奥さん!2時です』(おくさん にじです)は、毎日放送 (MBS) と東京12チャンネル(現・テレビ東京)が共同製作した主婦向けのワイドショーである。

当記事では、その前身となる『ファミリースタジオ』→『ファミリースタジオ230』も紹介する。

概要

編集

毎日放送は、1967年10月16日よりワイドショー番組『ファミリースタジオ』(14時からの1時間枠で放送)を関西ローカルで独自編成していたが[1]、これを当時再建中で毎日放送が筆頭株主[注 1] でもある東京12チャンネルと共同の主婦向けワイドショー番組に改編する形で1970年4月2日より『ファミリースタジオ230』(放送枠は14時30分 - 15時25分)として放送を開始。番組は月・火・水曜が大阪・毎日放送発、木・金曜は東京12チャンネル発という形を取った。

これをさらに1970年10月から2時開始にしたのが、この『奥さん!2時です』である。東京版は歌手の江利チエミを、大阪版は桂三枝(後の6代目桂文枝)、笑福亭仁鶴森乃福郎を曜日別のメイン司会に、毎日放送アナウンサーの藤本永治を進行役に起用。主婦向けの生活情報やゲストとのインタビューを楽しんだ[誰が?]

1975年3月30日のネットチェンジによる系列局整理で、毎日放送はこれまでのANNNET系列)/東京12チャンネルの変則クロスネットを解消し、JNNTBS系列)に統一[注 2] したため、形式上発展解消という形で終了した[注 3]

一方の東京12チャンネルは、近畿地方での実質的な系列局となっていた近畿放送テレビ(現:京都放送 愛称:KBS京都)とサンテレビとの共同製作番組『こんにちは!奥さん2時です』を放送することになった。なお、近畿放送版/サンテレビ版は出演者・スタッフの一部『奥さん!2時です』に関わっており、実質的に製作局を変えた続編という位置づけにもなった。

司会者

編集

『ファミリースタジオ』時代

編集

『ファミリースタジオ230』時代

編集

『奥さん!2時です』時代

編集
  • 藤本永治(毎日放送製作版(月曜 - 水曜):進行役、1970年10月 - 1974年3月)
  • 桂三枝(同上:月曜メイン司会、1970年10月 - 1975年3月)
  • 笑福亭仁鶴(同上:火曜メイン司会、1970年10月 - 1975年3月)
  • 森乃福郎(同上:水曜メイン司会、1970年10月 - 1974年3月)
  • 浜村淳(同上:水曜メイン司会、1974年4月 - 1975年3月)
  • 桂文珍(同上:進行役、1974年4月 - 1975年3月)
  • 石川豊子(同上:進行役、1974年4月 - 1975年3月)
  • 江利チエミ(東京12ch製作版(木曜・金曜):初代メイン司会、1970年10月 - 1972年2月)
  • 木暮実千代(同上:2代目メイン司会、1972年3月 - 1974年3月)
  • 川口浩(同上:3代目メイン司会、1974年4月 - 1975年3月)
  • 岡野忠元(同上:江利のアシスタント役、1970年10月 - 1972年2月)
  • 砂川啓介(同上:木暮のアシスタント役<初代>、1972年3月 - 降板時期不明)
  • 三笑亭夢楽(同上:木暮のアシスタント役<2代目>、登板時期不明 - 1974年3月)

放送時間

編集

いずれも日本標準時

『ファミリースタジオ』時代

編集
  • 月曜 - 金曜 14:00 - 15:00 (1967年10月16日[1] - 1970年3月30日)

『ファミリースタジオ230』時代

編集
  • 月曜 - 金曜 14:30 - 15:25(1970年4月2日 - 1970年9月30日)

『奥さん!2時です』時代

編集
  • 月曜 - 金曜 14:00 - 15:00 (1970年10月1日 - 1974年9月3日)
  • 月曜 - 金曜 14:00 - 14:55 (1974年9月4日 - 1975年3月28日)

