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株式会社サンコーは、神奈川県を地盤として[13]東京都埼玉県にも展開していたスーパーマーケットチェーンである[9]。1961年(昭和36年)11月10日に設立され[5]、1970年(昭和45年)2月27日にダイエーと提携し[14][注釈 2]、1979年(昭和54年)12月3日に東京証券取引所第2部上場したが[2]、1981年(昭和56年)7月31日に「株式会社マルエツ」に吸収合併された[12]

株式会社サンコー
種類 株式会社
市場情報
東証2部[1][2] 1979年12月3日[2]
- - 1981年7月
本社所在地 日本の旗 日本
神奈川県川崎市川崎区榎町9-21[3]
本部:東京都品川区西五反田7-22-17[3]東京卸売センター[4]
1970年(昭和45年)7月23日移転[4]
設立 1961年(昭和36年)11月10日(初代)[5]

1950年(昭和25年)2月22日(2代目)[3][注釈 1]
業種 小売業
事業内容 スーパーマーケット[7]
代表者 中田安彦[7]

大川栄二[6]
資本金 100万円(設立時)[3]

5億円[3]
売上高 約350億円
1972年(昭和47年)8月期)[8][9]

約657億円
1979年(昭和54年)2月期)[9]
純利益 約5.99億円
1979年(昭和54年)2月期)[9]
決算期 8月[8][9][10]

2月[3]
主要株主 岡田屋(現・横浜岡田屋[10]

ダイエーグループ:約90%[3]

ダイエー:約29%[11]
特記事項:1981年(昭和56年)7月31日に「株式会社マルエツ」にを吸収合併されて消滅[12]
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歴史・概要編集

設立から新興スーパーを代表する中堅チェーンへ編集

サンコーは、岡田屋(川崎市地場資本の呉服店・現在の横浜岡田屋)のスーパーマーケット事業会社として[5][10]1961年(昭和36年)11月に資本金100万円で設立された[6]

同月に1号店として「小田店」を開設したのを皮切りに[6]武蔵小杉鹿島田登戸、武蔵新城、溝の口などの南武線沿いや大師川崎駅前、元住吉など地盤である川崎市内に加えて、隣接する横浜市内の綱島星川等へ出店を進め[10]1966年(昭和41年)8月期には岡田屋グループ全売上の55%を占める最大事業へと成長した[10]

そして、1968年(昭和43年)5月時点では神奈川県内では最多の15店舗を展開する[10]中堅スーパーへ成長した[14]

また、1969年(昭和44年)11月に共同仕入れ機構「ナルサ」を[15]イトーヨーカ堂扇屋のほか[15]伊勢甚忠実屋藤五カネ長武田と共に設立し[16]、参加企業の合計で売上高1000億円超の流通グループを形成することになった[15][注釈 3]

この「ナルサ」では、売上高約300億円の当社は約320億円のイトーヨーカ堂と共に中核となり[15]、岡田屋グループの岡田吉朗が[14]代表取締役[17]・会長に就任した[14]

このように、新興スーパーを代表する存在として[9]、神奈川県を地盤として[13]26店舗を展開するスーパーマーケットチェーンとなり[18]、同じ川崎市に本拠を置いて本業の百貨店で岡田屋と競合していた老舗・小美屋が「小美屋第一商事」を設立してスーパーマーケット「コミーマート」を開業した際には当社を超えることが目標とされた[14]

ダイエー傘下での再建編集

しかし、経営難に陥ったため[19]、1970年(昭和45年)2月27日にダイエーと提携して再建を図ることになり[14]、役員の相互派遣や当社独自のショッピングセンターの開設などを含む提携を行うことになった[14][注釈 2]

この提携発表の翌日の1970年(昭和45年)2月28日に「ナルサ」に脱退届を正式に受理され[4]、脱退した[20]

