岐阜羽島駅
岐阜羽島駅(ぎふはしまえき)は、岐阜県羽島市福寿町平方にある、東海旅客鉄道(JR東海)東海道新幹線の駅である。接続駅として、名鉄羽島線の新羽島駅が隣接する。
岐阜羽島駅 | |
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![]() 北口(2017年10月) | |
ぎふはしま Gifu-Hashima | |
◄名古屋 (30.3 km) (49.6 km) 米原► | |
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所在地 | 岐阜県羽島市福寿町平方645-1 |
所属事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
所属路線 | ■東海道新幹線 |
キロ程 | 396.3 km(東京起点) |
電報略号 | ハシ |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 2面4線[1] |
乗車人員 -統計年度- |
[# 1]1,685人/日(降車客含まず) -2021年(令和3年)- |
開業年月日 | 1964年(昭和39年)10月1日 |
乗換 | 新羽島駅(名鉄羽島線) |
備考 |
駅長配置駅(管理駅) JR全線きっぷうりば 有 |

概要 編集
岐阜県内にある唯一の新幹線停車駅である。
両隣の駅は所在地がそれぞれ愛知県と滋賀県であり、隣接する両隣の駅所在県が異なる。なお、岐阜羽島駅から新大阪駅間は各府県に一駅毎の設置となるため、この区間では駅毎に所在府県が変わる。
駅前には、地元の大物政治家・大野伴睦夫妻の銅像が立ち、政治駅の代名詞として有名であるが[2][3][4]、実際は当初から県内への駅設置が予定されていた(後述)。
2020年(令和2年)現在はほぼ全時間帯で「ひかり」と「こだま」が毎時1本ずつ停車するダイヤとなっている。1964年の開業時は新幹線単独駅であったが、1982年(昭和57年)に名鉄羽島線の新羽島駅が隣接部に開業し乗換が可能になった(18年経っていた)。羽島線はルート選定で揉めた岐阜市と当駅を結ぶアクセス路線として造られた。
名古屋駅 - 米原駅間は在来線の東海道本線とは別線区間となっており、この区間の選択乗車において当駅の乗車券の取扱いは東海道本線岐阜駅を準用している。したがって、名古屋以東または米原以西発着の乗車券であれば当駅発着のものであっても岐阜駅を利用出来、逆に岐阜駅発着のものであっても当駅を利用出来る[注釈 1]。また名古屋以東と米原以西の相互間の片道101km以上の乗車券を用いて当駅で途中下車し、岐阜駅から再入場して同じ方向もしくは高山本線方面へ旅行を継続することもできる(逆に岐阜駅で途中下車し、当駅で再入場することも出来る)。
交通系ICカード全国相互利用サービスは、当該区間があるIC定期券はチャージで乗れ新幹線定期券もある。一般人はエクスプレス予約(EX-IC/スマートEX)のみで、ネット予約のオンラインチケットで東京~鹿児島中央全線で使用できる、
歴史 編集
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
駅設置の経緯 編集
東海道新幹線の建設時、名古屋以西のルートは旧東海道を通るルートが有力であったが[注釈 2]、鈴鹿山脈を越えるためにはかなりの難工事が予想され[3]当時の技術的障害や建設費用面の問題、北陸方面への連絡、さらには1958年(昭和33年)の国鉄幹線調査会で定められた「概ね5年」という工期上の事情もあり、在来線である東海道本線同様に中山道ルート(関ヶ原経由)と決められた。
なお、世界銀行からの融資条件である『1964年東京オリンピック開催までに開業する』という工期の制約があった[4]という説があるが、「名古屋 - 京都間を直線で結べば標高1,000メートル級の鈴鹿山脈越えとなるので、(中略)工期的に非常な難点のあることが明らかになった[3][4]。一方関ケ原附近も地質的には鈴鹿越えと大差はないが、ずい道が比較的短くすむこと及び北陸との連絡に至便なことから、結局ここが最終案として本決まりになった。こうして全線の基本ルートが定められ、33年8月幹線調査事務所の発注によって航空写真測量が開始されたのである。」[7]とするように、関ヶ原経由が決定したのは、東京オリンピック開催が決定された1959年(昭和34年)よりも前である。国鉄副総裁(当時)磯崎叡も、1964年(昭和39年)6月2日の衆議院予算委員会[8]において、同様に1958年(昭和33年)に現在のルートを採択した旨の答弁を行っている。