ネット局

編集

『奥さん!2時です』時代

編集
  • 毎日放送(月・火・水曜制作局
  • 東京12チャンネル(木・金曜制作局
  • 北海道テレビ(1972年4月10日より放送開始。1974年3月22日で打ち切り[2][注 4]
  • 東北放送
  • 石川テレビ[3]
  • 名古屋テレビ
  • 山陽放送(当時の放送対象地域は岡山県のみ。1972年3月に打ち切り)
  • 岡山放送(当時の放送対象地域は岡山県のみ。1972年4月に山陽放送から移行したが、1973年6月に打ち切り)
    • 岡山放送の開局後も山陽放送にて番組を継続したが、その当時TBS系列内だった朝日放送からの『ワイドショー・プラスα』ネットのため1972年4月改編で打ち切り、腸捻転解消後の『スタジオ2時』からMBSとのネットを再開した。本番組の移行を受けた岡山放送は、フジテレビの『FNN奥さまニュース』を放送するために14時45分で飛び降りていた。その後、フジテレビの『ひらけ!ポンキッキ』を同時ネットするため、1973年6月に番組ネットを打ち切った[4]。また放送対象地域統合前の瀬戸内海放送(当時の放送対象地域は香川県のみ)は、時差ネットまたは再放送枠確保の関係から本番組をネットしなかった。腸捻転の解消後、『ワイドショー・プラスα』は瀬戸内海放送がネットした。
  • 中国放送
    • 広島ホームテレビ開局前から放送していた『アフタヌーンショー』(14時からの時差放送)の、1970年10月の広島ホームテレビへの放送系列移動(10月・11月は試験放送扱い。12月1日に正式開局)[注 7] に合わせて放送開始。当時系列内だった朝日放送からの『ワイドショー・プラスα』ネットのため1972年4月改編で打ち切り、腸捻転解消後の『スタジオ2時』から毎日放送とのネットを再開した。広島ホームテレビはNET系のみならず、広島テレビの編成から漏れた日本テレビ・フジテレビの番組を編成していた関係上[注 8]、時差ネット・再放送枠確保の関係から放送を見送り、中国放送から『ワイドショー・プラスα』の移行を受けるまでこの時間帯を再放送・映画やゴールデンタイムNET系列番組の先行または遅れネットなどの自主編成で繋いだ。
  • テレビ山口
    • フジテレビの『奥さまニュース』を放送するため、14時45分で飛び降り。[注 9]
  • テレビ高知
  • テレビ愛媛
  • 九州朝日放送
  • テレビ大分

※地方のネット局のうち、北海道テレビ・名古屋テレビ・岡山放送・テレビ山口・九州朝日放送・テレビ大分は毎日放送がかつて属していたNET(テレビ朝日)系列、石川テレビ・テレビ愛媛はフジテレビ系列[注 10] で、それ以外の局は毎日放送が1975年3月31日から属しているTBS系列の局である。ただし本番組放送当時の名古屋テレビ(1973年3月まで日本テレビ系列にも加盟)・岡山放送(他にフジテレビ系列)・テレビ山口(他にフジテレビ・TBS系列)・テレビ大分(他に日本テレビ・フジテレビ系列)は、他系列とのクロスネット局であった。

