ジャネット・ジャクソン

アメリカ合衆国のシンガーソングライター、女優、ダンサー、音楽プロデューサー

ジャネット・ダミタ・ジョー・ジャクソンJanet Damita Jo Jackson, 1966年5月16日 - )は、アメリカ合衆国シンガーソングライター女優ダンサー音楽プロデューサー。兄の1人はマイケル・ジャクソン

ジャネット・ジャクソン
USAサンフランシスコ公演(2015年10月)
基本情報
出生名 ジャネット・ダミタ・ジョー・ジャクソン
生誕
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間 1974年 -
レーベル
公式サイト ジャネット・ジャクソン 公式サイト

1980年代以降、商業的に大成功を収めた。ビヨンセ[2]リアーナブリトニー・スピアーズ[3]など21世紀のスターの面々に加え、安室奈美恵[4]など、日本の歌手にも大きな影響を与えた。

それが愛というものだから」「ダズント・リアリー・マター」など10曲の全米No.1(Billboard Hot 100)を持ち、その他にも「リズム・ネイション」「イフ」「ゴット・ティル・イッツ・ゴーン」など多数のヒット曲を持つ。グラミー賞など世界の音楽賞にも多数のノミネートと受賞経験を持ち、ストレート・アライの一人としてLGBTQ支援団体から多くの表彰も受けた。

経歴

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出生・幼少期

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アメリカ合衆国インディアナ州の町・ゲーリーで、ジョセフ・ジャクソンキャサリン・ジャクソンの娘として生まれる。彼女の生まれたジャクソン一家は有名で、マイケル・ジャクソンを含むジャクソン・ファイヴのメンバーは実兄である。10人兄弟の末子。(兄7人・姉2人。うち五番目の兄が夭折)

7歳にはMGMカジノの舞台に立ったが、本格的なデビューはティーンエイジャーになってからである。当初はアメリカテレビドラマを中心に活動した。

1980年代

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兄弟とのデュエット曲やバックボーカルとしてのキャリアはあったものの、本格的にシンガーソングライターの道を歩み始めたのは1982年、彼女が16歳の頃である。A&Mレコードからファースト・アルバムヤング・ラヴ』をリリースしたが、商業的には不発であった。しかしそのアルバムからシングルカットされた楽曲「ヤング・ラヴ」がR&Bチャートの6位。3枚目のシングル「セイ・ユー・ドゥ」もまた15位まで上がったが、当時はアイドル歌手として、評価が低かった。

1984年、セカンド・アルバム『ドリーム・ストリート』を発表。兄のマーロンから提供され、以前よりもファンキーでアップテンポな楽曲「ときめきラブ・チャンス」で、その音楽性に進歩が見られたが、商業的には不成功に終わった。

同年、18歳の若さでデバージのメンバーである歌手ジェイムズ・デバージ英語版結婚したが、わずかな期間で離婚した。

ブレイク

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ジャネットは、次期アルバム制作のため、ミネアポリスで活躍中のプリンス一派のプロデューサーコンビ、ジミー・ジャム&テリー・ルイスの下へ。1986年、これにより完成したデジタル・ゴーゴーを含むアルバム『コントロール』を発表。ジャクソン・ファミリーのプレッシャーから脱却したいジャネットと、ジャム&ルイスの組み合わせは功を奏し、アルバムはポップスチャートとR&Bチャートで1位を獲得。「ナスティ[5]、「恋するティーンエイジャー」「コントロール」など、全9曲のうち6曲がシングルカットされ、5曲がポップスチャートで5位以内に入った。中でも「あなたを想うとき」で、ビルボードシングルチャートにて初の1位を獲得。彼女の人気は高まった。本人も実質的な「私のファーストアルバム」と語っている位、思い入れの強いアルバムである[要出典]。また、1996年に発売されたベスト・アルバム『デザイン・オブ・ア・ディケイド/グレイテスト・ヒッツ』(decade = 10年間)でも、1986年より前は無視されている[注釈 1]。以来20年に渡って、ジャム&ルイスとのタッグは続き、他のプロデューサーと楽曲を制作することは少なかった。

1990年代

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次のアルバムとなる『リズム・ネイション1814』は、1989年にリリースされ、翌90年にかけてヒットした。歌詞では人種差別性差別ホームレス薬物などの政治問題を取り入れたが、サウンド的には『コントロール』に当時流行っていたテディ・ライリーニュージャックスウィングを効果的に組み合わせたものとなり、タイトル曲の「リズム・ネイション」は本家ニュージャックスウィングをも凌駕する完成度を誇るものとなっていた。アルバムトータルとしての完成度も高く、兄マイケルの『オフ・ザ・ウォール』に相当するアルバムが前作『コントロール』であるならば、今作は『スリラー』に匹敵する作品であり、ジャネットを一躍スターにした作品と言える。アルバムはポップスとR&Bのチャートで1位を獲得し、アルバムからシングルカットされたシングルの内、5曲が全米1位(Billboard Hot 100)を獲得する快挙を達成。

