  33. ^ ブロンコス、暫定HCにRBコーチのスタデスビル氏が就任”. NFL JAPAN (2010年12月8日). 2011年4月10日閲覧。
  34. ^ ブロンコス、前パンサーズ指揮官のフォックスが新HC就任”. NFL JAPAN (2011年1月14日). 2011年4月10日閲覧。
  35. ^ ブロンコスのフォックス新HCが就任会見”. NFL JAPAN (2011年1月15日). 2011年4月10日閲覧。
  36. ^ 近藤祐司 (2012年1月6日). ““マジック”はどこまで続く? いよいよプレイオフ開幕へ!【前編】”. 2012年1月21日閲覧。
  37. ^ 【第17週プレビュー】ブロンコス地区優勝に因縁のオートンが立ちはだかる”. NFL JAPAN (2011年12月29日). 2012年1月21日閲覧。
  38. ^ ブロンコス敗戦も、05年以来の地区優勝でプレイオフ進出”. NFL JAPAN (2012年1月2日). 2012年1月21日閲覧。
  39. ^ ティーボウ大活躍、ブロンコスがOTの死闘を制す”. NFL JAPAN (2012年1月15日). 2012年1月21日閲覧。
  40. ^ QBティーボウ、「何が起こるか分からない」と希望捨てず”. NFL JAPAN (2012年1月15日). 2012年1月21日閲覧。
  41. ^ NFLJAPAN「マニングが背番号18継続へ、永久欠番もOBが快諾」
  42. ^ 日本人初のデンバーブロンコス(NFL)チアリーダー 堀池薫子さんオーディション突破 (在デンバー日本総領事館)
  43. ^ NFLチアリーダーとして夢の世界ではばたきます 西村樹里”. 2013年1月14日閲覧。

外部リンク編集