国鉄は1958年(昭和33年) - 1959年(昭和34年)に岐阜県内の駅設置の必要性を認識して計画を進めていたが、北に大きく迂回することになる県庁所在地の岐阜市を経由せず、名古屋から関ヶ原までを直線で結ぶ現在の路線に近いルートを予定していた[3][9]。関ヶ原ルート決定後、設置予定駅の第一報では名古屋駅の次は米原駅とされていたが、3日後には羽島市への駅設置が報じられた[10]。これに対して岐阜市や大垣市では駅を誘致する運動が展開された[10]。
時の知事・松野幸泰が要請した大野伴睦と国鉄との交渉の際、国鉄は駅を作ることをあえて伏せ、「岐阜県内に一駅作るなら地元を説得しよう」と大野に言わせて顔を立て、羽島市内に駅を設置することにより、まるで妥協案が成立したかに見えるよう手配したという経緯がある[9]。岐阜羽島駅設置が決定した際には、この経緯が「政治駅」であるとの批判が起きたとされる[3]。しかし、大野は「新幹線は国家的問題で、岐阜県の都合だけで左右することはできない」と述べていたとされ、むしろ政治力で決定されていたならば、岐阜駅になっていたと指摘されている[10]。
当時国鉄新幹線総局調査役として駅の選定にも関与した角本良平によると、名古屋と米原の間は長すぎるうえに関ケ原の降雪時に何かあると困るから「利用客の安全を考えると途中に駅を作らないといけない」と考えていたが、はじめから「岐阜に駅を作る」といえば揉めると分かっていたので黙っておき、岐阜県から「何とか一駅つくってくれ」という空気にさせて、そこで「悪いくじを引き受けてくれたのが大野」で、本来なら大野が非常に強く言えば、岐阜市に寄せざるをえなかったところを、納得させたと述べている。また、岐阜羽島駅の位置の選定については、最初から羽島に作ろうとしたのではなく、岐阜に3つの川が流れているところ、安全に安く通るルートを見つけることは容易ではなかったとして、河川等の条件から決まったと述べている[11]。
なお、国鉄職員だった須田寬によると、関ヶ原ルートに決定されたとき豪雪地帯を通るため、除雪車の待機基地を設置できる駅の候補地として、羽島が選定されたと述べている[10]。また大垣市は、市街地に近く、除雪車が待機するだけの駅用地が確保できず、羽島に選定されたことで、立ち退きが少なくて済んだと述べている[10]。須田は大野の影響について「駅名に『岐阜』を付けてほしいとは言ったようですが、伴睦さんが羽島に駅を造らせたということは絶対にない」と述べている[10]。
駅名の由来 編集
角本良平によると、国鉄社内の会議における議論で、当時岡山県の国鉄自動車線に「羽島」があったためどうするかということが話題になり、新幹線総局総務局長(当時)の中畑三郎が「岐阜羽島にしてはどうか」と発言したところ、瞬時に決まった。また岐阜県を象徴する駅名にしたことで、大野伴睦の顔が立ったと述べている[11]。
開業後 編集
1964年(昭和39年)10月1日に東海道新幹線の開業と共に岐阜羽島駅も開業した。駅は羽島市の中心部から離れ、当時は周辺は水田が広がっている以外は殆ど何もなかった。のち1970年(昭和45年)、駅南口に岐阜羽島繊維卸センターが完成し、駅南口一帯に問屋街が形成された[12]が、その後[注釈 3]は空き店舗が多くなり、駅周辺の賑わいに欠けていた[13]。
しかし、駅北西では区画整理が行われ、この地区では住宅地としての利用のほか岐阜県道・愛知県道18号大垣一宮線沿いには商業施設が立地している[14]。また、駅周辺には既に多数のビジネスホテルが営業しているが、観光客等を中心にホテル利用者が増えている事から、特に2016年からは新規開業が相次いでいる。今世紀に入ってから、駅周辺に低料金で利用できる駐車場が数多く造られ、パーク&ライド駅としての性格が強まっている。
年表 編集
- 1964年(昭和39年)10月1日:東海道新幹線開業に伴い開業。
- 1970年(昭和45年)3月15日:新幹線のホームが16両対応に延伸される[15]。
- 1978年(昭和53年):0番線設置。
- 1979年(昭和54年)4月20日:新幹線自由席特急券・乗車券券売機を設置(一万円札も使用可。券裏面に磁気コード付き)。
- 1980年(昭和55年)10月1日:「ひかり」の一部が停車。
- 1982年(昭和57年)12月11日 - 名鉄羽島線新羽島駅が開業、乗換駅となる。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR東海の駅となる。当初の管轄は東海鉄道事業本部。