その後、ナルサはイトーヨーカ堂を中心として運営されるようになったが[16]1976年(昭和51年)8月21日に扇屋がジャスコと合併し[20]1978年(昭和53年)7月に忠実屋が脱退する[20]など衰退に向かい[20]、イトーヨーカ堂に吸収合併されて消滅することになった[9]

また、提携当初は当社独自のショッピングセンターの開設継続が含まれていたことから[14]、提携直後の1970年(昭和45年)には、3月21日に川崎市の向ヶ丘遊園駅前に専門店約60店が入居する向ヶ丘ショッビングワールドを開業し、同月26日に横浜市長津田に専門店約40店が入居する長津田ショッピングワールドを開業、11月20日に横浜市上大岡に上大岡ショッピングワールドを開業、同月28日に横浜市井土ヶ谷に井土ヶ谷ショッピングワールドを開業するなど大型店を相次いで出店した[4]

ところが、西友等の他の大手スーパーも買収の動きもあったことからダイエーが約35億円で買収し[18]、1970年(昭和45年)7月1日に当社の仕入れ部門を廃止してダイエーと共同仕入会社の「エマック」を設立すると共に[14]、同月23日に東京都品川区西五反田の東京卸売センターへ本部を移転した[4]

そして、1971年(昭和46年)4月にダイエーとの共同店舗の第1号店として「鶴見ショッパーズプラザ」を開業し[13]、当社は鶴見西口店を出店した[21]

また、大型店の業績が低迷していたことから[9]、ショッピングセンターの管理・運営はダイエー・ショッビングセンター運営部が継承することになり[6]、1971年(昭和46年)に向ヶ丘店と上大岡店[8]、横浜西口店はダイエーに営業権を譲渡することになった[16]

その結果、当社の店舗数は25店舗へ減少し[9]、業務体制の確立のために約7年間にわたって出店を凍結した[6]。そして、総合スーパー・ダイエーと異なるチェーンストアとして差異化を図り[6]、食料品約60%で衣料品と家庭用品が各々約20%という構成比の食品スーパーとして独立したチェーンとして展開した[9]

出店の再開から上場へ編集

1977年(昭和52年)9月に桜台店を開店して[22]出店を再開し[9]、1978年(昭和53年)9月に開店した[22]南浦和店を皮切りに埼玉県へ進出し[9]、以降は神奈川・東京・埼玉・千葉の4県でのチェーン展開を目指すことになった[9]

こうした経営改善により1979年(昭和54年)2月期には売上高約657億円で約5.99億円の純利益を上げるようになり[9]、同年12月3日に東京証券取引所第2部上場した[2]

マルエツに吸収合併編集

しかし、首都圏における有力食品スーパーで大手スーパーの首都圏攻略のカギを握るとされていた「株式会社マルエツ」が「株式会社西友ストアー(現・西友)」と全面提携すると報道されると[13]、創業家の高橋家の中での意見の相違があったことを利用してダイエー側が逆転[23]

その結果、1981年(昭和56年)2月4日にはダイエーグループの当社が「株式会社マルエツ」に吸収合併される契約に調印し[24]、同年7月31日に同社に吸収合併され[12]、当社はその歴史に終止符を打つことになった。

年表編集

  • 1981年(昭和56年)
    • 2月4日 - 「株式会社マルエツ」に吸収合併される契約に調印[24]
    • 7月31日 - 「株式会社マルエツ」に吸収合併され、「株式会社マルエツ」がダイエーグループに入る[12]。合併時点で、1都3県をカバーする首都圏最大の145店舗を展開[11]。本社を東京都新宿区に移転[11]