表題曲「リズム・ネイション」のビデオ・クリップは、兄マイケルの影響からか、難度の高いダンスで構成されていた。ライブでは激しいダンスのため、リップシンクでパフォーマンスされることが多い。

1990年の初来日公演では、東京ドームでの最高観客動員を記録した。これにより、Rhythm Nation Tourでは2度の来日公演(5月と11月)が実現した。1992年には、彼女とルーサー・ヴァンドロスとの、アップテンポのデュエット・シングル「ベスト・シングス・イン・ライフ・アー・フリー」がヒットした。

ヴァージンへの移籍

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1993年

1993年のアルバム『ジャネット』からヴァージン・レコードに移籍。シングル「それが愛というものだから」が、自身最高のビルボード8週連続1位を記録。アルバムは2000万枚以上の売り上げを記録し、前作よりも多くの国のアルバムチャートで首位獲得やトップ10入りを果たした。このアルバムからセクシーな表現が一層目立つようになった。同年『ポエティック・ジャスティス/愛するということ』(2パックと共演)で映画初出演が映画の評価は低かった。第14回ゴールデンラズベリー賞最低新人賞[注釈 2]は、1989と1994年度MTVムービー・アワード女性演技賞受賞。

兄マイケルとの仲の良さは有名で、1993年に少年への性的虐待疑惑でメディアが過熱した際は、無実を祈ってワールドツアー(janet. World Tour)のステージ上で黙祷を捧げた。

1995年には、マイケルとのデュエット曲「スクリーム」を発表。この曲は、マイケルのアルバムに収録されたにもかかわらず、ジャム&ルイスなどジャネット側の制作陣が手掛けた。

1997年、アルバム『ザ・ヴェルヴェット・ロープ』を発表。これ以降は姓を略した「JANET」名義で作品をリリースする場合がある。同性愛SMドメスティック・バイオレンスなど様々なテーマを取り上げた。セールスは前作を下回ったものの、亡くなった友人に捧げた曲「トゥゲザー・アゲイン」が全米1位のヒットになっている。なおファーストシングルの「ゴット・ティル・イッツ・ゴーン」ではそれまで接点がなかったと思われるヒップ・ホップ畑からア・トライブ・コールド・クエストQティップをゲストラッパーに迎え、それまでになくヒップ・ホップ色の濃い作品となっており、改めてジャネットの引き出しの多さを示す形となった。

1999年、長年に渡るボーイフレンドのレネ・エリゾンド英語版と密かに結婚、そして離婚していたことを公表した。

2000年代

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2002年

2000年エディ・マーフィ主演映画『ナッティ・プロフェッサー2 クランプ家の面々』のヒロイン役で成功を収めた。その主題歌「ダズント・リアリー・マター[注釈 3]もヒットした。オリコンでは、日本での最大のヒットシングルとなり、同年のオリコン洋楽シングルチャートの年間1位を記録した。

2001年のアルバム『オール・フォー・ユー』は、過去の作品に比べるとポップな内容が受け、日本では80万枚を超えるジャネットのアルバムとして最大のヒットとなった。

2004年2月、国民的ショーである第38回スーパーボウルハーフタイムショーでゲストのジャスティン・ティンバーレイクとのデュエット中にジャスティンがジャネットの衣装を引きちぎると片方の胸が露出してしまう事件を起こし、激しい非難を浴びる。生中継したテレビ局が罰金処分を受けたり、直後のグラミー賞アカデミー賞の中継でハプニング防止策が取られるなど、波紋は大きかった。この一件で一時ジャネットは業界から干されたが、ジャスティンはお咎めを受けず、2018年にはジャスティン単独でハーフタイムショーにヘッドライナーとして再出演したことから2020年代に入ってから人種差別・男女差別だったのではないかと指摘されている[6]

同年3月発表されたアルバム『ダミタ・ジョー』は、これまで以上に性的表現が目立っていた。スーパーボウルの一件によりテレビやラジオ局で曲が放送されなかった等の影響もあり、『コントロール』以降では商業的に失敗した作品となった。

2006年初頭には体重が増え、次のアルバムは大丈夫かと不安がる人もいたが、4ヶ月で27キロ減らし55キロまで体重を落とし、6月5日に米国で発売された雑誌「US Weekly」ではそのダイエットの詳細を掲載した。なお、体重増は映画出演のための役作りであったとされるが、結局映画出演は立ち消えになったため、真相は不明。