出典

編集

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ 当時の「東京12チャンネル」の放送免許人は財団法人日本科学技術振興財団であったが、テレビ事業が極度の経営不振に陥ったため、その再建支援のために毎日放送が日本生命保険ほか財界各社と発足させたテレビ放送制作運営会社が、株式会社東京十二チャンネルプロダクション、すなわち現在の放送免許人株式会社テレビ東京である。日本生命保険は1969年日本経済新聞社が同社に対し大口出資を行うと撤退したが、毎日放送はTBS系列に移行し、さらに持株会社化して『MBSメディアホールディングス』に改名し、事業会社を毎日放送(新法人)に承継したのちも依然としてMBSメディアホールディングスが同社(持株親会社を設立したので、現在は同社の親会社である株式会社テレビ東京ホールディングス)に対し出資を続けている。
  2. ^ JNN加盟局に義務付けられている排他協定(現在も同様)により、JNN非加盟局である東京12チャンネルと正式なネットワークを組めなくなったため。但し、一部番組は番組販売の扱いでテレビ大阪の開局する直前の1982年2月まで継続した。
  3. ^ これ以後、毎日放送は単独で主に西日本のJNN系列を中心としたブロックネットの主婦向けワイドショー(『スタジオ2時』 → 『ワイドYOU』など)を放送
  4. ^ 打ち切り後は外国テレビ映画『略奪された100人の花嫁』(1972年に東京12チャンネルで放送)を放送した。
  5. ^ 1972年10月に起った名古屋テレビの番組編成に対する協定を破ったことが発端となって、両局の系列一本化を決断、名古屋テレビがANN系列に、中京テレビがNNN系列にそれぞれ一本化。ただし、中京テレビは日本経済新聞社の出資の関係から一本化後もテレビ愛知の開局(1983年9月)まで優先的に東京12チャンネル→テレビ東京の番販ネットを継続した。
  6. ^ 当時、岐阜放送・三重テレビともに平日の放送開始は夕方だった。
  7. ^ 広島ホームテレビは10月1日試験放送開始時点から本放送並みの全日編成を組み、12月1日の本放送開始までに中継局10か所の整備を進め、広島県内90.2%をカバーさせた。[5]
  8. ^ この影響で、中国放送にもNETテレビ→テレビ朝日・腸捻転時代の毎日放送・腸捻転解消後の朝日放送の番組がしばらく残り、テレビ新広島の開局後も『料理手帖』(朝日放送)・『宇宙魔神ダイケンゴー』(テレビ朝日)などわずかな番組が放送された(前者はその後広島ホームテレビに移行)。
  9. ^ 当時JNNに昼間のスポットニュースが設定されなかったことから、排他協定の例外措置として産業経済新聞社配給番組に準じた扱いで「サンケイ奥さまニュースFNN」を「奥さまニュース」というタイトルに差し替えて放送していた。
  10. ^ 毎日放送はラジオ部門で系列関係のニッポン放送文化放送を通じて間接的にフジテレビとも関係がある。こうした経緯から開局準備段階ではフジテレビとのネットワーク関係も模索されていた。

出典

編集
  1. ^ a b 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、482頁。 
  2. ^ 北海道新聞』(縮刷版) 1972年(昭和47年)4月 - 1974年(昭和49年)3月、テレビ欄
  3. ^ 北日本新聞』1972年10月16日付 - 10月20日付各朝刊、テレビ欄。
  4. ^ 出典:読売新聞・岡山版。1973年4月9日・7月2日、10月1日(いずれも月曜日、20ページ)、テレビ・ラジオ欄。
  5. ^ 中国新聞、1970年10月1日、10ページ全面広告『県民待望の広島ホームテレビ、いよいよ試験放送開始。90%がカラー放送』、17ページ、テレビ・ラジオ欄
東京12チャンネル 月曜 - 金曜14:00 - 14:30枠
前番組 番組名 次番組
奥さま映画館
※13:00 - 14:30
奥さん!2時です
(1970年10月1日 - 1975年3月28日)
こんにちは!奥さん2時です
(1975年3月31日 - 1977年9月30日)
※14:00 - 14:55
東京12チャンネル 月曜 - 金曜14:30 - 14:55枠
再放送枠
※14:30 - 15:25
ファミリースタジオ230
(1970年4月2日 - 9月30日)

奥さん!2時です
(1970年10月1日 - 1975年3月28日)
こんにちは!奥さん2時です
(1975年3月31日 - 1977年9月30日)
※14:00 - 14:55
東京12チャンネル 月曜 - 金曜14:55 - 15:00枠
再放送枠
※14:30 - 15:25
ファミリースタジオ230
(1970年4月2日 - 9月30日)

奥さん!2時です
(1970年10月1日 - 1974年9月3日)