かつて運営していた店舗編集

神奈川県編集

川崎市編集

川崎区編集
  • 小田店[6](浅田町2-1-13[3]、1961年(昭和36年)11月開店[6]
1号店として開店した[3]
店舗面積約1,238m2[3]
店舗面積約575m2[3]
建て替えて2012年(平成24年)7月24日に(2代目)京町店(店舗面積約647m2)が開店した[28]
店舗面積約778m2[3]
  • 藤崎店[6][10](1976年(昭和51年)5月閉店[6]
中原区編集
  • 小杉店[6]小杉3丁目414[6]・小杉3丁目市街地住宅内[29]、1966年(昭和41年)3月開店[4] - 2008年(平成20年)までに閉店[30]
店舗面積約1,498m2[1]
2013年(平成25年)4月2日に武蔵小杉駅前店(川崎市中原区小杉町3-1301)が開店した[31]
店舗面積約805m2[3]
建て替えて2014年(平成26年)3月13日に(2代目)マルエツ平間店(店舗面積約823m2)が開店した[33]
  • 元住吉店[6]木月3-533[3]、1964年(昭和39年)9月開店[22] - 2010年(平成22年)1月6日閉店[34]
店舗面積約894m2[35]
高津区編集
店舗面積約5,022m2[22]
店舗面積約1,022m2[22]
  • 第一新城店[4]新城200[3]、1970年(昭和45年)4月開店[4] - ?閉店)
店舗面積約781m2[3]
  • 第二新城店[4](新城214[3]、1970年(昭和45年)4月開店[4] - ?閉店)
店舗面積約772m2[3]
幸区編集
多摩区・麻生区編集
向ケ丘ショッピングワールドとして開店した[4]
ダイエーに営業権を譲渡し[8]、1971年(昭和46年)9月10日にダイエー向ケ丘ショッパーズプラザとして開店した[7]
土地面積2,904.48m2[36]、延べ床面積約3,541.57m2[36]、店舗面積2,322m2[6]
1997年(平成9年)2月28日付けで土地・建物をリクルートコスモスに譲渡[36]

横浜市編集

1971年(昭和46年)12月にダイエーに営業権を譲渡することになり[16]、1972年(昭和47年)4月5日にダイエー横浜ショッパーズプラザとして開店した[26]
星川町商店街は117店があったが、当店進出後に17店が廃業した[10]
店舗面積908m2[22]、土地面積1,484.8m2[36]
1997年(平成9年)2月28日付けで土地・建物をリクルートコスモスに譲渡[36]
  • 西谷店[6](保土ケ谷区西谷898-1[6]、1969年(昭和44年)4月開店[22]
店舗面積約2,971m2[22]
直営店舗面積6,484m2[1]
SC店舗面積7,154m2[37]、延べ床面積約11,102m2[37]。直営店舗面積5,701m2[37]
2012年(平成24年)6月27日[38]「ビッグボーイ」敷地内に[39]「マルエツ中山店」が開店した[38]
直営店舗面積約5,799m2[6] → 直営店舗面積約4,164m2[22] → 直営店舗面積4,168m2[37]
SC店舗面積8,306m2[37]、延べ床面積約12,804m2[37]、延べ床面積約13,462m2[40]
長津田ショッピングワールドとして開店した[4]
店舗跡は住友不動産が取得して2013年(平成25年)9月に解体工事を開始した[40]
長津田駅北口の再開発ビルに[41]2013年(平成25年)3月27日に「マルエツ長津田駅前店」が開店した[42]
  • 桜台店(緑区桜台31[3]1977年(昭和52年)9月開店[22] - ?閉店)
店舗面積1,164m2[1]
店舗面積3,922m2[22]
綱島駅西口の商店街に出店していた[29]
店舗面積2,775m2[1]
店舗面積約3,999m2[6]
井土ケ谷ショッピングワールドとして開店した[4]
店舗面積948m2[22]
上大岡ショッピングワールドとして開店した[4]
ダイエーに営業権を譲渡し[8]、1970年(昭和45年)11月20日にダイエー上大岡ショッパーズプラザとして開店した[4]
  • 最戸店(港南区最戸1-1645[35]
店舗面積1,552m2[1]
店舗面積約2,132m2[6] → 店舗面積約2,478m2[22]
  • 最戸店(港南区[22]最戸[1]
ダイエーとの共同店舗の第1号店として「鶴見ショッパーズプラザ」を開業し[13]
ダイエーとの共同店舗の第1号店として「鶴見ショッパーズプラザ」を開業し[13]、その中に出店した[21]
店舗面積約2,870m2[1]
横浜市・川崎市以外編集
店舗面積1,480m2[1]
店舗面積約2,832m2[1]