同年9月、アルバム『20 Y.O.』(トゥエンティ・イヤーズ・オールド)を発売。ジャム&ルイスとの共同制作が20年を迎える記念碑的作品となった。過去のヒット曲のテイストを織り込んで制作したとされるが、当時の恋人である著名プロデューサーのジャーメイン・デュプリの参加によりジャム&ルイス色が薄らいでいる。セールス面では前作を大きく下回る結果となった。

2007年ヴァージン・レコードとの契約を更新せず、同じくヴァージンを去ったジャーメイン・デュプリを追いかける形でアイランド・レコード(ユニバーサル ミュージック グループ)に移籍した。2007年1月、アメリカの経済誌フォーブスがエンターテイメント界で活躍する女性で資産の多い女性トップ20を発表し、ジャネットは総資産181億円で7位にランクインした。2007年10月に米国で公開された映画『Why Did I Get Married?』に主役級で出演している。

2008年2月、アルバム『ディシプリン』を発売。『コントロール』以降で初めてジャム&ルイスが参加しておらず、またジャネット自身は作詞・作曲に一切関わっていない異例なスタイルで制作された。セールスの減少は大きく止められなかったものの、ビルボードHOT200では『オール・フォー・ユー』以来の1位を獲得。1stシングル「フィードバック」もビルボードHOT100で最高19位と久々にTOP20に入った。しかし、他のシングルカットはビルボードHOT100にランクインせず。

レーベルが数か月でプロモーションを放棄したことをジャネットは非難し、わずか1年・1作品のみで、アイランドとの契約を終えたことが9月に明らかになった。

2008年9・10月に7年ぶりのツアー『Rock Witchu Tour』を米国とカナダのみで開催。規模が小さく商業的には不振に終わっている。また体調不良により幾つかの公演をキャンセルした。2009年2月に日本でも5公演が予定されたものの、1月下旬に「金融危機の影響」として延期を発表、後にキャンセルされた。

2009年9月、新曲「メイク・ミー」をインターネットで発表。11月には同曲を含むベストアルバム『ザ・ベスト・オブ・ジャネット・ジャクソン』)を発売。

2010年代

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2011年

2013年2月にEntertainment Tonight紙の取材において、以前から交際していたカタールの大富豪ウィサム・アル・マナと2012年末に密かにプライベートな結婚式を挙げていたことを公表した。結婚の贈り物はお互い児童チャリティへの寄付を選んだ。

2015年、イスラム教改宗した[7]

2015年11月2日、7年ぶりとなるニュー・アルバム『アンブレイカブル』を全世界同時発売。アルバムは2006年以来9年ぶりにジャム&ルイスと制作され、全米1位を獲得。

同年12月、開催中のツアー「アンブレイカブル・ワールド・ツアー」の2016年1月以降の日程について、ドクターストップにより延期することを発表[8]

2016年10月13日、第1子の妊娠を公表[9]。2017年1月に男児を出産した。

2017年、中断していたツアーをステイト・オブ・ザ・ワールド・ツアーとして再開。

2019年にはロックの殿堂入りを果たし[10]、授賞式ではジャネール・モネイがプレゼンターを務めた。

2020年代

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2022年、ライフタイムとA&Eでドキュメンタリー番組『ジャネット・ジャクソン 私の全て』が制作・放映された。ドキュメンタリーにはジャネットや家族、数多くの有名人などが登場し、噂やスキャンダルを含めこれまでを赤裸々に振り返った。

2023年からはトゥゲザー・アゲイン・ワールド・ツアーを開始、日本を含む世界各国で公演を開催するなど精力的に活動。その他にラスベガスでの常設公演も開催している。

全米No.1獲得曲

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2011年

アメリカ「ビルボード」誌に準拠。

ビルボード HOT100チャート

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ビルボード R&Bチャート

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ディスコグラフィ

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アルバム・シングルの総売上枚数は1億枚以上。(2014年1月現在)

スタジオ・アルバム

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  1. ヤング・ラヴ』 - Janet Jackson1982年
  2. ドリーム・ストリート』 - Dream Street1984年
  3. コントロール』 - Control1986年
  4. リズム・ネイション1814』 - Janet Jackson's Rhythm Nation 18141989年
  5. ジャネット』 - janet.1993年
  6. ザ・ヴェルヴェット・ロープ』 - The Velvet Rope1997年
  7. オール・フォー・ユー』 - All For You2001年
  8. ダミタ・ジョー』 - Damita Jo2004年
  9. 『トゥエンティ・イヤーズ・オールド』 - 20 Y.O.2006年
  10. ディシプリン』 - Discipline2008年
  11. アンブレイカブル』 - Unbreakable2015年