- 1996年(平成8年)3月16日:これまで早朝・夜間に限られていた「ひかり」の停車が終日1時間ごとに拡大(名古屋以西各駅停車)。
- 1998年(平成10年)3月10日:自動改札機を導入[16]。
- 2005年(平成17年):リニューアル工事実施。1階部分耐震補強、「JR全線きっぷうりば」等の配置変更。
- 2008年(平成20年)4月1日:管轄が新幹線鉄道事業本部へ変更。
※ 近畿日本鉄道(近鉄)が大垣駅から当駅までの新線建設を発表した事がある。養老鉄道養老線(2007年(平成19年)9月まで近鉄が運営)の項目を参照のこと。
駅構造 編集
島式ホーム2面4線を有する高架駅である[1]。中央にホームに接していない本線(通過線)2線があり、副本線に乗り場が4線(0・1番線ホーム、2・3番線ホーム)ある。
のりば 編集
番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
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0・1 | 東海道新幹線 | 上り | 東京方面 | 通常ダイヤでは1番線のみ使用 |
2・3 | 下り | 新大阪方面 | 通常ダイヤでは2番線のみ使用 |
(出典:JR東海:駅構内図)
0番線ホームでは2009年(平成21年)3月のダイヤ改正以降、翌朝名古屋始発となる車両が夜間留置されている。
本線2本に副本線が4本と東海道新幹線の中間駅では規模が大きい。これは大阪方面の関ケ原越えに備えるためであり[4]、豪雪で運行を見合わせる際に列車を多く留置出来るようになっている。
また、下り側ホームの東京方には保守車両用の留置線が設けられ、保守車両の留置が行われている。なお、この留置線は3番線側へのみ接続されているため、入出庫の際は一旦3番線への入線が必要となっている。
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改札口(2022年11月)
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ホーム(2010年2月)
配線図 編集
← 米原・ 京都・ 新大阪 方面 |
→ 名古屋・ 新横浜・ 東京 方面 |
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凡例 出典:[17] |
駅弁 編集
- 松浦の味噌ヒレカツ重
- コーチンわっぱめし
- 復刻弁当
利用状況 編集
2021年(令和3年)度の1日平均乗車人員は1,685人 [# 1]である。東海道新幹線の駅では最も乗車人員が少ない。
当駅の各年度の1日平均乗車人員は以下の通り。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1998年(平成10年) | 3,308 |
1999年(平成11年) | 3,237 |
2000年(平成12年) | 3,351 |
2001年(平成13年) | 3,228 |
2002年(平成14年) | 3,026 |
2003年(平成15年) | 3,206 |
2004年(平成16年) | 3,312 |
2005年(平成17年) | 3,264 |
2006年(平成18年) | 3,252 |
2007年(平成19年) | 3,224 |
2008年(平成20年) | 3,077 |
2009年(平成21年) | 2,810 |
2010年(平成22年) | 2,786 |
2011年(平成23年) | 2,713 |
2012年(平成24年) | [2]2,812 |
2013年(平成25年) | 2,818 |
2014年(平成26年) | [3]2,800 |
2015年(平成27年) | 2,845 |
2016年(平成28年) | 2,824 |
2017年(平成29年) | 2,908 |
2018年(平成30年) | [* 1]2,955 |
2019年(令和元年) | [* 2]2,794 |
2020年(令和 | 2年)[* 3]1,322 |
2021年(令和 | 3年)[# 1]1,685 |
駅周辺 編集
駅周辺は各社製品の広告看板が目立ち、ホテルが点在する。
- こうか東駐車場・こうか西駐車場
- 名鉄羽島線 新羽島駅
- 桑原川
- 大野伴睦先生御夫妻之像
- 円空モニュメント
- 岐阜県道206号岐阜羽島停車場線(睦通り)
- 岐阜県道1号岐阜南濃線
- 名神高速道路
-
駅前