東京都編集

店舗面積約483m2[3]
  • 新田店[6](大田区矢口1-19-1[6]、1970年(昭和45年)11月26日開店[4]
店舗面積約2,128m2[6]
建て替えて2012年(平成24年)10月23日にマルエツ(2代目)新田店が開店した[43]
店舗面積約2,993m2[6]
2000年(平成12年)11月30日に新糀谷店(大田区萩中2-12-5)が開店した[44]
店舗面積約1,719m2[22]
  • 中里店(世田谷区上馬2-26-20[35]、1979年(昭和54年)9月開店[22]
店舗面積約1,048m2[22]

埼玉県編集

店舗面積813m2[1]

出店を計画した店舗編集

1982年(昭和57年)3月にマルエツ柿生店として開店した[22](店舗面積約3,800m2[22])。

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 1976年(昭和51年)10月に株式の額面変更の目的で合併した旧・片町商事の設立日時[6]
  2. ^ a b c ダイエーは、創業者・中内功が「血を流して一体化すべきである」などと発言して批判的で、当社以前には業務提携は行っていなかった[4]。当社との提携を皮切りに同年4月18日に高知市の大橋通にフランチャイズ1号店を開店し、同年7月24日に「さとう」や「宝屋」「福屋」「丸作」とフランチャイズ契約や業務提携をすると発表するなど提携戦略の展開をするようになった[4]
  3. ^ ナルサには1970年(昭和45年)1月に当時のスーパーでは名門とされる尾張屋(後にニチイと合併)も加盟した[16]

出典編集

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  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1978年10月20日。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 『日本商業年鑑 1971年版』 商業界、1971年。
  5. ^ a b c d e 神奈川県県民部県史編集室 『神奈川県史 別編 3 年表』 神奈川県、1982年3月。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar 『流通会社年鑑 1978年版』 日本経済新聞社、1977年10月25日。
  7. ^ a b c d e f 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。
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  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 名和太郎 『巨大小売集団 ダイエーの全貌』 国際商業出版、1979年8月。
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  24. ^ a b 『朝日年鑑 1982年版』 朝日新聞社、1982年2月20日。
  25. ^ 佐野眞一 『戦後戦記 中内ダイエーと高度経済成長の時代』 平凡社、2006年6月。ISBN 978-4582824469
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  30. ^ “変化進むSM勢力図 川崎市・武蔵小杉駅周辺再開発、新駅絡みで新店・S&Bも”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2008年2月20日)
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  32. ^ “オープン情報=マルエツ「マルエツ平間店」”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2014年3月19日)
  33. ^ a b “「マルエツ平間店」建て替え、食品に特化 売場2層使い分け”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2014年3月19日)
  34. ^ 2010年2月期(第58期) 決算参考資料 マルエツ. (2010年4月15日).
  35. ^ a b c d e 『流通会社年鑑 2003年版』 日本経済新聞社、2002年12月20日。
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  39. ^ “(仮称)マルエツ新中山店 横浜市緑区中山町「ビッグボーイ」敷地内に”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2012年1月23日)
  40. ^ a b “住友不動産 旧マルエツ長津田店の解体に着手”. 建通新聞 (建通新聞社). (2013年9月9日)
  41. ^ “マルエツ 横浜市緑区 長津田駅北口の再開発ビル『長津田マークタウン』”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2012年8月6日)
  42. ^ “オープン情報=マルエツ「マルエツ長津田駅前店」”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2013年4月3日)
  43. ^ “マルエツ、時間帯別にメニュー展開 新田店の惣菜売場で”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2012年11月7日)
  44. ^ “オープン情報=マルエツ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年12月1日)
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関連項目編集