ベスト・アルバム

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リミックス・アルバム

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アルバム ビルボードチャート・売上データ

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発表年 アルバム名 POPチャート R&Bチャート US売上枚数 全世界売上枚数
1982年 Janet Jackson 63 6 約58万枚 約100万枚
1984年 Dream Street 147 19 約34万枚 約100万枚
1986年 Control 1 1 約680万枚 約1400万枚
1989年 Janet Jackson's Rhythm Nation 1814 1 1 約720万枚 約1400万枚
1993年 janet. 1 1 約780万枚 約2000万枚
1996年 Design Of A Decade 1986/1996 3 4 約380万枚 約800万枚
1997年 The Velvet Rope 1 2 約360万枚 約800万枚
2001年 All For You 1 1 約320万枚 約800万枚
2004年 Damita Jo 2 2 約99万枚 約300万枚
2006年 20.Y.O. 2 1 約62万枚 約120万枚
2008年 Discipline 1 1 約44万枚 約67万枚
2015年 Unbreakable 1 1

売上データは Craving Janet およびWikipedia英語版Janet Jackson discographyによる

フィルモグラフィー

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日本公演

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[セットリスト]

(Control Section)

    • Control
    • Nasty
    • What Have You Done For Me Lately
    • (MC)
    • Let's Wait Awhile
    • When I Think Of You
    • The Pleasure Principle

(Rhythm Nation 1814 Section)

    • Interlude: T.V
    • State Of The World
    • Interlude: Race
    • The Knowledge
    • Black Cat
    • Come Back To Me
    • Alright
    • Escapade
  • (Encore)
    • Miss You Much
    • Interlude: Pledge
    • Rhythm Nation

日本での出演

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テレビ

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  • JAL(1990年)

逸話

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兄・マイケルとの仲

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度々家族間の確執が話題になるジャクソン・ファミリーだが、マイケルとの仲はとても良かったと言われている。

1995年に二人のデュエットScreamで共演した時のことをマイケルは『ビデオを撮ったのはジャネットと共演する為の口実』と話している。

記録

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  • 一枚のアルバムからのシングルの最高位がそれぞれ1位から5位を達成(アルバム『コントロール』で達成)
  • 一枚のアルバムから7枚のトップ5シングル(アルバム『リズム・ネイション1814』で達成)

いずれもBillboard Hot 100における記録。

脚注

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注釈

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  1. ^ ただし、北米のみで発売された同アルバムの限定版では、『コントロール』以前の曲も収録されていた。
  2. ^ 出来の悪い映画に与えられる賞として有名である
  3. ^ 島谷ひとみのヒット曲「パピヨン〜papillon〜」の原曲

出典

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  1. ^ a b c d Huey, Steve. Janet Jackson | Biography & History - オールミュージック. 2021年1月12日閲覧。
  2. ^ How Janet Jackson Made Room For Politics In Pop Music” (英語). BuzzFeed News. 2020年4月6日閲覧。
  3. ^ Jersey, Tris McCall | For Inside (2011年8月5日). “Janet Jackson to sing her Number Ones at PNC Bank Arts Center” (英語). nj. 2020年4月6日閲覧。
  4. ^ 安室奈美恵 引退公演直前に語ったジャネット・ジャクソン愛”. 女性自身 (2018年2月22日). 2024年10月17日閲覧。
  5. ^ ナスティ - Discogs
  6. ^ 胸ポロ事件やクレーム殺到の国歌斉唱も! 最も物議を醸したスーパーボウルのハーフタイムショーは?”. ELLEgirl (6 February 2024). 19 June 2024閲覧。
  7. ^ “ジャネット・ジャクソンがイスラム教に改宗。”. (2015年9月21日). http://www.vogue.co.jp/celebrity/news/2015-09/21/janet-jackson 2015年11月29日閲覧。 
  8. ^ ジャネット・ジャクソン、手術のため春までツアーを延期”. シネマトゥデイ (2015年12月25日). 2015年12月25日閲覧。
  9. ^ “ジャネット・ジャクソン妊娠を公表 50歳でママに”. スポニチアネックス. (2016年10月13日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/10/13/kiji/K20161013013527040.html 2016年10月13日閲覧。 
  10. ^ ロキシー、ゾンビーズ、ジャネット、ロックの殿堂入りに喜びのコメント”. BARKS (2018年12月14日). 2019年2月2日閲覧。

外部リンク

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