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新羽島駅
-
桑原川
-
駅前にある大野伴睦夫妻銅像
-
円空の一刀彫のモニュメント
バス路線 編集
- 名阪近鉄バス - 大垣、輪之内方面
- 海津市コミュニティバス - 海津方面
かつては岐阜乗合自動車(岐阜バス)の岐阜駅、大垣駅、墨俣、一宮市、名古屋市方面への路線が発着していた。
隣の駅 編集
脚注 編集
注釈 編集
出典 編集
- ^ a b 『週刊 JR全駅・全車両基地』 04号 名古屋駅・古虎渓駅・美濃赤坂駅ほか77駅、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2012年9月2日、27頁。
- ^ a b “50年前「新幹線開業」の熱気 アサヒグラフはこう伝えた”. AERA dot.. (2014年9月30日) 2020年3月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g “新幹線「利用者数最少駅」は、なぜできたのか”. 東洋経済オンライン (2016年10月29日). 2020年3月5日閲覧。
- ^ a b c d “全力リサーチ「何もない!?岐阜羽島駅の謎」”. ドデスカ! (2017年10月18日). 2020年3月5日閲覧。
- ^ “旅客営業規則>第2編 旅客営業 - 第4章 乗車券類の効力 - 第2節 乗車券の効力”. 東日本旅客鉄道株式会社 (2020年8月3日). 2020年9月20日閲覧。
- ^ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。
- ^ 『東海道新幹線工事誌 名幹工篇』日本国有鉄道名古屋幹線工事局 26p
- ^ “第46回国会 衆議院 予算委員会 第20号 昭和39年6月2日” (1964年6月2日). 2020年1月10日閲覧。
- ^ a b 碇義朗『「夢の超特急」、走る!- 新幹線を作った男たち』文藝春秋〈文春文庫〉、2007年10月、pp. 255-256頁。ISBN 9784167717483。(ハードカバー版は『超高速に挑む- 新幹線開発に賭けた男たち』ISBN 4163471901)
- ^ a b c d e f “岐阜羽島駅は政治家「鶴の一声」って本当?”. 岐阜新聞. 2020年10月12日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b 『角本良平オーラル・ヒストリー』公益財団法人 交通協力会 発行 229p
- ^ 岐阜問屋町の歴史 - 岐阜婦人子供服工業組合(2014年10月15日閲覧)
- ^ 羽島市土地利用調整計画 - 羽島市(2014年10月15日閲覧)
- ^ 羽島都市計画事業 駅北本郷土地区画整理事業 - 羽島市(2022年4月6日閲覧)
- ^ “ホーム延伸工事進む 「こだま」の一部16両化で”. 交通新聞 (交通協力会): p. 2. (1972年1月13日)
- ^ “NEWS SUMMARY 1998年3月”. 鉄道友の会 名古屋支部. 2017年5月31日閲覧。
- ^ 川島令三、『東海道ライン 全線・全駅・全配線 第5巻 名古屋駅 - 米原エリア』、p21, 講談社、2009年7月、ISBN 978-4062700153)
- ^ 『JTB時刻表』2023年3月号、JTBパブリッシング、2023年、47頁。
- ^ “新駅誕生の波紋”. 開業50周年記念「完全」復刻アサヒグラフ臨時増刊 東海道新幹線 1964 8,1 (朝日新聞出版). (2014-10-30).
- ^ “羽島こうか駐車場”. 羽島高速鉄道高架. 2015年8月2日閲覧。
- ^ a b “岐阜羽島駅の顔・巨大木像がなくなる⁉ 「円空」伝承で設置、20年経過で老朽化”. 中日新聞 (2023年8月28日). 2023年8月28日閲覧。
- 岐阜県統計書
- ^ “令和元年岐阜県統計書” (pdf). 岐阜県. p. 182 (2019年7月). 2020年9月20日閲覧。
- ^ “令和2年岐阜県統計書” (xls). 岐阜県 (2021年10月28日). 2023年7月7日閲覧。
- ^ “令和3年岐阜県統計書” (xlsx). 岐阜県 (2022年7月29日). 2023年7月7日閲覧。
- 羽島市統計書
- ^ a b c “羽島市統計書 令和3年版” (pdf). 羽島市. p. 41 (2022年12月). 2023年7月7日閲覧。
関連項目 編集
外部リンク 編集
- 岐阜羽島駅 - 東海旅客鉄道