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有本 義明(ありもと よしあき、1931年6月1日[1] - )は、日本スポーツライター野球解説者プロ野球監督兵庫県芦屋市出身[1]。現在はスポーツニッポン(スポニチ)特別編集委員。主にプロ野球を中心に取材している。

有本 義明
生誕 (1931-06-01) 1931年6月1日(88歳)
日本の旗 日本兵庫県芦屋市
教育 慶應義塾大学
職業 スポーツライター
野球解説者
代表経歴 スポーツニッポン新聞社特別編集委員
アール・エフ・ラジオ日本解説者(1970年代 - 2007年)
福岡ダイエーホークス二軍監督
有本 義明
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県芦屋市
生年月日 (1931-06-01) 1931年6月1日(88歳)
身長
体重
165 cm
kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手二塁手
プロ入り プロ野球選手経験無し
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

目次

来歴・人物編集

甲子園大会には春(選抜高等学校野球大会)夏(全国高等学校野球選手権大会)通算四度出場。1949年春の大会で芦屋高校のエース投手(右投右打)として準優勝に導いた。慶應義塾大学進学後、同野球部では二塁手へ転向。四年生時には主将を務めた。東京六大学野球リーグ通算29試合出場、65打数13安打、打率.200、0本塁打、5打点を記録した。

大学卒業後はスポーツニッポン新聞社へ入社し、プロ野球を中心としたスポーツの取材を実施。在職中の1962年、当時の阪神タイガース監督藤本定義の要請でアメリカへ外国人選手の調査に向かい、ジーン・バッキーを見いだす。また、同じく1960年代には、NETテレビの東京六大学野球中継に解説者として出演することもあった。1970年代あたりからは、東京12チャンネルラジオ関東1981年よりRFラジオ日本)・TBSラジオ各局のプロ野球中継解説者も務めるようになる。

1992年には、プロ野球記者としての取材活動の集大成として『プロ野球三国志』をスポニチ紙上に執筆。毎日新聞社から単行本が出版された。

1993年から1995年は、根本陸夫に請われ、プロ選手経験のないまま福岡ダイエーホークス二軍監督を担当する珍しい試みに挑戦した。

著書編集

  • 野球のコツ教えます 明日からうまくなる新理論
1974年、スポーツニッポン新聞社より発行[2]
  • ザ・草野球
1981年4月、スポニチ出版より発行。ISBN 4790309053
  • プロ野球三国志
1992年7月、毎日新聞社より発行。ISBN 4620308714

出演番組編集

解説者として出演していた野球中継番組
スポーツ情報番組

詳細情報編集

背番号編集

  • 71(1993年 - 1995年)

脚注編集

  1. ^ a b 参考:『12球団全選手カラー百科名鑑2000』(『ホームラン』2000年3月号増刊。日本スポーツ出版社発行)に掲載の解説者名鑑。
  2. ^ 国立国会図書館の書誌情報

関連項目編集

  • 芥田武夫 - プロ選手経験ゼロで新聞のスポーツ記者から近鉄パールス監督を務めた。
  • 田口周 - 有本同様に、プロ選手経験ゼロでヤクルトスワローズ二軍監督を経験(スポーツ紙記者出身という点でも共通している)。
  • 平田翼 - 有本同様に、野球記者を務める傍ら、RFラジオ日本の野球解説者を務めた。

外部リンク編集